8話 〈グリュックキルヒェ〉叫躁曲(虹耀暦1288年5月:アルクス16歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
帝立〈ターフェル魔導学院〉1年7組に所属する生徒達が『大工房』見学を楽しんだ日の深夜。
日付が変わって少しばかりした頃。
魔導灯が落ち、すっかり人気が無くなった〈グリプス魔導工房〉内の通路には、成人男性の膝下程度の高さに規則正しく配置された非常灯のみが淡い光を放っている。
その光源の前をふと何かが過ぎり、角張った大きな影とそれを押す黒い人影が伸びた。
人影に迷うような素振りはなく、無機質な『大工房』の暗い通路を角ばった何かを押して進んでいく。
どうやら車輪付きの台車に載せているらしい。
程なくして人影が辿り着いたのは、『大工房』内で働く技士や職人から第3棟もしくは”解析部”と呼ばれている部署の前だった。
いつ頃からか勤務時間帯だけ開放しっぱなしにするのが暗黙の了解となった両開きの金属扉を前に人影は淀みなく解錠し、ズズズ……と目一杯に開けると、角ばっていたもの――台車に計3つ積まれた木箱を運び入れる。
相当巨大なものが入っているのか、横長い箱は積まれると人影の人物より背が高く、幅も広い。
部署ごとに掛けてある『警報術式』を鳴らすことなくすんなり侵入を果たした人影はぐるりと首を巡らせた。
棟内部には解析中の魔導遺物が数点置いてあり、中にはまだ土が払われていないものすらある。
しかし、人影の視線はそのような有象無象の”遺物”には一切向けられず、中央の作業台に横たわる巨像にのみ注がれている。
3mを超える中性的な顔立ちの鋼の巨人。
”魔導自律人形”。
通常、鋼鉄であればギラリと光を返すはずのそれは鈍色にくすんでおり、そもそも数年前から少しずつ出土したと云う割に錆も浮いてなければ欠けすらない。
また上半身は裸を模してあるようで隆起した胸筋や腹筋の滑らかな凹凸、下半身には布が巻いてあるような意匠が施されている。
「…………」
人影は真剣な眼差しで巨像を見つめ、隣の木箱に目を移すとやにわに動き出した。
作業台の隣へ台車を転がし、魔術で平積みの木箱を下ろして3つとも蓋を開ける。
続いて魔獣の皮革を使った黒い作業用手袋を着用すると工具を手に両肩部、頸部、腰部と噛み合っていた関節機構を傷つけぬよう、次々と丁寧に外していく。
滑らかな手つきによって工具が踊り、小気味の良いカチチチチッという音が”解析部”に小さく木霊する。
そんな作業がおよそ40分は続いていただろうか?
人影が次の作業に入った。
関節機構を外された”魔導自律人形”の太い胴がふわりと浮き、ゆっくりと床に下ろされる。
大規模な作業台に残っているのは鋼の巨人の残った部分群。
頭部と頸部。
肩部、上腕部、前腕部、手部をひと繋ぎにした上肢が一対。
大腿部、下腿部、足部の下肢一対を腰部でひと纏めにした下半身。
胴体部分だけがぽっかりと空いている。
人影はその中心部と思わしき位置に木箱から取り出した何かを2つ置いた。
明らかにどちらも重量級。
先に置かれたのは吸鍔を六芒星型に配置した不可思議な装置。
そしてその真上に成人男性の両腕にようやっと収まるほどの透き通った六角柱型の貯蓄型擬似晶石。
後者の方からは平べったい工業用魔導銀束線が左右対称に12本、放射状に伸びている。
その内、幅の広く長いものが上下左右に1本ずつで計4本。残り8本が辺ごとに各2本ずつ規則正しく配置されていた。
これは一般的な魔導具にも使われている技術で、魔力伝導率の高い魔導銀線を束ねて覆い、接続装置を終端としたものだ。
劣化や摩耗・損耗を防ぎやすく、その魔導銀線1本1本が各々別の刻印術式や擬似晶石に繋げられるようになっている帝国産の魔導技術。
「…………」
人影は慣れた動きで一通りそれらに目を通すと、おもむろに六角柱型擬似晶石の上下左右に伸びる8本の魔導銀束線と六芒星型の装置を接続していく。
その作業を終えると今度は再び木箱から金属製のパーツを4つ取り出した。
男性像の首元、腹部、胸部を縦に2つ分割したような形状であることは子供にでも分かるほど意匠がハッキリとしている。
まるで人影が先ほど取り外した”魔導自律人形”の精巧な模倣品だ。
それらで六角柱の擬似晶石と六芒星型の機械装置を取り囲むようにゴトリ、ゴトリと配置する。
そして上下左右に残っていた幅広の魔導銀束線をそれぞれ首元、分割された胸部、腹部と接続していく。
あとは組み上げ直すだけだ。
人影は休憩を挟むこともなく、シ……ンとした”解析部”に作業音を響かせ続ける。
そのおよそ4時間半後。
すべての作業を終えた人影の前には、侵入した時と同様見事に関節を嵌め直された”魔導自律人形”が眠っている。
ただ一つ違うのは、胸部にせり出す六角柱の貯蓄型擬似晶石。
それが蓄光塗料のような淡い魔力光を放っていた。
これで最後だ。
時間も残されていない。
人影の人物が”魔導自律人形”の頭部に近づき、熱した金属線を慎重にジュウウウ……っと額に押し付ける。
刻み込まれていた古代の鍵語に新たな鍵語が継ぎ足された。
きっとアルクスやヴィオレッタが見たら、時代や系統の違いから妙なチグハグさを感じたことだろう。
人影はそんなことに拘泥するつもりもないのか、改造された”魔導自律人形”の胸部――1本だけ飛び出していた金属棒をガッ……コン! と、勢いよく引き抜く。
これは使い捨ての火入れ装置だ。
ゴゥ…………ン!
途端、胸部に嵌まる擬似晶石のすぐ下に配置されていた機械装置が低い唸り声を上げ、徐々に音圧を増していく。
ブ、ゥゥゥウウウウウ……!
これでいい。これで悲願が叶う。これで――――。
真剣な瞳でそれを見つめていた人物は心中で独り言ちると、侵入した形跡など何もかも放置したままサッと踵を返して”解析部”を立ち去った。
それはまだ『不知火』や他の生徒達だけでなく、大抵の者達が穏やかに眠る時間帯のことだった。
空の端が白み始めて間もなく、眠っていた”魔導自律人形”の瞼が緩やかに開く。
* * *
相部屋で眠るアルクスを含めた男衆4人の中で、一番初めに異変を嗅ぎ取ったのはマルクガルムだった。
「おいアル。アル、起きろ」
「う……んぁ? マルク? どうした?」
身体を揺すられたアルは眠気眼のまま簡素な壁掛け時計に目をやる。
時計の指し示す時刻は6時過ぎ。朝の点呼にはまだまだ早い時間のはずだ。
「どうしたもこうしたもねえ。どっかから厭な臭いが漂ってきやがる。あの時の鋼業都市とそっくりの――街が燃える臭いだ」
マルクが鼻にシワを寄せて狼のような低い唸り声を上げる。
「なんだって!?」
アルはぎょっとした様子で寝台から跳ね起きた。
寝起きにしては素早い反応だが、それも当然。
その手の悪辣な冗談をマルクは決して吐かないし、彼の滲ませるピリピリした闘争の気配からそれが真実であると強制的に悟らされたからだ。
「場所は!?」
「そこかしこからだ!」
ガラリ、と窓を開けると薄墨を引いた空から雨粒が降り続けている。
が、それ以上に鼻をつく臭いが漂ってきた。
「う、ん……なんだ? 二人ともどうかしたのか?」
同室のラインハルトが伸び気味な金の前髪を鬱陶しそうに払って身を起こす。
「うぅ、さむ……ぉ? 君達、早いな。それにこれは……? なんだか変な臭いがする」
ヘンドリックも掛け布団にくるまったまま、緊張感のない声を上げた。
建物が燃える臭いというのはマルクのように嗅覚が鋭くない者からしても比較的わかりやすい。
燃やすことを想定していないものが燃えているため、独特の嫌な臭いがするのだ。
「マルク、あそこから煙が上がってる」
不完全燃焼による黒煙。
起きたばかりのラインハルトとヘンドリックを無視したアルとマルクは窓の外へ身を乗り出すようにして忙しなく首を巡らせている。
「あっちもだ。火事にしちゃあ随分離れてやがる。間違いねえぞ」
「ああ、放火――いや、もっとタチの悪い何かな気がする」
火の手こそまだ見えていないが、街の至る所から薄墨を引いた空へ黒煙がもうもうと立ち昇っている。
ここまで範囲が広く、この雨天の中でも火の手が上がっているとすればそれは意図されて起こったものだと考えるべきだろう。
人の手によるものであれ、何であれ、絶対に偶然などではない。
そう断定していい。否、すべきだ。
そして――――……。
「アル、お前の耳にも聞こえてるか?」
「……聞こえてる。あれは、悲鳴だ」
油紙を引き裂くような雨音に、聞いたことがなければ気付かないほどの甲高い悲痛な声が入り混じっていた。
これは〈グリュックキルヒェ〉がのっぴきならない状況に置かれているという事実を指し示す何よりの証拠に他ならない。
そこまで結論付けた2人は表情を引き締め、視線を合わせることもなく動き出した。
「旅籠を出よう。何が起こってるのか、まずは情報収集だ。それと――」
「女性陣とも合流しねえとな」
「ああ。たぶんエーラあたりが気付いてるはずだ。翡翠も今はあっちにいる」
短いやり取りを交わしつつ、手際良く支度していく。
アルが龍牙刀と刃尾刀を左腰に、ユリウスの形見を後腰にスッと差し、両腕に嵌めた紅籠手の組紐をきゅっと結び、仕上げに龍鱗布をサッと羽織る。
その間にマルクが〈刃鱗土竜〉の鱗を用いた胴具を着込んで、背嚢から爪先部分がない履き慣れた魔獣の革紐靴に足を通してぐいっと縛る。
「アルクス、マルクも一体何を――」
ようやっと眼鏡をつけたらしいヘンドリックが2人に状況を確認しようと口を開くも、
「二人とも急いで支度しろ。武器も忘れるな」
只ならぬ雰囲気を発するアルによって一方的に断ち切られた。
淀みのない、軍人を彷彿とさせるような鋭い指示。
初めて見た――それこそあのセルジュ・オリヴィエと対峙していた時ですら見せなかった有無を言わせぬ覇気に、ラインハルトとヘンドリックの脳が無理矢理叩き起こされる。
「先行ってるぜ。急げよ」
そこにピリついた雰囲気を纏うマルクが続き、2人は早々に部屋を出ていった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「ヘンドリック、外を見ろ。何か変だ」
事態についていけないヘンドリックに意識が覚醒してきたラインハルトが開け放された窓の方を指差す。
「外? あれは……煙か? まさかどこかで火事が――」
ヘンドリックは寝癖の残る頭で唖然とした。
「いいや、たぶん違う。二人のあの様子……おそらくそれ以上の何かが起きてるんだ」
ラインハルトが出ていったばかりのアルとマルクから感じたのは張り詰めた緊張感。
そして暴力の気配。
いまだ未熟ながら直感的に物騒なものを感じた。
「そんな……二人の勘違いじゃ」
反対にヘンドリックが信じられないと云った顔をするのも、むべなるかなと言えるだろう。
そういった非常事態に巻き込まれた経験など一度としてないのだから。
「個人三等級武芸者二名の判断とお前の希望的観測、どちらが当てになる?」
もどかしくなったラインハルトが軍刀と短剣を引っ掴みながら問うと、
「それは……」
ヘンドリックも頭が追いついてきたのか、怯えと真剣さが綯い交ぜになった表情で口を噤む。
「俺達も急いだ方が良い」
「あ、ああ。そうだな、わかった」
その数分後――。
革鎧や長革靴といった武芸者装束に身を包んだラインハルトと、5月にしては分厚い腰下まである上着を着込み、帝国製一六式魔導機構銃を握りしめたヘンドリックは追い立てられるように部屋を後にした。
* * *
アルとマルクが部屋を出て廊下を走り出すとすぐに、女子部屋が密集している方面に並ぶ部屋の戸の一つが慌ただしく開いた。
飛び出すように廊下へと出てきたのは、鉱人族の少女アニスを小脇に抱えた凜華、シルフィエーラ、ラウラ、ソーニャだった。
ぐしぐしと眼を擦っている鉱人娘を除けば全員が武装済み。
凜華は尾重剣を担いで直剣も腰に差しているし、エーラも複合弓を片手に矢筒の紐を前で結んでいる。
ラウラは杖剣を握り締め、左手の人差し指に嵌めた刻印指輪を確かめているし、ソーニャも盾を腕に括り、長剣を腰に携えている。
言わずもがな彼女ら4人ともそれぞれ短裾上衣、頭巾付き短外套、軽鎧、全身鎧を着込んでいた。
「カァカァ!」
「あ、アル! 良かった、気付いたんだね!」
屋内を器用に飛翔する三ツ足鴉の啼き声で、エーラが真っ先に声を上げる。
「うん、マルクが起こしてくれた」
「そっちもやっぱエーラが気付いたか」
タタッと走ってきたアルが夜天翡翠を肩に留まらせながら頷き、マルクはやはり自分の感覚は間違ってなかったと複雑そうな表情を浮かべた。
出来れば勘違いであって欲しかった、と言いたげな顔だ。
「ええ、悲鳴が聞こえるってエーラに起こされたのよ」
凜華がアニスを下ろしながら答える。
アルとマルクにも聞こえたくらいだ。
耳の良い森人族には窓を開けずともきっとハッキリ聞こえただろう。
「何が起こってるんでしょうか?」
「煙が上がってたぞ」
ラウラとソーニャも表情を引き締めて問う。
一党内での情報共有は基本だ。
「わからない。こっちも煙と悲鳴で急いで出てきた」
アルが黎い髪を振って返すと、
「賊の襲撃?」
細い顎に指を当てた凜華が可能性を提示し、
「にしては範囲が広過ぎるよ。急に街のいろんなとこから聞こえ始めたんだ。そんなこと、普通あり得ないよ」
「それに国境にある〈ヴァルトシュタット〉ほどではありませんが、防壁に兵もいました。幾らなんでもただの賊とは思えません」
長い耳をヒクつかせたエーラと拳を胸の前で握り込んだラウラが否定する。
「どっちにしたって情報が少なすぎるぜ」
「軍人のいる防壁か協会に行ってみるしかないんじゃないか?」
こういう場合、情報が真っ先に届くのが街の防衛を任されている軍だ。
そしてほぼ同時に武芸者協会。
続いて街の長たる町長の方に話がいくことになっている。
そして最後に住民だ。
ソーニャの意見は至極まっとうなものだった。
何より彼らは四等級の武芸者一党だ。
一般人のように座して待つという選択肢は元よりないし、必要であれば逆に協力を依頼される立場にある。
それが仮令、未成年でもだ。
「だな。アル、動くか?」
「ああ、すぐにでも出よう。アニス、悪いけど先生に伝えておいてくれ。それと、ラインハルトとヘンドリックを急がせてるから二人に守ってもらえ。いいな?」
「えっ、え!? ちょ、ちょっと待ってよみんな! 外危ないかもしれないんでしょ?なんで――」
わざわざそんなところに出ていかなくちゃならないの? と、目の覚めてきたアニスが言いかけるも、
「ここが安全だと決まったわけでもない。それを確かめる」
アルが切って捨てる。
「良いからあんたはここで皆と大人しく待ってなさい。わかった?」
凜華も真剣な表情でアニスに説く。
「あう……う、ん。わかった。でも気を付けてね。アタシ怖いよ」
普段の威勢の良さをなくして鉱人娘が頷く。
その時だ。
カン、カン、カン、カン、カン、カン――――!
鐘を力いっぱい鳴らす音が響き渡った。
旅籠だけでなく、街全体に響き渡るような大音量だ。
「うひゃっ!」
アニスがビクリと肩を揺らし、
「警鐘だよ……!」
エーラが細い金眉を顰める。
「やはり街の全域でおかしなことが起こっているらしいな」
ソーニャが低く呟く。
「アルさん、急ぎましょう!」
ラウラが決然と述べたところで、旅籠の中も一気にザワザワと騒がしくなった。
寝ていた宿泊客や同級生達だろう。
「ああ、動きにくくなる前にとっとと行こう」
アルが微量の覇気を滲ませたところで、
「アルクス! マルク!」「みんな! アニスも!」
ラインハルトとヘンドリックが駆けてきて、
「君達!」
彼らの担任コンラート・フックスも廊下に飛び出してきた。
どうやら警鐘を聞いて異変に気付いたのではなく、少し前からマルクとエーラのように何かを感じていたらしい。
雨外套を手に、細身の短剣まで腰に差していた。
元魔導騎士という肩書は伊達ではないようだ。
「「「先生!」」」
アニス、ラインハルト、ヘンドリックが少々安堵したような声音で彼を呼ぶ。
「君らも異変を察知して――ってそうか、人狼族と森人族の五感で」
コンラートは一瞬驚いたような顔を9人と1羽に向けた後、すぐに納得の声を上げた。
「せ、先生……?」
「あの……あれって警鐘ですよね? 何があったんですか?」
すると、廊下に並ぶ部屋のあちこちから数名の生徒が顔を覗かせた。
皆一様に不安そうな面持ちだ。
カン、カン、カン、カン、カン、カン――――!
そこで再度警鐘が鳴り響く。
「生徒のみんな! 鐘が六回、最大級の警報だ! 街全域が危機的状況にある。すぐに一階の広間に集合。そこで点呼を取る。他の部屋にも通達を!」
コンラートがよく響く声で指示を出すと、
「は、はい!」
「危機的状況ってなんでそんな……」
「や、やばいじゃん。部屋のみんな起こさないと」
「い、急ご!」
生徒達が泡を食って部屋に引っ込む。
担任教授が比較的落ち着いた様子だからこそパニックにはならなかったが、不安や怯えまでは拭えていない。
――まさかこんな事態になるとは。
コンラートが心中で苦く思いながら階下へ駆け出すと、
「先生、俺達はこれから『不知火』として状況把握の為に動きます」
彼の後を追いかけてきたアルが報告を入れた。
「な、危険だ。外がどうなってるかも――」
「ええ、ですがここにいても何も変わらないし、何もわかりません。俺達のことは先生の保護下から外して貰って構いません。これでも武芸者です。自分達の面倒は自分達で見ます」
咄嗟に振り返ったコンラートの瞳に、煌めく強い赤褐色の眼光と少年少女らの胸元に提げているものが映り込む。
銅の外縁に銀の中身が4つ、内も外も銅の認識票が2つ。
個人三等級4名と個人四等級2名、四等級一党の証。
彼らが魔導学院の生徒であると同時に高位の武芸者である証明。
よくよく見てみれば不安そうにしているのは、彼ら6名の背後にいるアニスとラインハルトとヘンドリックのみで、肝心の『不知火』の面々は緊張感こそ滲ませているものの落ち着きを保っている。
慣れているのだ、こんな状況に。
戦ってきたのだ、幾度となく。
思わずコンラートは沈黙し、半ば癖のように眼鏡の鼻あてを押し上げた。
彼らの命を預かる担任として許容できない己と、少しでも負担を減らしてくれようとしている彼らに甘えるべきだと主張する合理的な自身の考えがせめぎ合う。
と、その時だった。
「お、おい! やめろ! どうしちまったんだよ一体!」
大広間の方で大声が上がる。
階段に居たアル達が咄嗟に視線を移すと、発掘作業員と思わしき2人が揉み合いになっていた。
すわ暴動の類かと思ったが、どうにもそういった雰囲気ではない。
声を上げた方の髭をモジャモジャと貯えた男性は、どうやらもう片方の同僚と思わしき男を必死に押さえようとしているらしく、その同僚の手には身幅のしっかりとした短剣が握られていた。
作業用に使うようなものではない。
「……頼む。死んでくれ。頼むから、死んでくれ。怨みはないんだ。死んでくれれば、それで良いんだ」
髭面の男性の制止も空しく、男が熱に浮かされたような顔で短剣を構える。
「よせ、うおっ!? やめろ! お前どうしちまったんだ! やめ――!」
「っ!? まずい!」
コンラートが咄嗟に階下へ駆け下りようとした瞬間、
「マルク!」「おうよ!」
壁を蹴りつけて階段から飛び出したアルと手すりから身を躍らせたマルクが一気に加速した。
ラインハルト達にはブレたようにしか見えぬ挙動で肉薄したアルが短剣を腰だめに構えていた男とすれ違う。
まるで一陣の風だ。
「は…………?」
次の瞬間、マルクが男の鳩尾に握り拳をめり込ませていた。
「ぉ、ごふぅっ!?」
呆気に取られていた男が空気と体液を撒き散らしてドサリと崩れ落ちる。
「大丈夫ですか?」
短剣を片手に弄ぶアルが気負いも無さそうに髭面の発掘作業員へ声を掛けた。
ラインハルトとヘンドリックが受けた衝撃にあんぐりと口を開ける。
アニスも褐色の瞳を真ん丸に開いてパチクリとさせた。
3人はたった今ようやく気付いたのだ。
アルがすれ違ったあの一瞬で男の武器を奪っていたことに。
「やめ――ろ……お? おぉ? お、おおう何がなんだかわからんが助かった、のか?」
「ええ。俺達は武芸者です。一体何があったんです?」
「さ、三等級……若いのに凄いもんだ。あ、いやすまん。俺にもちっともわからないんだ。昨日まで一緒に仲良く仕事してたんだぜ? それがたった今、警鐘聞いた途端おかしくなっちまって」
「あんたに怨みでもあったのか?」
気絶させた男を柱に寄り掛からせて手早く凍らせたマルクが問う。
「いやそりゃあ知らんがよ、毎晩飲みに誘ったり誘われたりするような仲だったんだぜ? そんなことってあるかよう?」
髭面の発掘作業員は参ってしまったように情けなく眉を八の字にさせた。
「……『怨みはない』。さっきそいつはそう言ってた」
何が起こってるんだ? と、思案に暮れるようにアルが左眼を閉じる。
「だな。怨恨とはまるで関係ねえ別の何かってことか。悪いおっちゃん、嫌な聞き方しちまった」
「いや、いいんだ。助けてくれてありがとよ」
「いいって。それよかなるべく大勢と行動した方が良いぜ、仲間がああなっちまっても取り押さえられるように」
「おう、そうさせてもらうぜ」
マルクの謝罪に気を悪くした風でもない髭面の男は頭を振って立ち去ろうとする途中で「あ」と立ち止まり、
「な、なぁ武芸者の兄ちゃんら」
と呼びかけた。
アルが「? なんです?」と問い返すと、
「兄ちゃんらも対応に動くかもしれねえんだろ? その、発掘隊の連中内では迷信とか結構大事にしててよ、こないだヴァッケタール山の地下の方で新しい墓を見つけたんだ。そのせいじゃ、ねえよな? 呪い……とか、そんなのあるわけねえよな?」
髭面の男がもぞもぞと居心地悪そうに言う。
「呪いだって?」
マルクは驚いたように灰紫の瞳を丸くした。
「あー……いや、忘れてくれ。同僚に襲われて気が動転しちまってんだ。すまん、じゃあな」
作業員はそれだけ言うと、柱に氷漬けにされている同僚に哀しそうな視線を向けて他の同僚がいるであろう部屋へと引っ込んでいった。
「どう思う? 今度は呪いだとよ。何もわからねえ内に一体何がどんだけ起こってやがんだ」
マルクがワインレッドの髪をガリガリ掻いて零す。
「呪いと言えば精神操作とかの類が定番だけど、可能性は低いはず。短剣奪った時だって、あの男は正気に見えた。どっちにしろ情報が少なすぎるよ」
アルは答えながら短剣に眼を落とした。
何の変哲もない、そこいらの鍛冶屋で買えそうなただの短剣だ。
『釈葉の魔眼』をこっそり使ったが、やはり術の類は感じ取れない。
「だよな」
「アルクス君、マルク君」
そこに何かを決意した顔のコンラートが小走りでやってきた。
女性陣4名と残りの3人も一緒だ。
「先生、やっぱり――」
アルが口を開くと、すぐにコンラートが待ったを掛ける。
「うん、君らは武芸者として動いた方が良い。今の動きを見て確信した。不甲斐ないけれど、今の僕じゃ七組の生徒を守るので精一杯だと思う。君らを勘定に入れないなんてつもりはないけれど、君らは君らの――これまで解決してきた事件の時のように動くべきだ」
そして申し訳無さそうに告げた。
眼鏡の奥に見える瞳には忸怩たる思いが見え隠れしている。
「ありがとうございます」
「願ったり叶ったりっすよ」
ゆえにアルとマルクはさらりと返し、
「じゃあそろそろ動きましょ!」
と凜華が催促するようにパァンっと柏手を打った。
「どうしよっか? 一旦、協会に行く? それとも軍?」
エーラが短外套の頭巾を被りながらグイグイ身体を伸ばす。
外は雨だ。幾ら5月だろうと帝国北部寄りの〈グリュックキルヒェ〉は寒かろう。
「一応ここから近いのは協会の方のはずです」
「アル殿、方針は? 情報を収集してこちらに戻るのか?」
準備万端のラウラとソーニャも既に一端の武芸者だ。
その凛々しい表情や堂々と意見を述べる姿にコンラートは内心で己が見誤っていたことを悟る。
「ここって言うより先生のいるとこを目印にしよう。避難所ができてるかもしれないし」
アルが最終確認とばかりに二振りの刀の鯉口を確かめる。
「応よ」「うむ。了解だ」「わかったわ」「うん、よしゃっ!」「了解です」
「その時は任せるぞ、翡翠」
「カァ!」
仲間達5名と1羽の気合の声を聞いたアルはコンラートと同級生達の方に視線をやった。
「ほ、本当に行くのか?」
「ジッとしてんのが嫌えでな」
戦々恐々としているヘンドリックに何のことも無さげにマルクが肩を竦める。
「ねえみんな、ホント気をつけてね」
「ええ、勿論です」
「当然だ」
「そっちも気をつけなさい」
不安そうなアニスにラウラ、ソーニャ、凛華が頷き、
「ラインハルト、アニスのこと任せたからね」
「ああわかってる、引き受けた」
エーラの頼みをラインハルトが真剣な顔で請け合う。
「皆、いいかい? 最悪の場合、僕らのことは放って逃げるんだよ? 良いね?」
最後にコンラートがそう言うと、
「先生がそのつもりなら俺達もそうしますよ」
アルがそのように返す。
コンラートは赤褐色の瞳に眼光として表れる強い意思を察して、早々に発言を撤回せざるを得ないことを悟った。
彼らを知るに当たり『月刊武芸者』は読んでいる。
彼が――否、彼らが見知らぬどころか友人や同級生らの命運を天に任せたりするとは到底思えない。
「…………参ったな。それじゃ無事で戻っておいで。みんなで学院に帰ろう」
「はい! よぉし皆、出るぞ!」
強く頷いたアルが覇気を滲ませて号令を掛けると、
「「「「「応!」」」」」「カァ!」
仲間達5名は気合いも充分と魔力と気力を漲らせる。
こうして『不知火』の6名と1羽は黒と赤の入り混じる混沌とした雨空の下へ身を躍らせたのだった。
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