7話 六道穿光流
本編2章の終話、メタ的に言うと、主人公アルクスの頼りにする戦闘手段が出揃う回になります。
次章はこの5年後から始まります。
アルクスはイスルギ家へと向けて全速力で走っていた。
幼馴染の森人、シルフィエーラとのやりとりによって、ここ半年近くずっと頭を悩ませていた懸案事項を解決する糸口を閃いた――否、思い出したからだ。
前世日本での己が幼い時分から中学終わり頃まで剣道をやっていたことを。
といっても頭抜けて強かったわけでも、由緒正しい武道一家の生まれだったというわけでもない。
両親から「何か運動でも」と勧められて、なんとなくやり始めただけだ。
しかし通っていた道場で同年代の親しい友人ができたり、運動そのものの楽しさを知ったりと良い思い出ばかりだった。
これがキツいばかりの苦しい記憶ならアルクスの印象にも強く残っていたのだろう。
が、いかんせん喜楽の感情というものはあっという間に記憶から流れ去るもの。
なまじ前世から肉体も人格も引き継いでおらず、八重蔵が用意する武具も前世で当て嵌めると西洋武器に分類されるものばかりだったせいもあって、すっかり忘れていた。
元々刀を扱う為に発展してきた剣道と、どう見ても和製武具でない剣を扱う為のツェシュタール流では振り方から体捌きまで、まるで違う。
稽古に励めば励むほどに違和感が顕在化していき、どうにも馴染まぬ感覚が強くなってしまっていた。
三つ子の魂百まで、とはなんとも言い得て妙なものだ。
まさか転生後までとは思ってもみなかったが、アルクスは半ば確信にも似たものを抱いていた。
きっと解決できるはず、と。
目的のイスルギ家に辿り着くや、アルクスは門戸をドンドンと叩き、焦れたように呼びかけた。
「先生っ! 八重蔵先生いますか!?」
「あら、アルクスちゃん? そんなに急いでどうしたの?」
出てきたのは凛華の母、イスルギ・水葵だった。
「葵おねーさんこんにちは! 八重蔵先生いらっしゃいますかっ?」
里の風習をしっかり守りつつ、もどかしい気持ちを堪えて訊ねる。
「あの人なら鍛冶場に行くって言ってたわ。キースさんのとこに用があるそうなの」
「わかったありがと!」
おっとりとした返事を聞くなり、アルクスは水葵にパッと背を向け、今度は鍛冶場へと走り出した。
十中八九、己に新しく試させる武器だろう。申し訳なさが背中を押す。
この半年間で唯一培われた体力を駆使して駆け続け、里の北西に位置する鍛冶屋へ飛び込んだ。
「いらっしゃい。おうアル坊じゃねえか。どした? そんなに急いで」
「お? アルか。母ちゃんに鍋の修理でも頼まれたか?」
水葵の言う通り、八重蔵は鉱人鍛冶師キース・ペルメルの工房に居た。
ぜえぜえと肩で息を切らせながらガラリと戸を開けて入ってきた少年に不思議そうな顔を向けている。
「はぁ、はぁ……ううん、お使いじゃない。八重蔵おじさん――じゃなくて先生。ぼくに刀の扱い方を教えてください」
アルクスは荒い息が止むのも待たずにバッと頭を下げた。
「刀だって? お前さんどこでそんなもん」
知ったんだ? と、言いかけたキースを遮るように手を翳し、八重蔵はまじまじと少年を見つめる。
「ひとまず、どうしてそう考えたのか説明してみな」
次いで、説明を求めた。
何があってそんなことを言い出したのか? と。
アルクスは一瞬だけ紅い瞳を不安に揺らし、乾いていた喉に唾をゴクリとやって語り出した。
前世の己について。
実際に振っていたのは反りのない竹刀ではあったが、刀を振るう為の動きが根幹にある剣道を10年近くやっていたこと。
幼年の頃からそれに触れてきたことで心の――魂のどこか深くにそれが根付いてしまっているのではないか?
それこそがツェシュタール流の動きと反発しているのではないか?
もしそうだとすれば、今抱えている己の悩みを解決できるかもしれないという考えに至ったこと。
アルクスの説明は非常に辿々しい。
なにせ、当事者ではないのだから。
しかし、同一の存在ではある。
「……なるほどな」
八重蔵は顎を擦って呟く。
この半年ほどの稽古では、危ない場面であればあるほどアルクスの動きは硬かった。
恐怖に身を竦ませているのかと瞳を注視してみれば違う。
では稽古相手の動きに反応出来ず、ついていけていないのかと思えばそれも違った。
紅い瞳に浮かんでいたのは――混乱やもどかしさといった感情。
今まで何が障害となっていたのかまるで不明だったが、アルクスの魂に根を張っている何かと喧嘩していたせいだとすれば説明がつかないこともない。
八重蔵はそこまで考えると、一拍置いて弟子に語りかけた。
「刀の扱い方は教えてやれる。但し、ツェシュタール流みたいにすべて教えきれるわけじゃねえ。俺ぁ、二十年かけても奥伝にさえ到達できなかったからな。それでもいいなら、って条件がつくぜ」
「二十年くらいなら、前世でも――」
「違え。中伝になってから二十年だ。だから俺に教えられるのはそこまでになる。それでも構わねえか?」
「――……」
しばし、沈黙が師弟の間に流れた。
「……それでも、おねがいします」
その沈黙を破ったのは頭を下げたアルクスだ。
今の時点でも既に凛華との差がどんどん開きつつある。その自覚があった。
ゆえに、刀術は一縷の望みと言っても過言ではないのだ。
「分かった。キース、悪ぃんだが『刃引きした太刀と打刀を一振りずつ、子供用で頼まぁ』って源治のヤツに伝えといてくれ」
「分かった。んじゃ俺は手伝いに廻るとするかね。打ち方は知っててもあいつみてえにゃ打てねえからな」
キースが鷹揚に手を挙げる。
「よろしく。さてと、刀を扱うっつったらまずは基本の動き方と型の稽古をしなきゃならねえ。木刀頼みにラファルんとこ行くぞ」
鉱人鍛冶師へ一つ頷いた八重蔵が鍛冶場の開け放されている戸をくぐっていった。
「キースおじさん、よろしくおねがいします」
アルクスもペコリと頭を下げてタタッと後をついていく。
「おう任せな……――って、こりゃまた忙しくなるなぁ」
こないだは重剣を打て、と言ってきて今度は刀だ。キースは去っていった師弟の背を見ながらぼやく。
だが、どうにもアルクスの眼が気になった。
焦燥感と不安を綯い交ぜにして鋳溶かし込んだような瞳。
キースは煙をふぅ~と吐き出し、「ま、なるようになるか」と呟いて動き出した。
魔族の稽古は基本的に型の練習を木製武器で、実際にぶつかり合う地稽古を刃引きされた金属製の武器で行うのが一般的だ。
今は木刀をラファルに頼み、八重蔵と別れた帰り。
幾分か陽の長くなってきた隠れ里を夕焼けが朱く染めている。
言い知れぬ寂寥感を感じる里を手持ち《ぶさた》にぶらついていたアルクスは、聞き覚えのある声に足を止めた。
「ぜあっ! だあっ!」
「動きが荒い。静かに、素早く、的確に。これを心掛けろ」
「おう! でやあっ!」
「直線的過ぎる。そんなんじゃ簡単に読まれるぞ」
よく知る幼馴染の声が訓練場の方から聞こえていた。
アルクスはふらふらとそちらに足を向ける。
果たして、西門を抜けてすぐのところから声は上がっていた。
対峙していたのはマルクガルム・イェーガーとその父マモン。
仲の良い人狼態の幼馴染が纏う葡萄茶色の毛並みが、夕陽でいつもより明るく見える。
「うおおっ!」
呆けたように知り合いの父子を見るアルクスの前で、マルクガルムが狼爪を構えて父へ突撃した。
人狼の脚力による爆発的な加速は、龍眼もどきを発動していない彼には、影が掠めたようにしか見えない。
「迷いがないのは良いことだ。だが、読まれやすいとも言ったろう」
しかし、人間態のマモンにはちゃんと見えているのか、焦り一つない。
半身を執って息子の貫手をするりと躱し、突進の勢いを利用するように足を引っ掛けた。
「のおっ!?」
ずざあー……! と、草むらに転ばされたマルクガルムが慌てて跳ね起きる。
そこにマモンが左脚で、しゅしゅっと蹴りを入れた。
足で牽制打を放っているかの如き、鋭く速い蹴撃だ。
「っぐ!?」
咄嗟に跳び上がってマルクガルムが避ける。
「直ぐに空へ逃げるな。そこは一番自由が利かん」
マモンは冷静に指摘し、右足で半円状の弧を描くように蹴りを放った。
ど、ごぉ……!
人狼少年の横っ腹で鈍い音が鳴り、
「うげっ!?」
呻き声と共に葡萄茶色の細い体躯が吹き飛んでいく――が、今度はどうにか蹴られた勢いを利用して体勢を立て直したようだ。
稽古をつけてやる父親と、なんとか食らいつこうと遠慮も手加減もかなぐり捨てて向かっていく息子――という構図が展開されていた。
やっていること自体は闘いだが、アルクスの眼には両者ともなんとなく楽しそうに見える。
そんな父子をぼんやり眺めていると、横合いから声を掛けられた。
「アルくん。久しぶりじゃないか」
アルクスはハッとして挨拶を返す。
「マチルダおねえさん、アドルフィーナもこんにちは」
こちらを興味深々で見つめる赤ん坊と、その赤ん坊を抱いて座る女性は「やあ」と笑いかけた。
肩越しまで伸びた波打つ明るい茶髪に、マルクガルムと同じ灰紫の瞳をにこやかに細める中性的な顔立ちの女性。
マチルダ・イェーガー。マルクガルムの母だ。
そして抱えられている赤ん坊の名はアドルフィーナ。生まれたばかりの幼馴染が可愛がっている妹だ。
「マルクはなんで急に」
あんな稽古を? と、訊ねたアルクスにマチルダは聴き心地の良い仄かな掠れ声でクスクスと笑う。
「どうもうちのおチビちゃんに影響を受けたみたいだよ。ねぇ、おチビちゃん?」
そして赤ん坊のお腹をワシワシとかいぐり、
「男の子は成長が早くってやんなちゃうねぇ。かわいい時期なんてあっという間でさ。お母さんって呼べって言っても頑なに『母ちゃん』って呼ぶし」
アルクスへなのか、アドルフィーナへなのか分からないことを言った。
しかし、夫と息子を見るその瞳と口調には、あたたかな愛が溢れている。
よく知っている家族ではあるものの、入ってはいけないような気がしたアルクスに返せたのは「そう、なんだ」という短い言葉のみだった。
人狼父子の方はといえば、どうやら至近距離での肉弾戦に移ったらしい。
激しい乱打を浴びせるマルクガルムを涼しい顔をしたマモンがすべて捌き、お返しの掌底を人狼少年が必死に身体を丸めて防いでいる。
今のアルクスには、両者の拳が視認できないほど捷い。
(どうなって……)
龍眼もどきを使ってみた。
「……!」
見えるようにはなったが、マモンの方の巧みな拳捌きはアルクスの想像を超えていた。
マルクガルムの貫手や爪を小指で逸らしながら打ち返していたのだ。
拳を打つ、躱すをそれぞれ1動作とした場合、指で逸らしながら打ち返すのは1.5動作分。
つまり動作を短縮している。前世の空手家が身に着けている技術の1つだが、アルクスにその知識はない。
子供の爪とはいえ鋭い狼爪を前にそんな真似を平然とやってのける相手に、マルクガルムはよく食らいついていた。
飛び跳ねるように蹴りを繰り出すも躱され、そのまま足首を掴まれて勢いよく投げ飛ばされる。
無理矢理、後方空中廻転を行わされるようなものだ。
それでも何とか空中で均衡を立て直して着地した。
と、即座に腕を十字に組んで胸の前で固める。
追撃されることを予想したのだろう。
そこに父の蹴りがちょん……っと当たったかと思いきや、次の瞬間「ぐほぉっ!」と顔面から草原に突っ込まされた。
蹴りで前面を意識させられ、その隙に飛び越えたマモンの踵を背中にもらったのだ。
「……はげしい、ですね」
「『人狼の戦い方を教えてくれ』ってマルクが頼んでね。それで張り切ってるのさ、あの人。ま、最後のはちょっとやり過ぎかもねぇ」
経緯を説明しながらマチルダは優しく顔を綻ばせた。
どうやら息子の心身の成長がすこぶる嬉しいらしい。
「まったく、こんなうちから男どもを骨抜きにしちゃうなんて。おチビちゃんはきっと魔性の女になるねぇ」
アドルフィーナの鼻をつんつんしながらマチルダが上機嫌に言う。
「だぁ?」
マルクガルムの妹は不思議そうに母へと手を伸ばし、キャッキャッと楽しそうに笑った。
しばし人狼一家の団欒を見つめていたアルクスであったが……
「マチルダおねえさん。ぼく、帰ります。マルクとマモンおじさんによろしく」
龍眼もどきを解いてそう言った。
「うん? 帰っちゃうのかい? マルク呼ぼうか?」
息子の友人が来ているのだから挨拶くらいさせようと思ったマチルダだったが、
「ううん。大丈夫」
と、アルクスは首を横に振る。
「そう? うーん、わかった。またねアルくん」
マチルダは敢えて普段通りに返す。
しかし、息子の親友の瞳がどことなく沈んでいることには気付いていた。
いつもの活発で好奇心旺盛な印象がどこにもない。
「うん、また」
それに気付くこともなく、アルクスは踵を返した。
なんとなく……母の顔が見たかった。
だが、それ以上に己の心に伸し掛かってくる不安を振り払えない。
そんな彼を心配顔のマチルダは見送るのだった。
帰りの道中、アルクスの思考は固まったままだった。
――みんな進んでるのに、ぼくだけ前に進めてない。
とうとう心中で零してしまった言葉が脳内をグルグルと渦巻き、そればかりが思考を支配してどうにもならない。
その夜、初めてアルクスは悪夢を見た。
* * *
それから3日後。
里の南西の端、そこには板場と呼ばれる、屋外に屋根と板を張っただけの空間が広がっている。
広さはアルクスの前世で言うと一般的な高校の体育館ほど。いわゆる屋外道場というやつだ。
ここでは主に、型稽古や雨天時の鍛錬などが行われている。
ラービュラント大森林に隠れ里がある以上、絶対に必要な鍛錬の場。それが板場だ。
アルクスと八重蔵はその板場の中央で向かい合っていた。
それぞれの手には木刀が握られている。
「うし、じゃあまず流派名を教える。これからやってくのは六道穿光流っていう、極東の島国にいる鬼人族が編み出した、そこそこ古い流派だ」
八重蔵が咳払いして口を開いた。
「六道、穿光流……?」
「厳つい名前だろ? 俺ら鬼人族の祖先がそこ出身らしいって人伝に聞いてな。昔、王国から海渡って何十年か居たんだよ」
「じゃ、やっぱり鬼人族はこの大陸生まれじゃないんですね」
きっとその島国とやらは、この世界の日本に相当する国だろう。
イスルギ家の面々は和名っぽい響きをしているので薄々そうではないかと考えていたのだ。
「そうらしい。まぁ確かにこっちじゃ八重蔵なんて名前そんなないわな」
弟子の返答に八重蔵が大きく頷く。
祖先と言っても、遠い遠い昔の祖先だ。八重蔵自身はこの大陸出身である。
「イスルギの方もです。石に動く、ですよね?」
「漢字知ってんのか。鬼人族くらいしか使わねえと思ってたぜ。ま、発祥国は随分前に滅んじまったらしいがな」
ヴィオレッタでさえ、その島国が鬼人族発祥の地であることは知っていても漢字までは読めなかったのに。
と、八重蔵は些かの驚愕を禁じ得ない。
「前世のぼくが住んでた国って、たぶんその極東の島国に当たる場所だとおもいます。名前に馴染みがありすぎるし……ていうか漢字もやっぱりあるんですね。大陸は前世と全然違う言葉使ってるのに」
語学において、前世の知識が役に立ったのは勉強の仕方だけだった。
いっそ、その島国に生まれてれば楽できたろうに。
「マジかよ……ま、いつか行ってみろ。共用語は一応ちゃんと通じるし、六道穿光流を極める上でも行かなきゃならねえだろうし」
「やっぱり中伝と、その奥伝では違うんですか?」
アルクスは師の神妙な様子が気になって問う。
”奥伝”とやらにやたらと拘っているように感じた。
「まったく違う。六道穿光流に限らねえが、向かい合った瞬間に敗けるのが判る。奥伝ってのはそのくらい重みが違う。なんたって皆伝の直前だ。そんなヤツらに間違っても喧嘩売ったりすんなよ?」
「売ったんですか?」
「売った、まだ血の気が多い頃に。ボコボコにされた」
なんとなくこの人はそんな人だろうと思っていたが当たっていたらしい。
アルクスの心の声が伝わったのか、八重蔵はゴホンと咳払いをして語り始める。
「六道穿光流ってのは、さっきも言ったが鬼人族の祖先が魔獣相手に生み出した流派だ。――ああ、あっちでは”妖獣”って呼んでたな。
当時暴れてたその妖獣が死体なら何にでも憑りつくやつだったそうで、寄生された死体は”黄泉返り”なんて呼ばれてたらしいんだが……――とにかく、混迷の時代だったらしい。
そんなおかしな世にあっても正しく悪しきを穿ち貫く刃光、とかなんとかそんな意味合いで付けられた流派名だそうだ。ここまではいいな?」
「はい」
頷く弟子を確認して八重蔵は本題に入った。
「とりあえず型についてだが、六道穿光流には八つしかねえ。この八つを自分なりに解釈して派生技やそれに近いものをその場で閃いて戦うのがこの流派だ」
型とは普通もっと多いものだ。ツェシュタール流然り、前世の柔剣術しかり。
「……少ない、ですね」
アルクスもそれを知っているだけに少々拍子抜けする。
「だからこそ難しいんだよ。炎・水・地・風・氷・雷・光・闇。この八つそれぞれに沿う基本的な型っつーか、構えが一つずつ。振るい方も基礎は一つ二つしかねえ。単純明快だろ?
型通りに振るえてようやく半人前。構えが象徴してる属性を自分なりに解釈出来ても半人前よりちょい先。そこから六道穿光流の理念を理解し、己の中に見た何かを剣技で表現できて初めて一人前ってとこだ」
定義が何とも曖昧だ。
「なんだか、哲学みたいですね」
アルクスの感想もこの一言に尽きた。
極力理論に徹して生み出された魔術とは対極と言っても良い概念だろう。
不安が増していく。
(ダメだった時は……どうしたら良いんだろう?)
アルクスにはもう切れる手札がない。
「何かを極めるなんて往々にしてそんなもんさ。剣なんざその最たる例だろうよ」
八重蔵はそんな返答を寄越して視線を外す。
その瞳は過去を見ているのか、はたまた別のなにかに思いを馳せているのか……アルクスには分からない。
しかし、間違いなく己には見えていないものを見ている。知っている。見据えたことがあるのだ。
そんな風に察したところで、アルクスの脳裏にここ最近の幼馴染達の様子が残像となって過ぎった。
思わず口をつぐんでしまう。
――みんなにも、見えるようになるのかな。
そう思ったが最後、思考が急速に沈んでいく。
押し寄せて塗り潰そうとしてくる感情の波。
先日悪夢を見たときに感じたものと同じ焦燥と苛立ち。そして孤独感。
アルクスはギリッと歯を食い縛り、ぎゅうっと木刀を握りしめた。
右手にどこか懐かしい感覚が返ってくる。
この妙にしっくりくる刀でもダメだったとしたら……。
「アル? どうした?」
「――……」
八重蔵の声にアルクスは反応を示さない。
既に、自分の意識に深く潜っていた。
凛華、シルフィエーラ、マルクガルム。幼馴染の3人。
彼らは着実に前へと進み始めている。何を目指しているのかまでは知らない。
けれど、彼らの手助けができるような己でありたい。
取り残されたくない。並び立てるような自分でいたい。
ユリウスのような優しさと勇気を……――それを貫き通すだけの力が欲しい。
魔術だって本気でやり始めたのはそう思ったからだ。
だが、ここ最近は停滞気味だという自覚もある。ここからはきっと根気が必要になる。
それに、この世界は前世のように平和ではない。命の危険という意味ではこの世界の方が絶対的に多い。
父だってそれで命を落とした。
里に居ると忘れてしまうが自分は半分人間、半分龍人。
振りかかる火の粉は普通の魔族よりもきっと多いだろう。もし里を出たりするようなことがあれば尚更だ。
それなら、やれること、出来ることはやっておくべきなのだ。
自分の身に危険が迫ったとき……1人だとは限らないから。
誰かを巻き込んでしまうことだって、可能性としては充分あり得るのだから。
そういう意味で言うのなら、八重蔵にツェシュタール流を教わり始めた時点で、無理にでも順応すべきだった。
しかし、どうしてもできなかった。己の性質とやらを掴む段階にすら達していない。
その八重蔵とて、適当に、ただ教えるだけならそのままツェシュタール流を教え続けただろう。
だが、違う。
向いていない、とハッキリ言われた。
それはおそらく――いや、間違いなく本気で鍛えてくれようとしているから。
だというのに、周囲の恵まれた環境で自分のことさえ理解できないまま遊び感覚でいる。
きっといつかそれに足元を掬われる。そうなった時、後悔なんて役に立たない。
――そんな後悔、したくない。
愛してくれる母や師、友人に恥じないだけの己でありたいのだ。
「アル? おいアル。どうした?」
「……ごめんなさい。考えごとしてました」
八重蔵の呼び掛けに、思考の海に身を投げ出していたアルクスはようやく反応した。
「おぉびっくりしたぞ。大丈夫か?」
「はい。……先生。六道穿光流、どこまでいけるかわかりませんけど、いつか奥伝――いや皆伝まで辿り着いてみせます。だから全部、教えて下さい。よろしくお願いします」
改めて、アルクスは頭を下げた。
半年前は凛華と一緒だった。
それ以来、世話をかけっぱなしでも決して見放すような真似をしなかった剣の師へ、もう一度頼み直した。
そうすべきだと思った。
「おい急にどうし――」
突然の宣言に八重蔵は戸惑い、木刀を握りしめた弟子の瞳を見て口を噤む。
いつか墓前で親友に――ユリウスに宣言した時と同じ。
強い意志の輝きを宿した紅い瞳。
その眼光に、八重蔵はなんとなく弟子の心中を察した。
ずっと心の重しになっていたのだろう。
周りと自身との差。進みたくとも進めない、もどかしさや苛立ち。
八重蔵とて経験がある。それこそ六道穿光流を修めようとしている時は常にその感情と向き合ってきた。
――自分で弱気を捻じ伏せやがったか。ハッ、それでこそユリウスの息子だ。
ゆえに鬼歯を見せつけるように唇の端を吊り上げ、不敵に笑う。
「おう任せろや。少なくとも、この里内で三本の指に入るくらいの剣士になれるよう、徹底的に鍛えてやる。音ぇ上げたりすんじゃねえぞ?」
「はいっ!」
ニカッと笑って頷いたアルクスの瞳は、チラと見ただけでもわかるほど強く煌々と輝いていた。
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