7話 六道穿光流 (アルクス7歳の春)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
そろそろペースも上がっていきます。なにとぞよろしくお願いいたします。
アルクスはイスルギ家へと向けて全速力で走っていた。
幼馴染の森人少女シルフィエーラとのやりとりによって、ここ半年近くずっと頭を悩ませていた懸案事項を解決する糸口を閃いた――――否、思い出したからだ。
前世日本でのアルクスが幼い時分から中学終わり頃まで剣道をやっていたことを。
とは云っても頭抜けて強かったわけでも、由緒正しい武道一家の一員だったというわけでもない。
両親から「何か運動でも」と勧められてなんとなくやり始めただけだ。
しかし通っていた道場で同年代の親しい友人ができたり、運動そのものの楽しさを知ったりと良い思い出ばかりだった。
これがキツいばかりの苦しい記憶ならアルの印象にも強く残っていたのだろう。
が、いかんせん喜楽の感情というものはあっという間に記憶から流れ去るもの。
なまじ前世から肉体も人格も引き継いでおらず、八重蔵が用意する武具も前世の西洋武器に分類されるものばかりだったせいもあってすっかり忘れていた。
元々刀を扱う為に発展してきた剣道と、どう見ても和製武具でない剣を扱う為のツェシュタール流では振り方から体捌きまでまるで違う。
稽古に励めば励むほどに違和感が顕在化していき、どうにも馴染まない感覚が強くなってしまっていた。
三つ子の魂百までとはなんとも言い得て妙なものだ。
まさか転生後までとは思ってもみなかったがアルは半ば確信を抱いていた。
きっと解決できるはずだ、と。
~・~・~・~
イスルギ家の門戸をドンドンと叩き、アルは焦れたように呼びかける。
「先生!八重蔵先生いますか!?」
出てきたのは凛華の母イスルギ・水葵だった。
「あら、アルクスちゃん?そんなに急いでどうしたの?」
「葵おねえさんこんにちは!八重蔵先生いらっしゃいますかっ?」
里のルールをしっかり守りつつアルはもどかしい気持ちを堪えて訊ねる。
「あの人なら鍛冶場に行くって言ってたわ。キースさんのとこに用があるそうなの」
「わかったありがと!」
おっとりとした返事を聞くや否やアルは水葵にパッと背を向け、今度は鍛冶場へと走り出した。
十中八九、己に新しく試させる武器だろう。申し訳なさが背中を押す。
この半年間で唯一培われた体力を駆使してアルは里の北西に位置する鍛冶場に飛び込んだ。
「いらっしゃい。おうアル坊じゃねえか。どした?そんなに急いで」
「お?アルか。母ちゃんに鍋の修理でも頼まれたか?」
水葵の言う通り、八重蔵は鉱人鍛冶師キース・ペルメルの工房に居た。
ぜえぜえと肩で息を切らせながらガラリと戸を開けて入ってきたアルに不思議そうな顔を向けている。
アルは荒い息が止むのも待たずにバッと頭を下げた。
「はぁ、はぁ……ううん、お使いじゃない。八重蔵おじさん、じゃなくて先生。ぼくに刀の扱い方を教えてください」
「刀だって?お前さんどこでそんなもん――――」
知ったんだ?と言いかけたキースを遮るように手を翳し、八重蔵はまじまじとアルを見つめる。
「とりあえずどうしてそう考えたのか説明してみな」
次いで門下生へ説明を求めた。
何があってそんなことを言い出したのか?と。
アルは一瞬だけ紅い瞳を不安に揺らし、乾いていた喉に唾をゴクリとやって語り出した。
前世の己について。
実際に振っていたのは反りのない竹刀ではあったが、刀を振るう為の動きが根幹にある剣道を10年近くやっていたこと。
幼年の頃からそれに触れてきたことで心の…………魂のどこか深くにそれが根付いてしまっているのではないか?
それこそがツェシュタール流の動きと反発しているのではないか?
もしそうだとすれば今抱えている己の悩みを解決できるかもしれないという考えに至ったこと。
アルの説明は非常にたどたどしい。
なにせ当事者ではないのだから。
しかし同一の存在ではある。
「……なるほどな」
八重蔵は顎を擦って呟く。
この半年ほどの稽古では、危ない場面であればあるほどアルの動きは固かった。
恐怖に身を竦ませているのかと瞳を注視してみれば違う。
では稽古相手の動きに反応出来ず、ついていけていないのかと思えばそれも違った。
紅い瞳に浮かんでいたのは混乱やもどかしさといった感情。
今まで何が障害となっていたのかまるで不明だったが、アルの魂に根を張っている何かと喧嘩していたせいだとすれば説明がつかないこともない。
八重蔵はそこまで考えると一拍置いて弟子に語りかけた。
「刀の扱い方は教えてやれる。ただしツェシュタール流みたいにすべて教えきれるわけじゃねえ。俺ァ二十年かけても奥伝に到達できなかったからな。それでもいいならって条件がつくぜ」
「二十年くらいなら前世でも――――」
「違う。中伝になってから二十年だ。だから俺に教えられるのはそこまでになる。それでも構わねえか?」
「…………」
しばし沈黙が師弟の間に流れた。
「……それでも、おねがいします」
その沈黙を破ったのは頭を下げたアルだ。
今の時点でもすでに凛華との差がどんどん開きつつある。その自覚がある。
ゆえに刀術は一縷の望みと言っても過言ではないのだ。
「わかった。キース、刃引きした太刀と打刀を一振りずつ子供用で頼まァ、って源治のヤツに伝えといてくれ」
「わかった。んじゃ俺は手伝いに回るとするかね。打ち方は知っててもあいつみてえにゃ打てねえからな」
キースが鷹揚に手を挙げる。
「よろしく。さてと、刀を扱うっつったらまずは基本の動き方と型の稽古をしなきゃならねえ。木刀頼みにラファルんとこ行くぞ」
鉱人鍛冶師へ一つ頷いた八重蔵が鍛冶場の開け放されている戸をくぐっていった。
「キースおじさん、よろしくおねがいします」
アルはペコリと頭を下げてタタッと後をついていく。
「おう任せな……ってこりゃまた忙しくなるなぁ」
こないだは重剣を打て、と言ってきて今度は刀だ。キースは去っていった師弟の背を見ながらぼやく。
だが、どうにもアルの目が気になった。
焦燥感と不安を綯い交ぜにして溶かし込んだような瞳。
紫煙をふぅ~と吐き出したキースは「ま、なるようになるか」と呟いて動き出した。
~・~・~・~
魔族の稽古は基本的に型の練習を木製武器で、実際にぶつかり合う地稽古を刃引きされた金属製の武器で行うのが一般的だ。
今は木刀をラファルに頼み、八重蔵と別れた帰り。
幾分か陽が長くなってきた隠れ里を夕焼けが朱く染めている。
言い知れぬ寂寥感を感じる里を手持ち無沙汰にぶらついていたアルは聞き覚えのある声に足を止めた。
「ぜあっ!だあっ!」
「動きが荒い。静かに、素早く、的確に。これを心掛けろ」
「おう!でやあっ!」
「直線的過ぎる。そんなんじゃ簡単に読まれるぞ」
よく知る幼馴染の声が訓練場の方から聞こえていた。
アルはふらふらとそちらに足を向ける。
果たして、西門を抜けてすぐのところから声は上がっていた。
対峙していたのはマルクガルム・イェーガーとその父マモン。
仲の良い人狼態の幼馴染が纏うワインレッドの毛並みが夕陽でいつもより明るく見える。
「うおおっ!」
呆けたように知り合いの父子を見るアルの前で、マルクが狼爪を構えて父へ突撃した。
人狼の脚力による爆発的な加速は龍眼もどきを発動していないアルには視界に影が掠めたようにしか見えない。
「迷いがないのは良いことだ。だが読まれやすいとも言ったろう」
しかし、人間態のマモンにはちゃんと見えているのか焦り一つない。
半身になって息子の貫手をするりと躱し、突進の勢いを利用するように足を引っ掛けた。
「のおっ!?」
スザ――――ッ!と草むらに転ばされたマルクが慌てて跳ね起きる。
そこにマモンが左脚でシュシュッ!と蹴りを入れた。
足でジャブを打っているかの如き鋭く速い蹴りだ。
「っぐ!?」
咄嗟に跳び上がってマルクが避ける。
「すぐに空へ逃げるな。そこは一番自由が効かん」
マモンは冷静に指摘し、右足で半円状の弧を描くように蹴りを放った。
ドガ…………ッ!
「うげっ!」
人狼の少年が呻き声を上げながら吹き飛ばされていく。
が、今度はどうにか蹴られた勢いを利用して体勢を立て直したようだ。
稽古をつけてやる父親と、なんとか食らいつこうと遠慮も手加減もかなぐり捨てて向かっていく息子という構図が展開されていた。
やっていること自体は闘いだが、アルの眼には両者ともなんとなく楽しそうに見える。
そんな父子をぼんやり眺めていると横合いから声を掛けられた。
「アルくん。久しぶりじゃないか」
アルはハッとして挨拶を返す。
「マチルダおねえさん、アドルフィーナもこんにちは」
こちらを興味深々で見つめる赤ん坊とその赤ん坊を抱いて座る女性はニコリと笑いかけた。
肩越しまで伸びた波打つ明るい茶髪にマルクと同じ灰紫の瞳をにこやかに細める中性的な顔立ちの女性。
マチルダ・イェーガー。マルクの母だ。
そして抱えられている赤ん坊の名はアドルフィーナ。生まれたばかりのマルクの妹だ。
「マルクはなんで急に」
あんな稽古を?と訊ねたアルにマチルダは少々ハスキーな声でクスクスと笑う。
「どうもうちのおチビちゃんに影響を受けたみたいだよ。ねぇ、おチビちゃん?」
そして赤ん坊のお腹をワシワシとかいぐり、
「男の子は成長が早くってやんなちゃうねぇ。かわいい時期なんてあっという間でさ。お母さんって呼べって言っても頑なに母ちゃんって呼ぶし」
アルへなのか、アドルフィーナへなのかわからないことを言った。
しかし夫と息子を見る瞳とその口調には温かな愛が溢れている。
よく知っている家族ではあるものの、入ってはいけないような気がしたアルに返せたのは「そう、なんだ」という短い言葉のみだった。
マモンとマルクの方はと云えばどうやら至近距離での肉弾戦に移ったらしい。
激しい乱打を浴びせるマルクを涼しい顔をしたマモンがすべて捌き、お返しの掌底をマルクが必死に身体を丸めて防いでいる。
今のアルには両者の拳が視認できないほど速い。
龍眼もどきを使ってみた。
見えるようにはなったが、マモンの方の巧みな拳捌きはアルの想像を超えていた。
マルクの貫手や爪を小指で逸らしながら打ち返していたのだ。
拳を打つ、躱すをそれぞれ1動作とした場合、指で逸らしながら打ち返すのは1.5動作分。
つまり動作を短縮している。前世の空手家の持っている技術だが、アルにその知識はない。
子供の爪とは云え鋭い狼爪を前にそんな真似を平然とやってのける相手にマルクはよく食らいついていた。
飛び跳ねるように蹴りを繰り出すも躱されて、そのまま足首を掴まれて勢いよく投げ飛ばされる。
無理矢理バク転を行わされるようなものだ。
それでもマルクは空中で何とかバランスを立て直して着地した。
と、即座に腕をクロスさせた。
追撃されることを予想したのだろう。
そこにマモンの蹴りがちょんっと当たったかと思いきや、次の瞬間「ぐほぉっ!」と顔面から草原にダイブさせられた。
蹴りで前面を意識させられ、その隙に飛び越えたマモンの踵を背中にもらったのだ。
「……はげしい、ですね」
「『人狼の戦い方を教えてくれ』ってマルクが頼んでね。それで張り切ってるのさ、あの人。ま、最後のはちょっとやり過ぎかもねぇ」
経緯を説明しながらマチルダは優しく顔を綻ばせた。
どうやら息子の心身の成長が彼女にとってはすこぶる嬉しいらしい。
「まったく、こんなうちから男どもを骨抜きにしちゃうなんて。おチビちゃんはきっと魔性の女になるねぇ」
アドルフィーナの鼻をつんつんしながらマチルダが上機嫌に言う。
「だぁ?」
マルクの妹は不思議そうに母へと手を伸ばし、キャッキャッと楽しそうに笑った。
しばし人狼一家の団欒を見つめていたアルは龍眼もどきを解いてマチルダに声をかける。
「マチルダおねえさん。ぼく、帰ります。マルクとマモンおじさんによろしく」
「うん?帰っちゃうのかい?マルク呼ぼうか?」
息子の友人が来ているのだから挨拶くらいさせようと思ったマチルダであったが、「ううん。大丈夫です」とアルは首を横に振った。
「そう?うーん、わかった。またねアルくん」
マチルダはあえて普段通りに返す。
しかしアルの瞳はどことなく沈んでいることには気付いていた。
いつもの活発で好奇心旺盛な印象はどこにもない。
「うん、また」
そう言ってアルは踵を返した。
なんとなく母の顔が見たかった。
だが、それ以上に己の心に伸し掛かってくる不安を振り払えないでいる。
そんなアルを心配顔のマチルダは見送るのだった。
~・~・~・~
帰りの道中、アルの思考は固まったままだった。
(皆は進んでるのに、ぼくだけ前に進めてない)
とうとう心中で零してしまった言葉が脳内をグルグルと渦巻き、そればかりが思考を支配してどうにもならない。
その夜、初めてアルは悪夢を見た。
* * *
それから3日後。
里の南西の端、そこには板場と呼ばれる屋外に屋根と板を張っただけの空間が広がっている。
広さは高校の体育館ほど。いわゆる屋外道場というやつだ。
ここでは主に型稽古や雨天時の鍛錬などが行われている。
ラービュラント大森林に隠れ里がある以上、絶対に必要な鍛錬の場。それが板場だ。
アルと八重蔵はその板場の中央で向かい合っていた。
それぞれの手には木刀が握られている。八重蔵が咳払いして口を開いた。
「うし、じゃあまず流派名を教える。これからやってくのは六道穿光流っていう極東の島国にいる鬼人族が編み出したそこそこ古い流派だ」
「六道、穿光流……?」
「厳つい名前だろ?俺たち鬼人族の祖先がそこ出身らしいって聞いてな。昔、王国から海渡って何十年かいたんだよ」
「じゃあやっぱり鬼人族はこの大陸生まれじゃないんですね」
きっとその島国とやらはこの世界の日本に相当する国だろう。
イスルギ家の面々は和名っぽい響きをしているので薄々そうではないかと考えていたのだ。
「そうらしい。まぁ確かにこっちじゃ八重蔵なんて名前そんなないわな」
弟子の返答に八重蔵が大きく頷く。
祖先と言っても遠い遠い昔の祖先だ。八重蔵自身はこの大陸出身である。
「イスルギの方もです。石に動く、ですよね?」
「漢字知ってんのか。鬼人族くらいしか使わねえと思ってたぜ」
ヴィオレッタでさえその島国が鬼人族発祥の地であることは知っていても漢字までは読めなかったのに。
「前世のぼくが住んでた国ってたぶんその極東の島国に当たる場所だとおもいます。名前に馴染みがありすぎるし……ていうか漢字もやっぱりあるんですね。大陸は前世と全然違う言葉使ってるのに」
語学において前世の知識が役に立ったのは勉強の仕方だけだった。
いっそその島国に生まれてれば楽できたろうに。
「マジかよ……ま、いつか行ってみろ。言葉はなんか知らんがちゃんと通じるし、六道穿光流を極める上でも行かなきゃならねえだろうし」
「やっぱり中伝と奥伝では違うんですか?」
アルは師の神妙な様子が気になって問う。
奥伝にやたらと拘っているように感じた。
「まったく違う。 六道穿光流に限らねえが、向かい合った瞬間に負けるのがわかる。 奥伝ってのはそのくらい重みが違う。 だからお前も間違っても奥伝持ちに喧嘩売ったりすんなよ?」
「売ったんですか?」
「売った、まだ血の気が多い頃に。ボコボコにされた」
なんとなくこの人はそんな人だろうと思っていたが当たっていたらしい。
アルの心の声が伝わったのか、八重蔵はゴホンと咳払いをして六道穿光流について語り始める。
「六道穿光流ってのは、さっきも言ったが鬼人族の祖先が魔獣相手に生み出した流派だ。 あぁ、あっちでは妖獣って呼んでたな。 当時暴れてたその妖獣が死体なら何にでも憑りつくやつだったそうで、寄生された死体は”黄泉返り”なんて呼ばれてたらしいんだが――――とにかく混迷の時代だったらしい。 そんなおかしな世にあっても正しく悪しきを穿ち貫く光、とかなんとかそんな意味合いで付けられた流派名だそうだ。 ここまではいいな?」
「はい」
頷く弟子を確認して八重蔵は本題に入った。
「とりあえず型についてだが、六道穿光流には八つしかねえ。この八つを自分なりに解釈して派生技やそれに近しいものをその場で閃いて戦うのがこの流派だ」
型とは普通もっと多いものだ。ツェシュタール流然り、前世の柔剣術しかり。
「……少ない、ですね」
アルもツェシュタール流を知っているだけに少々拍子抜けする。
「だからこそ難しいんだよ。 火・水・土・風・氷・雷・光・闇。 この八つそれぞれに沿う基本的な型、振り、構えが一つずつ。 単純明快だろ? 振りが出来て、型通りに動けてようやく半人前、構えが象徴してる属性を自分なりに解釈出来ても半人前よりちょい先。 そこから六道穿光流の理念を理解し、己の中に見た何かを剣技で表現できて初めて一人前ってとこだ」
定義が曖昧だ。
「なんだか、哲学みたいですね」
アルの感想もこの一言に尽きた。
極力理論に徹して生み出された魔術とは対極と言っても良い概念だろう。
不安が増していく。
―――――ダメだった時は……どうしたら良いんだろう?
アルにはもう切れる手札がない。
「何かを極めるなんて往々にしてそんなもんさ。剣なんざその最たる例だろうよ」
八重蔵はそんな返答を寄越して視線を外す。
その瞳は過去を見ているのか、はたまた別のなにかに思いを馳せているのか……アルにはわからない。
しかし、間違いなく己には見えていないものを見ている。知っている。見据えたことがあるのだ。
そんな風に察したところで、アルの脳裏にここ最近の幼馴染達の様子がフラッシュバックした。
思わず口をつぐんでしまう。
(みんなにも、見えるようになるのかな)
そう思ったが最後、思考が急速に沈んでいく。
押し寄せて塗り潰そうとしてくる感情の波。
先日悪夢を見たときに感じたものと同じ焦燥感と苛立ち。そして孤独感。
アルはギリッと歯を食い縛り、ぎゅうっと木刀を握りしめた。
どこか懐かしい感覚が返ってくる。
この妙にしっくりくる刀でもダメなら――――――。
「アル?どうした?」
「…………」
八重蔵の声にアルは反応を示さない。
すでに自分の意識に深く潜っていた。
凛華、シルフィエーラ、マルクガルム。幼馴染の3人。
彼らは着実に前へと進み始めている。
彼らが何を目指しているのかまでは知らない。
けれど、彼らの手助けができるような己でありたい。
取り残されたくない。
並び立てるような自分でいたい。
ユリウスのような優しさと勇気を。
それを貫き通すだけの力が欲しい。
魔術だって本気でやり始めたのはそう思ったからだ。
だが、ここ最近は停滞気味だという自覚もある。ここからはきっと根気が必要になる。
それにこの世界は前世のように平和ではない。
命の危険という意味ではこの世界の方が絶対的に多い。
父だってそれで命を落とした。
里にいると忘れてしまうが自分は半分人間、半分龍人。
振りかかる火の粉は普通の魔族よりも多いだろう。
もし里を出たりするようなことがあれば尚更だ。
それなら、やれることや出来ることはやっておくべきなのだ。
自分の身に危険が迫ったとき、一人だとは限らないから。
誰かを巻き込んでしまうことだって、可能性としては充分あり得るのだから。
そういう意味で言うのなら、八重蔵にツェシュタール流を教わり始めた時点で無理にでも順応すべきだった。
しかし、どうしてもできなかった。己の性質を掴む段階にすら達していない。
その八重蔵とて適当に教えるつもりならそのままツェシュタール流を教え続けただろう。
でも違う。向いてない、とハッキリ言われた。
それはおそらく、いや間違いなく本気で鍛えてくれようとしているからだ。
なのに周囲の恵まれた環境で自分のことすら理解できないまま遊び感覚でいる。
きっといつかそれに足元を掬われる。そうなった時、後悔なんて役に立たない。
―――――そんな後悔、したくない。
愛してくれる母や師、友人に恥じないだけの己でありたいのだ。
「アル?おい、アル。どうした?」
「……ごめんなさい。考えごとしてました」
八重蔵の呼び掛けに、思考の海に身を投げ出していたアルはようやく反応した。
「おぉびっくりしたぞ。大丈夫か?」
「はい……先生。六道穿光流、どこまでいけるかわかりませんけどいつか奥伝まで辿り着いてみせます。だから全部、俺に教えて下さい。よろしくお願いします」
改めてアルは頭を下げる。
半年前は凛華と一緒だった。
それ以来、世話をかけっぱなしでも決して見放すような真似をしなかった剣の師へ、もう一度頼み直した。
そうすべきだと思ったのだ。
「おい急にどうし――――」
突然の宣言に八重蔵は戸惑い、木刀を握りしめた弟子の瞳を見て口を噤む。
いつか墓前で親友に、ユリウスに宣言した時と同じ。
強い意志の輝きを宿した紅い瞳。
八重蔵はなんとなく弟子の心中を察した。
ずっと心の重しになっていたのだろう。周りと自身との差。
進みたくとも進めない、もどかしさや苛立ち。
八重蔵とて経験がある。それこそ六道穿光流を修めようとしているときは常にその感情と向き合ってきた。
(自分で弱気を捻じ伏せやがったか。ハッ、それでこそユリウスの息子だ)
八重蔵は唇の端を吊り上げて不敵に笑う。
「おう任せろや。少なくともこの里内で三本の指に入るくらいの剣士になれるよう徹底的に鍛えてやる。音ぇ上げたりすんじゃねえぞ?」
「はいっ!」
ニカッと笑って頷いたアルの瞳は、チラと見ただけでもわかるほど強く燦然と輝いていた。
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