3話 不完全な”魔法” (アルクス6歳の秋)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
非常にゆっくりとしたペースとなっておりますがなにとぞよろしくお願い致します。
時刻は午後3後過ぎ。
陽射しは暖かく、しかし風そのものは少々肌寒い。
マルクガルムを巻き込んでヴィオレッタ師匠の課外授業を受けていたアルクスは、現在“魔法”の凄まじさに憧憬の念を抱いていた。
「では、最後の質問についてじゃ。汝に“魔法”が使えるかどうか。こればかりは儂にもわからぬと言うたな?」
妖艶な美人師匠が言う。
何せ半魔族という存在は今まで歴史上存在しない。少なくとも古い文献や記録には残っていない。
なぜなら今までそんな存在が生まれる土壌はないにも等しかったからだ。
血で血を洗う異種族同士による民族紛争が魔族全体の絶滅を招いたことで終焉を迎えた頃、人間同士もまた小国同士による戦争期へと突入していた。
その当時でもきっと個人レベルでの友誼ならあったのだろう。
しかし帝国の興りまで魔族は一般的に蛮族扱いで人間とは微妙な溝が存在していたし、ようやく公的な友誼を結んだところで聖国の強行政策である。
大陸で半魔族が生まれる余地などない。
ちなみに獣人族はどちらかと言えば人間寄りの立ち位置だ。
半獣人や四半獣人という存在も探せばちらほら程度には存在している。最近はそれも増えているそうだ。
先述の経緯ゆえ半魔族については不明。未知数なことばかりなのである。
アルは師へ顔を向けてこっくんと頷いた。忘れるはずもない。
「今からアルに教え、実践してみるのは――――」
ヴィオレッタは数瞬だけ迷い、
「魔族がまだ愚かな戦をしていた頃、子供を逸早く戦場へと迎える為に行われていた施術での。命の危険は低いが、あまり褒められた手段ではない」
躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「え、ほめられた手段ではない?どういうのですか?」
あやしい薬とか使うのだろうか?
不安そうにアルが問う。
「怪しい類ではない。むしろ戦好きの魔族らしいド直球なやり方じゃ」
「んと、ド直球?」
ますますわからない。
首を捻る弟子へヴィオレッタは鷹揚に頷いた。
「操魔核じゃよ、アル。 魔力を生み出す重要な器官であり、最も他人の魔力が入り込む余地のない部位。 そこへ高密度の他人の魔力を放射することで、操魔核を狂わせ、一時的な暴走変換を起こすのじゃ。 うまくいけばその場で“魔法”が発現し、うまくいかずとも気門を全開にしておきさえすれば大量の魔力が溢れ出すだけで済む。 ま、かつての戦好きな魔族は脳筋が多かったからの。 ろくに気門の開け方も教えぬままに施術して自家中毒に陥らせる阿呆共もおったのじゃが。 まぁそのようなやり方じゃ。 アルよ、どうする?」
「う、うー……ん」
正直に言うとそこまで切実に“魔法”が使いたい!というわけではない。
みんないいなぁ、やっぱり自分にもできたりしないかなぁ、くらいなものだ。
しばしの間、アルは青白い銀髪を右に左に、上に下にと揺らして考え込み――――。
意を決して師を仰ぎ見る。
「やってみたいです!」
「そうか。では、試してみるかのぅ。じゃがその前に気門を開ける練習じゃ。普段から余剰魔力を逃がすために軽く開いてはおるものじゃが意識して全開にせねば危ないからのう」
「はい!」
その後アルは1時間ほど掛けて気門を全開にする術を学ぶのであった。
~・~・~・~
途中で起きてきたマルクの視線を受けつつ、アルは緊張から手足をプルプルと振った。
「よし、こんなものじゃろう。アル、気門を全開にするのじゃ」
「は、はいっ」
俄にアルの身体から普段の倍近い魔力が漂い始める。
まだ幼いので魔力の色が見えるほど深みには達していないものの、その周囲は陽炎掛かって歪んで見えた。
「う、やっぱちょっとこわい」
「大丈夫じゃ、ただし気門を閉じるような真似はするでないぞ?」
「わかってますりょうかいです」
早口で答える弟子を安心させるように、ヴィオレッタはその小さな左肩に手を置く。
そして更に彼の心臓の下寄り、横隔膜と心臓の境目ほどの位置に右手を添え――――。
「ゆくぞ?はっ!」
と、右手から槍状になった紫色の魔力を叩き込んだ。
”特質変化”でも形状の変化しか行っていないので気体状の魔力はアルの身体を何ら傷つけることなく突き抜ける。
しかしその一拍後、変化は急激に起こった。
ドクン――――ッ!
己の心音が聞こえたのを自覚すると同時、アルの身体がビクンと跳ねる。
続いてその小さな身体から暴れ狂うように大量の魔力が溢れ出した。
「ぐっ、うっ!?う……あああぁぁぁっ!」
アルは無意識に悲鳴を上げていた。
身体が熱い。血が燃えているようだ。荒れ狂う魔力が身体中を跳ね回っている。
「落ち着くのじゃ、アル。それは異物ではなく汝自身の魔力。気門を全開にして、そちらへ流すのじゃ」
師の冷静な声に従い、火照った脳でぼーっとしながらもアルは言われた通り魔力を気門の方へ流していく。
すると、少しずつだが身体の熱が周囲の空気に吸われていくような感覚を覚えた。
そのまま体内を濁流の如く跳ね回る魔力を気門の方へと押し流し続ける。
「はあっ、はぁっ、はっ、はぁ……はぁ〜」
数分もしない内に魔力の発露は終わった。
異様な倦怠感だ。
今朝ぶりの魔力切れにアルはへたり込んだ。
じっと弟子を見ていたヴィオレッタは予想より多かった暴走魔力に微笑む。
「落ち着いたようじゃの。大丈夫か?しかしなかなかの魔力量じゃった。日課が実を結んでおるようで嬉しいぞ」
「ふぅ、ふぅ……はぁ~〜っ。師匠、のんき過ぎです」
疲弊し切った様子でアルは唇を尖らせた。
「儂が傍におるでのう。弟子も守れぬ師になった覚えはないゆえな。して、どうじゃ?“魔法”らしきものの感覚はあったか?」
その問いかけにアルは一瞬考え込み、正直に申告した。
「たぶん“魔法”って発現したらそういう実感みたいなのがあるんですよね?それなら、なかったです」
「左様。 “魔法”は発現すれば直感がある。 確信に近い感覚があるものじゃ。 やり方がわからなくなるといったようなことは、まずない。 アルにそのような感覚がなかったとすれば、おそらくは発現しなかったのじゃろう」
「そっか……やっぱだめかぁ。あんなにしんどかったのに」
師の言葉にアルはちょっと落ち込む。内心では「やんなきゃよかった」と後悔しきりだ。
そこにヴィオレッタが慰めの言葉をかけて本日の授業は終わりを迎えるのだった。
なお、余談だが今回の講義で最も進歩したのは意外なことにマルクであった。
「お?なんかアルから熱気みたいなのが流れてきてる?もしかしてこれがヴィオ様の言ってた魔力ってやつか?あれ?なんか里の中にもいっぱいそんなんがある」
と、このようにアルが何度も設置された風にステンと転ばされてようやっと習得した魔力感知及び生体魔力感知を妙な器用さで覚えてしまったのだ。
マルクがこれを魔力感知だと知るのは、まともな魔力の扱いを学ぶ2年後のことになる。
~・~・~・~
授業を終えてヘトヘトになったアルと、魔力感知を習得しておきながらちっとも気づいてないマルクは家路へと着いていた。
ヴィオレッタの方は引きこもっていた研究室へと舞い戻り、新体系の『転移術』と重力系統魔術の有用性という分野で論文を書いている。
それというのも少し前の授業でアルによって新たな知見が齎されたからだ。
その際アルは前世の――――額に指先を当てて相手の気配を探り、「見つけた!」とか言いながらピシュンッ!とテレポートする某有名アニメを思い出し、興奮気味にヴィオレッタに訊ねてみた。
「転移とかってないんですかっ!?」と。
すると『あるにはあるが、そこまで遠くには行けない』との回答が返ってきた。
更に詳しく聞いてみると、この世界の『転移術』は基本的に目視可能な距離でしかやらないと言う。
なぜかと問えば『自分の見えない場所に跳んで何かあったら困るだろう』とのこと。
じゃあ上空に跳べば良いじゃないかとアルが食い下がると、既に試したらしい。
なら出来ないわけではないじゃないか、としつこい弟子にヴィオレッタは『何度も計算したはずなのに距離が遠くなればなるほど高さの座標が合わなくなる』、『最終的に呼吸の出来ない高さまで行ってしまい、あわや窒息死する寸前だった』というエピソードを話したのである。
そこでアルはピン!と来て――――……。
この世界が惑星だという根拠を探しに出たのである。
結果として、その確たる証拠までは見つからなかった。
宇宙に出る知恵も技術もないのでそこは致し方ない。
しかし地球のような楕円状の星である証明になりそうな事象を探し回り、それらしい証拠を師に報告した。
ついでに『転移術』が術師本人を基点とした相対座標を算出して行う魔術だと知ったことで仮説を立てたのである。
師の失敗点――――。
それはこの世界が球体であるがゆえ視認不能な距離へ跳ぼうと高度を加算してしまうと、術の発動地点からは見えていない部分の高度にその分が加算されてしまう、というものだ。
やるなら減算しなければどんどんと高度が上がっていっていずれは宇宙まで飛び出してしまう。
アルはその仮説を下っ手くそな図解を用いて必死に説明したのだ。
その説にヴィオレッタは稲妻に打たれたような衝撃を受けた。
魔導文明と科学文明の差だ。
その後、いくつか術式を練って試したヴィオレッタは夏だというのにも関わらず日も出ていない早朝というより未明頃に真っ黒な隈を作ってアルの元を訪ねてきた。
「アルぅ~……!アルよぉ~……!できた……!遂に出来たのじゃあぁぁぁ~!!」
「へ、ひっ、うひゃあああっ!?」
如何な師匠大好きっ子のアルでも悲鳴を上げて当然である。
いつ寝たのかもわからないほどの隈と振り乱した黒髪の美人など前世の記憶がなくとも誰だって怖い。
ちなみにトリシャはチラッと見てすぐに寝直した。慣れているらしい。
その後上手くいったという報告をされたついでに興奮冷めやらぬヴィオレッタに連れ出され、アルは『新・転移術式』によってどこだかわからない森林の上空に拉致された。
「ひょっ?へっ、え?ここ……どこぉぉぉぉぉ~~~~っ!?」
と、急に足場もない強風のなかに跳ばされたアルはその日二度目の悲鳴を上げることになったのだった。
またこの時初めてヴィオレッタが『飛空術式』という俗に言う空を飛ぶ術式を使えることを知った。
更に、もう一つの重力系統魔術についてもアルがまたもや至らぬことを言った結果である。
『念動術』の術理を学んでいた時のこと。
『念動術』とは、対象物の質量を軽減して見えない手で持つ。それ以上でも以下でもない。
また、魔力を持っている生物には効果を発揮しない。
これは『念動術』に使う魔力より、どう見繕っても対象の生物に内包されている魔力の方が多い為である。
要は弾かれるのだ。
似たような理由で相手の身体そのものにかけるタイプの術は、相手の魔力の多寡によって効果にバラつきがあるので一般的ではない。自分で自分に掛けるのが主である。
そこでアルは訊ねたのだ。
「師匠、質量の軽減ができるなら、そのまま動かせばいいじゃないですか?」と。
つまり対象物の重力ベクトルだけを弄ってしまえば、見えない手とやらは必要ないのではないか?と訊ねたのである。
これにもヴィオレッタは異世界カルチャーショックを受けた。
なまじ腕を突き出すだけで魔力という強力な力を産み出せるため、物理的な力――――いわゆる物理エネルギーを軽視してしまう傾向にあるのだ。
その一週間は物理選択をした高校生なら誰でも知っている矢印を使うアレを学び、さらに位置エネルギー、運動エネルギー、重力加速度、摩擦などなどをアルにひたすら思い出させる7日間となった。
こういった経緯でヴィオレッタは現在新しい術式とその術理の論文を猛然と書き上げているのである。
何でも帝都にいる魔族の友人に送り、意見を交換し合うのだとか。
~・~・~・~
自宅に戻ってきたアルを出迎えたのは母トリシャと隣に住む幼馴染の少女、凛華であった。
「あれ?凛華どしたの?」
「その前にただいまでしょ?」
首を傾げる息子にトリシャが注意を入れる。
「ただいま母さん。それで凛華はどしたの?」
律儀に挨拶をしてアルは聞き直した。
「えと……その、ほらアルに今日『明日父さんのとこ行って剣の稽古頼みに行こう』って誘ったでしょ?忘れてないかしらと思って。それとトリシャおばさまにその話をしてたの」
凛華はトリシャの方をちらっと見つつ答えた。
オーバーロードした操魔核から溢れ出した魔力と共にそんな記憶も流出していたアルは平然を装って返事をする。
「おぼえてるに決まってるじゃん。何言ってんのさ、今日の今日だよ?ばか言っちゃいけないよ。母さん、八重蔵おじさんの稽古行っていい?」
あまりにも否定過多だ。
「忘れてたでしょうアル。別にいいんじゃない?去年お墓で八重蔵とそんな話してたものね」
ズバリ嘘だと看破したうえで母が許可を出す。
「よかった。じゃアル明日ねっ」
その言葉を聞いた凛華はパァッと輝くような笑みを浮かべ、ウキウキした様子でサッと立ち上がる。
トリシャはそんな凛華をニマニマして見ていたが、当のアルは特に気付くこともなく半眼で注意した。
「ねぇわかったけど、朝の五時とかなしだよ?」
「わかってるわかってる。あたしは大剣術がやりたいわ!大抵の武器は扱えるって父さん言ってたし、明日が楽しみねっ!」
わかってない人の返し方をしながら凛華はニコニコしたまま、ルミナス家を颯爽と出ていく。
「全然わかってなくない?ねえ、あ、行っちゃったよもう。朝急に来るのは師匠だけで十分だよぉ」
貞子風ヴィオレッタに軽いトラウマを抱いているアルであった。
* * *
その翌日。
思ったより常識的な時間に来た凛華とアルは非番の八重蔵のもとへと向かった。
八重蔵はイスルギ家の庭でちょうど朝稽古を終えたらしく「ふぅ~」と息を吐きながら裸の上半身を拭いている。
「八重蔵先生!おはよーございますっ!」
アルの先制パンチが庭に響く。おだてる作戦だ。
ちなみに凛華は柱に隠れて様子をうかがっている。
「んお?よぉアル、はえーな。って先生……?あぁ、なるほどな。凛華ぁー?いるんだろ?」
さすがにアルの呼び方でピンと来たらしく八重蔵は一人娘を呼んだ。
「父さん、剣教えてください!」
柱から出ると同時に頭を下げる凛華。
アルも「先生よろしくおねがいしますっ!」といっしょに頭を下げた。
そんな二人を前に頭をガリガリ掻きながら八重蔵は答える。
「あー……ま、約束してたしな。教えてやんよ。つーか凛華、お前なんか勘違いしてるみてえだが、俺ァ反対なんぞしてなかったぜ?むしろ大賛成だった」
「えっ?うそ。だって父さんだめって言ってたじゃない」
一瞬で父娘のしゃべり方に戻って凛華が反論した。
「ありゃ母ちゃんがそう言えっつーからだよ。 『六歳なら六歳になるまで触らすな』ってよ。 ”魔法”も使えないんじゃ剣握ったって振り回されるだけだから、それまで我慢させろってな。 ほれ、紅椿は短剣くらいしか扱わねえだろ?」
八重蔵が真相を語る。
「それは兄貴が軟弱だったからじゃないの?」
しかし納得のいかなかった凛華はなかなかに辛辣な言葉を吐いた。
「こーらっ、実の兄をそんな風に言うもんじゃありません」
するとどこから出てきたのか、凛華の母である水葵がぽこんと凛華の頭に拳骨を落とす。
水葵は娘同様に二本角、優し気ながら揺るがない気品を感じさせる顔立ちの美人だ。
儚げな雰囲気に見える(だけの)凛華より紅椿に似ていて穏やかそうに見える。
しかし、残念ながらアルはそうでないことをよく知っていた。
なにせいつぞや八重蔵にビンタをかましたのはこの穏やかそうな鬼女なのだから。
アルは八重蔵にしたときよりもピンッ!と背筋を伸ばし、「おはようございます!」と勢いよく頭を下げる。
宛ら顧問に挨拶する部活生のようだ。
左頬を腫らした夫曰く「鬼人族の女ってのはな、見た目は天女でも中身は般若なことの方が多いから気ぃつけんだぞ」とは墓参りの帰り掛けに聞いた言葉である。
アルもそれは凛華でよくよく理解している。
尤も、本人達は「男どもが馬鹿なことをしなければ般若になることもないのよ」とのたまうであろう。
「アルクスちゃん、おはよう。 凛華? 紅は”魔法”も使えない四歳くらいの頃に張り切り過ぎたお父さんから稽古させられてトラウマになってるのよ。 泣いて帰ってくるあの子を何度慰めたかわからないわ」
凛華は母の言葉に「えっ」と驚いたように父を見た。
当の八重蔵はバツの悪そうな顔でポリポリと頬を掻いている。
一方蚊帳の外なアルは、『こっちの世界でも精神的外傷はトラウマなのか』と非常にどうでも良いことに感心していた。
八重蔵が凛華の兄イスルギ・紅椿へ稽古を始めたのは4歳頃のこと。
初めての子供で男の子。
張り切った八重蔵は、それはもう子供なら大泣き物の本気稽古を行った。
アルの前世でもよくある話だ。
剣道をやっている父親が剣道を始めたばかりの息子に本気で打ち込みをしたり、空手の師範をやっている父親が自分の子供が習い始めると腰の回転とは逆の足で蹴りを繰り出して組手をやったり、サッカーを習っている息子がキーパーになったからとPKの練習だ!と張り切って無回転シュートを打ってきたりする父親がいるだろう。
その手の話である。
その結果、紅椿は長剣を見ると体が拒否反応を示すようになってしまった。
当時の八重蔵は烈火の如く怒った妻にシバき回され、水葵は水葵で息子を慰めながらちゃっかり自身の得意な氷属性魔力や魔術を仕込んでいた。
そのような経緯を経た現在、紅椿は将来有望な若手魔術師と目されている。
話を聞き終えたアルと凛華はなんとなく微妙な気分だったが、八重蔵はさっさと切り替えた。
「よし、じゃあ稽古を……そうだな、明日は任務で、明後日は~……参加させてもいい――――いやまだ早えか。明々後日からだな。と、くりゃ二人とも出かけんぞ」
そう言って家を出て行く。
「「どこに?」」
顔を見合わせた凛華とアルは同時に訊ねた。
「どこって鍛冶屋だよ。お前ら子供用の武器があるわきゃねえだろ?」
その答えにパッと顔を輝かせた凛華とアルはタタッと八重蔵の後についていく。
「あなた~、くれぐれも加減を忘れるんじゃありませんよ~?」
妻の言葉も夫の背中を追う。
「わあってるよ」
軽薄な返事をしながらチラリと振り返った八重蔵は妻の顔に般若を幻視するのだった。
~・~・~・~
里の北門付近から西側に伸びるような一角は【鍛冶屋通り】と呼ばれている。
カンッ、カンッ、カンッと槌で金属を叩き延ばす音が絶えず聞こえてくるこの通りは頑丈そうな煉瓦造りの鍛冶場が至る所に建ち並び、そのほとんどから伸びている煙突からは煙がモクモクと立ち昇り続けている。
規模は小さいが鍛冶屋のみで構成された職人街のようなものだ。
夏場は一分でもいれば汗が噴き出し、地獄の蒸し風呂と化すが今の時期は少々暖かい。
それでも居続ければ汗ばむほどの熱気が漂っていた。
大森林の冬場は寒いので子供たちにとってここらは良い遊び場だ。
散々走り回って叱られるまでがセットとなっている。
その【鍛冶屋通り】の一番北側に八重蔵の目当ての工房があった。
「おーい。キースいるか?」
「お?八重蔵か。どうした?まーた剣折っちまったのか?だから見習い相手の鍛錬は気ィ使えっつったろう。連中はまだ武器に気ィ使ってやれるほどにゃあ使えねえんだからよ」
八重蔵の声に反応したのは休憩していたここの主――――手拭いを額に巻いて葉巻を燻らせていたキース・ペルメルだ。
「違ぇよ。こいつらに練習用の武器打ってもらおうと思ってな」
「あん?こいつら?」
キースは怪訝な顔を八重蔵に向ける。
「キースおじさんおはよーございますっ」
「おはようございます」
そこでアルと凛華はほぼ同時に八重蔵の背中から顔をにょきっと出して挨拶した。
「おう、アル坊に凛華嬢ちゃんかい。お前さんらの練習用ってこたァ稽古はじめんのか?」
ちっと早くねえか?と問うような視線が八重蔵に向けられる。
遊びで剣を握らせるような男ではない。
「おうよ」
「武器種は?お前が教えるんだったらツェシュタール流だろ?長剣と直剣か?それとも大剣か?」
端的な八重蔵の返答を訊くとキースは畳みかけるように問う。
「全部だ。俺が使える武器種は全て」
「はあ!?すべて!?」
とキースは素っ頓狂な声を上げた。
「こいつらに一番合った武器を探さにゃならん」
だが八重蔵は首を横に振って至って真剣だ。
キースは「なるほどな」と零してアルと凛華の顔を見た。
視線を向けられた幼い2人は視線の意味がよくわからず顔を見合わせてキョトンとする。
しかしキースにはよく理解できた。
八重蔵にとって凛華とアルは特別なのだ。
凛華は可愛い一人娘でおまけに剣に興味を持っている。
そしてアルは親友の忘れ形見。
生半可な稽古をつけて二度もトリシャから大事な存在を奪うわけにはいかない。
そのうえ半龍人だ。厄介事はおそらく向こうからやってくるだろう。
そして尚のこと問題なのは、凛華がアルにべったりだということ。
アルと共にいるつもりなら厄介ごとは普通の魔族よりきっと多い。
だからこそ中途半端に鍛えたりしたく無いのだろう。
自分の身を自分で守れるだけの強さを。何があっても死なないよう、生き残れるようにと本気で鍛える気でいるのだ。
息子の命を繋いでくれたユリウスの恩に報いるためにも、八重蔵は最初からそのつもりでいるのだろう。
その思いが痛いほどにわかるキースは動きのぎこちない左足を握りしめる。
彼は、今は亡きあの村――――チヒト村にいた。
神殿騎士共が村を襲い、キース自身も子供を逃がしている途中で怪我を負い、そんなところを血塗れのユリウスに助けられた。
あのあと死んだと聞き、嘆くトリシャを見たときは己が死ぬべきだったと本気で後悔した。
あの時の噛み締めた唇から滲んだ血の味は幾ら葉巻を吸おうとも忘れられない。
「お前の使える武器種、全部だな?」
ゆえに幾分か気合の籠もり過ぎた瞳で問う。
「ああ」
「わかった。とりあえず腕の長さを測らせてくれ。こりゃ源治も呼ばなきゃならねぇな」
キースは疑問符を頭に浮かべる子供2人の間合いを慣れた手つきでササッと採寸する。
「悪いな、源治には俺の方から言っとくよ。そんじゃ頼むぜ」
「おう、まかせな」
男達が最低限の言葉を交わす。これだけでも充分に伝わるのが男同士というものだ。
「ん。そら、邪魔しねえように帰るぞー」
「はーい」
「はーい?」
八重蔵は「なんか変な感じだったよね?」と顔を見合わせる2人を連れて鍛冶屋を後にする。
手を引かれる2人を見送って葉巻を吸い直そうとしたキースは「あれ?火ィ消えちまってたか」と呟いて何かを考えるように炉の方を見つめていた。
* * *
その一週間後の朝。
朝から仕事の母の声がまだ眠っているアルへ台所から投げかけられた。
「アルー?今日お母さん朝番だからもう出るわよー。朝ごはんは置いとくからちゃんと食べるのよー?」
朝から日課を熟しているアルでも母の出かける時間は早すぎて眠っていることの方が多い。
今回も寝ぼけた頭で母の声に「うぅん……あーい」と答え、頬をボリボリ掻いて深く寝直そうとしたときだ。
掻いた頬に激痛が走った。
カアッと熱くなる感覚に驚いて思わず飛び起きる。
「いったぁ……」
頬はジクジクとした痛みを訴えていた。
「かあさぁん!なんか――――うあっ!?」
呼びかけ、立ち上がろうとして視界がぐらりと揺れる。
例えるなら今まで30fpsだった視界が110fpsに変わったような何とも言えない妙な感覚。
1秒間に20回ほどしか連写できなかったカメラが急にスローモーションカメラになったかのような激烈な違和感。
視界へ流れてくる映像が滑らか過ぎて感覚が狂う。
足を出す位置すら決め切れず、寝台からドテッと転げ落ちた。
その際にシャーッという音がしたので見てみれば敷布が引き裂かれている。
おまけに何かが指に引っかかったままなのか抜けない。見てみれば枕だった。
半ばから裂けた枕と頬から落ちたであろう血の赤い飛沫が中の羽毛に付着している。
―――――何が起きた?
「かあさぁん!」
怖くなったアルが母を呼びながらドタバタしていると部屋の戸が勢いよく開かれた。
「アル!こんな朝早くからドタバタしたらご近所迷惑でしょ!って血が出てるじゃない!え!?待って、その眼……!」
「かあさん……ぐすっ、なにこれ……」
アルは半べそで母を見た。
その瞳孔を縦長に細めながら。
~・~・~・~
少し落ち着いたアルは何にも触らぬようにして大人しく座っている。
あの後トリシャがアルの頬を止血し、外傷に効きやすい薬草を数種類、薬効成分を抽出して包帯にした森人印の癒薬帯を貼り付けてヴィオレッタを呼びに行った。
「うぅむ、朝早くに何事かと思ったがこれは確かに呼ばれたのも納得の事態じゃ」
そう言いつつ、ヴィオレッタは弟子を観察する。
まず一番大きな変化は瞳だろう。
瞳孔は黒いまま縦長に細く、龍眼に近いものへと変わっていた。
「ふぅむ、じゃがトリシャの龍眼とは微妙に違うのぅ」
トリシャ――――つまり龍人族の龍眼は瞳孔こそ今のアルと似通った形状になるが、虹彩部分に微細な直線状のヒビが入るのだ。
その微細なヒビが見る角度で瞳の色合いを変えるので別名”瞳玉”とも呼ばれる。
しかし、アルにはそのヒビがない。瞳孔のみが変化している。
そして――――。
「手足の爪だけが異様に尖っておるのう。これも『龍体化』しておるトリシャの爪に似ておるな」
アルの手足の爪は見るからに凶暴そうな細長く鋭い爪に変わっていた。
「ずび、んぐ……師匠、もどり方わかんないです」
母の出したお茶をグビッと呑み、アルが助けを求める。
これはアルも気づいていないことだったが歯も少々尖り、八重歯が牙のように少し太くなって伸びていた。
「これ、そう情けない顔をするものではない」
トリシャがその頭をよしよしと撫でながらヴィオレッタに顔を向ける。
どうしたらいいの?という表情だ。朝番はとっくに誰かへ放り投げたらしい。
「だってこれ”魔法”じゃないんでしょう?母さんは『龍体化』覚えてもすぐ戻れたって言ってました」
そうだよね?と言うように母を見上げるアル。
トリシャも困ったように頷いた。
「うーむ、アルは半分人間ゆえ不測の事態が起きて『部分変化』が先に起こったのかもしれん」
「でも『龍体化』にしてもそれこそイェーガー家の『人狼化』にしても『部分変化』ってこんな局所的じゃないわよ?」
トリシャの反論ももっともだ。
眼だけ、爪だけ、という『部分変化』はできない。というより意味がない。
普通は足なり腕なりだ。もっと大雑把だと上半身、下半身くらいのものである。
ヴィオレッタは顎に手をやって考え込む。
「ぼく疲れた」
アルの言葉に『そうだ、魔力の消費はどうなのだ?』とヴィオレッタが口を開きかけた時だ。
「あっ」
尖った己の爪をじっと見ていたアルが驚いて声を上げ、母と師に自身の手を見せた。
「なんか……もどった?でもぼく何もしてない。魔力もまだそんなに減ってないし」
トリシャとヴィオレッタの視線がアルの爪と瞳へ向いた。
どちらもいつものアルの、人間と変わらないものへと戻っている。
「とりあえず戻ってよかったわ。心配したわよ」
ふうと息をついて息子を抱えるトリシャ。
アルも落ち着いたのか眠気を思い出したように目をこする。
「とりあえず今日はさっきの『龍体部分変化もどき』の検証じゃ」
ヴィオレッタは自分の予定を破棄して愛弟子と親友ために予定を組み直した。
「師匠、まだねむいです」
「なんか語呂悪いわねぇ」
しかし戻った途端、母子はのんきなことを言いだす。
―――――……こやつら、ちょっと説教でもしてやろうか。
ヴィオレッタとてトリシャに叩き起こされているのだ。幸い眠りは少なくても問題ない方ではあるが。
「……とりあえずもう少ししてからじゃの。アルはちぃと寝てよいぞ。子どもは寝るのも仕事じゃ」
「あい」
そう言われたアルがすぐに母の懐ですぅすぅと寝息を立て始める。
ヴィオレッタとトリシャはそのあどけない寝顔を見ながら茶を呑み交わすのであった。
* * *
結局その日の検証の結果、アルは『部分変化もどき』を自分の意思で使いこなせるようになった。
というよりヴィオレッタが最低限そのレベルに達するまでやめさせなかった。
確かにあの爪は危ない。大して力も加えていないのに敷布を裂いたのだ。
自分の意思でコントロールできないとそんなつもりはなくても誰かを怪我させてしまうかもしれない。
その認識はあったため、トリシャの持っている龍人の知識を頼りながらアルは真面目に取り組んだ。
また性能についても検証をした結果――――。
アルの龍眼もどきは動体視力に関しては龍人のソレと大差なく上昇していたが、魔力を視認しやすくなるという利点はないようであった。
爪に関しても同様で爪そのものは龍人族の使う龍爪と変わりないが、鱗が生えるでもなく肉体が強化されているわけでもないアルの手では爪の強靭さに指の皮膚が耐えられず、『龍体化』した龍人のように振るうのはやめた方がいいという結論に至ったのだった。
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