94 優しさの中で気付いたこと
ニックが去った後。シャンテルはいつもより少ない書類仕事を黙々とこなしていた。だけど、一枚を終わらせるのに、普段より時間が掛かってしまう。
その理由は明白で、文字を目で追っていても、ふとした瞬間にジョセフのことが頭を過って集中できないからだ。
そんな彼女の様子にサリーは気付いていた。
今までは、朝食後に執務室か訓練所まで侍女に付いてきてもらった後は、侍女をシャンテルの自室へ返していた。だが、最近は側に侍女がいなくて不便を感じることが増えていた。
だから、バーバラに呼び出された次の日から、侍女を一人はシャンテルの側に置くようにし始めたのだ。
それまでは、シャンテル付きの侍女が少ないことを考慮して、シャンテルの部屋の留守番や掃除洗濯といった日常的な業務から、シャンテル宛ての招待状の整理に参加不参加の代筆、その他にも夜会やお茶会、外交の予定がある時はそれに向けた準備などを分担してお願いしていた。
だけど、婚約者候補やアンジェラが王城に来てからのシャンテルは忙しくなっただけでなく、お茶会に参加する機会も多くなっていた。その分、侍女を頼ることも増えているというわけだ。
そうやって、誰かと話すきっかけが増えたからこそ、ジョセフのことはシャンテルの胸中に暗い影を落とした。
今回のことで、ジョセフが焦っていた理由がハッキリした。だが、初めて二人でお茶をしたあの時から既にルベリオ王国を乗っ取るため、ロマーフ公の指示でシャンテルたちを亡き者にしようと考えていたと思うとゾッとする。
最後の書類にサインをし終えたシャンテルは肩を震わせた。
ロマーフ公国は元々ルベリオ王国の国土であり、同盟国ということで何度も交流を重ねてきた。
そんな国がルベリオ王国を乗っ取ろうとしていた。
そう考えると、婚約者候補を決めるための夜会で笑顔を見せていたロマーフ公が急に恐ろしくなる。
ジョナサン様も同じ考えなのかしら……?
まだ使者が公国へ出発したばかりで、詳細は分からない。だけど、今回のロマーフ公国の裏切りは国同士の争いの火種になりうる。
ルベリオ王国は自ら戦争を仕掛けるつもりはないため、まずは話し合いで解決しようとしている。だが、血気盛んな国が同じ立場に立たされていたら、使者を送る前に軍を送り込んでいても不思議ではない状況だった。
このままいけば、ロマーフ公国と戦争になるのかしら?
シャンテルの頭にはそんな疑問が浮かんだ。その時、ノックの音が響く。
サリーが扉に近付いて来訪者を確認すると、シャンテルの元に戻ってきた。
「姫様、準備が整ったようです」
「準備?」
「お茶会ですよ」
「え? お茶会は昼食の後じゃないの?」
「今回は昼食を兼ねた会になります。さぁ、行きましょう。皆さまお待ちですよ」
そう言ったサリーに促されてシャンテルは部屋を出た。そして、エドマンドにエスコートされて会場へ向かった。
◆◆◆◆◆
エドマンドとサリーに連れられてやってきたのは、以前アンジェラの婚約を祝って行われたお茶会会場と同じ場所だった。
「これは……」
ぽつりと零れたシャンテルの声にエドマンドが答える。
「食事会のメンバーで考えた催しだ。第二騎士団の連中にも協力してもらった」
「え?」
シャンテルが振り向くと、エドマンドは穏やかな表情をしていた。
「即席だから大したものはないが、今日くらいはゆっくりしてくれ。ここにいるのは、シャンテル王女を元気づけたい連中ばかりだ」
「……」
私のために、みんなが?
「シャンテル王女!」
その声に再び会場へ目を向けると、ホルストが笑顔で手を振っていた。
そしてホルストの声でシャンテルの到着に気付いた第二騎士団の騎士たちが口々に「シャンテル様!」「シャンテル王女!」と呼ぶ。
笑顔で出迎える彼らの中にはカールの姿もある。
もしかして、今朝第二騎士団の指導を買って出たのは、このためだったのかしら?
そう思っていると、シャンテルの背後から「シャンテル様」とこれまた別の声がした。
「えっ? アンジェラ様!?」
驚くシャンテルに「ごきげんよう」と彼女が挨拶してくれる。それに倣ってシャンテルも挨拶を返した。
「今朝、エドマンド皇子の従者の方がいらして、エドマンド皇子がわたくしをこの会に誘ってくださっていると伝言をいただきましたの」
「アンジェラ嬢は最近、シャンテル王女と仲良くされていますから、ぜひ参加していただきたいと思ったまでです」
アンジェラの言葉にエドマンドが余所行きの笑顔を見せた。だけど、そこに胡散臭さは感じない。彼は本心でアンジェラを誘ってくれたようだ。
「おい、シャンテル。いつまでそんなところに突っ立っているつもりだ? 早くこっちにこい! お前の騎士どもが焼いた肉が焦げるぞ!」
アルツールが少し離れた場所からそう呼びかける。
どうやら、第二騎士団の騎士たちが野外活動で培った経験を生かして、お肉を焼いてくれているらしい。
野外活動の時とは違い、今日は王城の晩餐で出されるようないいお肉のようだ。
美味しそうな香りがシャンテルたちの元にも流れ込んでくる。
「まぁ焼き立てのお肉! 素敵ですわね! シャンテル様、行きましょう!」
エドマンドとアンジェラに手を引かれてシャンテルは会場へ足を踏み入れる。
シャンテルは辺りを見回す。いつの間にかアンナとエリーも会場に来ていて、シャンテルと目が合うと、サリーと一緒に微笑んでくれた。
彼女たちはこのことを知っていたのね。だからサリーはシャンテルが『ロルフ王子かホルスト王子とのお茶会が今日に決まったの?』と問い掛けた時、『少し違います』と答えたんだわ。
恐らくニックも知っていたのだろう。今この場にはいないが、シャンテルの公務の量を減らしてお茶会を楽しめるようにしてくれたのだ。
シャンテルはここにいる全員が元気づけようとしてくれているのを肌で感じた。それとともに、誰もがこの催しを楽しんでいることが伝わってくる。
今までシャンテルにとって、社交はとても憂鬱なものだった。何故なら、異母妹を虐げている王女として噂され、更にはギルシア王国の血を引く野蛮な王女と周囲から蔑まれるからだ。
でも、ここにはそんな人は一人もいない。
目まぐるしい忙しさで、気付きもしなかったが、思い返せばアンジェラとのお茶はいつも楽しい。
ジョセフとのことは勿論、ショックだが、誰かとこうして交流することは本当は楽しいことなのだとシャンテルは気付いた。




