花嫁の伯爵令嬢は、結婚式に突然現れた想い人に攫われる
王都のとある教会。そこでは、一組の結婚式が行われていた。
「ネチクレイ侯爵、ゲイリー・パット・モンゴメリー。貴方はメルデン伯爵令嬢、ラシャーナを愛すると誓いますか?」
「誓います」
しゃがれた声が神父の問い掛けに答えた。
新郎のゲイリーは口角を上げて、少々意地汚い笑顔を浮かべている。だがそれは、とても満足そうな顔だった。
一方、隣に並ぶ新婦のラシャーナは視線を下げ、暗い顔をしている。ここまでバージンロードを歩いてくる姿ですら歩幅は小さく、視線は下がっており、表情は決して明るくなかった。
祖父と孫ほど年の離れた男の元へ嫁がされようとしているのだから、それも無理もない。
ラシャーナには想い人がいた。名前はアーノルド。彼はこの国でも上位に入る高貴な人物だった。
アーノルドとラシャーナは貴族の子息令嬢が通う学園で知り合った。
最初は遠くから彼を眺められるだけでラシャーナは幸せだった。それが、学園の行事でたまたま一緒に準備することがあり、アーノルドと話すきっかけが増えたことで二人は自然と仲良くなったのだ。
「父上に言われて、近々婚約者を決めることになりそうなんだ」
アーノルドから初めてその話を聞かされた時、ラシャーナはぎゅっと胸が締め付けられた。
彼が婚約者を決めることももちろんショックだった。だけど、彼が幸せそうに顔を綻ばせているのを見てしまったのだ。
アーノルド様は『決めることになりそう』と言ったけれど、きっと、彼の心には既に良いお相手がいらっしゃるんだわ。
ラシャーナはそれが分かってしまった。
「……でしたら、わたくしたちがこうして話すのも、そろそろやめた方が良いですわね」
「えっ?」
心底驚いた声が聞こえて、ラシャーナも「え?」と声を上げて驚いた。しかも、「どうして?」とアーノルドが尋ねてくる。
「それは、……未来のアーノルド様のご婚約者様がこうやって話しているわたくしたちを見たら、きっと誤解されてしまいますから」
もしかすると、彼の想い人は同じ学園にいるかもしれない。
その有力候補は彼や私と同学年のタエック侯爵令嬢だろう。彼女がアーノルドの婚約者になった時、アーノルドの隣にラシャーナが居ては嫉妬や誤解を生むはずだ。
ラシャーナはそれを懸念していたが、アーノルドは「問題ない」と首を横に振る。
「ラシャーナ嬢と話すのが私の楽しみなんだ。それに君と一緒にいると落ち着く。君が懸念しているようなことは起こさせないから、どうかそんなふうに思わないで」
「っ……」
そう言って優しい笑顔を見せる彼に、ラシャーナは心が揺れた。それは、ラシャーナもアーノルドと話すのが楽しみで、彼と一緒にいる時間が何よりも大切だからだ。
何気ない時間を彼と過ごせるだけで、ラシャーナは幸せだった。だから、「わかりました」と了承する。
「アーノルド様がそう仰るのなら、わたくしも暫くは今まで通りこうしてお話しさせていただきたいです」
そのうち、ラシャーナも父が用意した結婚相手の元へ嫁ぐことになるだろう。その相手にアーノルドへ感じているものと似た愛おしいと思える感情を抱けるかは分からない。
だから、それまでの間だけでも束の間の幸せを楽しもう。どんな人が相手でもお互いに尊重し、助け合える関係を築けたら、きっと大丈夫。
だけど、できればお優しい方がいいな。
この時のラシャーナはそう考えていた。だが、それは父がとある山を購入しようとしたことで一変する。
山の購入に関する契約書にサインしたはずが、没落寸前貴族の借金の連帯保証人になる書類にサインさせられていたのだ。書類がすり替えられていたと気付いたのは暫く経ってからのことだった。
そこからは早かった。
メルデン伯爵家は莫大な借金を背負うことになり、ラシャーナは学園を退学。下の弟も学園に通えなくなった。
私有地の一部を売っても焼け石に水程度の額しか返済できず、雇っていた使用人の殆どに暇を出した。
そうして困り果てていたところに、ラシャーナに求婚の報せが届いたのだ。
それが今、彼女の隣にいるネチクレイ侯爵だった。
数年前、妻に先立たれた彼は後妻にラシャーナを望んだ。そんな彼が借金を全て肩代わりすると宣言したことで、メルデン伯爵家に選択肢はないに等しかった。
ネチクレイ侯爵家にとって、メルデン伯爵家が背負わされた借金は大したことがない額だったのか、結婚が決まるとメルデン伯爵家の借金はあっという間に返済された。
メルデン伯爵家はネチクレイ侯爵家に返しきれない恩をもらってしまったのだ。
「メルデン伯爵令嬢、ラシャーナ・ド・ミラー」
神父が呼ぶ声がする。
ラシャーナは借金の形として、ネチクレイ侯爵家に売られるも同前だった。
年の離れた男性の元に嫁ぐことは、貴族にとってそこまで珍しいことではない。だけど、おめでたいはずの結婚式で、メルデン伯爵家の人々は誰一人として嬉しそうな顔をしていなかった。借金さえなければ、ラシャーナが初婚で年老いた侯爵に嫁ぐ必要がなかったからだ。
しかも、ネチクレイ侯爵はメルデン伯爵家にとって因縁のある相手だった。メルデン伯爵はこの結婚を望んでおらず、全く快く思っていなかった。
「貴女はネチクレイ侯爵、ゲイリー・パット・モンゴメリーを愛すると誓いますか?」
「……」
たった一言、「はい」と言ってしまえば、ラシャーナはもう後戻りできない。それでも、その言葉で家族に楽をさせられるなら、安いものだ。
一瞬、ラシャーナの脳裏にアーノルドの顔が浮かんだ。
ラシャーナは苦しい想いを吐き出すように深く息を吐く。そして意を決して口を開きかけたその時、大きな音を立てて教会の扉が開かれた。
何事かと、会場にいた全員が扉へ振り向く。
「その結婚は中止だ」
「え……?」
ラシャーナの視界に、ここにいるはずのない人物が映って思わず息を呑んだ。
「なっ! 第二王子殿下!?」
「殿下が何故こちらに!?」
正装に身を包んだアーノルドが、結婚式に招待していないのに目の前にいる。つまり、結婚式に乗り込んできたのだ。
そんな彼の後ろには、騎士がズラリと控えていた。
「ネチクレイ侯爵、貴方には文書偽造とメルデン伯爵家に対する詐欺を共謀した容疑がかけられている」
教会の中に足を踏み入れたアーノルドが、ラシャーナ達に近付きながらそう告げた。
「なっ!?」
ゲイリーが顔を青ざめさせる。
ラシャーナ達、メルデン伯爵家の人々は突然のことに、理解が追い付いていなかった。
目を白黒させて、その視線をアーノルドとゲイリーに交互に向ける。
「タエック侯爵家と共謀してメルデン伯爵家を陥れたな?」
「え……?」
ゲイリー様が、私たちをこの状況に追い詰めたというの?
「借用書に記されていた貴族はタエック侯爵家と交流のある貴族だ。タエック侯爵家の分家にメルデン伯爵に山の購入を持ちかけさせ、その契約書をメルデン伯爵に見せた。そして、最後に複数の書類にサインするよう要求し、そのうちの一枚を借用書にすり替えただろう」
「アーノルド王子殿下、私はそのような悪事に関わっていません。ですから何も知りません。何かの間違いです」
ゲイリーが弁明する。それを聞いて、アーノルドはラシャーナの父、メルデン伯爵へと顔を向けた。
「メルデン伯爵、貴方は山の購入契約書にサインする際、一度中身を確認している書類だからと、安心して再度内容を確認することなく全ての書類にサインした。そうですよね?」
問い掛けられたメルデン伯爵は、困惑しながらもあの日のことを思い返しながら返事する。
「はっ、はい。……次の来客予定があるとかで、相手方は急いでおられましたので……」
それを聞くと、アーノルドは再びゲイリーの方を向いた。
「タエック侯爵家の関係者は全て捕縛済みだ。貴方も大人しく認めてはどうだ?」
「わ、私が関わっていると言う証拠は! 証拠があるのですか!?」
ゲイリーが声を荒らげる。アーノルドはそんな彼に冷たい視線を向けた。
「証拠なら、タエック侯爵が貴方と交わした契約書をお持ちでしたよ」
アーノルドはそこで言葉を区切ると、にこりと笑顔を見せた。
「これで大人しく捕まってくださいますか?」
彼の笑顔に恐怖を抱いたゲイリーが「ヒッ」と声を上げて逃げようとする。
「捕らえろ!」
アーノルドのその一言で騎士達が動く。年老いたゲイリーは無様にも足をもつれさせ、転んだところを確保された。
「……」
その場にいた教会関係者や招待客は、動揺していた。結婚式でこのような事態になるとは誰も思わなかったからだ。
「ラシャーナ嬢」
少し前まで低い声でゲイリーを追い詰めていたアーノルドが、いつもの柔らかい声でラシャーナを呼ぶ。
「……アーノルド、……王子殿下」
ラシャーナは戸惑いながら彼の名を呟く。もう学園の生徒でもないラシャーナは敬称を付け足した。すると、アーノルドがラシャーナに頭を下げる。
「すまない」
「っ、殿下! お止めください!!」
慌てて止めるラシャーナにアーノルドは顔を上げると、言葉を続ける。
「本当は結婚式が行われる前に、片を付けようとしたんだ。けれど、私では力不足で間に合わず、貴女に公の前で恥をかかせることになってしまった」
「そっ、そんなことっ! ……まだ状況は飲み込めていませんが、我が家が陥れられていたことを暴いてくださったのですよね? お気になさらないでください」
そう言ったラシャーナに、アーノルドはふっと息を漏らす。
「君は本当に優しいね。でも、だからこそ、今回は付け入られてしまったとも言える。家族を守るためなら君はこの結婚を了承すると、相手は確信していたんだよ」
「え?」
アーノルドの言葉で、ラシャーナの頭の中にある疑惑が浮かぶ。
もしかして、この結婚も仕組まれたことだったの?
そう思っていると、アーノルドがラシャーナに触れられる距離まで近付いた。
「アーノルド王子殿下……?」
「ラシャーナ嬢、貴女に公の前で恥をかかせてしまったこと、私に責任を取らせてほしい」
「責任、……ですか?」
「あぁ」
一体、彼にどんな責任があると言うのかしら?
話を聞く限り、アーノルド様は我が家を救ってくださった。感謝こそすれ、責めるようなことは何もないはずだわ。
「頼む」
何故か懇願されてしまい、ラシャーナはどうしていいか分からなくなる。そもそも、どんな責任を取ると言うのか、まずは話を聞かなくては何も始まらない。
「わたくしは、アーノルド王子殿下を責めるつもりはありません。ですが、それで殿下の気が済むと仰るのなら、まずはお話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
その答えを聞いたアーノルドは「もちろんだ」と答えた。
「一先ず、場所を移そう」
混乱に陥った会場では騎士達が動き回り、一部の招待客たちが状況を確認しようと教会を出たり入ったりしていた。ラシャーナの家族や親戚は伯爵を中心に教会側と協力して招待客を落ち着かせつつ、ネチクレイ侯爵家の親戚や侯爵の息子夫妻に、今回の件を知っていたのか問い詰めている。
だから、大人しく指示にしたがって席に座っている招待客を中心にラシャーナは注目を浴びていた。
花婿が式の途中で第二王子率いる騎士に拘束されたのだから、その反応は当然だった。
これだけの騒ぎになってしまった上に、借金が無くなったとはいえ、伯爵家の資金はすっからかんだ。そんな娘を娶りたい物好きな貴族など、都合よくいるはずがない。
周囲の視線にはそんな哀れみが含まれていた。
「ラシャーナ嬢、少し失礼するよ」
そう一言断りを入れて、アーノルドはラシャーナを抱き上げた。
「きゃ!? ア、アーノルド様っ!?」
思わずいつもの呼び方に戻ってしまったラシャーナは、咄嗟に彼にしがみ付く。すると、耳元にアーノルドが唇を寄せた。
「私は君の結婚式をめちゃくちゃにしたんだ。せめて君を好奇の目から守るために、この場所から攫わせてほしい」
「っ!?」
想い人から『攫う』と言われて、ラシャーナは耳まで真っ赤になる。
勘違いしてはいけないと頭では分かっている。だけど心は正直で、アーノルドと密着するような形でそんなことを言われては、ラシャーナは平然を取り繕えなかった。
アーノルドの行動に周囲はざわついた。だけど、いっぱいいっぱいのラシャーナには、アーノルドの声しか届いていなかった。
「結婚式には間に合わなかったけれど、君があの男と愛を誓うまでに間に合って良かった」
「え!?」
それは、わたくしが騙された相手に嫁がなくて済んだことを元学友として安心してくださっているのよね??
ラシャーナはそう解釈した。だが、アーノルドは心の底からそう思っていた。
ラシャーナが心の中でネチクレイ侯爵と結ばれることを望んでいてもいなくても、一度教会で愛を誓い、それが承認されてしまうと解消するのに時間がかかるからだ。
ラシャーナが傍にいない人生なんて楽しくないし、つまらない。周囲は気にするだろうが、家が釣り合っているかなんて関係ない。ただ、ラシャーナが傍にいてくれるなら、私は何でも頑張れるんだ。
確信はない。けれど少なくとも、ラシャーナも私との時間を大切に思ってくれていたことだけは知っている。
私がラシャーナの隣にいるためには、彼女は多くを求められてしまう。だから、君の気持ちを確認してちゃんと話したいんだ。
「とりあえず、このまま私の馬車まで連れていくよ」
話はそれから、ゆっくりすればいい。
あの男が君の亡くなった母上に執着していたこと。そんな彼女によく似ていた君が目を付けられたこと。そして、タエック侯爵令嬢を私の婚約者にするため、タエック侯爵とその令嬢がネチクレイ侯爵に近付いたこと。
きっとこの話は長くなるだろう。だから、そのまま城へ移動しようか。
アーノルドはそんなことを考えながら、腕の中の愛しい人を教会から連れ出した。
最後までお読みくださりありがとうございます!
昨夜、思い立ってポンッと書き上げた作品ですが、楽しんでいただけていれば、嬉しいです。




