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転生したのに動かない!?——でも、なぜか世界が少しずつ変わっていく【1章完結】  作者: シラフ
王都編

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113/115

第113話「結び目の硬さ」

綱を引く手つきが、今日は少し乱れていた。

礼拝堂の奥で、古い麻がこすれる。鐘は鳴らない。鳴らないのに、男の子は朝になると来て、何度か綱を引く。それはもう仕事というより、忘れ物を取りに来るみたいな動きだった。


俺に入ってくるのは音そのものではない。綱が梁をこすり、石敷きに足裏の重さが移り、空っぽの鐘が上でわずかに身じろぎする。その順番だけだ。


今日は、その順番が一つ余った。


男の子が綱から手を離す前に、もう片方の足をずらした。迷っている。鐘ではなく、礼拝堂の脇に置かれた包みのほうへ、体の向きが変わったのが分かった。


「ネア」

男の子の声は、いつもより小さかった。

「これ、昨日もこの結び方だった?」


ネアは返事をしなかった。代わりに歩いた。俺は袋の底で、布越しに揺らされる。揺れる、というより、運ばれる。石としては通常営業だ。


(異世界転生、移動手段が十一歳の徒歩)


便利さでいえば馬車に負ける。信頼度では勝っている。たぶん。


ネアがしゃがむ。布の外から、硬いものへ近づく気配がした。包みは礼拝堂の端、崩れた壁の内側に置かれている。前に女が置いていったものだ。中身はまだ、誰も開けていない。


誰も、という言い方は正確じゃない。

開けたいと思った者はいたはずだ。男の子も、ここへ来るほかの小さい足も、たぶん何度か近寄っている。けれど包みは残っていた。崩れた礼拝堂で、鳴らない鐘の下で、開けられないまま。


ネアの指が、包みの紐に触れた。

布越しに伝わってきたのは、細い繊維のざらつきだった。前に触れた時より、結び目が硬い。きゅっと締め直されている。古い紐は伸びているのに、そこだけ力が新しい。


ネアは結び目を指の腹でなぞった。ほどこうとはしない。巻きの向きを確かめるだけの触り方だった。俺に巻きの向きは分からない。ただ、紐が布を押す小さな段差が、布越しに二つ数えられた。前に触れた時は、一つだった気がする。

新しい力の入り方は、男の子の細い指のものではなかった。


「……違う」

ネアが言った。


男の子が息を飲んだ。大げさな音ではない。ただ、足の重さが石敷きに少し残った。


「やっぱり?」

「うん」

「昨日、ぼくが帰る時は、もっとほどけてた。ここ、ぴろんって」


説明しながら、男の子の指が紐の端をつまむ。ネアはその手首を軽く押さえた。強くはない。止めるだけの力。


「あけない」

「分かってるよ。分かってるけどさ」


男の子は少し黙った。ネアの言わなさとは違う。ネアは言葉を使わない時も用事をしている。男の子のそれは、言葉が出てくる場所を探している間だった。


「じゃあ、誰が直したんだろ」


礼拝堂にいるのは、ネアと男の子だけだ。少し離れて、菜を入れた小さな籠。割れた椀。誰かが座るには低すぎる石の段。鳴らない鐘の綱。

そして、俺。

数に入れていいかは毎回悩む。石なので。


男の子は、礼拝堂の入口のほうを一度気にした。誰かを待っている足ではない。来てほしくない足音を探すものでもない。来ていたかもしれない誰かを、あとから追いかけるみたいな重さだった。


「朝より前かな」

「なにが」

「その人。ぼくが来るより前に来たなら、鐘、引いたのかなって」


ネアは綱を見上げたのだと思う。俺には分からない。ただ、袋の布が肩に沿って動き、視線の高さが少し変わった。


「鳴らない」

「うん。でも、知らない人なら、引くかもしれないだろ」


知らずに引く。鳴らないと分かる。そこで帰るのか、それとも包みの紐を締め直すのか。

その差は、たぶん大きい。


ネアは包みの横に手を置いた。中身を押したわけではない。ただ、布のたるみを確かめるように、端だけを持ち上げる。

その時、紐の結び目の奥で、薄い板のようなものがかすかに当たった。


金属ではない。石でもない。布でも、干した草でもない。軽く、平たく、角だけが妙に残っている。俺はそこで意識を止めた。


地脈に沿って読めば、もう少し分かるかもしれない。包みの重みが石敷きに落としている圧、紐が押さえている面、内側の隙間。たぶん、横から指を差し込むみたいに輪郭を拾える。

でも、それは違う。

俺はこの包みを開けられない。ネアの手も、まだ開けていない。なら、俺だけが横から全部読むのは、開けたのとあまり変わらない。


動けない石にも、しないでおくことくらいはある。


「また来たのかな」

男の子が言った。

ネアは紐から指を離した。


「女の人」

「見たの?」

「見てない。けど、これ、ぼくじゃない。ネアでもないでしょ」

「ない」

「ほかの子も、触らないと思う。ここのもの、勝手にさわると、あとで嫌な感じするから」


ネアが少しだけ首を傾けた気配があった。布越しだから動きそのものは分からない。ただ、髪が袋の口をかすめ、俺の周りの布がほんの少しこすれた。


「嫌?」

「うん。怒られるとかじゃなくて」


男の子は言い直す。

「鐘が鳴らないのに、ここで鳴らしたふりするの、なんか変だろ。包みも、それに似てる。開けたら、ここに来た人のふりになる気がする」


小さいわりに、ずいぶんややこしいことを言う。

でも、分かる気がした。


鳴らない鐘は、立派な鐘ではない。街の人間を集める力も、神殿みたいな名前も、たぶん持っていない。ただ、男の子が毎朝綱を引く。その分だけ、ここには朝が置かれる。


祈りが何かは知らない。

少なくとも、分かった顔で説明するには、俺の石歴が足りない。前世会社員歴を足しても足りない。会議で祈りを議題にしたことはない。


ただ、立派な鐘が鳴ることと、鳴らない鐘の綱を毎朝引くことは、同じ箱に入らない気がした。

大きさの問題ではない。


男の子は綱のほうへ戻らなかった。包みの前に膝をつき、指を組むでもなく、頭を下げるでもなく、ただ座った。

ネアは籠から菜を一枚出して、割れた椀の横に置いた。


「それ、食べものじゃないよ」

「知ってる」

「包みの人に?」

「違う」

「じゃあ誰に」


ネアは少し考えた。


「ここ」


男の子は目で見ているはずだ。俺には見えない。けれど、彼の体が少し前へ傾いたのは分かった。


「ここって、礼拝堂?」

「うん」

「礼拝堂って、菜を食べるの?」

「食べない」

「じゃあ、なんで」


ネアは割れた椀を指で押した。かた、と小さな接触が石に移る。


「からっぽ、いや」


それで説明は終わった。


男の子はしばらく何も言わなかった。ネアが説明役にならないのは、ある意味とても安定している。投げっぱなしではない。置いていくのだ。言葉も、菜も。


「じゃあ、ぼくも何か置く」

「ないなら、いい」

「ある」


男の子は服のどこかを探った。布がこすれ、薄いものが折れる音に近い振動がした。出てきたものは俺には見えない。ただ、石敷きに置かれた時の軽さで、紙か、薄く削った木片か、そのあたりだと分かった。

置く前に、男の子の重さが一度だけ止まった。走ってきた日の止まり方ではない。順番を待つ時の、短いやつだった。


「鐘の絵」


言ってから、男の子は慌てた。


「鳴るほうじゃないよ。ここのやつ」


ネアは頷いたらしい。袋が少し上下した。


「上手くないけど」

「いい」

「ほんと?」

「うん」


男の子は、薄いものを包みの横に置いた。包みには触れない。菜にも重ねない。割れた椀の端から少し離す。


さっきまで余っていた順番が、そこに収まった。

綱を引く。鳴らない。包みを見る。結び目が違うと気づく。開けない。代わりに、何かを置く。

礼拝堂の朝は、少しだけ手順を増やした。


それを儀式と呼ぶには、あまりに雑だった。

菜は椀からはみ出しているし、薄いものは端が少し反っている。男の子は置いたあとで角度を直そうとして、ネアに一度止められた。止められると、今度は両手を膝に置いた。


「ずれてる」

「いい」

「でも、鐘が曲がって見える」

「鐘、鳴らない」

「そういう問題?」


問題ではない。たぶん。

けれどネアは、それ以上直させなかった。曲がっているものを、曲がったままにしておく。ここに置かれたものが、きれいな形を求めていないと知っているみたいに。


俺は少し安心した。整いすぎた礼拝堂は、たぶんこの場所に似合わない。

俺は包みの中身を読まなかった。代わりに、結び目の硬さだけを覚えておく。誰かが戻ってきたかもしれない、という形で。


ネアは立ち上がり、籠を持った。


「また来る?」

男の子が聞いた。

「うん」

「女の人も?」


ネアは答えなかった。

その返事のなさは、知らない、の代わりではなかった。知らないことを、知らないまま置いておくためのものだった。


床が受け取ったものを、俺は布越しに数え直す。菜が一枚。薄いものが一枚。結び目の硬さが、一つ。

明日、数が変わっていたら、俺が最初に気づく。


ネアは籠を持ち直して、入口の光のほうへ歩き出した。男の子が先に外へ出て、砂利が二人ぶん、間を空けて鳴った。


包みの紐は、まだ硬いままだった。

あとがき


今日は、開けませんでした。そういう日の話です。

☆やブックマーク、いつも助かっています。次回「ほどける前」。


——石より

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