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転生したのに動かない!?——でも、なぜか世界が少しずつ変わっていく【1章完結】  作者: シラフ
王都編

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第108話「濡れた楔」

最初に変わったのは、床の重さだった。


屋根が残っている場所の下は、まだ乾いたままだった。けれど欠けた梁の向こうから、細いものが落ちてくるたび、床のひびが一本ずつ低く沈んだ。


音ではない。


石に届いたのは、上から打たれる振動と、板の下に増えていく重みだった。


半壊した礼拝堂は、晴れた日よりも少しだけ狭くなる。外と中の境目が、屋根ではなく床で決まるからだ。


ここまでは乾いている。


ここから先は濡れている。


俺にはその線が、足跡より先に分かった。


ネアは入口の近くで止まっていた。布を肩のあたりまで寄せ、荷物を脇に抱え直す。濡れた床を踏む前に、いつものように一拍置いた。


その間にも、水は床の割れ目に沿って進んだ。


昨日まで男の子が差した楔のところで、流れが一度止まる。浅く詰めた木片が膨らみ、隙間を押した。細い震えが、俺の下まで遅れて来た。


直した場所が、試されている。


大げさなことではない。板一枚と木片二つが、上から落ちる水を少しだけ受け止めている。それだけだ。

それでも、濡れた線はそこで曲がった。


曲がった先の床は、まだ持ちこたえられる。曲がらなかった水だけが、板の下へ細く落ちた。


落ちた先で、土が少しだけ重くなる。


乾いた土は踏まれると返す。濡れた土は返さず、受けたものを抱えたまま沈む。俺に届く差は、そのくらいはっきりしていた。


ネアが膝をついた。指先が床の上を短く探る。布越しに、冷えた重さが伝わってきた。ネアの手のひらが触れた場所だけ、床の震えが鈍くなる。


「ここ」


一語だけだった。


俺に言ったのか、床に言ったのかは分からない。


ネアは荷物から細い木片を取り出し、楔の横に差した。濡れて膨らんだ先端がうまく入らず、何度か押し戻される。指が滑ったのか、板の上で爪が小さく鳴った。


俺は動けない。


差し込む角度も、力の入れ方も、教えることはできない。


ただ、木片が板と板のあいだに入るたび、床の中で震えの逃げ道が変わるのを受け取った。


一度目は浅い。

二度目は傾きすぎた。

三度目で、木片が古い割れ目の端に引っかかった。


「ん」


ネアはそれ以上言わなかった。小石で叩く。軽い衝撃が、濡れた床を抜けて俺の底に届く。


水は完全には止まらない。


止まらないが、進み方が遅くなった。


半壊した礼拝堂の修理は、いつもその程度だ。全部を戻すわけではない。落ちるものを少し減らす。抜けるものを少し塞ぐ。踏む場所を一枚だけ増やす。


その少しが、今日の床でははっきり重かった。


礼拝堂の奥、石のそばに置かれた包みも、床の変化を受けていた。


女が残していったものだ。


中身は分からない。俺が知っているのは、包みがそこにあることと、誰かの手がそれを置いて去ったことだけだった。


水の線は、すぐそこまで来ていた。


ネアも気づいたらしい。床に差していた小石を置き、包みの前まで移動する。濡れた板を避けるたび、軽い足音のかわりに、乾いた床の反発だけが俺へ返った。


ネアは包みを持ち上げた。


ほどかない。


振らない。


中を確かめる動きもない。


ただ両手で抱え、屋根の残る梁の下へ運んだ。そこはまだ床の重さが変わっていない場所だった。古い長椅子の内側に置き、布の端を少し折る。


「濡れる」


それだけ言って、ネアはまた床へ戻った。


包みは軽く沈んだまま、そこに残った。


誰かがここへ来た。


誰かがまた来るかもしれない。


そういう形のものが、礼拝堂の中に一つ増えている。けれど俺には、それを名札のように読むことはできない。


壁内の鐘が鳴った。


雨の中でも、その震えは届いた。厚い壁を越え、濡れた地面を渡り、礼拝堂の割れた床の下へ細く入ってくる。


立派な鐘の音は、ここまで来るころには線になる。はっきりした形を失って、ただ遠い金属の揺れとして残る。


礼拝堂の鐘は鳴らない。


上に吊られたまま、重いものとして梁に引っかかっている。綱は垂れているが、今日はまだ誰の手にも引かれていない。


男の子は来ていなかった。


毎朝、綱を握りに来る足取りが、この床にはまだ落ちていない。入口の石も濡れた重さを増すばかりで、小さな踵の跳ねる震えを返さない。


雨だから来ない。

別の用事があるのかもしれない。

それだけのことだ。


ネアは綱へ顔を向ける位置で一度止まった、のだと思う。視線は俺にはない。けれど体の向きが変わり、床へかかる重さが少し後ろへ寄った。


それから、綱には触れずに戻ってきた。


濡れた床の前でしゃがみ、男の子が昨日まで直していた場所を指で押す。木片は水を含んで太り、浅いところで耐えていた。


小さな板切れをもう一枚。


ネアはそれを斜めに差し、膝で床を押さえた。古い板が低く鳴る。水は横へ逃げ、割れ目の奥まで入る前に、別の溝へ曲がった。


十分ではない。


けれど、石のほうへ来る線は弱くなった。


俺の下の冷えは、すぐには増えない。


ネアはその場に座った。作業を終えたというより、次に水がどこへ行くか待っている姿勢だった。膝の近くで床が濡れていき、少し離れたところは乾いたまま残る。


待っているあいだ、ネアは余った木片を手の中で回した。


使えるか、使えないか。そういう言葉は出ない。ただ、角の欠けたところを指で押し、濡れた先を布で拭いた。次に差す場所が来たときのための動きだった。


雨の日の礼拝堂は、外の大きな揺れを厚くする。

荷車の軋みも、人の歩きも、壁内からこぼれるざわめきも、濡れた地面でほどけて届く。代わりに、内側の小さなものが近くなる。

木片が膨らむ音。


布の端から水が落ちる振動。

ネアが座り直すたび、膝の下で板が受ける重さ。

それらが、ひとつずつ俺に返ってくる。


「……寒い?」


ネアが言った。

俺に聞いたのだろう。たぶん。

石が寒いと答えるのは、正しいのかどうか分からない。けれど俺の下には、濡れた床の冷えが少しずつ溜まっていた。


『少しだけ』


念話にすると、ネアの指が俺の上に乗った。

布越しではない。雨で冷えた指先が、俺の表面に短く触れる。生き物の温度は、濡れた床よりも高い。だから一瞬だけ、そこが浮いた。

ネアはすぐ手を離した。


「じゃあ」


何が「じゃあ」なのか、言葉は続かなかった。

ネアは自分の布の端を少し折り、俺の下に差し込んだ。ほんの薄い一枚だ。床の冷えを止めるには足りない。

それでも、石と床のあいだに一枚、別の重さが入った。


(石に敷物)

少しだけ変な気分だった。

前世で机の脚に紙を噛ませたことはある。今は俺が噛まされる側に近い。いや、どちらかといえば大事にされている側だ。


そこまで考えて、やめた。

ネアはもう床へ戻っていた。濡れた楔の横に指を置き、動くかどうか確かめている。

しばらくして、入口の石が跳ねた。


男の子だった。

雨を連れてきた、というより、雨の重さの中に小さな足取りが混ざった。いつもより急いでいて、入口で一度滑りかけ、すぐ踏み直す。


「来た」


ネアが言った。

男の子は返事をしたようだったが、俺には声の形までは届かない。足の震えが近づき、綱の下で止まった。

彼は綱を握った。


濡れた綱は、乾いた日より重い。引かれる前から、梁へかかる力が違った。繊維の中に水を含み、垂れた部分が床へ近づいている。

一度、引く。

割れた鐘は鳴らない。


梁がきしみ、綱が水を落とし、床の一点が叩かれた。礼拝堂の中にあるのは、音になりそこねた重さだった。

男の子はもう一度引いた。

今度も鐘は鳴らない。


けれど、綱から落ちた水が、男の子の直した床のほうへ流れた。差した楔の手前で止まり、斜めに逃げる。

男の子の足が動いた。

気づいたらしい。


詮索ではない。包みには近づかなかった。視線の有無は俺には分からないが、足取りは綱と床のあいだだけを行き来していた。

ネアが小石を渡す。


「ここ」


男の子がしゃがむ。二人分の重さで、床が少し沈んだ。

小石で木片を叩く振動が、雨の重さに混じる。強くはない。けれど昨日より迷いが少ない。打つ場所を探し、外れたら戻し、入ったところで止める。

水の線が、また変わった。


礼拝堂の奥へ向かっていた流れが、割れた椅子の脚のほうへ逃げる。包みのある場所までは届かない。

ネアはそれを確かめるように、包みの前で一度止まった。触れず、開けず、ただ床に膝を置く。

男の子は綱のところへ戻った。


三度目に引いたとき、壁内の鐘がまた鳴った。

遠くの大きな震えと、ここで鳴らない鐘のきしみが、雨に濡れた地面の中で重なった。

どちらが何を届けているのか、俺には決められない。


ただ、壁の向こうの鐘は届いた。

こちらの鐘は、床を少し揺らした。

男の子は綱から手を離した。濡れた繊維が戻り、梁が短く息をするように揺れる。鐘は重いまま吊られている。


ネアは床の楔を押した。

男の子も同じ場所を押した。

二つの手の重さが、同じ割れ目に乗る。木片は浅く鳴ったが、抜けなかった。


雨水は別の溝を選んだ。

礼拝堂の床は、直ったわけではない。濡れた板は濡れたままだし、割れ目は割れ目のままだ。明日になれば、また違うところから水が来るかもしれない。

それでも今日は、石のそばまで来る水が少し遅くなった。


包みの下は乾いたままだった。

男の子の足取りが入口へ向かう。帰る前に、彼はもう一度だけ綱のほうへ戻った。引かなかった。ただ触れて、すぐ離した。

ネアも何も言わない。


雨の重さは、まだ床に増えている。

俺の下には布が一枚ある。

濡れた楔は、抜けずに床の中でこらえていた。


雨が上がる前に、ネアは包みをもう一度動かした。長椅子の内側より、壁際の石の上のほうが、翌日の足動きに干渉しない。置き場所は、そのくらいのことで決まる。

雨の日は、石も少しだけ床事情に詳しくなる。

鐘は鳴らなくても、綱を引く手と楔を叩く手は別々に来るらしい。


ネアはあまり喋らない。男の子はもっと喋らない。

だから雨の音と、☆評価とブックマークの震えだけが、よく届く。たぶん床より先に俺に。


半壊礼拝堂帯、まだ続く。8/15。

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