第10話「悪役は、最後に勝つ」
夜は、すっかり静まっていた。
あれほどの喧騒があったとは思えないほど、王城は穏やかな眠りに包まれている。
――すべては、終わった。
少なくとも。
“表向き”には。
「……」
レティシアは、バルコニーに立っていた。
夜風が、静かにドレスを揺らす。
遠くに見える街の灯り。
何も変わらない日常。
けれど。
(確かに、変わった)
一つの“未来”が、消えた。
それだけで十分だった。
「ここにいたか」
背後から、声がする。
「殿下」
振り返らずに、応じる。
足音が近づく。
隣に、並ぶ気配。
「……静かだな」
「ええ」
短い会話。
それでも、心地いい沈黙が流れる。
しばらくして。
「処分は、決まった」
王太子が、低く言った。
「……そうですか」
レティシアは、表情を変えない。
「“外に出す”」
その一言。
それだけで、意味は十分だった。
「……適切ですわね」
淡々と答える。
感情はない。
必要もない。
それが最善。
「情けはかけないのだな」
「かける理由がありませんもの」
即答だった。
「彼女は、自分の役割を果たしました」
視線は、夜の向こうへ。
「それ以上でも、それ以下でもない」
「……そうか」
王太子は、短く息を吐いた。
それ以上は何も言わない。
理解しているからだ。
⸻
「殿下」
「なんだ」
「これで、“あの未来”は回避されました」
「ああ」
「ですが」
ほんのわずかに、間を置く。
「“原因”は残っています」
王太子の目が、細められる。
「……観測者、か」
「ええ」
「何度でも、やり直す存在」
空気が、少しだけ重くなる。
「今回も、ヒロインを通して介入してきた」
「そして、失敗した」
「はい」
「なら、次を寄越すだけだ」
淡々とした分析。
感情はない。
ただ、事実。
「ええ」
レティシアも、静かに頷く。
「だからこそ」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「こちらも、“次”を前提に動きます」
その目に、迷いはない。
「何度来ても、同じことですわ」
夜風が、強く吹く。
ドレスが揺れる。
その姿は、どこまでも凛としていた。
⸻
「……レティシア」
「はい」
「一つ、聞いてもいいか」
「どうぞ」
王太子は、わずかに視線を逸らす。
珍しい仕草。
「君は」
一拍。
「怖くはないのか」
静かな問い。
それは、戦略でも計算でもない。
純粋な疑問だった。
「……」
レティシアは、少しだけ考える。
ほんの短い時間。
そして。
「怖い、ですわ」
と、答えた。
王太子が、目を見開く。
「意外だな」
「そうですか?」
小さく微笑む。
「未来が見えているということは」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「失敗も、破滅も、“知っている”ということですもの」
「……」
「それでも」
顔を上げる。
まっすぐに、前を見る。
「選ぶしかありません」
静かな決意。
「“同じ未来”を繰り返さないために」
その言葉に。
王太子は、わずかに息を吐いた。
「……強いな」
「いいえ」
レティシアは、首を振る。
「一人では、無理でした」
視線が、横へ向く。
王太子へ。
「殿下がいたからです」
初めて。
わずかに、柔らかい声音。
だが、それも一瞬。
「……それは」
王太子が、苦笑する。
「こちらの台詞だ」
視線が交わる。
短い沈黙。
けれど。
そこにあるものは、はっきりしていた。
⸻
「……さて」
レティシアが、空気を切り替える。
「今後の話をいたしましょう」
「もう次か」
「当然です」
即答。
「時間は、有限ですもの」
「違いない」
王太子は、小さく笑った。
「まずは?」
「情報の精査と、“次のヒロイン候補”の監視」
「ふむ」
「そして」
一瞬、間を置く。
「殿下との関係性の再構築」
「……ほう?」
わずかに興味を示す声。
「婚約破棄は、すでに成立しています」
「そうだな」
「ですが」
レティシアは、淡く微笑む。
「“新たな関係”を築くことに、問題はございませんでしょう?」
その言葉に。
王太子の目が、細められる。
「……それは、提案か」
「確認ですわ」
あくまで冷静に。
「利害が一致するのであれば」
一歩、距離を詰める。
「継続的な協力関係を結ぶのは、合理的ですもの」
近い。
けれど、触れない。
「つまり」
王太子が、低く言う。
「改めて、俺を選ぶと?」
「はい」
迷いはない。
「最適解として」
その言葉に。
王太子は、ほんの少しだけ笑った。
「……ロマンはないな」
「不要ですわ」
即答。
だが。
「ですが」
ほんの一瞬だけ、視線が揺れる。
「全くないとも、言い切れません」
小さな余白。
それだけで、十分だった。
⸻
夜風が、二人の間を通り抜ける。
静かな時間。
終わりであり、始まりでもある瞬間。
「……行こう」
王太子が、言った。
「ええ」
レティシアは、頷く。
もう迷いはない。
歩き出す。
同じ方向へ。
⸻
その頃。
王城の外。
闇の中。
誰にも気づかれない場所で。
「――また、失敗」
声が、響いた。
姿はない。
ただ、意志だけが存在する。
「でも、大丈夫」
くすり、と笑う気配。
「次があるから」
ゆらり、と揺らぐ。
「何度でも、やり直せる」
その声は、どこか楽しげで。
どこまでも、無機質だった。
「次は、もう少し“上手くやろう”」
静かに、消える。
まるで最初からいなかったかのように。
⸻
そして。
再び、夜は静かになる。
何も知らない世界は、ただ回り続ける。
けれど。
その裏側で。
確かに、戦いは続いている。
「――悪役は、終わらない物語の中でこそ、最も美しく勝ち続けるのですわ」




