表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
118/123

7月27日『担架の片側』

挿絵(By みてみん)

 担架は二人で持つ。


 三日前、第三坑道の地下水脈交差、通称『水たまり』で瘴気が噴いた。前衛の連中が『赤壁』の近くで何かをやった直後だった。詳しくは知らない。救護兵(おれたち)に作戦は降りてこない。降りてくるのは、怪我人だけだ。


 討伐隊のアヒムが倒れた。膝から先に落ちて、そのまま横に崩れた。目が開いたままだった。担架を急いで組み上げ、走る前に壁に触れた。――右の壁は中がぐずぐずに脆い。ぶつけたら崩れる。


「左寄りだ!」


 相棒に叫んで、走った。百十二歩――採掘層まで百十二歩。


 最初は怖くて数え始めた。数えている間は、背後の闇を考えなくて済む。それが、いつしか癖になった。先月のハーコンは七十三歩。先々月のゲオルクは四十七歩。数だけが、手を離れない。


 あれから三日。エリクサーは投与したが、アヒムはまだ目を覚まさない。前衛は次の作戦を立てはじめている。


 七月の図書館。石壁が一日分の熱を溜め込んで、坑道の冷たい湿気とは正反対の乾いた暑さ。


 カウンターに手を置いた。何も感じない。この建物は静かだ――坑道の脆い壁とはまるで違う。担架の重さ、百十二歩。手のひらが静けさを感じた瞬間、三日前の震えが一瞬だけ戻ってきた。


 図書館に来たのは、瘴気中毒の対処法を調べるためだ。――半分だけは。


 残りの半分は、怒りの置き場を探しに来た。


           ◇


 二階の医学書棚。瘴気中毒の項目は薄い冊子に半ページだけ。『解毒薬(エリクサー)の処方』。それだけだ。


 棚を睨んでいると、隣の通路に人影があった。灰色のフード。隣の産業技術の棚の前にしゃがみ込んでいる。


 鼻が先に動いた。これは、鉱石の粉。古い革。汗。――増援のよそ者。


「救護兵か」


 低い声だった。一語ずつ、正確に区切る話し方。


「……ええ」


 犬歯が軋んだ。お前はどっちだ。壊す側か、拾う側か。


 男が立ち上がり、さっきの棚から薄い冊子を抜いた。『坑道環境と人体』。背表紙に都市プラエスの紋章が刷られている。


「私もちょうど調べていた。――中毒は結果だ。原因は環境にある」


 余計な世話だ。


 壁を崩し、瘴気を噴かせ、怪我人を増やす。俺はそっちの方を「原因」と呼ぶ。


 ――言わなかった。代わりに冊子を受け取った。


           ◇


 ――瘴気が岩に染み込むと、岩の中身が脆くなる。脆くなった岩は震える。壊れかけの壁が、内側から小さく震え続けている。侵食度と振動強度の相関を示すグラフがある。等高線のように描かれた、振動の分布図も。


 手が止まった。


「これ、俺わかりますよ」


 口をついて出た。悔しかったのかもしれない。お前たちが知らないことを、俺は知っているんだと。


「崩れかけてる壁は、手にびりびりと来る。いつも、担架のルートを選ぶのに使ってます。……俺だけの癖で――」


 フードの奥で、目が動いた。


「ふむ。やれるか。この見取図の上に、君の手が憶えていることを、できるだけ正確に描いてみてくれたまえ」


 閲覧席で見取図を広げた。見覚えのある坑道に印をつけていく。


「――入口から三十歩くらいまでは硬くて、そこから先が震え始めて——この角を曲がった先が一番ひどい。だいたい八十歩目から――」


「……歩数でかね」


「ええ。いつも数えてます」


 最後。アヒムが倒れた場所には、一番大きな印を打つ。


「ここに測量班のデータがある。壁の侵食度を数値にしたものだ。君の印は、そちらとも重なるはずだが――」


 男が見取図に目を落とした。俺が印をつけた場所を、指がゆっくりなぞる。


「ここだ。先月末の調査で硬かった層が、今では脆くなっているようだ」


「……確かに。先月の崩落前にも同じ壁を触りました。あの時は硬かったし、特に何も感じなかった」


 俺は、ただ仲間を運んだだけだ。壁に触ったのは担架のルートを選ぶためで、測量のつもりなんかなかった。


「もしかして、あの日って――」


「ああ。『赤壁』での作戦中だ。その振動が亀裂を伝って、上の坑道に瘴気を押し上げたのだろう。……俺の指示だ」


 無意識に拳が握られた。犬歯が唇の裏に刺さる。


「あそこを突破しなければ深部への道は開かない。だが――崩した結果が、ここまで上がってくるとはな。予測が甘かった」


 予測が甘かった、と言った。言い訳ではない。逃げてもいない。壊す側の人間が、壊した重さを背負ったままで、事実としてそう言った。


 しかし――俺は知っていた。この坑道は何度も通った。壁が脆くなっていたことも、崩れそうな地盤のことも、手が覚えていた。もしそれを誰かに伝えていれば、判断の材料にはなったかもしれない。


 『かもしれない』。


 怒りが行き場を失っていた。膨らんだはずの胸の中が、空洞みたいに冷たかった。


           ◇


 一階のカウンターに冊子を置いた。銀色がかった髪の司書が、背表紙を確かめる。


 落ち着いた手つきで万年筆を差し出してくる。


「こちらにお名前をどうぞ」


 書き慣れない字が、少し傾いた。その数行上に、別の名前。隣の欄には『装具弾の理論――弾薬に関する実験記録』と書名が並んでいる。


「ウーツだ」


 扉のほうから声が聞こえた。


「……カイルです」


「君の印。測量班長のダリアに渡しておく。助けになるだろう」


 三歩ほど歩いてから、振り返らずに言った。


「また異変を感じたなら、連絡をくれたまえ。もしかしたらだが、その能力(リンクス)――攻略の糸口になるかもしれない」


 一歩ごとの間隔が狂わない、正確な足音が遠ざかる。手のひらに目を落とした。いつもと同じ手に見えた。


 図書館を出る。冊子を持つ手に、紙だけじゃない重さを感じた。


 担架は二人で持つ。俺は――片側だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ