ありがとう
結局あの後、若君の誕生日当日は半休ということになった。
パーティーのある午後がお休みとなり、前準備に忙しい他侍従に代わり、午前中は若君の傍にいるように言われた。
パーティーに出ないで済むなら何でもどんと来いだ。私は有難くそれを受け入れ、やがて若君の誕生日当日を迎えることとなった。
朝、いつもと同じように若君の元へ向かえば、出迎えてくれたのはヴィルヘルムだった。
いつもと違い、その顔に笑顔はない。彼は、静かな面持ちで花束を差し出した。
「若君の傍にいてあげておくれ。」
小さな声で「はい」と渡されたのは、菊の花束。
まるで墓前に供える為にあるようなものだった。
思わず流れで受け取ってしまう。一体なんだこれは。
無言で問うようにヴィルヘルムを見るが、彼はもう私を見ていなかった。
自室の扉から若君が出て来たからだ。
「それでは、行ってらっしゃいませ。」
そう頭を下げたヴィルヘルムを見ることもなく若君は歩き出す。
思わず無言で見送りそうになり、慌ててその後を追った。
今日の若君はいつもより黒を基調とした服を着ている。一方私はいつもの侍従服だ。
足早な若君は進み、春の宮の外まで出てしまう。コンコースで待っていた馬車に乗り込めば、待ってましたとばかりに走り出した。
いつもと少し様子の違う若君と二人きりの車内。正直、行先を聞ける空気じゃない。一体私たちはどこへ向かっているのだろうか。
ちらりと手元の花束を見る。白い菊の花束。なんとなく察しはつくけれど、一体誰の墓参りへ行くのだろうか?
馬車の小さな窓の外はそこそこのペースで景色が流れていく。気付けば王宮の外を走っていた。
暫く馬車に揺られる。目的地は郊外だった。
街の喧騒から離れた小さな森の入り口。そこで私たちは場所を降りた。
入口には兵士が二人立っている。何かを守る門番のような兵士は、若君を見ると会釈をして道を開けた。
どうやら通ってもいいらしい。私は先を進む若君に付いて歩いた。
木漏れ日が綺麗な森だ。清々しい空気と鳥の囀る声。人一人が通れるくらいの小道を抜けて、拓けた場所に出た。
大きな大樹の下、「それ」は在った。
周りを花々に囲まれ、静かに佇む、灰色の石。
綺麗に磨かれた表面に文字の刻まれたそれは、間違いなく墓石だった。
その前には、既に誰かが参った後なのであろう。藤の花束が置かれていた。
私から花束を受け取った若君が、墓石の前に膝をつく。
「母上の墓だ。」
静かに花束を置いた若君が言った。
表面に刻まれていたのは、間違いなく前世の私の名前だった。
『ここに眠る』なんて、何だか変な感じがする。私はここにいるのに。
「今日は命日なんだ。毎年この日はここへ来る。」
そう言って両手を合わせ、目を瞑る。私はそんな若君の背中を見ていることしかできない。
墓前には若君の備えた菊の花束。それともう一つ、藤の花束が風に揺れていた。墓前に供えるには悪くない花だ。
藤の花から目を逸らせずにいた私を、黙祷の終わった若君が振り返る。
「それは、父上が供えたものだろう。」
ふと微笑んだ若君の言葉に、ぞわっと一瞬で背筋に何かが走る。
口と頬が引き攣るが何とか声を上げるのだけは我慢した。鳥肌が酷い。
直ぐに前を向き直った若君は、そんな私の様子には気付かない。
「毎年、公務の妨げにならない夜から明け方にかけて、父上はここで過ごされるのだ。」
はぁ?寝ろよ…!、という心の叫びは誰にも伝わらない。
「その間は誰も寄せ付けない。元々ここ一体は何人たりとも立ち入り禁止になっている。この日のみ、私は特別に許されるが…。」
なんだそれ。じゃああの兵士たちは墓守か。誰も私の墓に近づかないように、見張っているとでも?
しかもそれを命じたのがあの男だとは。あいつは死んでも尚、私を閉じ込めてたいのか。
なんというか、凄く不愉快というか、いっそ呆れ果てるというか。
「気持ち悪っ!」
ハッ、つい口に出してしまった。
慌てて口に両手をあてるが出てしまったものはもう撤回できない。恐る恐る若君を見れば、彼の背中が震えていた。
まずい酷いことを言ってしまった気がする。若君にとっては父親な訳で母親の前な訳でえっと。
「っくくく、はははははははっ」
やばい、謝らなきゃ…なんて焦る私の前で、若君は盛大に笑い声を上げた。
先程までの空気を木端微塵にするかのように、腹を抱えて笑う。茫然と見下ろす私。なんだこれ。
目尻に滲んだ涙を指で拭いながら、若君は私を見た。
「ふふふ、そう思うか?だろうな、私もそう思う。」
一頻り笑って気が済んだのか、地面に尻をついて座り込んだ若君が、隣に座れとばかりに地面を叩く。何も言えずにいた私は、指示されるままに座った。
「お前も母上の境遇を知っていたのだな…。私も偶然使用人たちの話を聞いていなければ、母上は死んでも尚父上に愛され幸せな人だと思っていたことだろう。」
歌うように軽やかに告白される。
何故こんなにこの子は明るく話せるのだろう。
「どこまで聞いた?全てか?」
「…多分、全て知っています。」
人から聞いた訳じゃないがな!
しかしあんな話を子どもの耳に入るかもしれない場所で話すなよ使用人。
「そうか。だとしたら、納得だ。お前が父上を怖がっていると、そうイヴァンから聞いた。これが原因か?」
なんと答えればいいのか分からず、無言で頷く。
「だろうな。私も息子ながらに父は酷い人だと思う。母上が大層憐れだとも。きっと、母上は父上を恨んでらっしゃるだろうな…。」
全くその通りですね、なんて流石に息子の前で言えない。
「きっと母上にとって父上は悪魔のようなものだったに違いない。そしてその子を宿すなんて…悪魔の子を宿したも同義…」
地獄だな、なんて微かに笑う。
「さぞ、お辛かっただろうな…」
掠れた声での独白に、胸が打たれる。悲しい声だった。
今は何もない、平らな腹に無意識に手をやる。
あの時、地獄だと思った。腹の中の子どもが、気味悪くて仕方なかった。
「そんな悪魔とその子どもに毎年墓を参られるなぞ、死んでも尚きっと母上は恨んでらっしゃるだろうな。」
ぎゅっと膝を抱えるように座りなおした若君が、膝に顔を埋める。
ごめんなさい、と小さな声が聞こえた。
不自然な呼吸音と、鼻を啜るような音。凄く、胸が痛かった。
小さな身体を一層小さく丸めて、声を殺して泣く子ども。
毎年、ここで泣いていたのだろうか。自分を責めて、母に謝罪しながら、ずっと。
傍にいた侍従たちは何を思ったのだろうか。慰めたのだろうか。私は、どうすべきなのだろうか。
墓は何も語らない。だって、「ここ」には私はいない。私はもう「ここ」にいる。
ふと、自分の手が動いた。
そっと横で泣く子どもの肩を抱き寄せる。
「大丈夫ですよ。」
固まる身体を抱き締めて、背をリズムよく叩く。
視界に白い菊の花が見えた。
「初めは確かに戸惑ったかもしれません。」
今だから思い出せる。
確かにあの瞬間、私は辛くて仕方なくて、命を産んだ意識なんて無かったけれど。
でもそれでも、確かにほっとしたんだ。
「でも、きっと、可愛いって思いましたよ。」
初めて見た時は、かわいげのない子どもだと思った。
くそがき、なんて思ったけど。でも、それでも。
小さなその姿に、胸が打たれた。
「愛おしいって、思いましたよ。」
どんな気持ちで毎年花を供えていたんだろう。
どんな気持ちで毎年この日を迎えていたんだろう。
どんな気持ちで毎日生きて来たんだろう。
「って、すみません。勝手なこと言ってしまって。」
そっと若君から離れようとする。しかし逆に腕が背中へと回され、力一杯抱き締められた。
年上なのに私より小さな身体が、震えている。堪えきれなかっただろう嗚咽が漏れる。
「…呼んでっ…くれ………」
くぐもった声に、目を見張る。
今まで逃げてきたことが、突然目の前に現れる感覚に戸惑う。
腕の中の小さな存在が泣いている。声を殺して、私に縋りながら。
震える唇を、そっと開く。声が震えないように気を付けながら。
「アルトリート」
音となって形となる。今私はこの子の名前を呼んだ。この子の存在がすんなりと私の中に落ちてくる。
なんだ、簡単なことじゃないか。何を今まで逃げていたんだろうか。
「アルトリート、アルトリート、アルトリート」
練習するかのよに何度も呼ぶ。
馴染ませるように、確かめるように。この世に存在する命を。
泣き声が、上がった。
子どものような、大きな泣き声。
わんわん顔を上げて泣く。くしゃくしゃの顔で、しっかりと私の腕を掴みながら。
なんだかおかしくて、私は笑う。目頭が熱い。
ほろり、ほろり、と頬を伝い、雫が落ちていく。
きっともうこの子は何も聞こえていない。そう思った。だから小さな声で、言う。
「ごめんなさい、あいしてる、」
私が産んだんだ。望んで授かった子どもではなかったけれど、でもこんなに愛おしい。
私に似た顔が、泣きじゃくる姿に愛おしさが溢れる。溢れて仕方ないんだ。だから。
生まれて来てくれて、ありがとう。
目元を真っ赤にした若君と、胸元をぐしょぐしょに濡らした私。そして、堅く繋がれた手。
そんな酷い状態な私たちを王宮で出迎えてくれた侍従三人は、目を丸くした。
ヴィルヘルムは慌てて温かくしたタオルで若君の目元を覆い、イヴァンは私を万歳させて服を脱がそうとして、どうしても繋いだ手を放そうとしない若君に四苦八苦する。ルイスはそんな私たちを、というか若君を驚いた表情で凝視していた。
使用人たちもやって来て、一体全体どうしたんだと大慌て。正直ここまで騒ぎになると思わず、困ったなぁなんて苦笑いするしかない。
結構な時間お墓の所にいたらしく、パーティーの準備の為に大急ぎで若君の支度を済ませる。
その途中も何度も鼻を啜る若君に、身支度を手伝う使用人たちは困惑した顔で動く。いつも以上に優しく動く使用人たちに、傍にいるように言われた私は笑ってしまう。
そして数時間かけて準備を終えた頃には、若君はいつもの調子に戻っていた。
少し目元が赤く腫れぼったくなっていたが、それは温冷タオル療法と化粧で何とか隠せたようだ。
部屋を出る瞬間、行ってくるとばかりに私を見たので、一つ頷いて送り出す。
頑張れ、と心の声で励まし、正装に着替えた他の侍従たちも見送った後、侍従室へ戻る。
華やかな音楽から遠ざかるように侍従室への廊下を歩く。今頃、中央大広間では見事な宴が催されている筈だ。
しかし一体どれだけの人が、本当にあの子を祝ってくれているのだろうか。
そう言えば、他の侍従たちは何か贈り物はしたんだろうか?
誕生日のことに関してあまり積極的に話さなかったから分からない。もしかして皆用意済なんだろうか。それとも侍従が主にプレゼントするっていうのは無礼な話なんだろうか。分からない。
でもまあ私は幼子だし新人だし色々と大目に見てもらえる気がする。
あの子がパーティーを終えて帰ってくるまで、およそ三時間弱。
どうにかなるような気がする。うん。
思い立ったら即行動、とばかりに急いだ。私にできることなんて限られているけど。
それでも、あの子が生まれたこの日に何かをしてあげたかった。完全に自分のエゴだけども。
喜んでもらえればいいな、なんて、この後のことに思いを馳せながら私は動いた。




