生まれて来てくれて、
一週間後に控えた若君の誕生日に向かって、俄かに王宮は慌ただしくなってきた。
王宮というか主に若君に関わりのある春の宮が、だけれど。
第一皇子の夏の宮や、第二皇子の秋の宮、第四皇子の冬の宮なんかは他人事なので静かなものだ。今回の宴に関係のある中央の使用人と春の宮の使用人たちだけが駆けずり回っている。
若君の侍従である私たちも一緒になって当日の段取りとか衣装決めに関わっているが、担当である訳でもないので、用が済んだら邪魔なんで帰って下さい、と凄く遠回りに言われる身分だ。うーんまあ侍従って言ったってお坊ちゃんだもんね、本職の方々からしたら邪魔だろう。
すうなると自然と若君と一緒になって部屋で大人しくするしかないわけで。
「しかし今年も盛大なものになりそうですね、若君。」
窓際、一人掛けのソファに座り頬杖をついていた若君は、チラリと視線をヴィルヘルムへ向けた。
にこにこと笑顔を浮かべたヴィルヘルムは、慣れた手つきでお茶の用意をしている。
ちなみに私とイヴァンは中央に置かれた長椅子に座り、ルイスは若君のソファの肘掛部分に腰かけていた。
まあ皆忙しい宮の中に居場所が無かったので、自然と一番邪魔になりなさそうな若君の傍に集まった訳である。
「…毎年面倒なことだ。」
祝われる本人がそんなこと言っていいんだろうか。
「そう思うだろう、ミハエル?」
「へっ?」
いきなり話をふられ、ヴィルヘルムから受け取ったカップを落とすところだった。
危ない危ないとローテーブルにカップを置いてから若君の方を向く。
「よく知らぬ輩たちに祝われたところで、嬉しいとも感じん。」
若君は不貞腐れたように窓の外を眺めていた。
まるで祝って欲しい人は別にいるかのような様子に、こっそりと向かいに座っていたイヴァンを見る。
しかし人選を間違えたようだ。彼は我関せずといった様子で優雅に紅茶を啜っていた。
困ってヴィルヘルムを見ても、彼も彼でお茶菓子の用意で忙しいようでこちらを見ようともしない。そうなると必然と最後に視線を向けたのは、ルイスだった。
ルイスと視線が合うことはなかった。彼は一心に若君を見つめていたから。
「わ、私もこんなに大きな宴は初めてなので、緊張します…。」
何となく居住まいを正し、私は努めて緊張して不安がっている幼子を演じた。
ポイントは、ぎゅっとズボンを握ることとちょっと困った顔で顔を斜めに落とすこと。
これで保護欲を掻き立てられない人間はいない!と思う。
「ミハエル、大丈夫だよ!」
「ふん、お前はただ立っていればいい。」
ほら釣れた、ヴィルヘルムが。あと予想外にイヴァンも。
若君も仕方ないとばかりに笑って私を見た。
「その通りだ、安心しろ。他の王族もいるが、気にすることはない。」
「若の言うとおりだよね~。びびって情けない様なんか見せないでよ~?俺たちの評判に関わってくるんだから~。」
一名余計なのが釣れた。じゃない。待て。今なんか重大なことを思い出したような気がした。
サーっと血の気が引いていく。
ルイスの言葉に緊張したんだと勘違いしたヴィルヘルムがルイスを睨むが、彼は面白くなさそうに私を見ていた。
いや、違う。情けない様を見せるかもしれないなんて不安はない。違うんだ。
「ほ、他の王族って…、あのおと………陛下も…いらっしゃいますよね…?」
今度は演技なんかじゃなくて、無意識にズボンを握り締める。
「はあ?当然じゃん~、お父君なんだから。何?びびってるの?」
ルイスの間延びした話し方に、身体が震える。
完全に見落としていた。いや、無意識に考えないようにしていたのかもしれない。
あの男と同じ空間にいるなんて、顔を見るなんて、声を聞くなんて、堪えられない。
一瞬で脳裏にフラッシュバックする、前世の記憶。
全てを奪われ、蝕まれた。
忌々しい、囚われの記憶。
座っている筈なのに、眩暈が襲う。ふらっと横に倒れそうなり、誰かの腕が支えてくれた。
霞む視界で確認すれば、それはイヴァンだった。
「若君、ミハエルは具合が悪いようです。自室に連れて行きます。」
連れて行くなんて言いながら、ほぼ抱えるように抱き上げられる。
申し訳ないとは思いつつも、体に少しも力が入らなかった。
イヴァンが私を抱いてこの場を辞そうと踵を返せば、肩越しに不安そうな顔の若君が見え、無意識に視線を逸らす。そしてどうしていいか分からないといった顔をしたルイスと視線が合った。
なんだ、こいつ。意外と根は良い奴なのかもしれない。
なんて思いながら、私はイヴァンに抱えられて部屋を出た。
最後まで、若君と目を合わせることは出来なかった。
「ごめんなさい、イヴァン。」
そっと寝台に下ろされ、自然と口から出たのは謝罪の言葉だった。
十歳とはいえ重いだろうに、顔色一つ変えずに自室まで運んでくれたイヴァンに申し訳なかったのだ。
「気にしなくていい。」
サラッとこんなこと出来るなんて、なんて王子さまなんだろう!
これが前世だったら惚れてたかもなんてぼうっと見上げていたら、優しい仕草で頭を撫でてくれた。
実家の兄よりも兄らしい手つきに、先ほどまで感じていた嫌な気分も癒される。
「お前の事情を聞くつもりはない。だが次に若君に会う時までには、いつものお前に戻っていろ。」
ばれてる。なんか知らないけどばれてる。
「そんなに露骨でしたか…?」
「いや、お前の傍にいたから分かっただけだ。」
「そうですか。」
良かった、と自然と口に出た言葉に苦笑する。
なんだそれ、滅茶苦茶あの子のこと気にしてるじゃん私。
「聞いて欲しかったか?」
何でもないように言うイヴァンは、無表情なのに優しい顔をしていた。
「…なんと言いますか、」
前世云々を告白する気は無かったけれど、全く話さないというのもこの先のことを考えれば得策でもない気がした。
「ちょっと私、陛下のことが苦手なんです。こんなこと言ったら不敬ですけど、怖い感じがするっていうか…」
あの人の顔怖いよぉ、てな感じで言ってみた。あまりに子どもっぽい言い分。
「だから最初、若君のこともちょっと怖くて…、今は大丈夫なんですけど。」
「陛下が出席されるって聞いて怯えたのか?」
こくり、と一つ頷いてみせる。
「なるほどな。」
これにイヴァンが納得したのかは、腕組みして立つ姿からは推し量ることは出来なかった。
「若君に俺から上手く言って置く。お前は欠席しろ、ミハエル。」
次いで出たイヴァンの言葉に、えっと顔を上げる。
そこには変わらず無表情のイヴァン。
「どうした?」
「えっ、いや、どうしたって……いいんですか?」
「悪いのか?」
「えっ」
「誰しも怖いものはある。無理にどうこうする必要もないだろう?」
思いもしない優しい言葉に瞠目する。
私の知るイヴァンなら「そんな我儘が通るか。出ろ。」くらい言うと思ったのだけど。
「なんだその顔は?」
「あっ、いや、なんというか、まさか欠席していいと言われると思わなくて…」
あたふたと両手を胸の前で振れば、呆れたような目で見られた。
「お前は俺をなんだと思ってるんだ?」
冷たい人だと思ってました。ごめんなさい。
顔にそれが出てたのか、これみよがしに溜息を吐かれた。
「まあいい。俺は別に鬼じゃないのでな、若君には伝えておく。お前は今日は休め。」
寝てろ、と肩を押されて寝台に横になる。手早く掛け布団までかけてくれて、思わず「お母さん…」なんて呟いてしまい、軽く頭を叩かれた。大して痛くもなかったけれどお決まりのように頭に手をやる。
それに軽く笑ってイヴァンは部屋を出て行った。かっこいい。去り方まで何だかかっこよかった。
なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ!
「王子さまか!」
思わず誰もない部屋で一人突っ込んでしまった。
というか王子さまみたいなものか、公爵家のご子息だものね。お貴族様だもんね。
できれば前世で出会いたかったです。そして私をお嫁さんにして欲しかった。残念だ。凄く残念だ。
なんだか疲れてしまい、ぼーっと天井を見上げた。
「なんでこんなんなんだろ…」
前世で嫌なことばかりだったから、今生では自由気ままに好きなように生きようと思っていたのに。
なのに巡り巡ってこんな場所に来ることになって、あの男の影に怯えている。
もう関係ない筈なのに、それなのに。
「まだ囚われてるのかなぁ」
なんとなく伸ばした手は、空を掴んだ。
このまま侍従を続けていくならば、いつまでもあの男を避けてはいられない。
だからと言って侍従を辞めることは親が許さないだろう。
このまま侍従としてやっていく覚悟を、決めなければならないのかもしれない。
「あーあ、あいつぽっくり死なないかなぁ。」
なんなら暗殺とか物騒なものでも可、なんて人として最低なことを呟いてみる。
前世のことを考えれば、できるだけ苦しみ抜いて死んで欲しい。地獄へ堕ちろ拉致監禁陵辱野郎。女の敵め。
若君にはあんな男になって欲しくない。心底そう思う。
前世の私は、旅の一座の踊り子だった。
そんなに大きなところではなかったけれど、和気藹々とした家族のような一座で、国から国へ、土地から土地へ移動する根無し草だった。
踊り子は私を含めて数人いて、それは見事な踊りで観客を虜にしたものだ。
この踊りをもっと皆に見てもらいたい。あの一座の踊り子たちは世界一だ、なんて言われる日を夢見ていた。
そんなある日、偶々立ち寄ったこの国の王都で私はあの男に見初められた。
偶然、お忍びで城下へと来ていた時だそうだ。私はその時、あの男の存在なぞ観客の一人としか思っていなかった。
そして、気付いた時にはもう遅かった。
いきなり城から使いが来て、半ば無理やり王宮へと連れて行かれた。抵抗なんて出来る空気ではなかったし、どうせ一時的な気の迷いでその内帰してくれると思っていたのだ。
しかしそれは甘かった。男は私を後宮の隅へ閉じ込めたのだ。
帰して欲しいと何度泣き喚いてもあの男は一切聞き入れてくれず、求婚され続けた。
私は当然頑として首を縦に振ることなく、男を拒み続けた。
その内、あまりに意気消沈する私を見かねて、男は王宮に旅の一座を招いた。気休めになればとでも思ったのだろう。
その日だけは後宮から出ることを許され、私は舞い上がった。久々に一座の皆に会えるのが嬉しかったのだ。
特別に作られた上座からしか顔を見ることは出来なかったけれど、久々の元気な一座の姿に私は泣いて喜んだ。
そして、事件が起きる。
演目も終わりに差し掛かった頃、前に歩み出た男がいた。
その一座の男は、私の幼馴染の曲芸師だった。
曲芸師は下座から愛を叫んだ。私を愛していたのだという。
突然のことで反応できずにいる私に何を思ったのだろうか。
あの男はいきなり立ち上がり剣を抜くと、それで曲芸師を切り伏せた。
一瞬の出来事に誰も動けなかった。見物人たちが悲鳴を上げる中、私は茫然とそれを見ていることしかできなくて。
その後、男は私を無理やり抱いた。
まるで自分のものだとでも言うように。
私は何もかもが信じられなかった。
幼馴染が殺されたことも、その殺した男に組み敷かれる現実も、何もかも。
そうして時間が経ち、私に一つの命が宿った。間違いなくあの男との子どもだった。
周囲の人間は皆喜んで祝いの言葉を私に投げた。私は半狂乱になったが、周囲に抑えられ、命は順調に育って行った。反対に私の心は病み続け、軋み続けた。
自分の心と反対に育つ命が不気味で、信じられなくて。毎日泣き暮らす日々だった。
それなのにあの男は、三日にあげず訪れ愛の言葉を囁く。まるで悪夢だった。
結局周囲のサポートで出産まではいったが、心身ともに衰弱していた私は、結果赤ん坊を産んでこの世を去った、といったところだろうか。なんとも不遇な前世である。
前世の恨みは、一度死んだくらいで消えてなくなるわけもなく、今でも私の心のどこかに黒墨のように腐って積もっているのかもしれない。
ふとした瞬間に顔を出す前世の私の恨み。これが消える日なんて来る訳ない。来ていい訳がない。
軋んだ音を立てて歯を噛みしめる。
ぎゅっと掴んだシーツは、前世と同じ感触がした。
このままじゃいけない。
このまま、あの男が生きていていい訳がない。
私が死んだのに、なんであの男が生きてるの?
「って、それじゃダメなんだよなぁ。」
恨んだままでいていい筈がない。少なくとも侍従をしている間は、忘れていた方がいいに決まっている。
結局その日は、なかなか寝入ることができなかった。




