【再審査⑤:少年領主】追放王子の辺境改革―六歳ですが前世知識で貧乏領地を立て直します―
本作はフィクションです。
日本法は内部査定の物差しです。
肩の力を抜いてお楽しみください。
【審査結果】
アウト
大きく表示された判定の上には、一枚の紙が貼られていた。
ごめん!
もう一回やらせて!!
リリアは椅子に腰掛けたまま、しばらくその紙を眺めていた。
「……本当に貼ったんですね」
「貼った」
「必要でした?」
テミスは紙の端を押さえていた指を離した。
「私には必要だった」
「審査に気持ちを持ち込まないでください」
テミスがゆっくりとリリアへ顔を向ける。
「成長したね」
「それで誤魔化そうとしてません?」
返事の代わりに、テミスは前回の契約記録を呼び出した。
画面に映ったのは、商人たちに囲まれたアルベルトと、その前に置かれた契約書だった。
署名欄を拡大する。
《北辺領主 アルベルト・フォン・レイノルド》
「ここから、もう一回見ようか」
「はい」
「まず、この契約が誰のものなのか」
リリアも椅子を寄せ、自分の端末を開いた。
◇ ◇ ◇
最初に確認したのは、鉱山再開発の帳簿だった。
「使ってるお金は?」
リリアが支出記録を辿っていく。
設備更新に坑道の補修、輸送路の整備。いくつかの項目を開いたところで、リリアは一つの帳簿に行き当たった。
《北辺領一般会計》
《産業振興費》
《鉱山再開発事業》
「全部、領費ですね」
「アルベルト個人のお金じゃない、と」
テミスは続けて、事業が動き出すまでの記録を開いた。
画面の中では、老執事がアルベルトへ報告書を渡している。
『南部水路の補修予算について、評議会より承認が下りました』
『じゃあ、工事を進めて』
『承知いたしました。担当部署へ回します』
別の日の記録では、財務官が市場移転の費用を説明していた。
『こちらの案ですと、当初の見積額を超える見込みです』
『じゃあ、もう少し安くできない?』
『再度試算いたします』
テミスはしばらく映像を眺めていたが、途中で再生速度を落とした。
「……ちゃんと仕事してるね」
「はい?」
「周りの大人たち。何でもアルベルトの言うとおりにしてるわけじゃない」
「あ、本当ですね」
老執事が次の書類を差し出す。
『こちら、ご決裁をお願いいたします』
大きな机の向こうから、小さな手が伸びた。
アルベルトは書類を受け取ると、内容を確かめて羽根ペンを取る。
椅子に深く腰掛けた少年の足は、床まで届いていなかった。
「……六歳なんだよね」
「六歳ですね」
書類への署名が終わると、老執事はそれを受け取り、次の報告書を差し出した。
テミスは何か言いかけたが、そのまま再生を続けた。
◇ ◇ ◇
次に開いたのは、契約成立前の記録だった。
『評議会の承認書はこちらです』
老執事が差し出した書類を、リリアが拡大する。
《北辺領評議会》
《旧北山鉱山再開発計画》
《承認》
「賛成十一、反対二……ちゃんと採決してますね」
「設備投資は?」
「承認済みです。長期供給契約も入ってます」
「支出限度額は?」
「こっちにあります」
リリアは別紙を開いた。
設備投資の回収見込みや収益の配分について、評議員たちが意見を交わした記録も残っている。
「結構、細かく見てるんですね」
「領主が何でも一人で決められるわけじゃないからね。大きな支出や長期契約には、評議会の承認が必要になる」
「じゃあ、アルベルトさんの判断も、ここで確認してもらえるんですね」
「うん。財務官もいるし、六歳のこの子が全部一人で考えてるわけじゃない」
リリアは承認書をもう一度眺めた。
「ちょっと安心しました」
「ただ、これって別に、六歳だから必要な手続じゃないんだよね」
「え?」
「誰が領主でも同じ。承認されなかったら、契約を進められない」
「なるほど……」
リリアが小さく頷くのを見て、テミスは承認書を閉じた。
「じゃあ、商人の方も見てみよっか」
交渉場面が再生される。
『殿下。十年という期間は、いささか長いかと』
『だから、最初の三年間の投資をお願いしてる』
『途中で条件を変えられては困ります』
『それは、こっちも同じだよ』
商人たちはアルベルトの提案を無条件に受け入れているわけではなく、必要な条件を確認しながら交渉を進めていた。
やがて、契約がまとまる。
『では、北辺領との契約として、確かに承りました』
テミスが再生を止めた。
リリアも、契約書へ目を落とす。
「アルベルトさんとの契約、とは言ってませんね」
「うん」
「支出は領費で、評議会の承認もある。それで、相手も北辺領との契約だと思ってる……」
リリアは並んだ資料を見比べたあと、テミスへ顔を向けた。
「じゃあ、もう大丈夫ですか?」
「まだ一つ」
「何です?」
テミスは契約書の署名欄を示した。
「この子に、北辺領の名前で契約する権限があるのか」
そう言って、記録をアルベルトが赴任した日まで遡った。
◇ ◇ ◇
王城の謁見室。
国王の前に、小さなアルベルトが立っていた。
『王子アルベルト』
『はい』
『本日より、お前を北辺領主に任ずる』
国王から一通の文書が渡される。
テミスはそこで映像を止めた。
「任命状」
二人で内容を開く。
《北辺領における行政及び財政を統括する》
《領内交易及び産業振興に関する契約を締結する権限を付与する》
《一定額を超える支出及び長期契約については評議会の承認を要する》
リリアが二行目を拡大した。
《契約を締結する権限を付与する》
「……ありました」
「あるね」
テミスは任命状の横へ、評議会の承認書と契約書を並べた。
リリアも支出記録を呼び出す。
四つの資料が一つの画面に揃ったところで、テミスは前回の判定を開いた。
【未成年者による重要な法律行為】
「……こっちを見る前に、確認することがあったね」
テミスはその表示を画面の端へ退けた。
「未成年者の契約として見る話じゃなかったんですか?」
「アルベルト個人が、自分のために契約したならね」
テミスは契約書を拡大する。
《北辺領主 アルベルト・フォン・レイノルド》
「でも今回は、北辺領主として契約してる」
「だから、権限を確認したんですね」
「そういうこと」
テミスは新しい審査欄を開いた。
【契約主体】
北辺領
【署名者】
北辺領主
アルベルト・フォン・レイノルド
【契約締結権限】
あり
【必要な承認】
評議会承認済
リリアは表示を一つずつ確認した。
「全部揃ってますね」
「うん。この世界の制度を前提にするなら、今回の契約については問題なさそう」
テミスは最後に商人側の契約記録を確認すると、前回の判定を呼び出した。
【審査結果】
アウト
その文字に指を置く。
表示が消え、代わりに新しい結果が現れた。
【再審査結果】
問題は認められず
「やった……!」
リリアが身を乗り出す。
「問題なしです!」
「問題なしだね」
テミスは結果を確定させると、その下に新しい欄を追加した。
【担当女神査定】
契約主体に関する重要事項の発見
再審査への貢献
――加点
「……加点?」
リリアが何度か瞬きをした。
「私、何かしましたっけ?」
「契約書の肩書きに気づいたの、あなたでしょ」
「でも、それだけですよ?」
「それがなかったら、再審査も始まってないからね」
テミスは査定を確定させた。
リリアは表示された文字へそっと指を伸ばし、何度か読み返してから、嬉しそうに背筋を伸ばした。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして」
テミスはその様子を横目で見て、審査記録を閉じようとした。
◇ ◇ ◇
「でも、先輩」
「ん?」
リリアはまだアルベルトの任命状を開いていた。
「六歳の子に、ここまで権限を渡してること自体は大丈夫なんですか?」
テミスの手が止まる。
「……そこ見る?」
「だって、行政も財政も任されて、長期契約まで結べるんですよね」
「そうだね」
「六歳ですよ」
「六歳だね」
テミスは任命状をもう一度開き、しばらく眺めてから、北辺領の統治制度を呼び出した。
評議会の権限。
領主の任命条件。
国王との関係。
さらに画面を広げると、王国全体の制度図が表示される。
「……やめよっか」
「え?」
「そこまで調べ始めると、この契約一件じゃ済まない」
テミスは制度図の一部を拡大した。
「そもそも誰を領主にできるのか、国王はどこまで権限を渡せるのか。評議会は何を止められるのか……」
画面には、さらに細かな項目が広がっていく。
リリアはその様子をしばらく眺めていたが、そっと端末から指を離した。
「……大変そうですね」
「下手すると、国の根っこから」
「やめましょう」
「でしょ?」
二人の判断は早かった。
◇ ◇ ◇
テミスは審査記録を閉じる前に、もう一度だけアルベルトの映像を開いた。
そこには、大きな椅子に座って報告書を読む少年が映っている。
『こちら、ご決裁をお願いいたします』
老執事が差し出した書類を、アルベルトが受け取った。
テミスはその小さな手を眺めながら、机の上で指を組んだ。
「……見落としたなぁ」
リリアはしばらく画面を見ていたが、やがて口を開いた。
「でも、六歳の子にこんなことさせてる方も普通じゃないですよ」
「ん?」
「領主とか王子とか、そういう肩書きがあっても、六歳は六歳です」
テミスがリリアへ顔を向けた。
「先輩は、肩書きより先に、この子本人を見てたんじゃないですか」
「……それで、見るところを間違えたんだけどね」
「はい」
リリアはそこで否定しなかった。
「でも、逆に言えば、周りの大人たちはこの子本人を見てないのかもしれません」
テミスの目がわずかに動く。
「みんなちゃんと仕事してます。評議会だって、ちゃんと考えてます。でも、見てるのは六歳のアルベルトさんじゃなくて、北辺領主なんですよね」
リリアは画面へ目を戻した。
「だから、誰も止めない」
テミスはしばらく、リリアの顔を見ていた。
その視線に気づいたリリアが、少しだけ首を傾げる。
「……何です?」
「いや」
テミスは画面へ目を戻した。
「あんがと」
北辺領の執務室では、アルベルトが机いっぱいに広げられた書類を前にしていた。
右側には決裁済みの束があり、左側には未処理の書類が残っている。
少年は一枚を読み終えると、羽根ペンを置いて窓の外を見た。
整備された街道を、何台もの荷馬車が走っている。
『……多いなぁ』
『本日の決裁分でございます』
老執事が、未処理の束へさらに書類を重ねた。
アルベルトの目が、その厚みをゆっくりと追う。
『まだあるの?』
『ございます』
羽根ペンへ伸びかけた手が止まった。
アルベルトはそのまま老執事を見上げる。
『六歳に多くない?』
『領主でございますので』
老執事はいつもの穏やかな顔で答えた。
アルベルトはしばらくその顔を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
『……そうなんだけどさ』
隣では、エマが両手を胸の前で組んでいる。
『頑張ってくださいませ、殿下』
『手伝ってよ』
『心から応援しております!』
アルベルトの手が、羽根ペンを握ったまま止まった。
視線だけがエマへ向く。
『一番いらないやつ』
エマは笑顔のままだった。
アルベルトは諦めたように次の書類を引き寄せた。
窓の外では、荷馬車が絶え間なく街道を進んでいる。すでに決裁を終えた書類も、老執事の手から次の役人へ渡されていた。
少年は一度だけその様子を眺めてから、紙面へ視線を戻した。
『……次』
羽根ペンが、静かに動き始めた。
―― Case Closed.
第6回は、六歳の領主と「権限」のお話でした。
前回は、六歳のアルベルト本人に注目し、未成年者の法律行為として「アウト」と判定しました。
ところが今回は、リリアが契約書の肩書きに気づいたことで、審査はやり直しに。
問題は「誰が署名したか」だけでなく、「誰の契約だったのか」。
アルベルト個人の契約なのか、それとも北辺領主として結んだ契約なのか。同じ人物でも、どの資格で行為したかによって、法律上の見方は変わります。
そして今回は、リリアが初めて自分の力で審査の見落としを発見しました。少しずつ成長していますね。
なお、本編ではテンポを優先し、未成年者の行為能力や組織の契約締結権限について、かなり単純化しています。
もう少し詳しく知りたい方向けに、
『女神テミスの異世界補講室
――その判定、もう少し詳しく説明します――』
で【補講⑤】を公開予定です。
「領主として署名すれば、未成年者取消しの問題はなくなるのか?」
「個人の行為と組織の行為は、どう区別するのか?」
このあたりを、もう少し掘り下げていきます。




