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女神テミスの異世界審査室 ――異世界だからって、何してもいいと思った?――  作者: Altis―法律を物語に翻訳中―


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【審査⑤:少年領主】追放王子の辺境改革――六歳ですが前世知識で貧乏領地を立て直します――

本作はフィクションです。


日本法は内部査定の物差しです。


肩の力を抜いてお楽しみください。





「先輩、これ見てください!」




 審査室へ飛び込んできたリリアが、いつになく楽しそうに書類を差し出した。


「何、その顔」


「今回は平和です!」


「その言い方がもう不安なんだけど」


「本当に大丈夫ですって。戦闘能力なし、魅了なし、死に戻りなし。前世の記憶を、この世界の言葉や知識と結びつけやすくする補助だけです!」


「ずいぶん大人しくなったね」


「成長しましたので」


「自分で言うんだ」


 リリアが画面を開く。


「それに、この子、すっごく可愛いんですよ!」


「審査と関係ある?」


「六歳です!」


 テミスの手が止まった。


「六歳?」


「前世は四十三歳です!」


「年齢を足さない」


「足してません!」


「今から足す顔だったでしょ」


 画面に映ったのは、金髪の小さな少年だった。


 アルベルト・フォン・レイノルド。


 王国第三王子。


 そして、北辺領へ送られたばかりの新しい領主。


「……六歳の領主」


「はい!」


「この国、大丈夫?」


「そこからですか?」


「そこからでしょ」





挿絵(By みてみん)





 馬車の窓の向こうには、乾いた土地が広がっていた。


 ひび割れた畑。崩れた石垣。深い轍の残る街道。


『殿下。まもなく北辺領の中心都市へ到着いたします』


 窓辺に座ったアルベルトは、外を見たまま小さく頷いた。


『思ってたより悪いね』


『……申し訳ございません』


『なんでセバスが謝るの?』


 アルベルトが老執事へ振り向く。


『悪いのは、今まで放っておいた人でしょ』





「いい子ですねぇ……」




「審査項目にはないからね、それ」





 馬車が街へ入る。


 閉まった店が目立ち、井戸の前には水桶を抱えた住民が列を作っていた。その向こうでは、農民たちが乾いた畑を耕している。


 アルベルトは窓の外をしばらく眺めた。


『……まず、水だね』





「始まりました!」


「何が?」


「領地改革です!」


「六歳児に何させてんの、この国」


◇  ◇  ◇


『ここを直せば、南側の畑まで水が届くよね』


 地図の上を、小さな指がなぞる。


『はい。ただ、石材と人手が不足しております』


『北の採石場に残ってる石を使おう。全部じゃなくて、水が抜けてるところから』


『承知いたしました』


『さすが殿下です!』


 横にいたメイドのエマが目を輝かせる。


『そんな方法があったなんて!』


『いや、壊れてるところから直すだけだよ』


『ご謙遜まで……!』


『してないよ』


 次は街道だった。


『荷馬車がこの道を避けてるの、道が悪いから?』


『それもございますが、橋の通行税が高いことも原因かと』


『じゃあ三か月だけ下げてみよう。通る商人が増えれば、税率を下げても全体の収入は増えるかもしれない』


『試算を出します』


『殿下ぁ……!』


 エマが両手を握る。


『そこまでお考えに!』


『エマ、近い』





「先輩、すごくないです?」


「それより大人たち、普通に従うね」


「領主様ですから」


「六歳だよ?」


「前世は――」


「足さない」






 今度は市場だった。


 狭い道へ露店と荷車が集まり、人がすれ違うのにも苦労している。


『あっちの広場、使ってないの?』


『祭礼のときだけでございます』


『じゃあ露店を少し移そう。荷馬車も入りやすいし、こっちの道も空く』


『さすが殿下です!』


『だからエマ』


『民の暮らしまで見据えておられるとは……!』


『人が詰まってるから広げるだけだよ』


『なんという慧眼……!』


『聞いてる?』


 水路で、街道で、市場で。


 アルベルトが何かを言うたび、大人たちはそれを受け取って動き始める。


 誰も「六歳だから」と止めない。


 テミスは何度か眉を上げたが、画面はそんなことなど気にせず進んでいった。


◇  ◇  ◇


 半年後。


 水路には水が戻り、市場には荷馬車が並んでいた。


『殿下! 見てください!』


 丘の上で、エマが街を指す。


『こんなに人が戻ってきました!』


『まだ全然だよ』


 アルベルトは帳簿から目を上げない。


『道も水路も、一回直せば終わりじゃない。これからもお金がかかる』


『そこまで……!』


『まだ何も言ってないよ』


『でも、そのために税金を上げすぎたら、戻ってきた人がまたいなくなる』


『殿下ぁ……!』


『エマ。ちょっと静かにして』


『はい……』


 素直に一歩下がった。





 リリアが吹き出す。


「このメイド好きです」


「私もだんだん好きになってきた」





 そのとき、アルベルトが山を見た。


 中腹に、閉ざされた坑道がある。


『……あれ、使えないかな』


『旧北山鉱山でございますか』


『鉱石がなくなって閉じたわけじゃないよね?』


『設備の老朽化と、輸送費の高騰が原因です』


 アルベルトの視線が、整備された街道へ移る。


『だったら、今なら話が変わるかもしれない』





「来ました!」


「今度は何?」


「鉱山再開です!」


「本当に楽しそうだね」




挿絵(By みてみん)




 数週間後。


 会議室には、商人ギルドの代表たちが集まっていた。


 長い机の中央で、アルベルトが大きな椅子に座っている。


 足は床まで届いていない。




「かわいい……」


「そこじゃない」





 向かいの商人たちは、誰一人として笑っていなかった。


『最初の三年間、採掘設備への投資をそちらで負担してほしい』


『かなりの額になります』


『分かってる。その代わり、採掘した鉱石は十年間、そちらへ優先的に卸す』


『価格については?』


『十年間固定にはしない。三年ごとに見直す』


 アルベルトが契約案をめくる。


『市場価格が下がったときの最低価格だけは保証してほしい』


『最低供給量については?』


『保証する。ただし、災害や大きな事故で採掘できない場合は除外したい』


 商人たちが顔を見合わせる。


 しばらく相談したあと、一人が口を開いた。


『殿下。十年という期間は、いささか長いかと』


『だから、最初の三年間の投資をお願いしてる』


『途中で条件を変えられては困ります』


『それは、こっちも同じだよ』


 アルベルトは商人を見た。


『だから契約するんでしょ?』


 商人は一瞬黙った。


 やがて、小さく笑う。


『……仰るとおりでございます』





「いや、おかしいでしょ」


 テミスが映像を止めた。


「何がです?」


「何で普通に商談成立してるの?」


「成立してますね」


「六歳だよ?」


「六歳です」


「幼稚園児くらいだよ?」


「でも前世は四十三――」


「足さない」


 テミスは画面の商人を指した。


「この人たちも何で普通に十年契約の話を詰めてるの。相手、椅子に座って足が床についてないからね?」


「でも、アルベルト君はちゃんと交渉できてますよ」


「だからって、大人が全員『じゃあ大丈夫ですね』で進めていい話じゃないでしょ」


 テミスは腕を組んだ。


「商人側だって、六歳なら丸め込めると思ってない? 周りの大人も誰か止めなよ」


「じゃあ。契約の中身に問題があるんですか?」


「…………」


 テミスは黙って映像を戻した。


 設備投資、十年間の優先供給、三年ごとの価格見直し。最低価格と供給量の保証に、災害や事故が起きた場合の扱い。さらに設備の所有権や事故時の負担、解除条件まで確認していく。


 何度か画面を行き来したあと、テミスは長く息を吐いた。


「……ない」


「ない?」


「契約の中身にはね」


 もう一度、契約案を上から見る。


「少なくとも、ぱっと見てアルベルトだけが一方的に不利になる内容じゃない。設備投資を向こうに負担させる代わりに長期供給を約束してる。価格も固定じゃないし、供給できなくなった場合の逃げ道もある」


「じゃあ、ちゃんとした契約なんですね」


「だから困ってるの」


「え?」


 テミスは画面の六歳児を見る。




「中身がまともで、この子もしっかりしてる。だからって、それで『六歳でも大丈夫』にしていいのかって話」




 映像を再生する。


 やがて交渉は終わり、老執事が契約書をアルベルトの前へ置いた。


『こちらで整いました』


 アルベルトは最後まで目を通す。


 それから羽根ペンを取った。


《北辺領主 アルベルト・フォン・レイノルド》


 署名の横へ、赤い領主印が押される。


 商人側も続けて署名した。


『では、北辺領との契約として、確かに承りました』


『よろしくお願いします』


 アルベルトが椅子から降りる。


 すぐにエマが駆け寄った。


『殿下!』


『なに?』


『本当に、本当に立派でございます!』


『だから、大げさだって』


『六歳で十年契約ですよ!』


 アルベルトは契約書を見た。


 少しだけ眉を寄せる。


『……そこだけ聞くと、僕もちょっと変だと思う』


 会議室に小さな笑いが広がった。


◇  ◇  ◇


 映像が止まる。


 リリアは満足そうだった。


「やっぱり問題なさそうですよね?」


「まず、この子が何も分からず契約してるわけじゃないのは分かった」


「はい」


「十年拘束されることも、価格が変わることも、供給義務を負うことも理解してる」


 テミスは記録へ入力した。





【意思能力】


契約内容及びその結果を理解していると認められる。


――問題なし。





「ほら!」


「でも、そこまで」


「え?」


 テミスが六歳という表示を示す。


「内容を理解できることと、未成年者を大人と同じ扱いにしていいことは別だから」


「別なんですか?」


「別」


 テミスは椅子へ深く座り直す。


「しっかりしてる子なら全部自己責任です、なんてやったら、未成年者を保護する意味がなくなるでしょ」


「でもアルベルト君、普通の六歳よりずっと――」


「そこも関係ない」


 テミスが首を振る。


「賢いかどうかで保護が消えたり増えたりするわけじゃない。日本法を物差しにするなら、未成年者が一人でこういう契約をするなら、原則として法定代理人の同意が必要になる」


 リリアの表情が少し曇った。


「……ないんですか?」


「探してみよっか」


 二人で記録を確認する。


 アルベルト個人について、この契約をするための同意を与えた人物。


 それらしい記録は見つからない。


「ないですね」


「ないね」


「じゃあ……」


「うん」


 テミスは結果欄へ手を伸ばした。






【審査結果】


意思能力

――問題なし


未成年者による重要な法律行為

――必要な同意を確認できず


判定

――アウト



挿絵(By みてみん)




 赤い文字が表示される。


 リリアの肩が落ちた。


「……また赤い」


「今回はあなたの能力付与が悪いわけじゃないよ」


「じゃあ、私の査定は?」


「今のところ減点なし」


「よかったぁ……」


 リリアが胸を撫で下ろす。


 テミスはもう一度アウトを見る。


「しかし、この国の大人たちも何してんだろ」


「やっぱりそこですか?」


「六歳児に十年契約させて、全員普通に帰ろうとしてるからね」


 リリアも笑いかけた。




 けれど、途中で止まる。





「……先輩」


「なに?」


「ちょっと待ってください」


「今度は何?」


 リリアは契約書を呼び戻した。


 アルベルトの署名。


《北辺領主 アルベルト・フォン・レイノルド》


「これ。誰が契約してるんです?」


 テミスが眉を上げた。


「誰って、アルベルトでしょ」


「アルベルト君が?」


「そうだけど」


「個人で?」


 テミスの目が止まる。


「……どういう意味?」


「ここです」


 リリアが名前の前を指した。


《北辺領主》


「名前だけじゃないですよね」


「……まあ、肩書きはついてるけど」


「さっき商人さんも」


 リリアが映像を戻した。


『では、北辺領との契約として、確かに承りました』


 停止。


「アルベルト君との契約って言ってないです」


「…………」


「北辺領との契約って言ってます」


 テミスが黙った。


 もう一度署名を見る。


《北辺領主》


 領主印。


 そして、


《北辺領との契約》


「……待って」


 今度はテミスが記録を開いた。


「この鉱山再開、誰のお金でやってる?」


「え?」


「支出元」


 二人で検索する。




【支出元】


北辺領費





 リリアが瞬きをする。


「アルベルト君のお金じゃない」


「……そうだね」


「事業そのものは?」


 別の記録を開く。




【旧北山鉱山再開事業】


北辺領事業





 テミスの眉間に皺が寄る。


「承認記録」


 さらに検索する。





【北辺領評議会】


事業計画及び関連支出

――承認済





 今度は二人とも黙った。


 リリアが、そっと契約書へ戻る。


「先輩」


「うん」


「これ、六歳のアルベルト君が、自分のために十年契約したんじゃなくて」


 テミスが続きを引き取った。


「北辺領主として、北辺領の契約をした可能性がある」


「はい」


 静かになった。


 テミスは自分が出した判定を見る。





【未成年者による重要な法律行為】





 数秒、その文字を見つめる。


「……あー」


「先輩?」


 テミスが額へ手を当てた。


「やった」


「何をです?」


「入口から間違えた。私、ずっと『六歳児が十年契約してる』って見てた」


「実際、六歳児ですよ?」


「そう。そこは合ってる」


 テミスは契約書を指した。


「でも、その六歳児が何の立場で契約したのかを先に確認してない」


 リリアが少し考える。


「個人として契約したなら、さっきの話になる」


「そう」


「でも領主として、北辺領のために契約したなら?」


「見るところが変わる」


 テミスが画面を切り替える。


「この世界で領主にどこまで契約権限があるのか。評議会の承認は何を意味するのか。領費を使う手続は正しかったのか」


「じゃあ」


 リリアの顔が明るくなる。


「アウトじゃない?」


「まだ分かんない」


「ええっ!?」


「今度はそっちを調べるの!」


 テミスは、自分で出した赤い判定を見た。


 しばらく考える。


 それから一枚の紙を取り出した。





【審査結果】


アウト




 その文字の上へ、紙が貼られる。


 テミスが勢いよく書いた。


挿絵(By みてみん)


ごめん!


もう一回やらせて!!




―― Case Again.




挿絵(By みてみん)

【後書き】


第5回は、六歳の領主と未成年者取消し――の、前編でした。


今回は、法律行為の意味や結果を理解できていることと、その法律行為を本人だけで行えることは同じなのか、というお話です。


本編ではテンポを優先して、未成年者の意思能力と行為能力の違いについてはかなり省略しています。


……そして今回は、まだ終わっていません。


リリアが最後に見つけた、


「誰が契約したのか」


というもう一つの問題。


次回は、同じ契約を少し違う方向から、もう一度見ていきます。


『女神テミスの異世界補講室――その判定、もう少し詳しく説明します――』


の【補講⑤】については、後編と合わせて公開予定です。

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