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見えない閾値 ─ 僕の存在は毒だから ─  作者: 灯屋 いと
第7章 見えない閾値

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#2 認識の相違

 桐生が山小屋で過剰接触による体調不良をおこしてから数日が経った。あるいは一週間か。暁は日付を正確には把握していない。山小屋の中には日時を示すものはなく、スマートウォッチももうない。暁は太陽の角度と食事の回数で時間を推定していたが、外界との接点がないこの空間では推定の精度が下がっていく。──外界との接点がないというのは、暁の思い込みなのだが。

 山小屋の居住空間にはテレビはなかったが、壁際のデスクにノートパソコンがひっそりと置かれていた。それは勿論、インターネットに接続可能だ。施設が暁と桐生の監視のために置いたものではない。暁の要求が生活に必要な物資であり、この山小屋を直接用意したのは施設の所長ではない。そうなると、生活に必要な物資の定義が曖昧になる。最低限、生きていけるだけの物資と薬品から一般的な人間が必要とする最低限へと変質する。伝言ゲームのからくりと同じだ。

 暁が桐生を管理している日常は続いている。食事の時間、接触の時間、離れる時間。全部を暁が決めて、桐生は暁の判断に従っているように見える。暁が「そろそろ」と言えば桐生は頷き、暁が「少し離れましょう」と言えば桐生は離れる。表面的には穏やかだった。

 けれど、桐生の指先がページの端を弄ぶ頻度が上がっていることに暁は気づいている。桐生の視線が暁の手を追う回数が増えていることにも。暁が離れた後、桐生がほんの一瞬だけ暁の方に手を伸ばしかけて止める動作をしていることにも。暁はその全部を検知していて、検知しているのに、訊かない。

 桐生の身体の変化も続いている。桐生の体温が以前より高くなっている。暁が朝、桐生の額に触れるとき、暁の指先が受け取る温度が日ごとにわずかに上がっている。桐生の指先の震えは持続していて、本を持つとき、食事のとき、暁の肩に触れるとき、かすかに揺れている。桐生の目の下の影は色が濃くなっている。暁はその全部を数値として把握している。けれど暁の計算は接触量を減らす方向にしか動けず、減らせば桐生の身体の別の信号が悪化する。閉じた回路。暁の計算がぐるぐると回っている。

 それでも、限られた時間の範囲内で暁も桐生に手を伸ばすことを完全にやめられない。本を読んでいる時に肩を寄せること。抱きしめられたときに背中に腕を回すこと。キスをすること──しかし、キスは触れる以上のことを暁は避けた。手、あるいは皮膚が暁の毒性を接触で桐生に蓄積している。粘膜接触を含むキスで桐生の体調が急変したことを考慮すると、皮膚よりも粘膜の方が暁の毒性は濃度が高くなると判断したのだ。


*****


 ある夜、食事の後に桐生が暁に訊いた。普通の会話だった。

「暁、施設ってどんなところだったの」

 暁の手がテーブルの上で止まった。暁は食後の片づけをしていて、皿を重ねている途中だった。暁の素手が皿の縁に触れている。──施設。暁が十八年間いた場所。暁はその場所のことを桐生に話したことがほとんどない。毒性を持つ体質のことは伝えた。しかし施設の日常を、暁がそこでどう生きていたかを、桐生に話していない。単純に必要な情報ではないと思っていたからだ。だが、先日の桐生の溜息に滲んでいた怒りを思い出すと、暁は自分の認識が桐生と噛み合っていないことに気づく。

「……どんなところ、ですか」

 どう話していいのか、桐生の問いが抽象的過ぎて暁は呟いた。

「うん。暁がどういうふうに過ごしてたのか、聞いていい?」

 皿を置いた暁の目がテーブルの表面を見ている。白いテーブル。施設のテーブルと同じ色だ。暁はその白さを見ながら、暁の記憶の中にある施設の日常を探した。

「……起床は決まった時刻でした。毎朝同じ時間に目が覚めるようになっていて、目覚まし時計はありませんでした。身体が覚えています」

 暁は話し始めた。暁の声はいつもの口調で、平坦。感情を込めていない。暁にとって施設の日常は事実であり、暁はそれをそのまま述べている。

「起きたら検査がありました。技師が来て、僕の身体に器具をつけて、血圧と心拍と体温を測ります。そのあと血液を採取されます。毎朝」

「毎朝血を抜かれてたの?」

「はい。少量です。僕の血液の成分を分析していたのだと思います」

 事実と推論の交じる暁の返事に桐生は黙った。桐生の指が膝の上で組まれている。桐生の指先が白くなっている。力が入っている。声音から桐生が怒っているのだと暁は判断したが、なにに対して桐生が怒っているのかまではわからない。どういうふうに過ごしていたのかと聞かれたのだから、と暁は言葉を続けた。

「朝食はトレイに載って来ます。メニューは決まっていて、僕に選択権はありません。カロリーと栄養素が計算されたものが出てきます。味がどうかは誰も聞きませんでした」

「暁はそれ、まずいって思ったことある?」

 再び、端的な質問。

「ありません。比較対象がなかったので」

 桐生がまた黙った。暁は桐生の表情を見ていなかった。暁はテーブルの白い表面を見ながら話している。暁にとってはそれが日常だった。暁がその日常を異常だといま認識できるのは、桐生との日常を知った後だからであり、施設にいた頃の暁には比較基準がなかった。

「食事の後は学習時間です。僕に与えられたのは数学だけでした。他の教科はありません。文学も歴史も音楽もなく、僕の学習は数学と、僕の能力に関連する生体データの読み方だけでした」

 ペンを取ると、テーブルの上にあったノートの端に暁は施設の部屋の間取りを描き始めた。四角い部屋。ベッド、机、椅子。窓はない。ドアは一つ。トイレは部屋の中にある。暁はその図を桐生に見せた。

「これが僕の部屋です」

 桐生は暁の描いた図を見た。桐生の目が四角い部屋の中を見ている。視線が窓のない壁に行き、ドアに行き、ベッドに行った。桐生の表情が変わる。暁はその変化を見ていた。桐生の眉が少し寄って、唇がわずかに引き結ばれている。

「窓、ないんだ」

「ありません。光は蛍光灯だけです。僕は外の光を知りませんでした。施設を出るまで太陽を見たことがなかったんです」

 暁は淡々と返事した。暁にとって窓がないことは事実であり、施設にいたときの普通であり、重みがない。けれど桐生の手が膝の上で握られていて、指の関節が白くなっていることに暁は気づいた。桐生の呼吸がわずかに浅くなっている。

「桐生さん?」

「ごめん。続けて」

 桐生の声がいつもより低かった。暁はそれを検知したけれど、桐生に「続けて」と促され、続けた。

「午後は検査です。僕の能力の測定。僕の手で対象──特定の虚弱体質であるクランケと呼ばれる人間に触れて、反応を記録します。技師が時間を測っていて、僕が触れる時間と離れる時間を技師が決めます。僕の意志で触れることは許されていませんでした」

 暁は最後の言葉を言ったとき、頭の中で何かが引っかかった。かすかな違和感。暁は続けた。

「夜は自由時間ですけれど、僕にできることは数学の勉強しかありませんでした。本は数学のテキストだけ。娯楽はありません。僕は何を楽しいと思うかも知りませんでした」

 暁は話し終えて、テーブルの上の図を見た。暁が描いた施設の部屋の間取り。四角い白い部屋。暁はその図を見ながら、暁がいまいるこの閉じた世界の部屋を見回した。木の壁、木の天井。窓はある。窓の外には木々が見えている。施設の白い壁とは違う。けれど暁は外に出ていない。窓の外の木々を見ているだけだった。暁は施設の部屋から少しだけ広い部屋に移っただけだ。

 桐生は暁の話を聞いた後、しばらく何も言わなかった。桐生は窓の方を向いていて、暁には桐生の横顔しか見えなかった。桐生の横顔の線がいつもより硬い。桐生の頬の筋肉がわずかに緊張している。なにかに怒っている。暁はそれを見ていた。

「暁」

「はい」

「お前のいまの俺に対する接し方、施設と似てない?」

 桐生の声は静かだった。暁を見ずに桐生は言った。暁は桐生の言葉を受け取ると、頭でその言葉を処理した。桐生に対する接し方。施設と似ている。暁は桐生の意味がわからなかった。ただ、桐生の怒りが暁に向けられていないことだけはわかる。

「何が、似ていますか」

「時間を計って、いつ触っていつ離れるか全部、いまは暁が決めてるだろ。俺に聞かないで」

「……桐生さんの安全のためです」

「うん。わかってる。でもそれ、施設が暁にやってたことと同じ構造だよ」

 暁の思考が一瞬止まった。さっき暁自身が話した言葉が暁の中で反響している。「僕が触れる時間と離れる時間を技師が決めます。僕の意志で触れることは許されていませんでした」暁がさっき口にした言葉だ。暁がいま桐生にしていること。暁が触れる時間を決めている。暁が離れる時間を決めている。桐生の意志は聞いていない。

「……違います」

 暁は反論した。けれど暁の声が普段よりわずかに小さかった。暁の頭は反論の論拠を組み立てようとしているが、構造的な類似性を否定する論拠が見つからない。目的が違う。施設は暁をデータ源として管理していた。暁は桐生を守るために管理している。目的は違う。けれど構造は同じ。暁が一方的に決めて、相手の意志を聞かない。その構造は同じだ。

「暁に怒ってるんじゃないから、これは口論の材料じゃない。わかる?」

 桐生が暁が精一杯反論しようと論拠を探しているのを見て、助け舟を出してきた。だが、暁にはではどうして桐生がそんなことを言い出したのかがわからない。怒っていない。少なくとも暁に対してではない。

「暁が俺を心配してしてるのはいいよ。ちゃんとわかってるから。……それで、暁は俺の安全のために何かを我慢していないって言える? 俺はさ、いいんだよ。暁が好きで大事だから、抱きしめたいしキスしたいしセックスしたいとも思う。それが危なくても。でも、いまは暁が怖がっていそうだから無理にはしない。それは平気。俺のは我慢じゃない。暁は、俺の時間を管理して安全を確保して、本当になにも我慢していない?」

 ゆっくりと噛み砕いた問いを桐生が暁に向けてきた。

 暁にもわかる言葉で。だからこそ、その言葉を受けた暁の頭は返答を口にすることを拒否する。我慢していないかと問われた。だが、桐生の問いに素直に答えることは桐生を危険に晒すことになる。──もっと、触れたい。手を繋ぎたい。抱きしめたい。キスをしたい。……セックスのことは、まだわからない。けれど、我慢していないかと問われれば、明確に違うと返事しなければならない。だから、暁は沈黙しか返せない。

「あのさ、暁。安全を優先することも大事だよ。それはちゃんと嬉しい。でも、暁が俺を思ってしてくれていることが暁に何かを我慢させたり苦しめているなら、別のルートを考えてみるのもありじゃないかな。正解は一つとは限らない。時間経過は環境変化だ。環境が変化したら変数は変わる。違うか?」

 桐生は暁に手を伸ばしかけて、引いた。暁はその僅かな動作を見ていた。触れようとしていた。触れなかったのは、暁の意思を尊重した結果だ。

「……そう、かもしれませんが……。まだ、僕にはわかりません。数学では変数は変数のままです」

「暁。俺に頼ってもいいんだよ」

 そう言われたが、暁は反射で頭を振った。

「まだ不確定要素が多いんです。桐生さんも、僕の危険性はわかっていると思っています。……だから、まずは安全だと思えることしかできません。それから、僕には頼るという概念がわかりません」

 事実と事実を暁は同列に並べて返事した。暁には頼るということがわからない。いままで誰かに明確に頼るという経験をしてこなかった。その返事を聞いて、桐生はくすりと笑った。声音が柔らかく戻っている。

「前に暁が熱出したとき。神保町行った次の日。俺になんでいるんですかって訊いたじゃん。あれはさ、勝手な解釈だけど、いてほしいの裏返しだと思ったんだよ。本当はどうかわからないけど。そういう、小さな希望や要望、それから協力してほしいって気持ちが『頼る』かな。協力と似ている。力を合わせてやること」

「……誰かに力を貸してもらうこと」

 暁はぽつりと呟いた。本当は暁の知っている協力は桐生の概念と合致しない。暁の知っている協力という言葉は桐生の説明通りの言葉を借りた『命令』の装飾でしかなかった。施設でときどき、出てきた言葉だ。「人のために協力するんだ」そうやって協力という言葉を施設は使ってきた。暁の知ってる協力は桐生の説明する意味とは異なる。人によって使う言葉の意味が変わるのだと、暁は初めて知り、戸惑った。

「僕は桐生さんに、なにを頼れますか」

「なんでも。暁がひとりで抱え込まなくていいんだよ」

 ぽん、と頭の上に手を置かれ、ゆるゆると暁は撫でられた。「なんでも」「ひとりで抱え込まなくていい」そんな無尽蔵なことを言われても、暁には具体性がなく理解しきれない。ただ、頭を撫でられると暁の肩の力が抜ける。時間の限界が近いと知っていても、暁の腕が開いて桐生に抱き着いてしまう。

 桐生はそれ以上言わなかった。桐生は暁を追い詰めない。いつもそうだ。暁に気づかせるための言葉を一つだけ置いて、自分で気づくのを待つ。暁の心を開いたときと同じやり方。


*****


 ある日の夕方、暁がキッチンで食事の準備をしているとき、桐生がソファに座ったまま呟いた。

「……なんか、足りない」

 暁の手が止まった。包丁を持つ手がにんじんの上で止まっている。暁の背中が桐生に向いていて、暁は振り返らなかった。暁の胸の中で何かが冷たくなる。「足りない」暁が一番聞きたくなかった言葉。暁はその言葉の意味を知っている。桐生が「足りない」のは接触であり、暁が管理している接触の量が桐生の身体が求めている量に達していない。

 ──どうして。暁は毎日、オーバードーズぎりぎりのラインまで接触を許容している。なのに桐生から「足りない」が出てきてしまった。

「……桐生さん」

「ん? あ、いや。独り言」

「独り言って、いまのですか」

「気にしないで。なんでもない」

 桐生はさらりと流した。けれど暁の耳はもう桐生の「足りない」を拾ってしまっている。その言葉が暁の中に残っている。暁が逃げていた間に暗い天井に向かって呟いた言葉と同じ言葉を、いま桐生が呟いている。暁は「足りない」を知っている。暁自身がその言葉の重さを全身で経験したから。桐生がその言葉を口にしたとき、暁の胸の中で痛みに似た信号が走った。

 暁は食事の準備を続けた。にんじんを切り、玉ねぎを刻む。手は動いているけれど、暁の頭は別のことを考えている。桐生が「足りない」と言った。暁は接触量を増やすべきか。暁の計算では現在の接触量は安全圏のぎりぎり上限にある。これ以上増やせば中毒が進行するリスクが上がるから増やせない。

 けれど桐生が「足りない」と言っている。桐生の身体が足りないと言っている。暁が桐生の欲求を制限していることの結果だ。暁が管理しているから桐生が足りない。暁が接触の量を決めているから、桐生の身体が求める量との差が開いている。

「桐生さん、今日は肉じゃがにしてみました」

「うん。ありがとう」

 暁は味噌汁の味噌を溶きながら桐生の「ありがとう」を受け取った。暁の手が味噌をかき混ぜる動作を続けているが、暁の視線は鍋の中ではなく前の壁に向いている。桐生の「足りない」がまだ暁の耳の中に残っていた。

「暁?」

「なんでもないです」

 暁は味噌汁を作りながら、味噌の量を計算していた。前回より少し多め。桐生が「もう少し濃い方がいい」と言っていたから。暁はその言葉を数値に変換して味噌の量を調整する。桐生の食事の好みは聞いている。食事の好みは聞けるのに、接触の欲求は聞けない。暁の中にその非対称性がある。暁はその非対称性を意識していないが、暁の行動の中に明確に存在している。

「頼る、とは」

 味噌汁を仕上げながら暁は口の中で呟いた。

 自分で確かめられないものばかりだ。暁の毒性。その閾値。耐性。限界値。──致死量。毒は暁のものなのに、暁自身がその危険性を明確に理解できていない。数値が足りない。その全てを持っているのは桐生しかいない。だからといって、桐生に「協力」を暁は言えない。ほんの少しの判断ミスで、桐生が死んでしまう可能性がある。では、暁はなにを桐生に頼ればいいのか。


 暁は夜、ベッドに横になって天井を見ていた。桐生は隣で眠っている。暁は桐生の寝顔を見た。穏やかな顔。しかし、日中の桐生の表情には、暁が検知した範囲では以前にはなかった影がある。暁が管理を始めてから桐生の表情に差し始めた影で、暁はその影の原因を知っている。暁が原因だ。暁が桐生の欲求を制限していることが原因だ。

 桐生の手が暁の方に伸びている。眠っている桐生の手が、無意識に暁の方に向かっている。桐生の指先が暁の腕の近くにある。触れてはいない。数センチの距離。桐生の身体が眠っていても暁を求めている。暁はその手を見ていた。暁の素手がその手に触れたかった。触れれば桐生の指先は暁の温度を受け取って、桐生の表情が少し緩むだろう。暁はそのことを知っている。けれど暁の頭が今日の接触量の上限に達していると告げていて、暁は桐生の手に触れない。暁は自分の手を自分の胸の上に置いて、天井を見た。

 接触では限界がある。もっと根本的な方法が必要だ。

「……環境変数……」

 ぽつりと暁は呟いた。桐生が言っていた言葉だ。桐生は時間を環境変数と捉えていた。しかし、暁に別の可能性が浮かび上がる。粘膜接触。唾液。舌を触れるキスをした。皮下接触よりも粘膜は薄い。ならば、暁の毒が粘膜接触により想定よりも桐生に多く蓄積した可能性がある。あのとき、桐生は急に体調を崩し、その後から同じ接触量でも「足りない」と言葉にした。

 暁の中で計算が走り始める。桐生の中毒を安定させる方法。

 前提条件が変わっている可能性がある。桐生の言う環境変数。いままでの計算を破棄した方がいい。接触量の調整ではなく、もっと根本的な方法。

 暁の中に施設で教わった知識がある。特定の虚弱体質・クランケにとって、暁の血を飲むこと唯一健康になりうる手段だ。施設がそれをさせなかったのは、一人のクランケに対して効力を持つドラッグもまた一人でしかないためだ。野生動物の中に、番と呼ばれる雌雄がある。特定の種の野生動物は同じ雌雄同士でしか生殖行為を行わない。クランケにドラッグのの血を飲ませる関係性を野生動物に例え、番と呼ぶ。

 暁の血を普通の人間が飲むと、番にはならないが、中毒は深まりつつ依存が安定する可能性がある。暁はその知識を持っている。施設が暁に教えたデータの一部。暁はそのデータを頭の中で展開し始めた。

 血は、粘膜や唾液よりももっと、一番根本的な体液だ。

 その計算をしながら暁は目を閉じた。頭の中では計算が続いている。いくつもの仮定が浮かび上がる。しかし、裏付けられる根拠が足りない。暁の知識が足りない。仮定の域を出ない計算は暁の苦手な分野だ。桐生ならば、きっと簡単に仮定を仮定として宙に浮かせたまま先に進む。だが、暁はそれだと落ち着かない。解はひとつで、揺るがない明確なものでなければならない。

 そのうちに、暁は次第に眠気に襲われ、眠った。桐生の隣で仰向けに横になっていた暁は、眠ってしまうところりと寝返りを打った。数センチの桐生との距離を無意識が埋めてしまう。暁の身体も桐生の温度が欲しいのだ。

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