第97話「夜明けの庭」
銀色の航路の終わりに、それはあった。
「……あれが。」
アマミヤ・ソラは、息を呑んだ。
窓の向こう。
導きの路の果て。
そこには、宇宙とは思えない景色が広がっていた。
花が咲いていた。
どこまでも。
どこまでも。
夜明け色の花々が。
淡い青。
柔らかな金。
朝焼けの桃色。
星の白。
風もないはずの宇宙で、静かに揺れている。
その花畑の上に、無数の光が浮かんでいた。
誰かの願い。
誰かの約束。
帰れなかった旅人たちが残した、小さな祈り。
DENEBが静かに告げる。
《目的地到達。》
《未登録宙域。》
《名称照合。》
《夜明けの庭。》
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
ミナトですら、端末を握ったまま呆然としていた。
「……綺麗だ。」
ぽつりと漏らす。
「悔しいけど。」
「こんなの、理屈じゃ説明できない。」
レイは小さく頷いた。
「ああ。」
「説明するより、見るべきものだ。」
ノクターンとの通信回線が開く。
エルドは、長い沈黙のあと呟いた。
「本当に、あったのか。」
「夜明けの庭。」
「帰れなかった旅人の終着点。」
「そして。」
「約束の場所。」
『……。』
アルシアは何も言わなかった。
ただ。
その巨大な身体を震わせていた。
漆黒だった外殻には、もう青い光が満ちている。
怪物ではない。
ひとりの旅人として。
彼女は、その庭を見つめていた。
『……いる。』
小さな声。
『……アマネ。』
ソラの胸が高鳴る。
「分かるの?」
『うん。』
『ここ。』
『ずっと、ここだった。』
『わたしが。』
『帰れなかった場所。』
アステリアは、ゆっくりと着陸する。
足元には、柔らかな花びら。
踏んでも散らない。
まるで、「ようこそ」と迎えてくれているようだった。
「行こう。」
ソラは言った。
ミナトが顔をしかめる。
「いや。」
「俺たちがついて行っていいのか?」
レイは静かに答えた。
「これは。」
「アルシアの旅の終わりだ。」
「だが。」
「ソラもここまで来た。」
「見届ける資格はある。」
ソラは少し考えて。
そして、小さく頷いた。
「……うん。」
「最後まで、一緒にいたい。」
花畑の奥へ進む。
朝焼け色の道。
どこからか、懐かしい歌が聞こえてきた。
優しい旋律。
言葉は分からない。
それでも、不思議と胸が温かくなる。
『この歌……。』
アルシアの声が震えた。
『……知ってる。』
『わたし。』
『この歌を、聞いた。』
花びらが舞う。
その先に。
ひとりの少女が立っていた。
長い黒髪。
白いワンピース。
朝焼け色の瞳。
年齢は、ソラと同じくらいに見えた。
その姿は、どこか儚い。
透き通るように淡く。
けれど。
確かに、そこにいた。
少女は振り返る。
そして。
アルシアを見つめた。
『……。』
『……。』
長い沈黙。
誰も言葉を挟まない。
ただ、二人だけの時間が流れる。
少女が、ふっと笑った。
泣きそうなくらい優しく。
困ったように。
でも。
とても嬉しそうに。
「遅かったね。」
アルシアの身体が震えた。
『……。』
『……。』
『……アマネ。』
少女は、一歩前へ進む。
花びらが舞う。
夜明けの光が、その姿を包む。
「ずっと待ってた。」
「本当に。」
「長かったよ。」
『ごめんなさい。』
アルシアの声は、涙で滲んでいた。
『わたし。』
『帰れなくて。』
『忘れてしまって。』
『約束を。』
『……。』
『ごめんなさい。』
アマネは、静かに首を振った。
「ううん。」
「帰ってきた。」
「思い出してくれた。」
「だから。」
彼女は微笑む。
「おかえり。」
ソラは、思わず涙をこぼした。
隣でミナトが顔を背ける。
「……ずるいだろ。」
「こんなの。」
レイは何も言わなかった。
ただ。
静かに目を閉じた。
アルシアは泣いていた。
怪物ではない。
旅人として。
ひとりの存在として。
子どものように。
声を上げて。
『ただいま。』
『アマネ。』
夜明けの庭に、優しい風が吹いた。
花々が揺れる。
まるで。
ずっと待っていた願いが、ようやく届いたことを祝福するように。
アマネは、涙を浮かべながら笑った。
「本当に。」
「遅かったね。」
「でも。」
「ちゃんと帰ってきた。」
ソラは空を見上げた。
「おかえり。」
その言葉は。
こんなにも。
人を救うのだと思った。
夜明けの庭。
帰れなかった旅人たちの終着点。
そこで交わされたのは。
大きな奇跡ではなく。
たった一言の、ありふれた言葉だった。
「おかえり。」
「ただいま。」
そして、その言葉こそが。
長い旅の終わりに、誰もが欲しかった答えだった。




