第95話「アマネ」
「……アマネ。」
その名前が、暁の海域に響いた。
波のように揺れる星々の光が、一瞬だけ静止する。
アステリアの艦橋。
ノクターンの食堂。
銀花たちの見つめる先で。
夜明けを喰らうもの――アルシアは、その名前を震える声で繰り返した。
『アマネ。』
『……。』
『そうだ。』
『わたしは。』
『アマネと、やくそくした。』
DENEBが即座に解析を開始する。
《検索中。》
《銀花記録照合。》
《ノクターン航海記録照合。》
《一致なし。》
「記録にない……。」
ミナトが呟いた。
「じゃあ。」
「誰なんだ。」
アルシアの巨大な身体が、静かに揺れる。
漆黒の装甲の隙間から、青い光が漏れていた。
怪物の姿は少しずつ変わり始めている。
まるで。
夜の中に朝日が差し込むように。
『アマネは。』
『わらっていた。』
『いつも。』
『わたしの、となりで。』
ソラは優しく問いかける。
「どんな人だった?」
長い沈黙。
そして。
『……ひと。』
『ちいさかった。』
『よく、ころんだ。』
『でも。』
『なんどでも、たちあがった。』
ミナトがぽつりと呟く。
「……誰かに似てるな。」
「え?」
「いや。」
「気のせいか。」
レイは何も言わない。
ただ、ソラを一瞥した。
『アマネは。』
『よく、いった。』
『こわくても。』
『すすめば、いつかたどりつく。』
ソラは思わず笑った。
「本当に。」
「誰かさんみたい。」
「誰だ。」
レイが尋ねる。
「私。」
「自覚あったのか。」
「ひどい。」
暁の海域が静かに揺れる。
夜明けの光が少しずつ広がっていく。
『アマネは。』
『かえってきて、といった。』
『だから。』
『わたしは、たびにでた。』
『みたことのない、そらを。』
『みせたかった。』
ソラは胸が締めつけられた。
「……約束だったんだ。」
『うん。』
『でも。』
『かえれなかった。』
『わすれてしまった。』
『だから。』
『こわかった。』
「うん。」
ソラは頷く。
「怖かったよね。」
「忘れるの。」
「帰れないの。」
「約束を破るの。」
『……。』
『うん。』
エルドが静かに言った。
「誰にでもある。」
「帰れない旅も。」
「果たせなかった約束も。」
「それでも。」
「人は、生きてしまう。」
「そして。」
リシアが続けた。
『もう一度、歩くこともできます。』
アルシアは、しばらく黙っていた。
やがて。
小さな声で尋ねる。
『……アマネは。』
『まだ、まっているでしょうか。』
誰も答えられなかった。
どれだけ長い旅だったのか分からない。
何千年。
何万年。
あるいは、それ以上かもしれない。
ソラは静かに前へ出た。
「分からない。」
『……。』
「でも。」
「会いに行こう。」
ミナトが勢いよく振り返る。
「は?」
「今なんて?」
「会いに行こう。」
「え?」
「約束した人に。」
「いや待て!」
「どこにいるかも分からないだろ!」
ソラは笑った。
「探す。」
「またか!」
「だって。」
「帰りたいなら。」
「帰る場所を探したいなら。」
「行かなきゃ始まらないもん。」
レイはため息をついた。
「反対しても無駄だな。」
「うん。」
「知っている。」
アルシアは沈黙した。
そして。
初めて。
泣くように笑った。
『……ありがとう。』
『アマネを。』
『さがしたい。』
『こんどこそ。』
『やくそくを、まもりたい。』
その瞬間。
暁の海域の最果て。
夜明けの彼方に、新たな光が現れた。
一本の航路。
星々の海を切り裂くように伸びる、淡い銀色の道。
DENEBが告げる。
《未知の反応を確認。》
《航路形成。》
《目的地推定――》
《未登録宙域。》
リシアが目を見開く。
『導きの路。』
『伝承にしか存在しないはずの……。』
ソラは立ち上がった。
恐怖はあった。
不安もあった。
それでも。
その先へ進みたいと思った。
「行こう。」
「アマネを探しに。」
「アルシアの帰る場所を見つけに。」
終焉を越えた少女は。
今度は、自分のためではなく。
誰かの「おかえり」を叶えるために旅を続ける。
そして。
銀色の航路の先には。




