第88話「星喰いの舟」
暁の海域。
そこは宇宙でありながら、海だった。
青と金の光が波のように揺れ、流星が潮のように流れていく。
星々は沈み、また浮かぶ。
常識では説明できない景色。
それでも、誰もが思った。
――美しい。
アステリアの艦橋は静まり返っていた。
「……。」
「……。」
「……。」
最初に口を開いたのはミナトだった。
「なんだこれ。」
「感想が雑!」
ソラが思わず突っ込む。
「いや!」
「もっとこう!」
「理論とか法則とかあるだろ!?」
「気持ちは分かる。」
レイが珍しく同意した。
「分からないものを前にすると、語彙は消える。」
DENEBが解析を続ける。
《暁の海域内部における重力法則の変質を確認。》
《星間物質が液体的挙動を示しています。》
《既知宇宙との整合性、四・三パーセント。》
「ほぼ別宇宙じゃないか!」
ミナトが頭を抱えた。
アステリアは慎重に航行を続ける。
光の波が船体を撫でるたび、優しい振動が伝わった。
恐怖よりも、不思議さが勝る。
まるで宇宙そのものが呼吸しているようだった。
「ねえ。」
ソラは窓の外を見つめる。
「この海って、生きてるみたい。」
リシアは静かに頷いた。
『銀花にも、そのような伝承があります。』
『暁の海域は、星々の記憶が眠る場所。』
『失われた旅人たちの願いが、波になるのだと。』
「願いが、波。」
ソラは掌の種を握った。
「綺麗だね。」
その時。
『警報。』
艦橋に静かなアラートが響いた。
「今度は何だ!?」
ミナトが悲鳴を上げる。
DENEBが報告する。
《前方に巨大構造物を確認。》
《移動中。》
《推定全長……測定不能。》
「測定不能?」
「嫌な予感しかしない。」
レイが立ち上がった。
光の波の向こう。
何かが現れた。
それは船だった。
あまりにも巨大な。
都市どころではない。
山脈のような船。
古びた黒い船体。
星屑を纏いながら、静かに暁の海域を進んでいる。
「……船?」
ソラは呟いた。
『記録と一致。』
リシアの声がわずかに震える。
『星喰いの舟。』
「え。」
「何その名前。」
『暁の海域に伝わる伝承です。』
『迷える星々を飲み込み。』
『行き場を失った願いを運ぶ舟。』
『そして。』
『帰る場所を失った旅人たちの終着点。』
艦橋が静まり返る。
ソラは黒い巨船を見つめた。
恐ろしい名前。
だが。
不思議と敵意は感じない。
むしろ。
どこか寂しそうだった。
その時。
アステリアの通信回線にノイズが走った。
『……聞こえるか。』
低い声。
年老いたような。
それでいて優しい声。
『こちら、星喰いの舟。』
『応答を願う。』
ミナトが目を見開く。
「通信!?」
「生存者か!?」
レイは即座に言う。
「警戒は維持しろ。」
ソラは前へ出た。
「こちら探査艦アステリア。」
「応答します。」
少しだけ息を吸う。
「あなたたちは、誰ですか?」
沈黙。
そして。
ノクターンから返ってきた声は。
静かだった。
『我々は。』
『帰れなかった者たちだ。』
ソラの胸が強く脈打つ。
帰れなかった者。
記憶樹の実で見た銀花。
帰還不能宙域。
「おかえり」と「行ってらっしゃい」。
そのすべてが重なる。
『長い旅だった。』
『星々の終わりを見た。』
『多くを失った。』
『それでも。』
『まだ帰る場所を探している。』
ソラは窓の外を見る。
巨大な黒い舟。
星々の海を漂う孤独な船。
その姿は。
どこか、かつての自分たちに似ていた。
「……。」
ソラは静かに言った。
「私たちも。」
「一度、帰れなくなったことがあります。」
レイがソラを見る。
ミナトは何も言わない。
リシアは静かに瞳を伏せた。
通信の向こうで、声が少しだけ柔らかくなった。
『そうか。』
『ならば。』
『君たちは知っているのだな。』
『帰りたいという願いの重さを。』
暁の海域の波が揺れる。
星喰いの舟は、ゆっくりと進路を変えた。
アステリアへ向けて。
そして。
その黒い船体の奥には。
無数の灯りが見えた。
帰れなかった旅人たちの光。
消えなかった願い。
終焉を越えた少女は、新たな旅人たちと出会う。
彼らは敵ではない。
だが。
誰よりも深く、「帰る」という意味を知る者たちだった。
星の海は静かに揺れる。
そして、物語は新たな問いへと向かう。
「帰る場所とは、何なのか。」




