第85話「記憶樹の実」
銀色の花びらが舞っていた。
花の都の中心。
記憶樹の下で、ソラは静かにその幹に触れていた。
温かい。
まるで誰かの手のひらのようなぬくもり。
「不思議だね。」
ソラは見上げた。
銀色の枝。
青い葉。
そして、星のように輝く無数の実。
それぞれが、誰かの記憶なのだという。
『記憶樹は、忘れたくない願いを結びます。』
リシアが静かに説明する。
『悲しみだけではなく。』
『喜びも。』
『約束も。』
『希望も。』
ミナトは興奮を隠せなかった。
「生体情報保存機構……?」
「いや、違う。」
「これは文化そのものの保存だ。」
「文明の集合記憶体……!」
レイは小さくため息をつく。
「落ち着け。」
「無理だ!」
ソラは笑った。
そして。
ふと、一つの実に目を留めた。
他の実よりも少しだけ青く。
淡い金色を帯びている。
不思議な引力があった。
「……あれ。」
『気になりますか?』
リシアが尋ねる。
「うん。」
『珍しいですね。』
『その実が、誰かを選ぶことは滅多にありません。』
「選ぶ?」
『はい。』
『記憶樹は、対話を望む相手に実を見せます。』
ソラはゆっくりと手を伸ばした。
「触ってもいい?」
『あなたが望むなら。』
指先が実に触れる。
その瞬間。
青い光が弾けた。
「……っ!」
視界が白く染まる。
風の音。
笑い声。
誰かの歌。
そして。
見知らぬ空。
それは銀花文明の記憶だった。
まだ花の都が小さかった頃。
銀花たちは宇宙を旅していた。
種を運び。
滅びゆく文明へ寄り添い。
新たな文明の誕生を祝っていた。
だが。
その中に。
ひとつだけ違う記憶があった。
泣いている銀花。
崩れゆく花の都。
折れた記憶樹の枝。
そして。
誰かの声。
『……帰りなさい。』
ソラは息を呑んだ。
「誰……?」
青い光の中。
一人の銀花が振り返った。
他の銀花とは違う。
その瞳には、深い青が宿っていた。
『あなたも。』
『帰る人なのですね。』
「え?」
『私は、帰れなかった。』
『だから。』
『あなたには帰ってほしい。』
悲しそうな微笑み。
そして。
優しい眼差し。
ソラの胸が締めつけられる。
「……帰れなかったの?」
『旅の途中で。』
『大切な人たちのもとへ戻れませんでした。』
『でも。』
『だからこそ願いました。』
『誰かが帰れるように。』
光景が変わる。
記憶樹に実が結ばれる。
青い実。
その中には。
「おかえり。」
「また明日。」
「待ってる。」
そんな声が詰まっていた。
「……っ。」
ソラの頬を涙が伝う。
『記憶は、悲しみだけではありません。』
銀花の女性は言う。
『帰りたいという願い。』
『帰ってきてほしいという願い。』
『それもまた、未来へ繋がる種です。』
「……うん。」
ソラは小さく頷いた。
「私。」
「帰ってこれた。」
「みんなが待っててくれたから。」
『知っています。』
『だから、この実はあなたを選びました。』
青い光が静かに揺れる。
銀花の女性は微笑んだ。
『どうか。』
『続きを生きてください。』
『私たちの分まで。』
視界が戻る。
花の都。
記憶樹の下。
ソラはその場に立ち尽くしていた。
「ソラ!」
ミナトの声。
「大丈夫か!?」
「うん。」
涙を拭う。
「大丈夫。」
レイが静かに尋ねる。
「何を見た。」
ソラは記憶樹を見上げた。
「帰れなかった人の記憶。」
「でも。」
少し笑った。
「帰ってほしいって願いだった。」
風が吹く。
青い実が静かに揺れる。
まるで。
「よろしくね。」
と囁くように。
ソラは、そっと手を振った。
「ありがとう。」
「ちゃんと生きる。」
「ちゃんと帰る。」
「何度でも。」
記憶樹の実は、再び静かに輝いた。
失われた願い。
届かなかった想い。
それでも。
誰かの未来を照らす光になる。
終焉を越えた少女は知る。
「おかえり」という言葉には。
帰れなかった誰かの願いも込められているのだと。
そして。
記憶樹の最上部。
誰にも気づかれない場所で。
新しい実が、ひとつだけ結ばれた。
淡い青色。
まだ小さなその実には。
たった一つの言葉が宿っていた。
『行ってらっしゃい。』




