第76話「最後の一歩」
「おかえり。」
その声は、確かに聞こえた。
幻聴だったのかもしれない。
帰りたいという願いが見せた夢だったのかもしれない。
それでも。
アマミヤ・ソラは、笑った。
「……ただいま。」
まだ帰れていないのに。
そう答えた。
帰還率、九十九パーセント。
GF-Ω INFINITYの創生炉は、ほぼ停止していた。
白銀の巨神は、もはや機体としての形を保っていない。
胸部と片腕。
そして、小さく脈打つ最後の火。
それだけだった。
ミナトが叫ぶ。
「ソラ!」
「出力が尽きる!」
「あと一歩だ!」
あと一歩。
それが一番遠かった。
宇宙を越えた。
終焉を止めた。
創造主と対話した。
それでも。
「帰る」という最後の願いだけが届かない。
レイの声が静かに響く。
「ソラ。」
「ん?」
「君は、何のために戦った。」
ソラは少し考えた。
「……最初は。」
「怖かったから。」
「守りたかったから。」
「負けたくなかったから。」
目を閉じる。
「でも、今は。」
火星の赤い夕暮れ。
訓練校の廊下。
食堂の笑い声。
SPICAの少年たち。
ミナトの怒鳴り声。
レイの不器用な優しさ。
守れた人。
守れなかった人。
全部が浮かぶ。
「帰りたいから。」
ソラは答えた。
「帰って。」
「また明日って言いたいから。」
沈黙。
そして。
レイは、小さく笑った。
「なら、歩け。」
「うん。」
ソラは、前へ足を出した。
だが、身体はもう半分以上が光だった。
人間としての限界。
宇宙に触れすぎた代償。
あと少しで、自分自身もほどけてしまう。
その時。
銀河リンクが灯った。
一つ。
また一つ。
無数の青い光。
「火星圏、重力補助!」
「木星艦隊、推進出力送ります!」
「土星リング隊、航路固定!」
「SPICA第三小隊、最後まで付き合います!」
「外縁義勇軍、押せぇぇぇ!!」
ソラは涙を流した。
「みんな……。」
ミナトの怒鳴り声が響く。
「何泣いてる!」
「まだ終わってない!」
「お前、帰ってきたら始末書だからな!」
ソラは吹き出した。
「ひどい。」
「当然だ!!」
最後の火が燃える。
創生炉。
NOVA核。
恒星炉。
人類の祈り。
全部が重なる。
GF-Ω INFINITYの残された片腕が、ゆっくりと伸びた。
前方には。
銀河。
人類の宇宙。
帰る場所。
あと一歩。
本当に、あと一歩。
「レイ。」
「なんだ。」
「ありがとう。」
「……まだ早い。」
「ミナト。」
「何だ!」
「ご飯、おごって。」
「高くつくぞ!」
「やった。」
ソラは笑った。
泣きながら。
笑った。
そして。
最後の一歩を踏み出す。
白銀の巨神は、完全に光へ変わった。
創生炉が砕ける。
神機は消える。
だが。
その光は、少女の背を押した。
アマミヤ・ソラは、手を伸ばした。
そして。
誰かの手を掴んだ。
「捕まえた!」
「離すな!」
「引っ張れ!!」
無数の声。
人の声。
生きている声。
光が弾けた。
帰還不能宙域が閉じる。
終焉と創生の狭間が、静かに遠ざかる。
そして。
銀河の空に、一つの小さな光が落ちた。
少女は、ようやく帰ってきた。
宇宙を越えて。
終わりを越えて。
トップを越えて。
「……ただいま。」
その言葉に。
無数の声が返ってきた。
「おかえり!!」
人類は終わらなかった。
宇宙は続いていく。
失敗も。
涙も。
笑顔も。
全部を抱えたまま。
そして。
アマミヤ・ソラの物語は、まだ終わらない。
これは終幕ではない。
新しい明日の始まりだ。




