第25話 カフェオレ
カフェ風待ちは商店街を抜けた先、港の近くにあった。
灯がそこへ足を向けたのは、印刷所を出た帰り道だった。ポケットの中のショップカードが、いつの間にか角の丸くなっていることに気づいた午後のことだった。
風待ちの扉を開くと、小さなベルが鳴った。
店の中は静かだった。コーヒーの匂いが満ちている。高瀬はカウンターの中にいた。灯を見て、目を細める。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
カウンターの椅子に腰を下ろす。高瀬はカップを拭きながら、「何にしますか」と聞く。灯は少し迷ってから、「コーヒーください」と答えた。
豆を挽く音がした。静かな店に、その音だけが広がる。灯は窓の外を見る。港が見えた。水面が光を返していた。
カップが置かれる。湯気が立つ。
「誠一さんとこの子だったね。灯さん」
高瀬が言う。
「はい。孫の灯です」
カウンターの時計が、低く時を刻んでいる。灯はコーヒーを一口飲む。
「ショップカードね、大分渡しましたよ。主に常連さんたちにね」
灯は笑って頷いた。
「湊くんは元気?」
「元気です」
高瀬は、カップを拭く手を止めていた。灯はもう一度コーヒーに口をつける。
「湊くんのお父さん」
灯は顔を上げる。高瀬はカウンターを見ていた。
「よく来てたんです。あの頃はね。子どもが生まれるって、嬉しそうに話してた」
コーヒーの湯気が揺れる。港が見える窓の外で、船が静かに揺れている。
「名前も決まってたんです。もう」
灯は黙ったまま、命名書の三文字を思った。
「湊」
少し間が空く。
「なぜその名前にしたのか、聞かなかったけど。分かる気がするんだよね」
灯はコーヒーカップを両手で包んで、窓の外を見た。帰港した船が、港へ荷物を降ろしている。
灯は椅子から立ち上がった。
「美味しかったです」
財布を出すと、高瀬が首を振る。
「いいですよ」
「そんな」
「また、ぜひ。来年までは続けますから」
灯は頭を下げる。扉へ向かう。その手前で、振り返った。
「あの」
高瀬が顔を上げる。
「カフェオレは、ありますか」
高瀬は静かに笑った。
「ありますよ」
扉を開く。小さなベルが鳴る。港の風が頬を撫でた。




