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満ちるころ  作者: 飴屋みずき
第1章 朝倉活版印刷所
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24/40

第24話 川

 灯は帳簿を閉じる。顔を上げると、湊が窓の外を見ていた。作業の手は止まっている。珍しいことではない。依頼が一段落した時、湊は時々こうして川を見る。灯も窓際へ歩いた。

 風が吹き、川面が揺れる。しばらく誰も話さない。

 やがて湊が川を指差した。

「いた」

 灯は目を細める。見えない。視線を移動させるが、やはり見えない。

「どこですか」

「そこ」

「分かりません」

 湊が少し笑う。灯は眉を寄せた。

 その時、川面が揺れた。銀色の影が水の中を走る。思わず声が出る。湊は何も言わない。ただ川を見ている。魚はすぐに見えなくなった。

 風が吹き、机の上の紙の端が揺れる。

 しばらくして、灯は静かに口を開いた。

「湊さん」

「なに」

 川を見たまま言った。

「やめないでほしいです」

 湊が顔を向ける。

「……なに、急に」

 灯は答えない。代わりにポケットから小さな袋を取り出した。透明な袋の中で、朝顔の種が転がる。花札の依頼のあと、女性からもらったものだった。

「これ」

 湊が受け取り、袋を見る。

「じいちゃんに聞いたら、窓辺で育てていいって」

 湊は袋を見ていた。

「なんで俺に」

 遠くで船の汽笛が鳴った。灯はその音を聞いていた。

「戻るので」

 湊が顔を上げる。

「東京」

 灯は前を向いたままだった。

「もう一度、向き合ってみようと思って」

 湊は何も言わない。川を見る。魚を探すみたいに。やがて小さく言った。

「急だな」

 灯は少しだけ笑った。

 湊は朝顔の種をポケットへしまう。それから、何も言わずに拳を差し出した。灯は一瞬だけ目を丸くする。すぐに笑って、自分も拳を作る。二つの拳が、小さくぶつかった。

 川の潮は満ちて、川幅いっぱいに水が光っていた。

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