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満ちるころ  作者: 飴屋みずき
第1章 朝倉活版印刷所
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23/40

第23話 影

 依頼が重なった週の終わりだった。

 誠一は早めに上がっていた。灯は帳簿を整理していたが、手が止まった。

 ふと顔を上げる。

 湊の横顔が見えた。作業台の引き出しを開け閉めしている。何かを探しているのではなく、明日の準備をしているようだった。その動作に迷いがない。棚の前に立つ時も、活字を拾う時も、版を組む時も、いつもそうだった。この場所を知り尽くしている人の動き方だった。

 印刷所へ来た頃、湊の動きが何を意味しているのか分からなかった。なぜあの順番で棚を見るのか。なぜそこに手を伸ばすのか。ただ速くて正確な動きに見えていた。けれど今は少し違う。引き出しを開ける前に指先が止まる一瞬。版を確かめる時の視線の動き方。そういう細かいことが、少しずつ分かるようになっていた。

 湊が振り返る。灯と目が合う。

「まだいるの」

「帳簿、終わってなかったので」

 湊は特に何も言わず、また棚へ向き直った。

 灯も帳簿へ目を落とす。数字を追う。けれど少しして、また顔を上げていた。

 窓の外では川が光っている。夕方の光が水面を橙色に染め始めていた。川底の石は見えない。今日の潮は満ちている。

 湊が作業台の引き出しを閉める音がした。片付けが終わったらしい。灯は帳簿を閉じた。

 二人で裏口から出る。夕方の商店街を並んで歩く。いつもの帰り道だった。

 角を曲がるところで湊が立ち止まった。

「あっちだよな」

 灯の帰る方向を顎で示す。

「はい」

 湊は頷いて、「じゃあ」と反対側へ歩き出す。灯はその背中を見ていた。

 夕方の光の中で、湊の影が伸びている。

 灯は、その場に立ったままでいた。


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