第20話 依頼書
夕食のあと、灯は居間のソファへ腰を下ろした。窓の外はもう暗い。昼間あれほど鳴いていた蝉の声も、夜になるとすっかり静かになっていた。
テーブルの上には一冊の本が置かれている。『銀河鉄道の夜』。実家の本棚で見つけたものだった。少し黄ばんだ表紙。何度か開かれた跡のある背。
灯はページをめくる。読み進めるうちに、ふと手が止まった。ジョバンニが活字を拾う場面。子どもの頃に読んだはずだった。けれど覚えている場面は思ったより少なかった。湊は覚えていた。この小さな場面のことも。ジョバンニのことも。
気がつくと、窓の外はすっかり夜になっていた。
*
目が覚めた時、部屋はまだ薄暗かった。
枕元には、昨夜読み終えた本があった。灯は起き上がらずに、しばらく天井を見ていた。
悲しいのに、どこか澄んでいた。カムパネルラは帰ってこない。ジョバンニの父は、帰ってきたのだろうか。その本では描かれずに物語が終わっていた。
*
この日も、印刷所の二階には、小さな窓から差し込む光だけがあった。その光の中を、細かな埃がゆっくりと漂っている。積まれた紙の束。古い棚。
灯は脚立に上り、誠一に頼まれた棚の整理をしていた。古い控え、使わなくなった紙、まとめられた依頼書。一つずつ確かめながら移動させる。一階では活版機が動いていて、その音が床板を通じてかすかに伝わってくる。
一冊の古いバインダーを引き抜いた時、輪ゴムが切れた。劣化していたらしい。束ねていた紙が、足元へ滑り落ちる。
「うわ」
思わず声が出る。灯はしゃがみ込み、散らばった紙を拾い集めた。依頼内容。日付。名前。どれも何十年も前のものばかりだった。
紙を揃えながら、一枚一枚に目を通す。その時、手が止まった。
命名書、と依頼内容の欄に書かれていた。珍しいな、と思う。何気なく依頼人の名前へ視線を移す。
そして、動きを止めた。
佐伯。見覚えのある名字だった。もう一度見る。依頼人名。佐伯——。
階段の下から、軋む音が聞こえた。ゆっくりとした足音が、一段ずつ上がってくる。




