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満ちるころ  作者: 飴屋みずき
第1章 朝倉活版印刷所
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17/40

第17話 また書きます

 入口のベルが鳴り、誠一が顔を上げる。そして少し笑った。

「ああ、今年も」

 女性も笑う。

「こんにちは」

「こんにちは」

 昨日も会っていたような挨拶だった。

 灯はカウンターから顔を上げる。初めて見る人だった。白髪混じりの髪を後ろでまとめている。小さな鞄を抱えた女性は、迷うことなく応接机へ向かった。

 机の上に封筒が置かれる。女性は中から便箋を取り出した。その横には、以前刷ったらしい紙が何枚か並ぶ。活版印刷の凹み。少し黄ばんだ紙。宛名に書かれていたのは、どれも同じ名前だった。差出人は、この女性だろうか。女性は便箋を揃える。誠一が言った。

「今年も同じで?」

「お願いします」

 短いやり取りだった。

           *

 女性が帰ったあと、机の上には預かった便箋と、依頼書が残っていた。灯はそれを見ながら呟く。

「一枚なんだ」

 誠一が頷いた。

「そうだな。毎年一枚」

「これって、採算取れるの?」

 誠一が笑う。

「取れると思うか?」

 灯は少しだけ眉を寄せて笑った。

 その時だった。「灯」と、活字棚の方から声がする。振り向くと、湊が便箋を手にしていた。

「ここからここまで」

 一文を指で示す。

「拾える?」

「はい」

 湊に続いて活字棚へ向かう。いつものように文選箱を持つ。便箋へ目を落とす。手紙だった。庭の花が咲いたこと。蝉が鳴き始めたこと。商店街にスイカが並んでいたこと。夕立のあと、少し涼しくなったこと。どれも、どこにでもありそうな話だった。特別なことは何も起きていない。それでも丁寧な字で、一行ずつ書かれている。

 文選箱へ活字を入れる。カチ、と小さな音が鳴る。

「でも」

 湊は顔を上げない。

「ん」

「なんで活版なんですかね」

 湊は活字を探している。

「何が」

「手紙。綺麗な字なんだから、そのまま送ればいいのに」

 湊は変わらず活字を拾う。

「本人に聞けば」

「冷たいですねー」

「俺に聞かれても」

 湊はそう言って、また活字棚へ視線を戻した。

 灯は次の文字を拾おうと、もう一度便箋を見た。

 最後の文に目が止まる。

 また書きます。

 来年もまた書く。それだけのことなのに、活字を探す手が、止まった。

           *

 試し刷りが上がったのは二日後だった。午後。女性はいつものようにやって来た。入口ベルが鳴る。

「こんにちは」

「こんにちは」

 誠一が答える。灯は校正紙を机へ置いた。

 女性は礼を言い、紙を手に取る。一行ずつ、確かめるように文字を追っていく。間違いを探しているのではない。指先が、活版の凹みを一つずつなぞっていった。そして小さく頷いた。

「大丈夫そうですか」

 灯が尋ねる。女性は微笑んだ。

「はい」

 それからもう一度、紙へ目を落とす。

 灯は少し迷った。

「聞いてもいいですか」

 女性が顔を上げる。驚いた様子はなかった。少しだけ間が空いて、

「ええ」

 と言った。女性は校正紙へ視線を戻した。

「若い頃からの友達なんです」

 静かな声だった。

「手紙ばかり書いていました」

「電話より好きだったんです」

 紙の上を指がゆっくり滑る。

「今は返事は来ません。向こうにね、先にいってしまったから」

 灯は何も言わなかった。女性も続けない。それだけで十分だった。客間に、蝉の声が入ってくる。そして川の音。遠くを船が通る音。

 灯は校正紙を見る。活版の文字が、今日は少し違って見えた。

 女性は小さく笑った。そして、文字の上へ指先を置く。

「このへこみを見ると」

 灯は黙って聞く。女性は文字をなぞる。大切なものに触れるみたいに。

「読んでくれた気がするんです」

 窓の外では蝉が鳴いていた。女性の指は、しばらく紙の上に置かれたままだった。

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