第14話 活版の話
依頼が一段落した午後だった。
誠一は帳簿を持って電話室へ入っていた。工場には湊と灯だけが残っている。湊は作業台で活字の手入れをしていた。薄い布で一つずつ拭く。確かめる。また拭く。その繰り返しだった。
灯はその手元を見ていた。
「活字って、手入れするんですね」
「するね」
「どのくらいの頻度で?」
「使うたび」
湊は布を動かしながら続ける。
「インクが残ると、固まるから」
「あぁ」
灯は頷く。布の上で、活字が一つ、また一つと、鈍い銀色を取り戻していく。拭く前と拭いた後では、同じ活字でも光り方が違った。
「やってみていいですか」
湊は少し手を止めて、灯を見た。それから、布をもう一枚、灯の前へ滑らせる。
灯は布を受け取り、活字を一つ摘まむ。見よう見まねで拭く。思っていたより小さい。
肩に力の入る灯を見て、湊が息を漏らした。
「力、入れすぎ」
「入れてないです」
「入ってる」
湊が横から手を伸ばし、灯の指から活字を取り上げる。自分の布で一度だけ拭いて、灯の前へ戻す。たったそれだけで、さっき灯が拭いたものより、ずっときれいに光っていた。
灯は唇を尖らせる。もう一つ摘まんで、今度はそっと拭いた。
「やりすぎて削るなよ」
「削りませんよ」
「金属だからって、減らないわけじゃない」
「分かってます」
分かっていなかった。灯は手の中の活字を、さっきより少しだけ慎重に拭く。
画面の中の文字は、要らなくなれば消して、それきりだった。文字そのものに手をかけて使い続けるなんて、考えたこともなかった。
灯がいくつか拭き終えた頃、湊がその中の一つを手に取った。灯は身構える。
けれど湊は何も言わなかった。光にかざして一度だけ確かめると、そのまま組箱へ戻す。
「及第点」
「えー」
灯の不服な声には応えず、湊の手はもう次の活字へ伸びていた。
「湊さんって、活版のこと何でも知ってますよね。」
「何も知らないよね、孫なのに」
灯は眉間に皺を寄せて睨む。湊は灯に視線を向けて、片方の口角を上げた。
「まぁ、俺のも社長の受け売りだけど」
そう言った後、手元に視線を戻して笑っている。灯がここへ来てから見た中で、一番力の抜けた笑い方だった。
二人の手の下で、活字が一つずつ、銀色を取り戻していった。




