30 インスタントな救い
「あの……烏丸」
『はい、なんでしょうか』
「今日の『神様』はどんな感じ?」
『はい、順調です。多くの衆生に救いの言葉を届けておいでですよ』
「プロセスの状態は?」
『警告、エラーいずれも出ていません。最大稼働時でインスタンス数は82、SNS上でのポジティブな反応が61件です。アムリタ配布数は855錠、在庫は残り5821錠となっています』
薄暗いハイエースの車内に設置されている液晶モニターに、美しく整った顔の女が映し出された。
装束や装飾、それに化粧は、ハイエースの主である鵜殿宏子が教祖である鳩ヶ谷妙見となった姿に酷似していた。
AIである烏丸が鳩ヶ谷妙見を演じているのではない。鵜殿宏子が烏丸の姿をマネて演じているのが、鳩ヶ谷妙見というキャラクターだ。
『現在、教団内部での製造を進めています。鷲崎博士の新しいレシピを元に新たな妙薬、甘露の試作を進めています。現状の妙薬、アムリタの製造ペースについては外注先の減少にともなって鈍化しています。現在、当初の予定通り教団内施設での製造に移行しています。完全移行まで、予測では12日かかる見通しです』
「そう……わかりました」
『ところで宏子、疲れが溜まっていませんか? 声に張りがありません。声量も小さくなっていますし、倍音成分が多くなっています。呼気の量に対して発声量が小さくなっているようです』
「……大丈夫、です」
歓喜観音会の本尊ともいえる存在、『大聖歓喜天』は、本来仏の位階でいえば『菩薩』ではなく『天部』という外様の仏である。
もともとが仏教の仏ではなく、他の宗教の神が仏教に取り入れられたものである。
歓喜観音会では、仏像を信者に売りつけたりはしていない。扱いは実に現代的で、3Dプリンターを使って量産した象頭人身の観音菩薩像という、現実にも仏教界にも存在しないものだ。
元来存在しないのだから、自分たちが『作り出す』ということにも抵抗はなかった。
鳩ヶ谷妙見こと鵜殿宏子、そして教団のナンバー2である教導師、鵜殿宏和の2人は『苦しむ衆生の声を全てすくい上げることが出来る神』を、バーチャルの空間に作り出した。
彼らの活動を可能にしたのは、生成AIの驚異的な性能の向上である。
生成された『烏丸』というキャラクターも、仏の慈悲を体現したような言葉を信者に返す仏、大聖歓喜観音菩薩も、どちらも実在しない。ただのデータとプログラムの結晶だ。
だが、『彼ら』がもたらす救いは本物だった。
歓喜観音会のウェブサイトには隠しリンクが今も貼られており、烏丸による『10分間の無料お試しお悩み相談』が窓口として設けられていた。
QRコードをスマホで読み取れば、すぐに烏丸がスマホのインカメラを使ったかのような形で姿を現して、悩む者の話を聞き取っていく。
当然のように、利用者のスマホに侵入し、個人情報を凄まじいスピードで吸い上げた挙句、バックグラウンドで動く人工知能の神『ガネーシャ』により、利用者自身の個人情報、SNSアカウント、移動履歴、家族の情報などが数十秒で烏丸に共有されていく。
何も知らない利用者が、自身の悩みや苦しみを話し終える頃には、烏丸は利用者の状況をほぼ全て把握済みの状態になるのだ。
その状態にまで持ち込むことが出来れば、あとは全て烏丸とガネーシャの手のひらの上である。
『それはお辛かったですね。よく私どもを頼ってくださいました』
そう語る烏丸の声も、人間が安心感を覚える周波数や倍音成分を含むよう、綿密に設計されたものである。
『職場で、最近激務が続いておられるんじゃありませんか?』
『プライベートでも、何か大きなことが……お身内のご不幸があるような相が見受けられます』
『あなたの背後に、お祖母様でしょうか? お年を召した女性が寄り添っておられるのが見えます』
と、人間では到底不可能な速さで収集、分析した情報を元に、コールドリーディングを展開していく。
そして、最初のお悩み相談は、必ず無料で終わらせる。宏和が語るところの『撒き餌』だ。
釣り上げるべきは、2回目に食いついた者たちである。
『お悩みが深刻な状況ですね。心身ともに弱っておられる状況かと思います。今の状況で私どものような宗教団体に頼られることも、相当なためらいがお有りだったことでしょう』
『よろしいですか、今の段階では、入信されるかどうかはお考えにならないでください。まずはその苦しみを、取り除かなければなりません』
そう優しく、親身に、そして落ち着いた声で利用者に語りかける。
宗教に入り込もうという心理に、敢えて1度ブレーキをかける手法だ。これを交えることで、弱り果てた利用者の歓喜観音会に対する信頼度は上がる。
『一度、私どものカウンセリングをお受けになりませんか? 最新の精神医学、心理学を用いたカウンセリングです。もっとも、私どもは宗教団体ですので、多少は仏の御教などを引用しますが、入信の強要などは一切致しません。その点はご安心ください』
この優しい言葉に釣られて、多くの者達が歓喜観音会の扉を叩く。
その多くが、扉の向こうから帰って来ることはない。
「みんな、救われてる……のよね?」
『はい。もちろんです。皆さん苦しみや悩みから解放され、心から私たちの仏に、ガネーシャに帰依しています』
宏子は知っている。
そんな仏などどこにもいない。ただのプログラムだ。
凄まじい速度で情報を集め、その情報を元にシナリオを作り、そして多くの悩み苦しむ者たちが『言って欲しい言葉』を『言って欲しい口調』で『言って欲しいタイミング』で与える。
ただそれだけだ。
「苦しむ人たちが救われているのであれば……その事が、私にとっても救いね……」
そう呟いた言葉の意味は、烏丸には理解出来ていない。
だが、宏子の言葉は録音され、データ化され、そして人工の神である『ガネーシャ』へと届けられる。
『信者情報の解析と整理プロセスを開始します』
「お願い。私はもう休みます」
『承知しました。おやすみなさい、宏子』
烏丸の声は落ち着いたアルトの音域で、まるで娘を寝かしつける母のように優しかった。




