28 ガネーシャ神
インドのヒンドゥー教において、ガネーシャ神は大変重要な神の一柱だ。
その名前からして『民衆の主』という意味があり、事業開始、商売繁盛、学業成就といった非常にニーズの高いジャンルで現世利益をもたらすとして、特に商人からの人気が高い神だ。
特徴的な象の頭は、『父親であるシヴァ神が、妻でありガネーシャの母である女神パールヴァティーに会いに行くのを妨げた、という理由で首をはねた。息子の斬首を悲しんだ妻パールヴァティーを慰めるため、神象の頭を取り付けた』という逸話がある。
「まぁそんなワケで、ガネーシャ神っていうのは言ってみれば『頭を付け替えられた』者、造られた者と言ってもいいかもしれない。もしも警察の見立て通り、歓喜観音会の受付である『烏丸』がAIで造られたとしたら——」
「そのガネーシャっていうカミサマも、ひょっとしたら造り物かもしれない、ってこと?」
「まぁ、全部私の妄想だけど」
木常ママは優雅にハイボールを傾けながら、こともなげに言い切った。
「いつも思うんだけど、ママのその知識ってどこから来るの?」
今日は珍しく、ジェニーもミマもおらず、店は木常ママとチーママの伊立の二人だけ、客も鶴岡と田貫の二人だけという小規模運営となっている。
ミマは大学のテストがあり、ジェニーも真理亜がテスト勉強をサボらないように見ておきたい、ということで休みになっていた。
「まぁ、この商売長いことやってるとね、色々あるわよ」
「ママのその『色々』って洒落にならないくらい色々っぽいよねぇ」
「そりゃあね、これでもそこそこ経験豊富ですから。しっかし……真理亜もミマちゃんもテストって大変ねぇ。あの二人こそ、ガネーシャ神のご加護とかあればいいんじゃないかしら」
「ママ、それはちょっと洒落になってないねぇ……神頼みするなら、日本らしく天神様が良いんじゃないの?」
「それもそうね、道真公におすがりしたほうが良いわ。ま、もっとも『ちゃんと勉強してから』よね。ミマちゃんは大丈夫だろうけど、真理亜はすぐ神頼みするから」
学ぶことが好きな才媛、ミマと違い、真理亜は『楽をするためなら努力を惜しまない』『手を抜くためならいくらでも手間暇かける』というタイプである。
人事を尽くして天命を待つタイプのミマに対して、真理亜は『とりあえず天命に全プッシュ』から入るのが、母ジャネット悩みの種だ。
「しかし道真公も大変よね。左遷された挙句、怨霊になったら勝手に祀り上げられて、受験生の願いを聞かなきゃいけないなんて」
「そうそう、ホントそれぇ。私だったらお賽銭100円とかのくせに東大現役合格! とか御札とか買わないクセに医学部行きたいーとか、むしろ落ちてしまえって思っちゃうなぁ」
「チーママ……参拝客を呪ってどうすんの」
「てかさぁ? 今どきもうカミサマだってAIで良くない? 話聞いてくれるしさ? テストの答えも教えてくれるんでしょ? 真理亜ちゃん言ってたけど」
「あー……言ってたわね」
「その内さぁ、バーチャル仏陀とかバーチャル天使みたいなのがAIで出てきて、悩み打ち明けたら『うんうん、ちょー分かる。あーしもそういう時期あったし。マジ萎えるよね』とか言ってくれるの」
「うへぇ、ヤだなぁ、そんなギャルっぽい神様」
いつも通りの、実に緊張感のないやり取り。
この緩い空気こそが、スナックFOXの特色でもある。
「AIのカミサマか……タヌさん、チーママ、もしかしたらさ? 歓喜観音会のさ? 例の、あのー……烏丸だったっけ、アレがAIだとしたら、神様だってAIってことはないかねぇ。考えてみたらさ、現世利益とAIって凄く相性が良いような気がするんだよねぇ」
途中まで飲んだ白ワインのグラスを丁寧にテーブルにおいて、鶴岡は腕を組む。
まるで真似をするかのように、木常ママも和服の袖を丁寧にさばいて腕を組んだ。
「そうねぇ。言われてみればそうだわ……願いを聞き届けるかどうかも分からない神様、お賽銭が足りないかも知れない。そんな神様よりも、スマホひとつですぐに話を聞いてくれて、アドバイスまでくれる……あらやだ、そういう神様なら私も信じちゃいそう」
「ちょ、ちょっと待ってツルさんもママも。スマホに神様がいるって、なにそれ? ありがたみも何も無いよね?」
「何言ってんのタヌさん、神様にありがたみなんて要らないわよ。今の若い子たちが求めてるのは、威厳とか威光とかそういうのじゃなくて、自分の話に耳を傾けてくれる、アドバイスをすぐくれるってことじゃないかしら? 要は『すぐに答えが出る』、現世利益もここに極まるっていうのが必要とされてるんじゃない? 死んだ後に極楽に行けるかどうかより、今答えをくれる存在、今悩みとか苦しみを忘れさせてくれるもの、ソッチのほうが断然良いわよ。私だって来世がどうのこうのより、ドンペリ入れてくれるお客様の方が神様に見えちゃう」
実に身も蓋もない言い方に、チーママは『ちょー分かる。マジそれ』と手を叩いて笑い転げる。
が、鶴岡は腕を組んだまま考え込むばかり。
「ま、私なら天神様と、AIですぐ答えくれる神様どっちにすがるかっていったら、とりあえずAIかしらねぇ」
「そうだねぇ、僕もそうなるかもしれないねぇ……いや、怖い世の中になったもんだね、ママ?」
「ホント。チーママも笑ってる場合じゃないわよぉ? その内ホステスとかキャバ嬢だって、AIになっちゃうかも知れないじゃない」
「えー? 私は負ける気しないなぁ。だってほら」
にこ、と童顔に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべ、チーママの伊立は脚を露わにしながら優雅に組んで、胸の谷間を見せつけるように前かがみになる。
「水商売って、難しいじゃない? 私はこの仕事、プロとして誇りもってるもん。ねー? ツルさん?」
「あはは、そうだねぇ。チーママは確かにプロだよね。18歳続けてもうずいぶんなるし」
「やだぁもー、ツルさんったらぁ」
緊迫した雰囲気など長続きしない、どこまでも緩く、穏やかな空気。
それこそが、このスナックFOXの最大の特徴であった。




