27 造られたもの
歓喜観音会の信者は、すでに2000人を超えていた。
入信者の内実に8割近くが在家入信を選び、かなりの金額を教団に寄付する事となる。
新型MDMAは『大いなる慈悲をもつ歓喜観音菩薩の力で、あらゆる苦しみから衆生を解放するための妙薬』として、サブスクリプションの形で安価で提供される。
開発者の鷲崎にとってはよほど気に入らなかったのだろう、『本来の価格で売りさばけば数百億の利益をあげられたのに』と教導師である鵜殿宏和に激しく抗議していた。
「何を考えている! 今のトランプ政権下のアメリカでは厳しいだろうが、中国なら確実に買い手があると言っただろう! なぜそんなふざけた配り方をする!」
「鷲崎博士、我々の目的を履き違えないでいただきたいですね」
興奮のあまり顔を真赤にして、こめかみあたりに血管を浮き立たせる鷲崎は、今もまさにツバを飛ばしながら鵜殿に詰め寄っていた。
「私は中国に伝手があると言っただろう! 黄家会がMDMAを欲しがっている、三合会がクスリの取り扱いを中国でも止めている今がチャンスなんだ! 何で売らないんだ!」
「鷲崎博士、我々歓喜観音会は『歓喜の妙薬』を金儲けのために作ったのではありません。このクスリは、今まさに苦しんでいる、虐げられている、救いを求める衆生に差し伸べる御仏の慈悲の手。定期的に使わなければならないのなら、使えるようにするのが我々の役目です」
「鵜殿……お前まさか、本気で人を救いたいとか、そんなことを考えているわけじゃないだろうな……?」
「何を言っているんですか博士」
背もたれの大きな事務用椅子に身体を預け、宏和は悠然と、どこか芝居じみた表情と仕草で鷲崎を見上げた。
「本気に決まっているじゃないですか。我々宗教家の本願はただひとつ、苦しむ衆生の救済ですよ。他に何があるっていうんですか」
「狂ってる……お前は狂っとる! 何なんだ一体! これだから神だの仏だのを信じているような馬鹿はダメなんだ! お前らのような学歴もない無能と組んだ私が馬鹿だった!」
「そうですね、さすが鷲崎博士、分かっていらっしゃる。あなたは馬鹿です」
「なっ」
最終学歴が大学院卒の鷲崎は、自分を悠然と見上げコーヒーカップを優雅に持ち上げる、中卒の男の言葉に愕然とした。
まさか、日本でも最高の知性を持つはずの自分が、中卒の男に『馬鹿』と呼ばれるなど考えても居なかった。
「う、鵜殿、お前今なんと言った……この! この私になんと言ったぁ!」
「おや、耳が悪いのか、それとも日本語が分からないのか、どちらでしょうね。人が言うことはちゃんと聞くものですよ、鷲崎博士。私は、あなたに、『馬鹿』と言ったんです」
鷲崎は、自らを謙虚な男であると自認していた。
かつての部下であった鷺宮は、現在の師でもある鷹村に対して『自分が謙虚であると考えること、それ自体が日本においては傲慢なんだなと感じました。鷲崎先生は、今となっては僕の反面教師ですよ』と語っている。
周囲がドン引きするレベルで自己認識が歪んだ男、それが鷲崎隆史という人物であった。
「お、おま、おま、お前、お前は」
怒りのあまり血圧が急上昇している鷲崎は、目の前に星が飛び始めていた。
あまりの怒りのせいか、呂律も回らず、手や足の先からは血の気が引いてしまっている。
「私が! 私が居なければ新型MDMAは! アムリタは作れんのだぞ!」
「あぁ、そのことならご心配いりませんよ」
「な、何だと!? 嘘をつけ、あのクスリのレシピはまだ私の頭の中にしかない!」
「烏丸さん」
『はい、教導師』
突然、室内のスピーカーから落ち着いた女性の声。
「なっ、だ、誰だ!? どこに!?」
「鷲崎先生ともやりとりしたことがお有りでしょう? 我が教団の優秀なスタッフ、烏丸さんですよ。彼女はどこにもいないし、どこにでもいます」
「何を言ってる! お前、本当に狂ってるんじゃないだろうな!?」
「えぇ、そのとおりですよ。何しろ中卒の分際で、大学の『元』准教授に馬鹿と言えるくらいですからね。それで烏丸さん、レシピは?」
『はい、新型MDMAアムリタのレシピ、量産手順、それに改良版アムリタの開発中レシピも確認しました』
「そうですか、ありがとうございます。他に情報は?」
『はい教導師、鷲崎博士が、中国語でどこかとメールのやり取りをしていた履歴を確認しています。宛先アドレスを解析したところ、上海近辺に本拠地のあるチャイニーズマフィアの黄家会の末端であると判明しました』
鷲崎の顔から次第に血の気が引いていった。
彼が黄家会とやり取りしていたのは、紛れもない事実だった。
それ以前に、改良版アムリタのレシピなど、どこにも記録していないはずだった。
手書きのメモになぐり書きで記したものがいくつかある程度で、パソコンに入力すらしていない。
「大聖歓喜観音菩薩さまは、全てをご覧になっているんですよ、鷲崎博士」
「ば、ばかな、そんな、そんなことが、何で——」
「私も鷲崎博士も、観世観音観自在菩薩の大いなる慈悲と知恵の前では、愚かな衆生のひとりに過ぎません。私も、あなたがコレほどに強欲であるとは見抜けなかった。やれやれ、私もまだまだ修行が足りませんね」
まるで芝居のような立ち居振る舞い、それに台詞回しと表情。
すでに冷や汗をかいてしまうほどに血の気の引いた鷲崎の目には、全てが作り物のように見えた。
どこからどこまでが本気で、どこが芝居なのか。
何が真実で、何が嘘で、何が事実なのか、あまりの混乱のせいか、日本の最高学府である大学で頂点とも言える『教授』に手が届こうか、というところまで上り詰めた鷲崎も、考えを放棄したくなっている。
「残念です、鷲崎博士。あなたとはここでお別れです」
「お、お別れ? だと!? 私を、クビにするつもりか!?」
「とんでもない。博士、あなたはもう充分に教団に貢献してくださいました。我々にはもはや、MDMAなど必要なくなります。我々はすでに、教授とは別に『次世代』の開発に着手していますからね」
突如、部屋の引き戸がガラガラと派手な音を立てて開き、白装束の出家信者が数名入り込んできた。
「な、なんだお前ら! 私を誰だと思っている!」
「今までお疲れ様でした、鷲崎博士。あなたにも歓喜観音菩薩の救いの手が差し伸べられることを祈っていますよ」
3人の信者たちに羽交い締めにされ、鷲崎は部屋から連れ出されて行った。
残された宏和はしばらく黙っていたが、不意に誰にともなく声をかける。
「烏丸さん」
『はい教導師』
部屋に設置されたスピーカーから、落ち着いたアルトの声が響く。
「鷲崎博士に関する情報を全て削除してください。彼はまだ救われるには早かったようです」
『承知しました。……削除完了しました』
「ありがとう、烏丸さん」
まるでテーブルの上を片付けたかのような軽さで、この日歓喜観音会から、鷲崎の姿は消えていった。




