26 張り巡らされた蜘蛛の糸
「どうしたのミマちゃん? なにか悩み事?」
2杯目のハイボールを美味そうに飲みながら、ジェニーが作った唐揚げをつまんでいた田貫の前で、ミマこと白美真はふと我に返った。
「い、い、イエ、すみマせんタヌキさん」
「いや、良いんだけど、大丈夫? なにか深刻な顔してたからさ。その、大きな声じゃ言えないけど」
田貫は少し身を乗り出して、ちょいちょいとミマを手招きする。
ミマの可愛らしい形の良い耳に口を近づけると、手で口元を隠すように覆う。
「もしお金苦しいなら、少しなら手伝えるよ」
「あ、いえ、そうじゃないんデす。すみません……あの、鷺宮センセイが話してた鷲崎センセイの、『アムリタ』を作ってたっテいう話が気になっテ」
「あぁ、そういやこないだ来たらしいね、鷺宮センセイってアレでしょ? ミマちゃんの大学の、確か准教授? だっけ?」
「いえ、鷺宮センセイは講師デす。准教授は鷲崎センセイで」
「そっかそっか、講師の先生。今広島だっけ? 学会ってなんかカッコいいよねぇ。私はそういうの行ったことないからさ、なんか憧れちゃうよねぇ。あ、ジェニーちゃん、唐揚げおかわり」
「はいはい、どうする? 一皿食べる? ハーフにする?」
「一皿行っちゃおうかなぁ。ミマちゃんのハイボールが美味しいからねぇ」
でへへへ、とだらしない笑いを浮かべて、残ったハイボールをぐいっと飲み干し、グラスをミマに向けて軽く掲げた。
「ミマちゃん、ハイボールおかわり」
「ハイ。すぐ作りマすね」
「タヌさんもすっかりスケベオヤジねぇ。まだ40になってないんでしょ?」
「今年で39だよ。ママよりは年下なのかな」
「あらぁタヌさん? レディに歳と体重と胸のサイズを聞くときには遺書書いてからじゃないと。義務教育で習ったでしょ?」
驚いた表情になったのはミマである。
彼女は日本の義務教育を知らないということもあり、本気にしてしまったようだ。
「た、タヌキさん、遺書……?」
「いや、違うからミマちゃん。ほらもう、ママまで変なこと教えるからぁ」
明るい笑い声が響く店のドアがからんからん、という鈴の音を立てて開く。
ドアから店内に冷たい空気が流れ込んでくる。もうすっかり冬が間近に迫っていることが分かる冷たさだ。
「あら、お帰りなさいお二人さん」
カウンターに腰掛けたのは大柄な2人。
刑事の戌井と、長身の大神だ。
「ただいま」
「何? ワンちゃん、あんたずいぶん常連になってんじゃないの」
「戌井さんは常連よ。ね? ごめんなさいタヌさん、ちょっとこっちに移ってもらっていい? お二人並んで座れた方が良いんでしょ?」
「あぁもちろん。じゃあミマちゃん、ツルさんとこに行こうか?」
「そうね、ミマちゃんとタヌさんはテーブル使って。ちょっと待ってね、カウンター拭くから」
木常ママが話すと同時に、ジェニーが手際よくカウンターを片付けて、キレイに拭き上げている。
「すまんな、田貫さん」
「いやいや、良いの良いの。お二人付き合ってるんでしょ? だったら隣の方が良いでしょ」
「付き合ってない」
「違ぇよ」
田貫の問いかけに、戌井と大神は同時に答える。
「あら、ずいぶん息ぴったりじゃない、仲いいのね。それで、お二人とも最初は何にします? ビール?」
「俺はビールで。あとおつまみに唐揚げ」
「あ、私芋焼酎ロック。私も唐揚げ」
「は? お前一杯目からロックかよ? おまけに芋?」
「あん? 何よ、なにか文句あんの?」
「はいはい、店の中では仲良くね。じゃあジェニーちゃん、ロックお願いね」
慣れた手つきでジェニーが芋焼酎をグラスに注ぎ、木常ママは瓶ビールの栓を開けて戌井の前に差し出した。
「それで? お二人は今日は『お仕事』で?」
「今日はプライベートよ。ちょっと仕事終わりに呑みに来ただけ。でしょ? ワンちゃん?」
「ま、そうだな」
苦笑を浮かべて戌井が空のグラスを持ち上げると、木常ママがビールを丁寧に注いだ。
「ママに礼を言わないとな。烏丸がAIなんじゃないかっていう説だが、どうやら的を射たものかも知れない。まぁまだ確証はないし、現実に烏丸がAIだとしたら、下手に接触すると危険だからな。とりあえずサイバー犯罪対策班が歓喜観音会へのアクセスから糸口を探してる」
「そっかぁ……そうだよねぇ、そのカラスミがAIだとしたら、ホームページにアクセスしたりしたら全部記録が分かっちゃうんでしょ? うへぇ、難しいなぁ」
「タヌさん、カラスミじゃなくて烏丸よ。カラスミだったら良いおつまみになっちゃう」
「ありゃ、そうだっけ?」
どこまでもすっとぼけたタヌキっぷりである。
この絶妙に抜けたところが、会話相手から警戒心を奪ってしまう。
「まぁ、警察の方でも専門部隊がいるからな、そいつらが今糸口を探ってる。今んところ俺達にできることはあまり無い」
「そゆこと。まぁそんなワケで、こうやって呑みに来られる時間も出来たってワケ。おねーさん、芋ロックおかわり」
「あら、お姉さんだいぶお強いのね? 無理しないようにしてちょうだいね?」
念のために断りをいれてから、ジェニーはグラスにしっかりとロックを作ってから大神に差し出す。
まるでジュースのようにぐびぐびと焼酎を飲み干して、けろっとした顔で『さぁて次何にしよっかなぁ』と鼻歌を歌い始めた。
「あ、ワンちゃん? 今日呑み比べで負けたほうオゴりね?」
「ザケんな手前ぇ、誰が乗るかそんな勝負」
悪態をついて、戌井はいつもより少し遅めのペースでビールを口に運ぶ。
サクサクにあげられた唐揚げをつまみに、かなりペースを抑えながら飲んでいた戌井であったが、今日はジェニーではなく大神に散々飲まされる事になった。




