24 秘伝のレシピ
「これは妙見様、こんな場所までご足労いただきありがとうございます」
「鷲崎博士も、お疲れ様。どう? レシピの改良作業は」
「まぁ、順調とは言えませんな。何しろ新型MDMA、警察がアムリタという名前をつけたそうですが、このクスリは私の研究の集大成とも言えるもの。そうそう簡単にこれを上回るものは出来ません」
「そうですか」
鳩ヶ谷妙見を演じている鵜殿宏子は、いつもの猫背とはまったく違う傲然と胸をそびやかす姿勢で、初老の男を見下ろした。
大学准教授という、日本におけるインテリジェンスの頂点に近い鷲崎と、小学校も中学校もほぼ通うことが出来なかった鳩ヶ谷妙見こと鵜殿宏子は何の問題もなく会話をこなしている。
人工知能である烏丸が作り出した『台本』は、ほぼ完璧だった。『鷲崎がこう話したら、こう答える』という、ある種の想定問答集を妙見は完璧に記憶していた。
「メタンフェタミンの量を増やすことは?」
「危険ですな。それにコストがかかりすぎます。混ぜるヘロインも調達するコストがかなり上がっています。中国の黄家会からの『輸入』もほぼストップした状態です。原料にLSDを用いることも考えなければ」
「そう、わかりました」
「妙見様、この手のMDMAを製造するのであれば、もっと販売価格を上げるべきでは」
「それは無理ね。私たちにとってこの『妙薬』は、あくまで衆生の苦しみを取り除くためのもの。金儲けのためじゃないのよ」
「ですが、調達コストは——」
「鷲崎博士、あなたは私たちの『理念』に共感して入信してくれたと思っていたんだけど」
妙見は傲然と鷲崎を見下ろした。
人を見下ろすことには慣れていても、見下される事には慣れていない鷲崎は、わずかに頬をヒクつかせる。
教祖であり、同時に自らの上司にあたるとはいえ、女に見下される事には慣れていない。
「——オレを見下ろすんじゃない、このインチキ教祖が——とでも言いたそうね?」
鷲崎は全身を硬直させた。
一字一句違わず、妙見の言葉は鷲崎の頭の中のセリフを再現していた。
「それに——なんで分かった、薄気味悪い女だ——というところかしら」
「い、いや、そんな、その、それは……」
かつん、と硬い靴音を立てて、妙見は鷲崎に歩み寄る。
椅子に座ったままの鷲崎を傲然と見下ろす妙見の目は、どこか人外の領域にある何かを見据えているかのように見えた。
「覚えておきなさい。大聖歓喜観音菩薩さまは全てをご覧になってるわ。そもそも観世観音観自在菩薩、『アヴァロキテ・シュヴァラ』は全てを見通す観測者。歓喜天、ガネーシャは知恵の神よ。あなたごときの浅ましい考えなんて全部お見通し。間違っても私と教導師を侮らないことね」
「……わ……わかりました……」
科学者である鷲崎は、頑迷な無神論者だった。
大学の資材横流しと、MDMA合成のレシピを半グレ集団『ジャッカル』に出したというスキャンダルで教職を追われ大学を首になってからも、その信念はまったく変わらなかった。
ジャッカルへのMDMA密造の協力も、単純な割の良いバイトになったからだ。
職も名誉も立場も居場所も失った鷲崎に声をかけたのは、教団ナンバー2の教導師、鵜殿宏和と名乗る優男だった。
やたらと飲み込みの早い鵜殿は、鷲崎にとって過去最高にできの良い生徒であった。
化学、生物学の基礎から薬学に至るまで、自身も若き日には天才と呼ばれた鷲崎でさえ『本物の天才はこういうものか』と感心するほどの逸材だった。
教導師、鵜殿から新型MDMAの製造を持ちかけられた鷲崎が教団への協力を決めたのは、決して信仰心に目覚めたからではない。
単純に『研究を続けることが出来る』ということと、その研究で金を受け取れるという2つの理由によるものだ。
自身が開発した新型MDMA、アムリタを使用して神や仏の存在を感じると語った信者を目の当たりにしても、内心では『神だの仏だの、非科学的なことを』を見下していた。
だが、時折教導師の鵜殿が見せる異常な聡明さや、教祖鳩ヶ谷妙見の神がかり的な先見の明を前にすると、そこに科学以外の何者かの存在を感じざるを得なかった。
「あなたが神仏を信じようが信じまいが、それはどうでもいいわ。新型の開発を急いで。出来るだけ安価で、ちゃんと効果が得られるものを」
「わかりました……」
教導師が空けたドアを出ていった教祖鳩ヶ谷妙見の後ろ姿を見送った鷲崎は、歯ぎしりをする。
(俺をなんだと思っている。どうせ大学院も出ていないんだろう。俺がいなければクスリのひとつも作れないくせに)
徹底した学歴至上主義者である鷲崎にとって、最終学歴が大学院でないものなど、例外無く無価値だった。
高卒などもってのほか、中卒など平成以降存在しない都市伝説のようなものであると考えていた。
そんな彼は、自分を傲然と見下ろした教祖妙見を演じる鵜殿宏子が、中学校へ行ったことなど数えるほどしか無かった、学校からは縁遠かった人生を送っていたなど想像すら出来ない。
「フン……どうせまがいものだ……」
この時に呟いた鷲崎の言葉が真実であることなど、鷲崎自身も理解していなかった。
紛い物の教祖、妙見の耳に備えられたワイヤレスイヤホンからは、落ち着いた声が語りかけていた。
『——ドクター鷲崎は、教祖鳩ヶ谷妙見を紛い物と言っています。いかがなさいますか?』
「どうもしなくていいわ。放っておいて。いちいちハエを一匹ずつ追いかけたところでキリがないわ」
『承知しました。妙見様』
歓喜観音会の中でも、プレハブの建物のそこかしこにカメラとマイクが仕込まれていることを知るのは、教導師と教祖の2人。
そして、AIの烏丸だけであった。




