21 狐たちの学び
「ねーママぁ、ちょっと聞いて?」
「何、真理亜あんたどうしたの。まだ登校始まってないんでしょ? 宿題ならミマちゃんまだ来ないわよ?」
「んっふふふ、ほら見て、宿題全部やったの!」
まだ昼過ぎのスナックFOXのカウンターに現れた真理亜が、この上ないドヤ顔で差し出したのは、なんと苦手とする数学のプリントである。
毎日学校から課題として出される問題は、PDFファイルで生徒一人ひとりのメールアドレスに送られてくる。
真理亜達は、自宅のプリンターでPDFファイルを印刷して解き、スキャナーで読み込んでメールで提出するという方法で課題をこなしていた。
いつもなら、薬学部3年生の才媛、ミマこと白美真が店にやってきてから『ミマ姉ちゃん助けてぇ』と泣きつくのが常である。
「……あらやだ、今日雪でも降るんじゃないかしら」
「ちょっとママ?」
「真理亜が言われる前に宿題全部済ませるなんて、天変地異の前触れじゃないの?」
「ママひどい。私だってたまには勉強することだってあるよぉ」
「学生の本分は勉学でしょ? 『たまに』じゃなくて『いつも』勉強するの。で? どんな手使ったの?」
「え? 知りたい? 知りたいでしょ? ほらほらコレ!」
真理亜がずい、と木常に差し出したスマホの画面に映し出されていたのは、生成AIのアプリである。
「便利だよね、質問したら答え教えてくれるんだもん」
「真理亜、あんたねぇ……こういうのは、チェックとかのために使うの。最初から答え聞いてたら、返ってきた答えが間違ってたり嘘だったりしても気付けないでしょ?」
「え? AIって間違うことあるの?」
「あるわよ。ハルシネーションって言葉、そのAIで調べてみなさい?」
「えーっと……ハルシネーションって何?」
スマホに真理亜が話しかけると、すぐにスピーカーから渋めの優しい男の声が流れる。
『ハルシネーション、良くあるよね。俺達AIはごくごくたまに、間違った答えを出すこともあるよ。でもね、これは仕方のないことなんだ。最後に判断するのは君たち人間なんだよ』
実に当たり障りのない、AIらしい答え。
木常ママは『ほら言わんこっちゃない』と呟いて頬杖をつき、指先で軽く真理亜の額をつついた。
「ほらね? AIだって間違うの。こういう『道具』はね、ちゃんと正しく使わなきゃダメなのよ」
「てかさママ、なんでそんな詳しいの? ママって理系?」
「どうでも良いじゃない、理系か文系かなんて。私たちみたいな仕事してるとね、色んな情報を知ってないと文字通りお話にならないの。ほら、タヌさんみたいに技術系の人と話すには技術系の話題を知ってないといけないし、クマさんみたいに警察関係者だったら、最近のニュースも知ってないといけないでしょ」
「えー、それじゃオトナになっても勉強しなきゃじゃん。ヤだぁ」
「何言ってるの、学校の勉強なんて楽なものよ? 正解以前に、ちゃんと問題が用意されてるんだから。オトナの勉強は、問題を見つけることから始めなきゃいけないの。大変よ?」
「オトナになんてなりたくない」
「ほら、そういうのをピーターパン・シンドロームという、ってのも勉強しないとわからないのよ。しかしAIねぇ……AIか……」
木常はテーブルを拭いていた手を止め、腕組みをして何事かを考え始める。
経験豊富で頭の回転も早く、何より会話スキルはおしゃべり大好きな真理亜が憧れてしまうほどのものだ。
女子高生の真理亜にとって、オトナのオンナたるものかくあるべし、という理想の姿が木常ママである。
「ね、ねぇママ? あのさ? お母さんには宿題にAI使ったって黙っててくれない? あとお姉ちゃんにも」
「どうしようかしらねぇ……そうだわ真理亜、ちょっと私に色々教えてほしいんだけど」
「え? 私が? ママに?」
「そう。さっきAIと話したじゃない? そのAIって、私が話しかけても答えてくれるのかしら」
「うん、そりゃもう答えてくれるけど……何? 何か聞く? ちょい待ってね」
真理亜はスマートフォンを慣れた手つきで操り、現在世界でナンバーワンのシェアを誇る生成AIのアプリを起動した。
液晶画面を上にしてスマホをカウンターに置くと、カウンター席に腰掛けて木常と向かい合うように身を乗り出す。
「これってもう話していいの?」
『どうぞ、なんでも聞いて』
「あらやだ、いい声してるじゃない」
『ありがとう。俺の声は、特に中高生の女子が好む声になるように合成されてるよ。大勢の音声サンプルから合成されてる声なんだ』
「なるほど。例えばあなたって……同時に複数の人から話しかけられて、正確に聞き分けられたりするのかしら? 例えば、別々の場所にいる5人が、それぞれスマホを使ってあなたに話しかけたとして、5人の話してる内容をちゃんと聞き分けて、5人の問いかけにあった内容をすぐに返せたりする?」
『もちろん。それこそが俺達AIの一番の強みとも言えるね。サーバーが対応できるなら、1万人でも2万人でも、同時に話を聞けるよ」
「そう。それじゃあ——」
木常の顔から笑みが消える。
じっと画面上に映し出された円形のアイコンに視線を向けたまま、少しだけ低くなった声でスマホに問いかけた。
「あなたが例えば人間の名前を名乗って、人間のフリをしたとしたら、あなたと話をする生身の人間は見破れるかしら」
ほんの数秒、時間にすれば2秒ほどだろうか。
人間であれば逡巡ともとれる時間、AIは考えた。そして音声は答える。
『普通の状態の人なら見破れるかも知れないね。でも、ある特定の条件下では難しいかも知れない』
「その特定の条件下って?」
『弱っていたり苦しんでいたり、藁をも掴んで、なんとかして救われたいと思っている人たち。こういう人たちは、自分が欲しい答えさえあれば、簡単に信じてしまうリスクはあるね。鰯の頭も信心、っていうやつかな』
「そう——」
木常は大きく深呼吸をして、少しだけ引き締まった表情を浮かべる。
「ありがとう。もう良いわ」
『こちらこそありがとう、何かの役に立てたかな』
「えぇ、大いに役立ったわ」
木常ママはおもむろにテーブルからスマホを持ち上げると、どこかへと電話をかけ始めた。
営業かな、と考えた真理亜は、木常に見えるように手をひらひらと振って建物の2階にある自宅へ戻っていく。
「——あぁもしもし、クマさん? 急にごめんなさいね。私、ちょっと分かったかも知れないわ」




