17 沈黙の天才
国道から離れたコインランドリーに静かに入ってきたのは、どこにでもあるようなただのハイエースだった。
夕方になり、すっかり日の入りが早くなったためか、まだ16時半なのに空は暗くなり始めている。
ハイエースの運転席から降りてきたのは、やたらと長い髪を三つ編みにして、上下ともにジャージという実に地味な出で立ちの女だった。
紙袋に洗濯物と思しき服やタオルを詰め込んで、慣れた手つきで洗濯を始める。
割と新しいこのコインランドリーでは、洗濯と乾燥が終わると、登録してある携帯の番号に通知を届ける機能がある。
髪の長い女、鵜殿宏子はまったく迷いのない手つきでランドリーマシンを操作してロックをかけると、そのままハイエースに乗って駐車場からゆっくりと出ていった。
向かった先にあるのはスーパー銭湯。大勢が利用する、かなり繁盛した店だ。
券売機でチケットを買って、勝手知ったる様子で脱衣所へ。まったく淀みも迷いもない手順で髪と身体を丁寧に洗い、湯船に入って目を閉じる。
(はぁ……今日もダメだった……)
ここに至るまで、宏子は誰とも、一言も言葉を交わしていない。
何しろ、見知らぬ初対面の人に自分から声をかけるなど、実に二十年ぶりくらいのことだ。言葉など出ないのが当たり前だった。
宏子はいわゆるコミュ障だ。
極端な上がり性で、彼女にとっては、『人前でアドリブで話をしろ』など、リスザルに相対性理論を説いて聞かせる方がまだ簡単というくらいである。
幼いころは場面緘黙症と言われ、特定の場面やシチュエーションでなければ話すことが出来なかった。
(どうしよう、黙って警察に行ったことがバレたら、絶対怒られる)
まるで何かから逃げるかのように、長い髪が完全に乾ききっていないままでスーパー銭湯をあとにして、コインランドリーへと駆け込んでいく。
ちょうど乾燥も終わった服とタオルを紙袋に詰めて、大急ぎでハイエースへと戻る。
運転席のすぐとなり、助手席があるべき場所にはなぜか車載用冷蔵庫に電子レンジが置かれており、後部座席はほぼ完全な居住空間になっていた。
エンジンをかけると、聞き慣れたラジオがいつもの調子で最近の流行曲を流し始める。
音楽をほとんど意識することもなく、宏子は慣れた手つきでハンドルを操り、街に背を向けて国道を走り始める。
おおよそ1時間半ほど車を走らせてたどり着いたのは、車中泊が出来る道の駅である。
エンジンを止めてフロントガラスにはサンシェード、サイドガラスにも目隠しを取り付けてから、宏子はもぞもぞと後部座席へと移っていく。
寝床とソファを兼ねたような椅子と、向かい合うように配置された机の上には、薄型の液晶モニターが4枚並んでいた。
「烏丸」
『はい、何でしょう?』
社内では、最新のMacbookが常に起動した状態を保っていた。
ブルートゥースで接続されたスピーカーから聞こえてきたのは、落ち着いた女性の声である。
「システムチェックを始めて」
『かしこまりました』
液晶モニターに映し出されたのは、いくつものウィンドウと凄まじい速度で滝のように流れる文字列。
宏子の目は、人類の眼球がこれほど早く動かせるのかと驚愕するほどの速度で動き続ける。
『ご報告します。資金洗浄と移動処理、完了しています。ウェブサイトを通じてのカウンセリング申し込みが7件入っています。こちらは教導師にご報告済みです。今日新たに入信された方は4名。本日の布施総額は421万9188円です』
「ありがとう」
『どういたしまして、お役に立てて嬉しいです』
「ねぇ烏丸」
『はい、何でしょう?』
宏子は少しだけためらってから、何度か深呼吸を繰り返す。
「私は…………どうすれば良い?」
彼女は、家族以外の人間が相手だとほとんど話すことが出来ない。唯一の例外は『台本』があった時だ。
台本と脚本があれば、宏子はどんな役柄も完璧に演じられた。
年齢不詳の謎の美女も、警察の留置所で捕まっている中年男に引導を渡す謎の女の役割でも、メイク次第では怪しい占い師の女でも、完璧に演じることが出来た。
演技を学んだ訳では無い。ただ、彼女は『演じる』ことだけを求められてきた。
そのせいで、自分自身というものを持つことが出来ず、38歳の現在彼女の中に残されたのは、まともなコミュニケーションが出来ない、極めて地味で、人混みに紛れたらまず見つけられないであろうほどに目立たないキャラクターだ。
「私は、これからどうすれば……」
『大丈夫です、心配はいりません。教導師からもしばらくは身を隠しつつ、静養するようにという指示を頂いています』
「そう……」
車内に備えた冷蔵庫から、コインランドリー近くのスーパーで買い込んでいた3割引の弁当を取り出して、そのまますぐ隣の電子レンジに突っ込んだ。
ハイエースの車内、宏子の寝床の下には大容量のバッテリーがいくつも積み込まれており、車の屋根に備えた太陽電池や外部電源から充電が可能な状態なっていた。
宏子が自ら組み上げた回路とプログラムにより、充電効率が極限まで高められた電池と発電設備のお陰で、一件地味でどこにでもありそうなハイエースは、宏子にとっては『動く個室』として充分な性能と電力を持つ拠点となっている。
「じゃあ烏丸、いつも通り、全員の行動履歴とログを整理して」
『承知しました』
Macbookの画面にコンソールが現れる。
プロンプトとよばれる命令を入力する画面に、凄まじい勢いで命令が現れては自動的に処理が進んでいく。
数十分、宏子がスーパーの割引弁当とお茶という粗末な夕食を済ませてスマホを眺めていると、液晶ディスプレイに緑色のランプのアイコンが現れた。
『ログデータ整理、完了しました』
「ありがとう」
プロンプト画面の一番下の行、命令の入力待ちを示す行には『COLLAT-SMA8』という文字が映し出されている。
信者情報照合管理エージェント、正式名称「COLLATION Smart Management Agent Ver.8」。
プログラミングと演技の天才、鵜殿宏子が自ら作り上げた、高性能人工知能、通称『烏丸』である。
「今日は早めに寝る。車両周囲の警戒をお願い」
『承知しました。では、おやすみなさい』
「おやすみ、烏丸。暗くして」
音もなくハイエースの中の明かりが暗くなる。液晶モニターは全てスリープ状態に切り替わり、Macbookの液晶も暗くなった。
宏子が寝袋に潜り込むのをどう確認したのかは謎だが、彼女が目を閉じた直後、ハイエースの外部に張り巡らされた赤外線センサーが起動した。




