15 消えた組織
「萬坊会? 萬坊会って言ったら、えっと、あのほら何だっけ? 中華系のアレな萬坊会?」
「そうだよ、中華系ヤクザの萬坊会だ。跡形もなくなってた」
西東京署近くの蕎麦屋で、いつも通りテーブル席で向かい合って座る大神と戌井の2人は、せわしなく箸と口を動かし続けていた。
「なんだってそんないきなり? 東京都内でも結構勢いづいてた連中なんじゃないの?」
親子丼の大盛りに特盛のかき揚げ蕎麦のセットという、水泳部の男子高校生のような量を凄まじい勢いで食べながら、大神は、戌井の前においてある皿の唐揚げに密かに狙いを定め始めている。
「そうなんだけどな……俺も正直何が起きてるか全然わからねぇ。とりあえず、萬坊会が唐突に消えて、その下部組織のレオパルドが『何者かによって痛めつけられた』ってことだけだ」
「誰がやったのそんなの。チャイニーズ系って色々面倒くさくて大変なんじゃないの?」
「大変だよ。だから警察でも警視庁のマル暴でもなかなか手を出せなかった。それが……文字通り消えたってのが納得行かねぇ。ってか手前ェなに人の唐揚げ狙ってやがる。親子丼に鶏入ってんだろが」
「私さ、揚げ物ってステキだと思うのよね」
「完全に同意だけどな、自分の分を食え。唐揚げ定食から唐揚げ奪うとか、どこの女王様だ」
「全ての唐揚げはレディのものよ」
「そのレディってなどこにいるんだ? あ? 食い意地張ったデカ女しか見えねぇぞ」
「一応ねぇ、私って今も銃持ってんの」
「刑事に脅したぁ良い度胸じゃねぇか唐揚げ女」
「チキン大好き娘って言ってくれない?」
「30過ぎが『娘』名乗るんじゃねぇよ痛々しい」
「は?」
「あ? やんのかコラ」
「大神くん、戌井くん、お店に迷惑をかけないように」
唐突に、隣の席の椅子を引いて低めの渋い声が2人の頭上から聞こえてきた。
店員に丁寧な物腰で『天丼の大盛りと、あとおろしぶっかけ蕎麦の大盛りを』と注文を済ませて、熊川が悠然と椅子に腰を下ろす。
つい先日、体脂肪率が1%減った代わりに体重が140キロを超えた熊川の摂取カロリー量は、実に1日に6000キロカロリーを超える。このカロリー量が、大神の普段の食事量とさほど変わらないという事実は、警察署内で密かに噂されている内容でもある。
「警察官同士が、公共の場でいがみ合うのはよくありません」
「すんません……」
「警部補、もっと言ってやってください」
「あ? お前ェだよ」
「は? 私じゃないよ、アンタだ」
「お? やんのかお前」
「ふたりとも、静かに食べなさい。他のお客様の迷惑です」
大神と戌井の仲の『良さ』は、西東京署内では有名な話である。
大型犬同士のじゃれ合いのようなものだが、少々厄介なことに、ふたりともに結構好戦的な性格だ。
剣道二段の戌井に対し柔道二段の大神は互いに『素手とか相手にならねぇ』や『接近戦に弱いくせに。オトしてやろうか』と、まるでラブコメのようなやり取りを繰り返している。
「仲が良いのは良いことですが、周囲にご迷惑をかけるようなことがないようにしてください」
「だってよ大神」
「戌井くん、2人に言ってるんですよ」
文字通り、お笑いでいうところの『天丼』である。
折しも熊川の前に特盛の蕎麦と天丼が運ばれて来たことで、3人が揃って苦笑を浮かべることとなった。
「そうだ警部補、あの、萬坊会が消えたってどういうことっすか?」
「その件については、本庁の方から『萬坊会の消滅については解決済みである』ということで連絡がありました。ふたりとも、これ以上は詮索と深入りは無用ですよ」
「でも熊川さん——」
「詮索無用です。いいですね? 萬坊会の件は本庁のマル暴が取り仕切ることになっています。アムリタの出どころや鳩ヶ谷妙見、それに『烏丸』やナンバー2の鵜殿宏和氏に関する情報が出たら、すぐに西東京署と共有するよう、警視総監とも話がついています。ふたりとも、良いですね?」
さすがの戌井と大神の2人も『警視庁のラスボス』とも言える警視総監の名前を出されては、それ以上言い返すことも難しい。
ふたりともに大人しく唐揚げ定食と親子丼を食べることとなった。
「とりあえず細かいことはここでは話せませんが、萬坊会とその下部組織レオパルドについては、捜査は本庁マル暴が担当します。今のところ分かっているのは、恐らくは日本国内でのチャイニーズマフィア同士のつぶしあいだろう、というのがマル暴の見解です。とはいえ、日本に大規模な『その筋』の者の入国が確認されているわけではありません。以前から日本にいた者による犯行でしょう。レオパルドと萬坊会の残党で、身柄を『保護』出来た者については、本庁が事情聴取を進めています」
「言ってみりゃ内ゲバっすか」
「まぁそうですね。というよりも……恐らくは中国の『三合会』のルールに背いたのが『粛清』の対象になった、という事情でしょう」
「三合会のルール?」
戌井が唐揚げの最後の一つを一気に口に放り込み、豪快に咀嚼する向かい側では、大神が大きなさじを使った親子丼を凄まじいスピードで平らげていく。
傍から見ていると非常に気持ちの良い食いっぷりである。
「チャイニーズマフィアの最大勢力、三合会は、過去に鶴岡会と協定を結んでいます。日中双方で麻薬の取り扱いは行わない、というものです。何しろ中国は19世紀のアヘン戦争で痛い目に遭っていますからね」
「あぁ、アヘン戦争って、世界史でやってたアレですか……まさかあんな歴史上の出来事が今につながってるんですか」
「そうです。今の三合会の首魁、趙克冠氏と鶴岡会会長の鶴岡慎太郎氏の麻薬に対する姿勢が一致しました。今アメリカにフェンタニルの原料を輸出しているのは、上海と深圳を拠点にしている黄家会です。もし鶴岡会と三合会の協定がなければ、黄家会からとんでもない量の麻薬が日本に流れ込んでいたでしょうね」
「ヤクザとマフィアの協定が、日本の平和を守った……ってことっすか」
「皮肉な話ですが、その通りです」
特盛の天丼を前に、お行儀よく両手をあわせ会釈をしてから、美しい所作ながらも最大の効率であろう速度で、熊川は昼食を胃に流し込んでいく。
「しゃーねぇ、じゃあこっちはこっちで妙見と歓喜観音会の拠点探しか……また烏丸ってやつに電話してみるかぁ」
「しょうがないね、私も手伝ってやるからさ。今度飲み奢ってよ」
「いや、お前生活安全課だろが。何で刑事課手伝いに来るんだよ。暇か?」
「あぁ、生活安全課には私から協力要請を出しています。大神さん、よろしくお願いしますね」
食事を終えて自分の分の伝票を持って立ち上がった戌井は、優雅な手つきで天丼を食べながら優しい笑みを浮かべた熊川を呆然と見下ろした。




