14 出どころ
ばしゃ、と水をかけられる刺激で、中年の男は唐突に意識を取り戻した。
男が目を開け、身体を動かそうとする。が、両手を後ろ手に縛られている上、椅子にでも縛り付けられているのか、まったく身動きが取れない。
「会長、目ェ覚ましましたぜ」
恐らくはアルコールとニコチンで灼かれたためであろうか、妙にしゃがれた声の男の声の残響から、そこが妙に広い空間であることがわかった。
真っ暗な部屋の高い天井から『ガコン』というやたら大きな硬い音が響き、直後に暗闇に慣れた視界が真っ白になる。
明るさに慣れた男の目に飛び込んできたのは、数名のいかにも『その筋の人々』と思しき集団である。
「おや、思ったよりお早いお目覚めだったねぇ」
「な……何だよ、どこだよここ!? おい! 何だお前ら! 俺が誰だかわかってんのかジジイ! 俺は『レオパルド』のモンだ! 俺等の後ろにゃ萬坊会がいんだぞオラァ! 嘗めてんじゃねぇぞオラァ!」
「萬坊会ねぇ……確か彼らは梶木くんのところから独立したんだっけ? 会長は萬明くん、だったかな」
「はい会長。萬の野郎、梶木のアニキから盃もらっといて、勝手に組織作りやがったみたいです」
「中国の子たちは、なかなか日本のこの世界のしきたりを理解するのが難しいみたいだねぇ。そもそも彼ら、ひょっとしたら『黒社会』から日本に入ってこようとしてる輩かもしれないねぇ」
「チャイニーズマフィア、ですか」
縛られたままの男の凄みにまったく反応することもなく、小柄な老人と両手の小指の先がない男は平然と話を続けていた。
「レオパルドねぇ、サメちゃん、拠点はわかるかな?」
「調べさせます。おい、すぐ調べにかかれ」
鮫原の号令で、すぐに2名の若い男が建物の外へと駆け出した。
「おいジジイ、手前ェビビってんな? あ? おい、ビビってんだろ?」
「そうだねぇ、実に怖いねぇ」
拍子抜けするような返事を返した老人が、杖でひょいと中年の男を刺すと、強面の男たちが数名、中年の男の椅子の後ろへと回り込んだ。
「僕はねぇ、『彼ら』の恐ろしさは良く知ってるよ。何しろ彼らは、アヘン戦争で国が滅ぶ様を目の当たりにしてきたようなモノだからねぇ。麻薬が国をどう滅ぼすのか、身を持って知ってるんだよ。僕にとって何より許せないのはねぇ、麻薬がそういうものだと知っていてなお、カタギの素人さんに売ろうなんて考えるバカな子が日本にいる、ってことだねぇ」
ぱきん、と乾いた枯れ木が折れるような音。
中年男が悲鳴を上げようと口を大きく開けた直後、強面の男の1人が男の口にタオルをねじ込んだ。
悲鳴にならない、くぐもった獣の唸り声のような音が広い室内に残響を残して消えていく。
「さてと、じゃあちょっと昔話をしようか。僕が若い頃ねぇ、チャイニーズマフィアたちは、それはそれは残酷な拷問をしてたんだそうだよ。体中の関節を一つずつ逆に曲げていく、っていうのでねぇ。左手の小指の第1関節から始めて、次は第2関節、そして第3関節。小指の関節が第3関節まで全部逆に曲がったら、今度は薬指、中指、人差し指、親指。それから、親指まで全部逆に曲がったら、手のひらの関節も曲げちゃうそうだねぇ」
ぱきん、ぱきん、と何かが折れる音が連続して響き、そのたびに中年の男は獣の咆哮を上げるが、全てタオルに邪魔されてくぐもった音にしかならない。
「両手首から先の関節が終わったら次は足首から先、足首も曲げ終わったら次に膝、肘、肩、股関節と関節を壊しちゃうそうだねぇ。いやぁ、チャイニーズマフィアは恐ろしいよねぇ」
老人、鶴岡の穏やかな声は、どこまでも穏やかなままであった。
そのことが中年の男にも、その周りにいる強面の男たちにも、そして鮫原組の組長である歴戦のヤクザの男にも恐ろしくてたまらなかった。
「だからこそね、僕は『彼ら』と協定を結んだんだよ。こちらからは手出しをしない。だからそちらからも手出しをするな、ってね。今回の件は、僕たちと彼らの協定違反だ」
鶴岡はスマホを取り出してどこかへと電話をかけ始めた。
数回のコールの後、『鶴岡ですが』と一言告げた後に、鶴岡はスマホをスピーカーモードへと切り替える。
「赵先生您好? 好久不见,我是鹤冈」
『那是鹤冈的哥哥吗? 已经过去多少年了?』
「|已经过去很久了、不是吗? 大概5年了吧? |大概是从和三合会休战之后吧《三合会との手打ち以来かねぇ》?」
鶴岡の口から語られたのは、実に流暢な中国語だった。
「我遇到点麻烦、|你们的一些年轻人《君たちのとこの若い衆が》|似乎在日本惹是生非《日本で悪さをしててねぇ》」
『大哥、这太糟糕了。你知道他叫什么名字吗?』
「他叫万明、|是日本黑道的《日本でヤクザやってるよ》」
『万明……啊、万秀穗的儿子。他干了什么?』
「真是没想到、|他居然在日本贩毒《日本でヤクを取り扱ってる》」
スマホのスピーカーから、特大のため息に混じって『哎呀』という声が漏れ聞こえてきた。
『真是个笨蛋……好吧、我会处理的』
「哦、谢天谢地、这下放心了。谢谢你」
『哥哥遇到麻烦、弟弟当然要帮忙』
「谢谢、|下次我给你寄点好吃的日本和牛《今度美味しい和牛を送るよ》」
『哦、我很期待。如果还有什么事、随时打电话给我,大哥』
「是是是,太感谢你了。我指望你了、兄弟」
プツ、と静かに通話を切ると、少し離れた場所で椅子に縛り付けられた中年の男に、何の感情もない視線を向けた。
「ま、そういうことだから」
「な、何、何言ってやがるこのジジイ! 手前ぇぶっ殺してやる! 俺にこんなことしてレオパルドが、萬坊会が黙ってると思うなよ!」
「おやおや、怖いねぇ。じゃあその怖い怖い萬坊会とレオパルドのこと、出来るだけ色々お話してもらわなきゃねぇ?」
ちら、と鶴岡が視線を隣に立つ鮫原に向ける。
「クスリの出どころと、萬坊会が『歓喜観音会』とどうつながってるか、出来るだけ詳しく聞き出してもらえるかなぁ?」
「わかりました、任せてください会長」
「じゃ、そういうことで。あとはよろしくねぇ」
鶴岡はそう言って立ち上がると、中年男の悲鳴が響く倉庫を悠然と歩いて出ていった。




