11 髪の長い女
からん、とドアの鈴が鳴り店の入口のドアが開いた。
「いらっしゃいませ、お帰りなさい」
ジェニーが馬渕の分の水割りを作りながら、顔を店の入口へ向ける。
「あら、お一人様?」
「はい、構いませんか?」
「もちろん。どうぞ、こちらのお席へ。ママ、ご新規様、お一人様よ」
「いらっしゃいませ、ようこそFOXへ」
にこ、と木常ママがカウンター奥の新規顧客の前に歩み出た。
髪の長い、メガネを掛けた女は軽く会釈をする。
「女性のお一人様は珍しいですね、この辺りにお住まいかしら」
「いえ、たまたまこの前見かけまして。ちょっと一杯飲んでいこうかなと」
「ありがとうございます。私、オーナーママのタマです。さっきの子はジェニーで、奥のテーブル席にいるのがチーママのマコ。奥にはバーテンの寅之介。御覧の通り小さな店だから、ゆっくりくつろいでいって下さいな。ジェニーちゃん、ご新規様へのサービスのナッツ盛り合わせ、出して差し上げて。お飲み物は何になさいます?」
「芋焼酎ってあります? 出来ればロックで」
「あら、お客様イケる口? 嬉しいわ。芋焼酎なら『白波』がありますけど」
「じゃあそれで」
背の高い、長い黒髪の女は差し出されたナッツを一粒つまんでポリポリと音を立ててかみくだく。
カットガラスのコップに氷と焼酎を注ぎ、ママが女の前に酒を差し出した。
「それじゃあどうぞ。『お帰りなさい』」
木常がいつもの『お帰りなさい』の声を上げると、カウンターに腰掛ける馬渕も、テーブル席の鶴岡も、そして伊立やジェニーもグラスを掲げた。
「あら、これは私『ただいま』って言った方がいい感じ?」
「そうね。この店の伝統っていうほど大げさなものじゃないんだけど。お店じゃお客様を『お帰りなさい』で出迎えて、『行ってらっしゃい』でお送りするの」
「へぇ、なんか良いなぁ、そういうの……出来ればいい店でこんなの出したくは無かったけど」
女はバッグから、黒い手帳を取り出した。
「警視庁西東京署、生活安全課の大神よ。ちょっとお話良い?」
「あら、お巡りさんだったのね。警察の方が何のご用かしら。このお店は警察のご厄介になるような事は何もないわよ?」
「ここに鮫原組の組長が出入りしてないかしら? 東京都暴力団排除条例、利益供与の禁止についてなんだけど、飲食の提供を含んでサービスの提供が禁止されてるのはご存知?」
「えぇもちろん。ただ、判例としては一般客として『たまたま』お店に来て、通常の飲食だけなら直ちに違法になる、ってワケじゃないはずよね」
「へぇ、お詳しい。なにか暴力団についてお困りのこととかありません? みかじめ料を要求されたりとかは?」
「無いわね」
木常の表情はまったく崩れない。
怯えも動揺も、油断も何もないまま、カウンターで芋焼酎を飲む大神に当たり前の接客を続けていた。
「この前、ちょっと前だったかしらね。たまたま警ら中にこのお店から鮫原組長が出てくるのを見かけたの。営業開始前だったのに、普通に飲食だったの?」
「そうよ。たまたまお店を開けてただけ。他になにかご質問は?」
「念のために確認するけれど、この店は反社会的勢力に場所を提供したり——」
不意に大神のバッグの中でスマホがけたたましい音を鳴らし始めた。
「どうぞ、店内で通話されるなら声を落として、他のお客様のご迷惑にならないようにお願いしますね」
大神はスマホを手にとって店の外へ出ていった。
ドアの向こうから断続的に妙に驚いたような声が漏れ聞こえてきた。
『は? どういうことですか』
『鶴岡会!? あの、東日本の!?』
『警視総監もって、それって』
『いや熊川警部補、そんな』
『だって法律は』
と、明らかにうろたえたような声の後に突然の沈黙。
『た、たた龍ケ崎警視総監!?』
『い、いえ、私はその、そんなつもりでは』
なにかの弁明をするかのような言葉には、先程の食って掛かるような勢いはもう無かった。
店内の奥、テーブル席では、鶴岡がスマートフォンの電源スイッチを押して、ジャケットの内ポケットにしまい込んだ。
「お巡りさんも大変だねぇ」
「ホント、こんな夜遅くまでご苦労さまだわ。お酒飲むときまで仕事なんて」
いけしゃあしゃあと、まるで他人事のようにシャンパンを傾ける鶴岡の言葉に、苦笑いのママがうなずきながら答えた。
「あの、ジェニーさん、大丈夫なんですか? さっきの人、警察官ですよね?」
「良いの良いの。マブさんは心配しないで? ほら、次何飲む? 何でも作ってあげるわよ?」
「あ、それじゃあ……どうしようかな、酎ハイって作れます?」
「もちろん。すぐ作るわね?」
相変わらず、ジェニーの胸元をチラチラと見ながら馬渕はスナックFOX自慢のフードメニューをつつき始めた。
からん、と音を立てて店に戻ってきた大神は、憔悴したような表情でちらりと店の奥へ視線をむけ、チーママと和やかにシャンパンを楽しんでいる鶴岡を見るとすぐに目を伏せる。
「あら、お帰りなさい。お電話はもう良いの?」
「え、あ、は、はい……」
「それで、何だったかしら? 暴力団排除条例違反だったかしら?」
「いえ……すみません、私の勘違いだったようで」
「そう? よかった、誤解がとけたみたいで安心したわ。それで、次は何を飲まれます?」
大神は少し慌てたかのように、グラスに残った芋焼酎をぐいっとあおり、上着を羽織り直した。
「あの、すみません、急な仕事がありまして、署に戻らないといけなくなっちゃって」
「あらぁ、残念だわ。じゃあもうお会計?」
「……はい、すみません、お願いします」
「じゃあ芋焼酎のロックが1杯で、席料込で1200円になります。領収書は?」
「いえ、結構です」
千円札に百円玉2枚をカウンターの上に差し出すと、大神は立ち上がりバッグを手に掴んだ。
「次はゆっくりいらしてね。警視庁西東京署生活安全課の大神さん?」
「そ、そうね、次があれば」
ドアを開いて、まるで何かから逃げるかのようにカウンターに背を向ける大神に、ジェニーとママ、それに馬渕までもが声をかける。
「行ってらっしゃい」




