09 華の女子高生?
スナックFOXのエース、ジャネット・貂の一人娘である真理亜が通う工業高校では、機械科や建築科といった『設備を使う』科では登校が再開されているが、真理亜が通う情報システム科は『ネットとパソコンがあれば実習出来る』ということもあり、今も在宅での授業が続いている。
店の入るビルの2階、3LDKの物件に母ジャネットと2人で住む真理亜は、自室でスピーカーとマイクを使い自宅で授業を受けていた。
『はい、じゃあ今日はこれで終わりです。明日も8時20分に点呼取るからね。みんなちゃんと朝起きるのよ。それから、まだ駅前とか、池袋とか新宿とか渋谷とか、ああいう場所は変なの配ってる輩がいるみたいだから、無闇矢鱈と近づかない。オッケー? じゃ日直はー……今日は伊藤と一ノ瀬、はい号令』
『はーい、じゃあきりーつ』
リモート授業なのに、号令は登校していた時とまったく同じものだった。
クラスの内の誰かが『起立したら腹しか見えんし』『おい中川、お前それパジャマじゃね?』『城島ァ、お前ズボン履けよ、それパンツだろ』と騒がしく声を上げ始め、一斉に明るい笑い声があがる。
『きをつけー、れーい。せんせーさよーなら、みなさんさよーならぁー』
まるで小学校の低学年の『帰りの会』の締めくくりのような挨拶で、また笑いが起こる
『はい、みんなお疲れさん。あんま遊び歩かないのよ? 宿題もちゃんとやるのよー? 人の話は最後まで聞——』
次々にクラスメイトが退出し始め、担任の根津美由紀が最後何かを言いかけたが、真理亜も話を最後まで聞くこと無く退出ボタンをクリックする。
ノートパソコンを少々乱暴に閉じて立ち上がると、迷うこと無く玄関へむかい、サンダルを引っ掛けて階段を下る。
目の前に現れたのは母の職場でもあり、生まれ育った場所とも呼べるスナックFOXのドア。
「お母さーん、お腹すいたぁ」
「真理亜、あんたもうちょっとねぇ、年頃の女の子なんだから」
呆れ返ったような声を上げるジャネットは、ジャージの上からエプロンをつけて、キッチンで料理を続けていた。
「ねーこれ食べて良い? 唐揚げ美味しそう」
「ダメ。そっちは売り物。自分たちの分はそっちにまとめてあるか。とりあえず上戻って、ご飯炊いといて。4合」
「えー、ねぇなんか食べたい、お腹すいたのぉ」
すねたような口調の真理亜がキッチンを覗き込む。が、足を踏み入れようとしない。
未成年である自分が母の職場に無闇矢鱈と足を踏み入れる事はできない、それくらいの分別は真理亜も持ち合わせていた。
「じゃあほら、口開けなさい」
「え、なになに? 何かある?」
「さぁ何でしょ。ほら開けて」
「はぁい」
ジャネットがフォークに刺して愛娘の口にすぽっと入れたのは、れんこんの歯ごたえがアクセントになっている肉団子だ。
「ほら、ご飯炊いてらっしゃい。晩ごはん出来たら呼ぶから」
「ふぁい」
「口にものを入れたまま喋らないの。お行儀悪いでしょ」
「あっへあふいんあおん」
「真理亜、普段お行儀の良い女の子が、ふとしたときに見せる崩した仕草は武器だけど、普段からお行儀が悪いのはマイナスでしかないわよ。『出来るけど今だけは敢えてやらない』っていうのと『そもそも出来ないからやれない』は、似てるようでぜんぜん違うの。覚えときなさい」
いわゆる『プロ』として長年第一線で活躍していたジャネットの言葉は、強い説得力を持っていた。
真理亜は不自然なくらい背筋を伸ばして姿勢を正し、もぐもぐと口の中の肉団子をよく噛んで飲み込んだ。
「そ。それでいいの。じゃあ真理亜、ご飯よろしくね」
「はぁい。晩ごはんは肉団子?」
「肉団子とサラダ。お吸い物は自分で作れるわね?」
「はーい」
時刻はまだ午後4時半。真理亜も少しずつではあるが、母のジャネットから料理を教わり始めている。
ジャネットが忙しいときなどは、時折寅之介が真理亜の夕食を作ることもある。
「おっはよー、ジェニーちゃん今日の晩ごはんなぁにー?」
からんからん、と勢いよくドアの鈴を鳴らして店に入ってきたのは、3階に住んでいるチーママの伊立麻子だ。
伊立はまったく料理が出来ない。公然と『え? 私の料理? 死ぬよ? 死人出るよ?』と言い放つくらいには料理が苦手である。
過去にママの木常が伊立に料理を作らせた事があったのだが、その1度だけで『うん。分かった。オッケー、チーママはキッチンは良いから、椅子席のお客さんをお願い。強みを活かせる職場にしないとダメよね』となにかを悟ったかのように、伊立にはキッチンへの立ち入りを禁止してしまった。
「今日はもう少ししたら寅ちゃんも来るから、あとでみんなで食べましょ。今日はミマちゃんは大学でお休みね」
「えーミマ姉ちゃん来ないのぉ?」
「そりゃそうよ、ミマちゃんの本業は学生なんだから」
「そっかぁ……だよねぇ。いつかさぁ、ミマ姉ちゃんもお店辞めちゃうのかなぁ……ヤだぁ、寂しい」
「そう言わないの。ミマちゃんだって、日本で薬剤師になるって夢があって頑張ってるんだから。昼のお仕事して食べて行けるなら、そっちのほうが良いわよ」
「じゃお母さんは今の仕事キライ?」
「全然? だってお母さんこの仕事しかしたことないもの。この仕事で娘を育ててるって誇りもあるわよ。まぁヤなこともあるしキツいことだってあるけど、それは多分どの仕事だって同じよ。タヌさんだって、それこそ警察のクマさんだって仕事はきついと思うわよ」
「そういうものかぁ……」
少ししょげかえってしまった妹分、真理亜の長い髪に手を伸ばして、伊立が小さな手で優しく頭を撫で始めた。
「そういうモンだよぉ? でもね、真理亜ちゃんはまだそういうこと考えなくっていいの。未成年なんだから、コドモの特権使って良いんだよ。大人に守られて、導かれるっていう特権をね?」
化粧前のすっぴんだと、中学生どころか小学校高学年くらいにまで見えてしまう、幼い外見の伊立はそう言うと、優しい姉のような表情で笑顔を向ける。
「真理亜ちゃんがこの仕事したいなら、私が色々教えてあげるけど、まだ先だね?」
「はぁい。じゃお母さん、ご飯何合だっけ?」
「4合。残りはちゃんと分けてラップで包んで冷凍庫よ?」
「はぁーい」
言うことを聞く気があるのかないのか、実に微妙な返事を残し、真理亜は階段を登っていった。




