第7話「夜のほうが、よく聞こえる」
ラジオが黙ってから、ぼくは、天井を見ていた。
ユウタくん。みつけた。
声は、もうしなかった。しないことが、こわかった。用件だけ言って切る電話みたいだった。みつけた、のあとに続くことばを、向こうは言わなかった。言わないまま、どこかで、続きを持っている。
眠るのは、あきらめた。
ぼくは布団から出て、机の電気スタンドだけ、つけた。ノートを開いた。ミナが在庫調べに使っているのと同じ、うすい水色のノート。ぼくのは、ほとんど白紙だった。白いページが、スタンドの明かりで、よけいに白かった。
絵日記も、手紙も書けなかったのに、怖いことだけは、いくらでも書けた。
わかっていることを、書き出した。
九月一日が、来ない。
大人は、きのうをやっている。
サチコも、きのうをやっている。
町から、出られない。
食べたものは減る。売るふりだけのものは、減らない。
夜十二時すぎに、放送がある。あっちは、日にちを数えている。
足音は、道をゆずれば、行く。
話しかけると、つながる。
そこまで書いて、ぼくは、鉛筆を止めた。
町から、出られない。そう書いたとき、ミナの顔が浮かんだ。出られないということは、ミナも出られないということだった。そのことに、まだ、少しだけ、安心してしまう自分がいた。ぼくは、その一行の上に、鉛筆を強く押しつけた。押しつけただけで、消さなかった。
八つも、書けた。八つも書けたのに、いちばん大事なことが、ひとつも書けなかった。
あの声は、誰なんだ。
ぼくは、鉛筆のおしりを、かんだ。かむと、頭が動く気がする。テストのときの、くせだった。木の味がした。
声のことを、考えた。大人の声じゃない。子どもの声でもない。きれいな声。きれいすぎる声。学芸会の劇で、六年生が一年生の役をやるときの声に、少し似ている。ほんとうの子どもじゃないものが、子どもの声を、しているみたいな。
思い出せる放送のことばを、書けるだけ、書いた。
ラジオをつけてください。
あしたも、あそぼうね。
いちばん高いところ。
まちは、とてもきれい。
ならべて、読んだ。ぼくは、あることに気がついた。
どれも、命令じゃなかった。おどしでも、なかった。ぜんぶ、誘いだった。
あそぼう。おいで。見においで。まるで――。
鉛筆が、止まった。
まるで、友だちを、さそうみたいに。
転校生が、はじめてクラスに来た日みたいに。誰かとあそびたくて、でも、さそいかたが、ちょっとへたな子みたいに。
そう思ったら、ぞっとした。こわい声だと思っているあいだは、まだ、よかった。さみしい声かもしれない、と思ったとたん、なにかが、ぐっと近くなった。同情したら、まけだ。理由はわからないけど、たしかに、そう思った。ナツメのことばが、頭の中で鳴った。話は、つながっちゃうから。
考えることと、話しかけることは、ちがう。ちがうはずだ。
ぼくは、ノートの続きに、書いた。
質問。「みつけた」って、なんだ。
かくれんぼなら、みつかったら、どうなる。つかまえに来る。それとも、こんどは、ぼくが鬼になる。どっちにしても、みつけた、は、おわりのことばじゃない。はじまりのことばだ。
窓の外で、なにかが、動いた気がした。
ぼくは、スタンドの電気を消した。暗くしてから、カーテンのすきまに、目を寄せた。
町は、暗かった。街灯が、ぽつ、ぽつ。よその家は、みんな寝ていた。大人たちは、あしたも同じ一日を繰り返すために、律儀に眠る。ぼくの家の門の前には、誰もいなかった。足音の主も、今夜は、いない。
山の上に、赤い灯が、ついて、消えた。
また、ついた。
ぼくは、カーテンのすきまから、それを見ていた。三日前に見つけてから、毎晩、見てしまう。誘ってる、と思ったのに、見てしまう。灯は、ついて、消えて、ついて、消えた。ゆっくりだった。ねむい目の、まばたきみたいだった。
そのとき、気がついた。
まばたきが、ずれた。
ついて、消えて――消えたまま、一拍、長い。それから、二回、はやく、ついた。また、ふつうに戻る。しばらくして、また、長い消え。二回の、はやい点滅。
規則が、ある。
ぼくは、ノートに写した。長い、短い、短い。長い。短い、短い。書きながら、心臓が、へんな打ちかたをした。ノートを持つ左手が、汗で湿って、紙が、少しへこんだ。これ、知ってる。見たことある。ケンジの店の、無線の本の、表紙の裏。
モールス信号。
ぼくは、読めない。読めないけど、これが「ただの故障」じゃないことだけは、わかった。壊れた電球は、規則正しくは、またたかない。
誰かが、山の上から、なにかを、言っている。
あの放送の声が? それとも――べつの、誰かが?
ぼくは、ノートを抱えたまま、布団に戻った。ノートの最後のページに、点と線を、写せるだけ写した。あしたの朝いちばんに、ケンジに見せる。ケンジなら、読める。読めなくても、読みかたの本を、持っている。
布団に入っても、目は、さえていた。
カーテンのすきまで、赤い灯は、まだ、またたいていた。ぼくは、暗い天井にむかって、思った。声にはしなかった。声にしたら、つながってしまうから。思っただけだった。
――おまえは、あの声と、同じやつか。
――それとも、おまえも、みつけてほしいのか。
いつのまにか、眠っていた。
夢は、見なかった。見なかったと思う。ただ、朝、目がさめたとき、ノートを抱えた腕が、しびれていた。ぼくは、ぼんやりした頭で、ページをめくって、たしかめた。
点と線は、ちゃんと、あった。夢じゃなかった。
そして、最後の一行に、ぼくの字じゃない字が、あった。
ちいさな、ふるえたみたいな、鉛筆の字。
――きこえてるなら へんじして
ぼくは、その字を、指でなぞりかけて、やめた。
字の下に、うすく、点と線が透けていた。ぼくが写した点と線じゃない。もっとうすい、紙の奥から浮いてきたみたいな点と線が、字の形に、集まりかけて、集まりきらないまま、残っていた。
ゆうべの、赤い灯と、同じ間隔だった。
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