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八月三十二日のラジオ 〜夏休みが終わらない町で、十年前に消えた子どもたちの声が聞こえる〜  作者: 虎野屋


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第5話「ずっと夏休み」

四日目の朝、ラジカセが、しゃべった。


――こちら三丁目秘密局、応答せよ。応答せよ。緊急連絡、繰り返す、緊急連絡。


秘密基地に着いたとたんだった。ケンジがマイクをひったくった。


「こちら本局。なんだよ緊急って」


――おまえら、ずるいぞ。


トシの声は、怒っていなかった。笑っていた。


――毎日集まって、なんか相談してんだろ。おれも入れろ。おれも、聞こえたんだからな。


「聞こえてたなら、なんで今まで黙ってたんだよ」


――黙ってたんじゃねえよ。無線が死んでたんだ。ずっと雑音ばっかでさ、今朝やっと通じた。……あとまあ、昨日までは、おれひとりで脱出王になろうとしてた。失敗したから、仲間に入れて。


ケンジがぼくたちを見た。ぼくたちは顔を見合わせた。断る理由は、なかった。聞こえた子は、こっち側。ナツメの言った通りなら、トシは最初から、こっち側だった。


   *


トシは十分で来た。自転車を雑木林に倒して、ブルーシートをめくって、顔だけ突っ込んで、にっと笑った。前歯の隙間が見えた。トシの笑いは、いつも音より先に顔に出る。


「うわ、せまっ。よくこんなとこに五人も入ってんな」


そう言いながら、六人目になった。


トシはケンジと同じ班で、ケンジと同じくらい機械が好きで、ケンジよりうるさい。腰のベルトに、おもちゃみたいなトランシーバーをぶら下げている。おもちゃみたいな、じゃなくて、半分おもちゃらしい。ケンジと二人で改造して、町の端から端まで届くようにしたのだと、前に自慢していた。


「で、なんの相談してた? 脱出計画? 無駄だぜ、おれも試した。橋のとこから川原おりて、川づたいに歩いた。二時間歩いて、橋の下に戻った。同じ橋の下だぜ? 笑うだろ」


笑うところじゃない。でもトシは笑っていた。


「なあ、おまえら、気づいてる?」トシはリュックから、ラムネ菓子の筒を三本出して、床に並べた。「駄菓子屋のラムネ、もうねえだろ。おれ、初日に、ラムネだけ買い占めたんだ。ほら、食えよ」


ケンジが「おまえかよ……」と言いかけて、やめて、一本取った。ミナも一本取って、でも自分では開けずに、ナツメの膝の上に、そっと置いた。ナツメは筒を両手で持って、ミナを見て、それから、小さくうなずいた。トシは残りの一本の蓋を、右手の親指で器用にはじいて開けて、ぶどう味のラムネを、ぼくの手のひらにざらざらと分けた。


「トシは、こわくないのかよ」


アキラが言った。トシはラムネを口に放り込んで、がりがり噛みながら、少し考えた。


「こわい……かなあ。だってさ、考えてみろよ。九月一日、来ないんだぜ」


トシは指を折り始めた。


「始業式、なし。宿題の提出、なし。二学期、なし。プールの検定も、身体測定も、なし。母ちゃんは怒らねえし、店の手伝いもねえ。菓子は買い占めたし、無線は使い放題」


指が五本、折り終わった。トシは折った手を、ぱっと開いた。


「ずっと夏休みじゃん」


誰も、何も言わなかった。


言わなかったのは、たぶん、みんな一回は、同じことを考えたからだ。ぼくは考えた。考えて、なかったことにした。トシは、なかったことに、しなかった。それだけの違いだった。それだけの違いが、あとで、いちばん大きな違いになる。


「……おまえは、いいよな」


アキラが、ぽつりと言った。トシはきょとんとして、それから、まずい、という顔をした。アキラの家のことを、思い出したんだと思う。トシは頭をかいて、ラムネの筒をアキラに差し出した。


「悪い。……食う?」


アキラは黙って、一粒だけ取った。トシはほっとした顔で、また、にっと笑った。前歯の隙間。トシのこういうところが、ぼくは嫌いじゃなかった。考えるより先に謝れるところ。


   *


夕方まで、六人で町の「在庫調べ」をした。


ケンジの発案だった。減ったら減りっぱなしなら、何がどれだけ残ってるか、数えておこうぜ。米屋の店先、酒屋の倉庫の窓、魚屋の氷。ノートに書き出す係はミナがやった。ミナの字は、こういうとき、頼りになる形をしている。


八百屋の前で、トシが立ち止まった。


「なあ。トマト、減ってなくね?」


トマトの山は、初日から同じ形だった。おじさんが毎朝、同じ形に積み直す。ケンジがノートをのぞきこんで、首をひねった。


「補充はされない。でも、売れもしないから、減らない。……いや、待てよ。おれら、食ってるよな。うちの米、ちゃんと減ってる」


「へんなの」とトシが言った。「減るものと、減らないものが、あるんだ」


トシは、こわがらない代わりに、よく気がつく。ぼくたちが「こわい」で目をつぶるところを、トシは「へんなの」で見る。ノートに、ミナが書いた。減るもの、減らないもの。線を引いて、二列にした。


日が傾いて、解散になった。トシは自転車にまたがって、片手をあげた。


「じゃあな。あしたも来るわ。――あ、そうだ」


トシは思い出したように、ベルトのトランシーバーを叩いた。


「夜、ひまなやつ、無線あけとけよ。おれ、夜の町、探検してんだ」


「探検?」ミナの声が、とがった。「夜、出歩いてるの?」


「おう。夜の町、すげえぜ。誰もいねえの。ぜんぶ、おれのもんって感じ」


「やめなよ」


「平気だって」トシはペダルに足をかけて、それから、少しだけ声を落とした。「……あのさ。夜歩いてると、たまに、後ろから足音すんの」


ぼくの背中が、冷えた。


「振り向いても、誰もいねえんだ。けど、歩くと、ついてくる。ぺた、ぺた、って。裸足みたいな音でさ」


「……それ、いつから」


「おととい? 最初はビビったけど、なんもしてこねえよ。ついてくるだけ。な、おもしれえだろ」


おもしろくない。誰の顔にも、そう書いてあった。トシだけが、にっと笑って、じゃあな、と走っていった。夕日の中を、立ちこぎで、どんどん小さくなった。


   *


その帰り道だった。


ミナを先に送って、ぼくはひとりで、家までの最後の角を曲がった。日はもう落ちていた。街灯が、ぽつ、ぽつ、とついていた。


ぺた。


足が、止まった。


ぺた。


ぼくの足音じゃなかった。ぼくは運動靴で、音は、裸足だった。濡れた足の裏を、アスファルトにつけるみたいな音。後ろ。振り向いた。


誰もいなかった。


街灯と、電信柱と、よその家の塀。それだけだった。ぼくは前を向いて、歩いた。


ぺた。ぺた。


歩くと、鳴る。止まると、やむ。距離は、変わらない。ずっと同じだけ、後ろにいる。ぼくは走らなかった。走ったら、向こうも走る気がした。心臓だけが走っていた。


家の門が見えた。ぼくは歩いた。同じ速さで。玄関の戸に手をかけて、開けて、中に入って、閉めた。


ぺた。


音が、門の前で、止まった。


戸のすりガラスの向こうは、ただの夕闇だった。誰の影もなかった。ぼくは息を殺して、ガラスを見ていた。


ぺた、とも、なんとも、もう鳴らなかった。


でも、いる。


すりガラス一枚の向こうの、音のしない場所に、濡れた足の裏が、こっちを向いて、立っている気がした。

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