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八月三十二日のラジオ 〜夏休みが終わらない町で、十年前に消えた子どもたちの声が聞こえる〜  作者: 虎野屋


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第4話「減ったら、減りっぱなし」

三日目の朝も、味噌汁のにおいで始まった。


母さんがおたまを落として、あらやだ、と言った。ぼくはもう、箸を止めなかった。三日で慣れた。慣れたことが、いちばんこわかった。


   *


神社の石段に、五人で集まった。集まったけど、やることがなかった。


町の外には出られない。大人はきのうを繰り返す。放送の正体はわからない。わからないことを、わからないね、と言い合うために集まるのも、二日目で終わっていた。


「腹へった」とアキラが言った。


それで、ぼくたちは駄菓子屋に行った。


駄菓子屋のばあちゃんは、いつもの丸椅子に座って、いつもの団扇を動かしていた。ぼくたちが入ると、いらっしゃい、と言った。きのうと同じ、いらっしゃい。


ケンジが棚の前で、固まった。


「……ラムネ菓子、ねえ」


瓶のラムネじゃなくて、フィルムの筒みたいなケースに入った、ぶどう味のラムネ菓子。ケンジが毎日買うやつだ。ケンジは棚を上から下まで見て、それから、ばあちゃんに訊いた。


「ばあちゃん、ラムネは?」


「はい、四十円」


ばあちゃんは、何もない場所から、何かを取るしぐさをして、何もない手を、ケンジに差し出した。


ケンジは、その手のひらを見た。しわだらけの、からっぽの手のひら。ケンジはポケットから五十円玉を出して、ばあちゃんの手に、そっと置いた。ばあちゃんはレジを開けて、十円玉を返してよこした。おつりだけは、ほんとうにあった。


「まいど」


外に出てから、ケンジは五十円玉のなくなったポケットに手を突っ込んだまま、しばらく黙っていた。


「……なくなった物は、補充されねえんだ」


ケンジはそういうことを考えるのが、五人でいちばん速い。電器屋の息子だからか、物事を配線で考える。どこかで断線してたら、その先には電気は来ない。


「この町、閉まってんだろ。トラックも入って来ねえ。ってことは、店の物も、うちの米も、減ったら減りっぱなしだ」


「食いもんが、なくなるってこと?」とアキラが言った。


「すぐじゃねえけど。いつかは」


ミナが、駄菓子屋の奥を振り返った。ばあちゃんは団扇を動かしていた。売る物が消えても、ばあちゃんは売り続けるんだろう。からっぽの手のひらを、差し出し続けるんだろう。


   *


昼は、ミナがおにぎりを持ってきた。


台所に立ったら、お母さんが何も言わずに場所を空けてくれたのだという。おにぎりは五個あって、形がばらばらだった。ミナは、料理はうまくない。うまくないことを、ぼくは知っている。三年生のとき、家庭科の調理実習で、ミナの班だけ味噌汁が焦げた。味噌汁って焦げるんだ、とみんなが知った。


「……なに笑ってんの」


「笑ってない」


「笑ってた」


ミナは怒った顔で、いちばん大きいおにぎりをぼくに押しつけた。塩がききすぎていた。うまかった。うまい、と言ったら、当たり前でしょ、と言った。そのあと、少しだけ、ほっとした顔をした。ミナはいつもそうだ。先に怒って、あとで、ほっとする。


ナツメは、おにぎりを両手で持って、小さくかじった。食べるのが遅い。ぼくたちが食べ終わっても、まだ半分残っていた。


「ナツメは、うちの人、何やってた? 今朝」


ミナが訊いた。なんでもない声で訊いたのが、ぼくにはわかった。ナツメの家の話は、誰も聞いたことがない。


ナツメは、おにぎりを持ったまま、少し考えた。


「……朝ごはん、出てた」


「出てた?」


「テーブルに。出てた」


作ってた、じゃなくて、出てた。ミナはそれ以上、訊かなかった。訊かない代わりに、自分の水筒の麦茶を、ナツメのコップに注いだ。ミナはそういうことが、すっとできる。ぼくには、できない。


   *


午後、アキラが立ち上がって、行くところがある、と言った。


ついて行った。ついて来るなとは、言われなかった。アキラは商店街を抜けて、写真屋の前で止まった。


写真屋のショーウィンドウには、七五三だの成人式だのの見本写真が並んでいる。アキラはガラスに顔を寄せて、奥の一枚を見ていた。運動会の集合写真だった。何年も前の。日に焼けて、色が薄くなっていた。


「……あった」


アキラが、ぽつりと言った。


写真の隅に、体操服の男の子が写っていた。ゴールテープを切っている。笑っていた。写真の下に、色あせた文字で「昭和五十三年 町内運動会」とあった。アキラには似ていない。似ていないけど、アキラがその写真を見る目で、誰なのか、わかった気がした。


アキラは五人でいちばん体が大きくて、五人でいちばん、しゃべらない。去年までは、こんなじゃなかった。去年までのアキラは、ドッジボールで外野から内野のぼくに当てて、大笑いするやつだった。いつからしゃべらなくなったのか、思い出せない。気がついたら、教室のいちばん後ろの席で、ひとりで窓の外を見るやつになっていた。


「帰るぞ」


アキラはそれだけ言って、歩き出した。写真のことは、何も言わなかった。ぼくも、訊かなかった。訊けるようになるのは、もっとずっと、あとのことだ。


   *


夕方、秘密基地に寄った。


ケンジがラジカセの電池を新しいのに替えた。店から持ってきた最後の単一電池だった。減ったら、減りっぱなし。ケンジは電池の袋を、大事そうにたたんでポケットにしまった。


「なあ」とケンジが、つまみを回しながら言った。「おれ、考えたんだけど。夜の放送、あれ、どっから飛んでると思う?」


「……町内放送だろ。役場の」


「役場の放送室は、夜、鍵かかってる。じゃあ誰が、どっからマイク握ってんだって話」


ケンジは、壁の手描きの地図を、あごで指した。山の上の、赤鉛筆の書き込み。星見山送信所・立入禁止・録音室あり(たぶん)。


「電波ってのはさ、いちばん高いとこから飛ばすんだよ」


誰も、何も言わなかった。ブルーシートの隙間から、夕日が細く差し込んで、地図の上の鉄塔のところで、止まっていた。


   *


夜、ぼくは布団の中で、放送を待った。


待ちながら、昼間のことを考えた。ミナのおにぎり。ナツメの『出てた』。アキラの見ていた写真。ケンジの、いちばん高いとこ。


みんな、少しずつ、何かを抱えている。三日目にして、やっとそれが見え始めていた。学校の教室では、見えなかったものだ。教室のぼくたちは、班がいっしょ、というだけの五人だった。


十二時すぎ。


スピーカーが、ジ、と鳴った。雑音。太鼓が、一拍。二拍。三拍。


きのうより、一拍、多い。


――こちら、八月三十二日。三日目です。


きれいな声が、言った。


――きょうは、いいことを、おしえてあげる。


ぼくは布団の中で、息を止めた。


――いちばん高いところから見ると、まちは、とてもきれい。


放送が、切れた。


ぼくは天井を見ていた。心臓がうるさかった。いちばん高いところ。昼間、ケンジが言った。あの声も、同じことを言った。たまたまだろうか。たまたまじゃなかったら、あの声は、どこで聞いていたんだろう。


誘ってる。


ぼくは布団から出て、窓のカーテンを、少しだけ開けた。


山の上に、星見山送信所の影があった。何年も使われていない、立入禁止の鉄塔。その先端で、小さな赤い灯が、ついて、消えた。


また、ついた。

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