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八月三十二日のラジオ 〜夏休みが終わらない町で、十年前に消えた子どもたちの声が聞こえる〜  作者: 虎野屋


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第3話「今日は来ない日」

ポストの上で、猫があくびをした。


きのうと同じ猫が、きのうと同じあくびをした。ぼくたちは自転車にまたがったまま、しばらく、猫を見ていた。猫は見られていることに飽きて、目を閉じた。


「……もう一回だ」


ケンジが言った。


二回目は、線路づたいに行った。自転車を駅の脇に置いて、砂利を踏んで、レールの横を歩いた。線路なら、曲がりようがない。まっすぐ行けば、絶対に隣町に着く。ぼくはずっとレールを見ていた。レールはずっと、まっすぐだった。まっすぐのまま、いつのまにかカーブして、気がつくと、駅の裏に出た。


うちの町の、駅だった。


ホームには誰もいなかった。時刻表の前で、ケンジが駅員のおじさんをつかまえた。電車、来ないんですか。おじさんは笑って言った。


「今日は来ない日ですから」


普通の顔だった。来ない日、なんてものが、あるみたいに。


三回目は、海に出た。防波堤づたいに、隣町の漁港まで歩くつもりだった。海は広くて、こっちの味方みたいに見えた。潮のにおいの中を、三十分は歩いた。振り返ると、さっきの防波堤の、さっきの消波ブロックの前にいた。ブロックの上に、釣り人がひとり。きのうも、あそこにいた気がする人だった。バケツの中に、魚が、一匹。


ミナが、しゃがみこんだ。疲れたんじゃない、と思う。ぼくも、膝のあたりが変だった。こわい、が足に来ていた。


   *


帰り道、駄菓子屋の前に、サチコがいた。


十円のヨーグルトを、木のスプーンですくっていた。ぼくたちを見て、にこっとした。


「あ、佐伯くん。明日、始業式だからね。絵日記、ちゃんと持ってきてよ。集めるの、私なんだから」


きのうと、同じせりふだった。一字一句。声の高さまで。


ぼくは、ゆっくり近づいた。


「……なあ、サチコ。今日って、何日だっけ」


「八月三十一日でしょ」


「昨日は?」


「昨日?」


サチコは、スプーンを持ったまま、少しだけ首をかしげた。かしげたまま、二秒、止まった。目の奥で、何かが探しものをして、見つからなかった。


「昨日って、何?」


かしげた首が、ゆっくり戻った。サチコはまた、にこっとして、ヨーグルトをすくった。何もなかったみたいに。


大人だけじゃ、ないんだ。


ぼくたちは、そこから早足になった。ミナが途中の公衆電話に飛び込んで、十円玉を入れた。東京の、親戚の家の番号。ぼくとケンジは、電話ボックスのガラスに顔を寄せた。ミナが受話器を耳に当てて、それから、こっちに受話器を向けた。


呼び出し音じゃなかった。ザーッという雑音だった。雑音の奥で、遠くで、太鼓が、一拍。


ミナは受話器を、そっと戻した。十円玉が、がちゃんと返ってきた。誰も取らなかった。


   *


神社の石段に、アキラとナツメがいた。


きのうと同じ場所。でも、きのうと同じじゃなかった。アキラはぼくたちを見ると、目をそらさなかった。ナツメは石段の途中に座って、膝を抱えていた。


「おまえらも、か」


アキラが言った。短い言葉で、全部通じた。


アキラの話は、こうだった。朝、母親が仏壇のない仏間で、誰もいない方に向かって、朝ごはんできたよ、と言った。二回言った。きのうと同じ二回。アキラは家を出て、山に登ろうとした。ラジオ塔まで行こうとした。山道は、何度上っても、神社の裏に出た。


「山も、だめか」とケンジが言った。


「山が、いちばんだめだ」とアキラは言った。「上るほど、下りてくる」


五人だった。この町で、きのうの続きを生きているのは、たぶん、この五人だけだった。ケンジが石段に座った。ミナが座った。ぼくも座った。蝉が鳴いていた。蝉の声だけは、ちゃんと夏だった。


「なんで、おれたちだけなんだ」


アキラが言った。誰も答えられなかった。


ナツメだけが、膝を抱えたまま、山の上のラジオ塔を見ていた。それから、ひとりごとみたいに、言った。


「呼ばれたから」


「……呼ばれた?」


「きのうの夜。放送。あれ、聞こえた子は、こっち側」


ナツメは、こっち側、と言うとき、自分の胸を指した。それから、商店街のほうを、目だけで指した。


「聞こえなかった子は、あっち側」


ぼくは、きのうの夜のことを思い出していた。眠れなかった。だから聞こえた。もし宿題を終わらせて、すっきり眠っていたら。ぼくは今ごろ、サチコみたいに、にこにこして、昨日って何、と言っていたんだろうか。


「おまえ、なんか知ってんのか」とケンジが言った。


ナツメは答えなかった。膝を抱え直して、小さくなった。白いワンピースの肩が、夕方の風もないのに、少しだけ震えていた。アキラが何か言いかけて、やめた。


夕方の五時に、町内放送が「夕焼け小焼け」を流した。


それは、いつも通りだった。いつも通りすぎて、こわかった。あの放送と、夜のあの声は、同じスピーカーから出てくる。同じ金網の奥から。


明日の朝、もう一回ここで集まることを決めて、別れた。別れ際に、ミナが一度だけ、ぼくを見た。何か言うのかと思った。言わなかった。


   *


夕飯は、カレーだった。


きのうと同じカレーだった。母さんは、明日の朝はミナちゃんちのお見送りに行くんでしょ、と言った。きのうと同じせりふで。父さんはナイター中継を見ていた。どこかの誰かが、きのうと同じホームランを打った。実況が、きのうと同じところで、大きな声を出した。


ぼくは部屋に戻って、算数のドリルの下から、便箋を出した。


桜の絵の便箋。ミナへ、とだけ書いてある。


今日、ミナは東京に行かなかった。引っ越しは、明日でしょ、と大人たちは言う。その明日は、来るんだろうか。来なかったら、ミナは、ずっとこの町にいるんだろうか。


それは。


そこまで考えて、ぼくは考えるのをやめた。胸の中に、一瞬、浮かんだものがあった。浮かんだことも、なかったことにした。便箋をドリルの下に戻して、電気を消した。


布団の中で、目をつぶった。つぶっても、だめだった。今夜も聞くんだ、と思っていた。聞きたくないのに、聞き逃したくなかった。


十二時すぎ。


町内放送が、ジ、と鳴った。


ぼくは布団の中で、目を開けた。今夜は、雑音が長かった。ザーッという音の奥で、太鼓が、一拍。二拍。


――こちら、八月三十二日。


きのうと同じ、きれいな声だった。


――二日目です。


心臓が、跳ねた。数えてる。あっちは、数えてるんだ。


――みんな、あしたも、あそぼうね。


放送が切れた。


風鈴が、ちりん、と鳴った。風は、なかった。

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