☆二章☆1-12☆華やかな屋敷の裏側
ノエルたちは屋敷の中央にある大きな玄関に足を踏み入れる。ひんやりとした空気が肌を撫で、足元には磨き抜かれた白い石の床が広がっている。壁には高価そうな絵画が飾られ、天井からは巨大な装飾灯が吊り下げられていた。華やかで豪奢な内装とは対照的に、廊下を行き交う使用人は女性ばかりで、男の姿は一人も見当たらなかった。
年配の女性使用人が深々と頭を下げると、白髪をきっちりと後ろで束ねた髪が、肩のあたりでわずかに揺れた。年齢を重ねた顔には細かな皺が刻まれていたが、背筋はまっすぐに伸び、動作には一分の隙もない。砂漠の乾いた空気にさらされているはずなのに、彼女の黒い使用人服には埃一つなく、銀糸で縁取られた襟元も乱れていなかった。穏やかな微笑みを浮かべているものの、その灰色の瞳はノエルたちの姿を一人ずつ慎重に見定めている。
「旦那様がお待ちです。こちらへ」
抑揚の少ない声に促され、ノエルたちは互いに一瞬だけ視線を交わした。
作戦開始だ。
案内された応接室は、屋敷の外観に負けないほど豪奢だった。磨き上げられた白大理石の床には、深紅と金糸で織られた絨毯が長く敷かれている。壁には砂漠の夜を描いた巨大な油彩画が掛けられ、青い月明かりと黒い砂丘が、部屋の中にまで冷たい静けさを運んでいた。天井から吊るされた多層のシャンデリアには、砂海雫の原料にもなる青い鉱石が嵌め込まれ、淡い光を放っている。窓は厚い遮光布で半ば閉ざされ、外の灼熱を遮っているにもかかわらず、室内には香木と乾いた香辛料の匂いが漂っていた。
中央には黒檀の長机と、背もたれの高い椅子が置かれている。
その奥に、一人の老人が待っていた。
いや…老人と呼ぶには、あまりにも大きな体格をしていた。
椅子に腰掛けているだけなのに、こちらへ迫ってくるような圧迫感がある。赤茶色の髪には白いものが混じっていたが、頭頂から後頭部にかけてはまだ厚く、獣のたてがみを思わせる。太い眉の下には、琥珀色の鋭い瞳が沈んでいた。頬や額には年齢を示す深い皺が刻まれているものの、顔つきに衰えはない。むしろ、長年にわたって他人を値踏みし、踏み越え、勝ち残ってきた者だけが持つ、冷たく重い威圧感があった。
仕立ての良い黒褐色の上着の下には、分厚い胸板と盛り上がった肩が隠されている。袖口から覗く手は丸太のように太く、節くれだった指にはいくつもの古い傷跡が走っていた。熊の獣人であることを知らなくても、あの腕から繰り出される一撃が人間の骨を容易く砕くことくらい、見ただけで想像できる。
老人はゆっくりと立ち上がると、床板が低く軋んだ。巨体が完全に伸びきると、まるでノエルたちの前に壁が立ちはだかったように見えた。口元には人当たりのよさそうな笑みを浮かべている。だが、その笑みは目元まで届いていない。
獲物を迎える商人の顔、あるいは商品に値段をつける側の顔。
ノエルは無意識に、ドレスの袖の中で拳を握りしめた。
(この男が…ガドル・ロベリア。これで六十七歳か…俺より遥かに強そうなんだけど…)
「遠路はるばる、ようこそお越しくださった。わしがガドル・ロベリアだ。この砂漠の地で商会を営んでおる」
ガドルは穏やかな笑顔を浮かべ、両腕を広げながら豪快な声でノエルたちを迎えた。正面には、今回の表向きの交渉役を務めるクローバー商会の人々が座っている。ノエルたちは、国外商人に同行してきた関係者という設定だった。
「クローバー商会とは以前から良い取引をさせてもらっておる。そちらの方々が、今回の?」
「はい。国外からいらした商人と、その商家のご令嬢方です」
「ほう」
ガドルの視線は、アイリス、ノエル、シャスールの順に移り、最後にシャスールの前で止まった。
「……そちらの女性はエルフか」
「ええ」
「珍しいな。シルヴァンの者が砂漠まで出てくるとは」
「色々見て回りたくて」
シャスールが裏声で答えた。
(…笑うな、俺)
「なるほど」
ガドルは顎髭を撫でた。
「長命種は、長い年月を生きるぶん、多くの経験を積んでおる。わしは優れた者には敬意を払う主義でな。遠方よりわざわざこの商会までお越しいただき、光栄に思うぞ」
その言葉だけを聞けば、豪快で礼儀正しく、頭も切れる。相手の種族ではなく能力を評価する、まともな商人にしか思えない。もし彼が悪事を働いていると知らなければ、俺だって好印象を抱いていたかもしれない。
けれど──
「南方から仕入れた獣人労働者についてですが───」
商談が進むにつれ、その印象は一気に崩れていった。
「丈夫な種族は高く売れる。逆に病弱な者は価値が落ちる。それは商品である以上、当然であろう。見た目の良い娘なら別用途にも需要がある。若ければ若いほど価値も──」
“商品”ガドルは、人をそう呼んだ。何の躊躇もなく。
ノエルは拳を握りしめる。
(……ふざけんな)
隣から、わずかに気配が伝わった。アイリスも同じ思いなのだろう。表情は優雅な令嬢のまま崩さない。だが、その瞳には冷たい光が宿っていた。
シャスールも笑顔を保っている。けれど、金色の瞳だけは、ガドルを静かに見据えていた。
『ノエル』
耳元でソルの小さな声が聞こえた。ノエルは視線だけを下へ向け、ドレスの袖に隠していた鏡晶石を確認する。すると、画面に文字が浮かび上がっていた。
《三号機より報告。屋敷西側廊下に不自然な空間を確認》
(来た!鏡晶石にコピーされた古代守護機兵たちの、分散稼働形態による報告だ!)
本体は異空小袋の中にあるが、それぞれの端末を通じて情報を収集できる。続いて、鏡晶石の画面に表示された文字が変わった。
《隠匿構造の可能性、〈高〉二号機より、地下方向に複数の微弱生命反応》
心臓が跳ねた。地下に、しかも複数の生命反応がある。アイリーンたちかもしれない、とノエルは隣に座るアイリスへ視線を向けた。彼女も自分の端末に表示された情報を確認しており、ほんのわずかに頷く。シャスールにも同じ情報が届いているようだ。
しかし、ガドルとの商談はまだ続いていた。
「申し訳ありません。少々、お化粧を直したく存じますわ」
アイリスが優雅に立ち上がる。
「構わん。使用人に案内させよう」
「ありがとうございます」
「わ、私も……」
「ぼ……わ、私も」
(シャスール!って俺も人のこと言えない…!三人同時に席を離れるのは不審に思われるかな?!)
ノエルは微笑む頬が引き攣りそうになるのを耐えながら、心の中で頭を抱えた。だが、ガドルは少し怪訝そうな顔をしたが、こちらにはすぐ興味を失っていた。
「好きにするとよい」
女であるから油断しているのか、それとも…色んなことが頭によぎりながらも、ノエルたちは応接室を出た。
☆
「危なかったですわね」
「ごめん」
廊下の角を曲がった瞬間、シャスールは普通の声へ戻った。
「意識して声を変えるのって疲れるね」
「いや、俺も失敗した。こうして俺たち三人を自由にさせたのは、女ということで油断しているからだと思う。だから、油断している今のうちに少しでも早く助け出そう」
ノエルは鏡晶石を確認した。すると、地図上に三号機が発見した経路が表示されていた。
「西側……この先だ」
何人かの使用人をやり過ごしながら、ノエルたちは指定地点へ向かった。
廊下の角を曲がるたび、誰かがいないかを確認する。使用人たちは忙しそうに行き交っていたが、誰もが一定の間隔で配置されているように見えた。掃除をしている者、花瓶の水を替えている者、銀食器を運んでいる者。そのどれもが自然な動作に見えるのに、こちらへ向けられる視線だけは妙に鋭い。
ただの屋敷ではない。使用人の中にも、警備を兼ねている者がいるのだろう。
ノエルはドレスの裾を踏まないように気をつけながら、できるだけ優雅に歩いた。こんな格好で忍び足をしている自分が馬鹿らしく思えてくるが、今は文句を言っている場合じゃない。
アイリスは背筋を伸ばし、扇子でも持っていそうな優雅な足取りで歩いている。ノエルが少しでも挙動不審になりそうになると、視線だけで「落ち着きなさい」と叱る。その隣を歩くシャスールも、表面上は穏やかな令嬢を演じていた。
やがて、三号機が示した地点へ辿り着くと、そこには白い石材で造られた、何の変哲もない壁が立ちはだかっていた。
隠し通路があるようには見えない。少なくとも、ノエルの目にはただの壁にしか見えなかった。
「ここか?」
「うん」
シャスールが壁へ近づく。
彼は周囲を一度見回してから、壁面へ軽く指を滑らせた。指先が石の表面をなぞり、わずかな凹凸や隙間を確かめていく。
しばらくして、シャスールが小さく首を傾げた。
「空気が動いてる。向こうに空間があるね」
「空気が?」
「うん。ほんの少しだけど、壁の向こうから流れてきてる。閉じた空間なら、こんな流れ方はしないよ」
ノエルにはまったく分からない。同じように壁に手を当ててみても、冷たい石の感触が伝わってくるだけだった。
「さすがだな」
「森ならもっと分かりやすいけど」
「砂漠の屋敷で森基準を出されてもな」
シャスールが小さく笑ったその時、ノエルの持つ鏡晶石が淡く光った。
《左下部。床面より六十二センチ。操作機構を確認》
三号機の指示に従い、ノエルは壁の左下へ視線を向けた。花の彫刻を支える台座の側面に、周囲の装飾とほとんど見分けがつかない小さな金属片が埋め込まれている。
しゃがみ込むわけにもいかないため、ドレスの裾を押さえながら手を伸ばし、指先で金属片を押し込んだ。
カチリ、と小さな音が響く。
直後、壁の内部で何かが噛み合う音が聞こえた。低く重い振動が足元から伝わり、やがて壁の一部が音もなく横へ滑っていく。
その奥に現れたのは、人ひとりがようやく通れるほどの細い入口だった。
「……本当にあった」
思わず声が漏れる。
隠し通路の存在は予想していた。それでも、目の前で壁が開くと、思わず息をのんだ。
現れたのは、地下へ続く細い階段だった。暗闇に閉ざされ、先は見えず、豪華で明るい屋敷とは別世界のように、そこだけ空気が重く淀んでいる。
入口から吹き上がった冷気が、ドレスの裾を揺らした。砂漠の屋敷とは思えないほどの冷たさだった。
湿った古鉄の臭い。その奥には、何かが腐ったような異臭まで混じっている。
「シャスール」
「うん」
シャスールは入口の向こうを覗き込み、階段の先を見つめていた。金色の瞳に浮かぶ魔法陣のような模様が、淡く揺らめいている。
「僕は予定通りここに残る」
作戦通り、シャスールには地下入口周辺の監視を任せることになった。誰かが近づいてきた場合は鏡晶石を通じてノエルたちへ知らせ、必要に応じて魔法で時間を稼ぎながら、ノエルたちが戻るまで入口を隠しておく。その間に、ノエルとアイリスが地下へ降り、レナたちの捜索と証拠の確保を行う。それが今回の役割分担だった。
「何かあったらすぐ知らせてくれよ」
「うん。そっちも、何か見つけたら連絡して」
「分かった」
ノエルは頷きながら、ドレスの脇に提げた異空小袋へ手を入れた。中は時間が止まった空間になっているため、必要な道具をすぐに取り出せる。
まず、アイリスへ剣を渡した。
「アイリス、これ」
「ありがとうございます」
アイリスは受け取った剣を手にすると、ドレスの下に隠していた剣帯を取り出した。腰に巻きつけて剣を収める。優雅な衣装を崩さず、必要な時にはすぐ抜けるよう、事前に細かく調整してあるのだ。
続けて、ノエルは異空小袋から小さな筒を取り出した。
「それと、これも」
「……これは?」
「コンラッド先生から貰ったアドモン先生特製の催眠スプレー。正式名称は【永眠と見間違うほどよく効く催眠スプレー】」
アイリスの眉がぴくりと動く。
「物騒な名前ですわね」
「名前だけじゃなくて、効果もかなり物騒らしい。吹きかければ、たぶん一瞬で眠る」
「たぶん、というのが気になりますが」
「コンラッド先生曰く、アドモン先生の説明では、適量なら生体反応に問題はないらしい」
「適量なら、ですのね」
アイリスは少し警戒しながらも、催眠スプレーを受け取った。
次に、シャスールへ短剣と催眠スプレーを渡す。
「シャスールにはこれ。短剣と、同じ催眠スプレー」
「ありがとう」
シャスールは短剣を受け取り、ドレスの内側へ器用に隠した。催眠スプレーも腰元へ固定する。
「これ、本当に使っても大丈夫?」
「たぶん」
「ノエル」
「ノエルさん」
アイリスとシャスールの声が重なった。
「ごめん。とりあえず今は、催眠スプレーを信じよう」
「信じる対象が間違っている気がしますわ」
ノエルは自分の剣を取り出して腰に差し、異空小袋を閉じた。
「ノエル、無茶しすぎないでね」
シャスールはいつもの柔らかな表情を浮かべていたが、その声には真剣さが滲んでいた。ノエルは一瞬、黙り込む。
シャスールは観察力が高く、ノエルたちの中でも特に、それぞれの癖や性格をよく理解している。だからこそ、ノエルがどんな時に無茶をするのかも知っているのだろう。
誰かが傷ついている時。誰かが助けを求めている時。そして、自分が危険な目に遭うことで仲間を救えると思った時、きっとノエルはまた同じことをする。ノエルはそれでも今は、彼を安心させるために、頷くしかなかった。
「分かってる」
『無茶するのはノエルの本能』
『ノエルは絶対無茶する』
「お前らはどっちの味方なんだ」
『『事実の味方』』
「腹立つな!」
思わず声を上げると、アイリスがすぐにこちらを睨んだ。
「声が大きいですわよ」
「ごめん」
「潜入中だという自覚を持ちなさい」
「はいはい」
「返事が軽い!」
アイリスは呆れたようにため息をつき、シャスールは口元を押さえながら笑っている。こんな状況でも、いつも通りのやり取りができることに、ノエルはほんの少しだけ心が落ち着くのを感じた。
やがて階段の先へ視線を向けると、暗闇の奥から冷たい空気が流れてくる。
その先には、レナたちがいるかもしれない。あるいは、もっと酷いものが待ち受けているかもしれない。
ノエルは覚悟を決めるように、剣の柄へ手を添えた。
「行こう、アイリス」
「ええ」
アイリスも表情を引き締めた。ノエルたちはシャスールに一度だけ頷くと、細い入口をくぐる。背後では壁が再びゆっくりと閉じ始め、差し込んでいた光が次第に細くなり、やがて完全に消えた。
ノエルとアイリスは、暗闇に包まれた地下へ続く階段を、慎重に降りていった。
────
───
──
地下は、地上の豪華な邸宅とは正反対の、まるで別世界だった。剥き出しの石壁に囲まれた通路には薄暗い灯りがともり、湿った空気が漂っている。左右には鉄格子の牢が並び、その中には獣人や人間、若者から老人、さらには子供までもが閉じ込められていた。
「……最低ですわね」
アイリスの低い声が響いた。ノエルも同じ気持ちだった。怒りで腹の底が熱くなるのを感じたが、今ここで暴れるわけにはいかない。
「全員、助けるぞ」
「当然ですわ。わたくしは手前から確認します」
「俺は奥へ行く」
「お気をつけなさい」
「アイリスも」
ノエルは足音をできる限り抑えながら、牢を一つ、二つ、三つと通り過ぎた。捕らわれた人々は、驚きと恐怖、そして助けを求める視線を俺に向けてくる。
(待ってろ!全員、絶対にここから出す)
そう心の中で誓った、その時だった。
「おい」
前方から声が聞こえた。
(っ、まずい)
曲がり角の向こうから、見張りの男が姿を現した。
「誰だ、お前──」
ノエルは咄嗟に異空小袋へ手を突っ込み、アドモン先生特製の小さな筒を取り出した
【永眠と見間違うほどよく効く催眠スプレー】
「ごめん!」
「何が──ぶふっ!?」
顔面に吹きかけると、男はぐらりとよろめき、その場に倒れた。
「えっ、効くの早っ!?これ本当に死んでないよな?」
『寝てるだけ』
『息はしてるから永眠じゃない』
「よかった……」
脳裏に、コンラッドとアドモンが満面の笑みで力強く親指を立てる姿が浮かんだ。効果は抜群だが、あの薬は名前が洒落にならない。
ノエルは眠り込んだ男を壁際へ寝かせ、すぐに再び走り出した。やがて通路の最奥に、三つの牢が見えてくる。その一番奥にいたのは、栗色の長い髪をした女性だった。
「アイリーンさん!」
「……え?誰……?」
牢の中にいた女性が顔を上げると、ヴァイオレットの瞳を大きく見開いた。
「俺です!」
アイリーンが固まり、隣の牢からは「何事よ、こんなに騒いで…」と苛立った声が響いた。赤みがかった髪と吊り目気味の瞳を持つエレンが姿を現し、彼女もまたノエルを見つめたまま、言葉を失ってしばらく沈黙した。
「「…………え?」」
「いや、だから俺──」
「「ノエル君!?」」
二人の声が綺麗に重なった。
「そうです!」
「え、すごく可愛い!」
「違和感なさすぎよ!」
「第一声それ!?救助に来たんだけど!?」
「なんで女装してるの!?」
「説明長くなるんで後で!」
「似合ってるわ!」
「だから後で!」
三つ目の牢には、ロイヤルパープルの長い髪と褐色の肌を持つ女性がいた。気品と凛々しさを備えた整った顔立ちは、薄暗い地下牢の中でもひときわ目を引く。
頭に生えたライオンの耳が、こちらの気配を察してぴくりと動いた。その仕草からも、美貌だけでなく獣人特有の鋭い感覚を備えていることがうかがえる。
事前にライブから姿絵を見せてもらっていたため、彼女がレナだとすぐに分かった。
「レナさんだよな!?」
「は、はい!あなたが……フィンの手紙に書かれていたノエルさん……よね?」
金色の瞳がノエルを凝視する。
「はい!」
「女の子だったの……?」
「男だ!」
「男の子じゃなかったの……?」
「だから男だって!」
(どうして全員同じ反応なんだよ!)
『想定内』
「ソルうるさい!」
『可愛いから仕方がない』
「ルナも!」
それでも、三人が無事に生きていることだけは確かだった。怪我を負い、疲労も見える。けれど、こうして言葉を交わせている。その事実に、張り詰めていた胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった。
「とにかく、今はすぐに此処から出すから、下がって!」
「ま、待って。鍵を探した方が──」
「時間がないので」
ノエルは魔力を腕へ流す。学院での特訓を重ねたことで、以前よりもずっと自然に扱えるようになっていた。握力と腕力を高め、肩へ一瞬だけ魔力を集中させる。そのまま剣を振り下ろすと、ガキンッ、と甲高い音が響き、錠前が砕け散った。
三人は、しばらく言葉を失っていた。
「どうしました?」
アイリーンがノエルを見る。
「……ノエル君って、見た目よりずっと強いのね」
「見た目よりってなんですか」
「いや……その格好でそれやると、本当に頭が混乱するわ」
エレンも複雑そうな顔になる。
「俺も好きでこの姿でやってません!」
牢を順番に開け、最後にレナを傷つけないように気をつけながら、拘束具へ剣を当てる。しかし、魔力を封じるためのそれは頑丈で、刃を当てただけではびくともしなかった。
ならばと、ノエルはさらに魔力を練り上げ、剣と腕へ同時に流し込む。力を込めて踏み込んだ瞬間、甲高い音が地下牢に響き渡った。
次の瞬間、拘束具は真っ二つに割れた。
「……ありがとうございます。危険を冒して、ここまで……」
レナが解放された手首を押さえる。
「お礼なんていいって。それより、怪我はないか?……本当に三人が無事でよかった…怖かったよな。でも、もう大丈夫だ。俺が必ず守るから」
ノエルが微笑むと、三人は一瞬、戸惑ったように視線を揺らした。やがて、その頬がほんのりと赤く染まる。
地下牢はひんやりとしている。暑さのせいではないはずなのに、三人はなぜか顔を熱そうにしていた。
「ノエル君」
「はい?」
アイリーンがノエルの顔をじっと見る。
「近くで見ると本当に綺麗……」
「今それ必要ですか!?」
「思ったことは伝えないと」
「救出されて最初に言うことじゃないでしょう!」
エレンが鼻で笑った。
「ふん。確かに顔だけなら相当なものね」
「エレンさんまで!」
「勘違いしないで。褒めてないわ」
「じゃあなんなんですか!」
「事実を言っただけよ」
「似たようなことを言う奴が肩にも二人いるんだけど!」
『仲間』
『可愛いのは事実』
「……ノエル君に伝えておくわ。実はさっきの見張りが近くにいた時、少しだけ意識を読んでおいたの」
アイリーンは、声を潜めて続ける。
「この屋敷には、人身売買の記録をまとめた帳簿があるみたいなの」
アイリーンの称号【精神感応】、相手の心を読み取る力だ。
「本当ですか!?」
「ええ。取引相手、金額、人数……全部」
「それは決定的証拠になる!場所は?」
「ガドルの執務室。隠し金庫の中」
「分かった!」
「もう一つ。ノエル君達が探している石板…ガドルは、かなり厳重に保管してるみたい」
アイリーンの表情が険しくなった。
古代遺跡の門を開く石板、ノエルたちが探していた古代遺跡への鍵だ。三人の救出、人身売買の証拠、そして石板。目的の一つはすでに果たした。残る二つも、すぐ目の前まで迫っている。
ノエルは決意を固め、立ち上がった。だが、その瞬間───
「待ちなさい」
エレンが言った。
「はい?」
「まさか私たちをここに置いて、一人で全部やるつもりじゃないでしょうね?」
「でも怪我してるし──」
「誰に言ってるの?」
エレンは不敵に笑った。次の瞬間、彼女の身体が淡く輝き、一人、二人、三人と、同じ姿をした分身が次々に現れる。
称号【写身鏡】の力だった。
「閉じ込められて頭にきてるのよ」
四人のエレンが揃って腕を組む。
「倍返しじゃ済ませないわ」
その隣で、レナが静かに息を吸う。彼女の魔力に呼応するように地下へ風が生まれ、ロイヤルパープルの長髪がふわりと舞った。
「私も戦えます。兄や皆さんに、守られているだけではいたくありませんから」
柔らかな口調とは裏腹に、金色の瞳には強い意思が宿っている。
「レナさん……」
「他の方々の拘束は、私が壊します」
「私は見張りの意識を探る。敵が近づけば先に分かるわ」
アイリーンも不敵に笑った。三人とも、ただ救われるだけではなく、自分の力で立ち上がろうとしている。その姿を見て、ノエルの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
「分かった!一緒に全員助けよう!」
「もちろん!」
「当然よ」
「はい」
「ノエルさん!」
アイリスも駆けつけ、三人の無事を確認すると、わずかに表情を緩めた。
「無事でしたのね」
「おかげさまで!」
「ですが、まだ終わっておりませんわね」
「ああ」
ノエルは鏡晶石を見つめた。人身売買の証拠も、古代遺跡へ続く石板も、地下に捕らえられている人たちも、すべて手に入れて連れて帰る。
誰一人、ここに置いていかない。
「次は帳簿を取りに行く」
その時、一号機の声が鏡晶石から聞こえた。
《屋敷内部の警戒度上昇》
《複数の武装反応。移動開始、速やかな撤退を推奨》
《潜入任務としては、概ね失敗の兆候》
三号機、四号機、二号機と続く。
「最後の一言いらない!とにかく今は急ごう」
ここからは時間との勝負だ。ガドルが証拠を処分する前に帳簿を奪い、古代遺跡の石板を見つけなければならない。もちろん、捕らわれている人たちも全員連れて帰る。
ノエルは地下通路の向こうを睨みつけた。
(華やかな屋敷の下に隠された醜悪な秘密を、すべて白日の下に晒してやる!まずは、帳簿と石板を手に入れる!)
「アイリーンさん。帳簿まで案内してください」
「任せて!」
「エレンさんは救出を」
「指図しないで。もうやってるわ」
「早っ」
「レナさんは──」
「拘束はこちらで」
風の刃が走り、牢の錠前が一斉に切断される。
「……俺いらない?」
『ノエルは華やかさ担当』
『ノエルはその見た目で癒しを届ける担当』
「俺の敵地での役割がそれなの!?」
こんな状況なのに、ノエルたちの間にほんの少しだけ笑いがこぼれた。そしてノエルたちは、ガドル・ロベリアの罪を暴き、古代遺跡へ続く鍵を手に入れ、この屋敷に囚われた人々を誰一人残さず連れ出すため、再び走り出した。




