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セイレーンは終焉を歌わない 〜十二の曲と六芒獣〜  作者: 白雪藤
第二章 六芒獣編☆第一遠征アリーナルムル共和国編
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☆二章☆1-11☆獅子はセイレーンに恋をした

(───どうして、こうなった)


 灼熱の陽光が降り注ぐアリーナルムル共和国で、砂漠特有の乾いた風がノエルの頬を撫でていた。

 目の前には、高さ十メートルはありそうな分厚い外壁がそびえ立っている。その奥に構えているのは、今回の目的地であるガドル・ロベリアの屋敷だ。

 高い塀に監視塔、正門の両脇には武装した獣人たち。遠目から見ても、豪商の屋敷というより、小さな要塞と呼ぶ方がふさわしい。

 中では、レナたちが捕らえられているかもしれない。人身売買の証拠を押さえ、古代遺跡へ入るための石板も見つけなければならない。


 一つでも失敗すれば、すべてが台無しになる。


 だから緊張するのは当然だ。そう自分に言い聞かせながら、ノエルは無言で自分の身体を見下ろした。

 黒に近い濃紺のドレスは、陽光を受けるたび、生地の表面には青紫や銀灰色の光が淡く浮かび、裾に縫い込まれた銀糸が、一歩進むたびに星屑のような輝きを散らしている。


 胸元から腰にかけては身体の線を自然に整える仕立てになっており、普段よりも明らかに腰が細く見えた。

 しかも、アイビーの技術は恐ろしい。こんな格好をしているにもかかわらず、動きにくさはほとんどない。それどころか、普通の服よりも動きやすいくらいだった。

 さすがは現代最高峰の裁縫技術、称号【縫華紡命】を持つアイビーである。


 (……いや、今はそこを褒めている場合じゃない)


『似合ってる』


 ノエルの右肩に腰掛けたソルが淡々と言った。


『とても可愛い』


 左肩のルナも続ける。


「慰めになってないからな」


『慰めてない』


「じゃあなんなんだよ!」


『事実を言ってるだけ』


「なお悪い!」


 ノエルが小声で抗議すると、少し前を歩いていたアイリスが振り返った。白を基調とした上品なドレスに身を包み、白銀の髪を揺らす彼女は、いつもの学院制服姿でも十分目立つというのに、今日はまるで王侯貴族のお嬢様のようだった。


……いや、実際に公爵令嬢で王族の血を引いているのだから、正真正銘のお嬢様なのだが。


「ノエルさん。声が大きいですわ」


「分かってる」


「それから背筋を伸ばしてくださいませ」


「なんで?」


「その姿で猫背になられると美しくありませんもの」


「潜入任務に美しさ求めなくていいだろ!」


「不自然に見えないためですわ」


「本当にそれだけ?」


「ええ…二割ほどは」


「残り八割は何?!」


アイリスは澄ました顔で前を向いたが、どう見ても楽しんでいる。


「二人とも静かにした方がいいよ」


 隣から柔らかな声がした。


「もう門の人たち、こっち見てる」


「誰のせいだと思って───」


 シャスールの方を向いて、ノエルは思わず言葉を止めた。


淡い色のドレスをまとったシャスールは、普段のようにピンクブロンドの髪を三つ編みにしていなかった。ほどかれた髪は肩から背中へ自然に流れ、いつもより柔らかな印象を与えている。エルフ特有の整った顔立ちと華奢な体つき、魔法陣のような模様が浮かぶ金色の瞳が、彼の美しさを際立たせていた。

 普段の神出鬼没で掴みどころのない雰囲気は影を潜め、そこにいたのは、森の奥から現れた妖精のように可憐で、世間知らずの令嬢を思わせる姿に思わず見惚れてしまう。


「……お前も大概だからな」


「そう?」


「なんでそんな普通に受け入れてるんだよ」


「着替えるだけだから」


「百二十四歳の男がドレス着て“着替えるだけ”で済ませるなよ!」


「エルフだと珍しくないよ?」


「文化の壁がでかい!」


 シャスールは不思議そうに首を傾げた。駄目だ、こいつを相手に突っ込んでいたら、自分の方が疲れてしまう。


ノエルは深く息を吸い、気持ちを切り替えた。


(焦るな。俺たちは遊びに来たわけじゃない)


ガドルの屋敷へ潜入し、三人を探し出して証拠を確保する。さらに、古代遺跡へ入るための石板も見つけなければならない。そして、全員で帰る。そのために、ノエルたちはここへ来たのだ。


「行こう」


 ノエルが呟くと、アイリスとシャスールが小さく頷いた。ノエルたち三人は、商談に同行する関係者を装いながら、ガドル邸の正門へ進んでいった。




         ☆




 門へ近づくにつれ、屋敷の警戒の厳しさがはっきりと見えてきた。正門前には十人以上の警備が立ち、その大半を猫や犬、狼、さらには大型の熊と思われる獣人たちが占めている。

 学院へ来る前のノエルなら、その人数を目にしただけで身体が強張っていたかもしれない。だが、今は違う。

 ノエルは静かに呼吸を整え、脚、腕、指先、肺、心臓へと順番に魔力を巡らせていく。学院での特訓を経たことで、以前よりも魔力の流れを明確に感じ取れるようになっていた。


(無理に力を込める必要はない…必要な時に、必要な場所へ流す)


《警告。正門周辺に複数の武装反応》


 耳元ではなく、手に持った鏡晶石から一号機の声が聞こえた。


《推定戦力、中級以上を複数確認。不要な戦闘は非推奨》

《記録開始。周辺地形を更新》

《危険。帰還を提案》


二号機、三号機、四号機と言葉が続く。


「まだ門にも入ってねえよ」


《早期撤退は生存率を高める》


「正論だけど今回は却下」


 ノエルは鏡晶石を閉じた、その時だった。


「止まってもらおうか」


 低い声が、乾いた砂漠の空気を震わせたその瞬間、ノエルたちの足は止まった。

 門前には、焼けた砂と石壁が放つ熱気が満ちているにもかかわらず、喉がひゅっと狭まり、背中を冷たい汗が伝った。指先だけが妙に冷たい。


ゆっくりと顔を上げると、目の前には大柄な虎の獣人が立ちはだかっていた。黄色い髪には黒いメッシュが走り、顎には短い髭が生えている。左頬には、爪で深く裂かれたような大きな十字傷が刻まれていた。その傷が、鋭い虎目をいっそう凶悪に見せている。

 背負った巨大な剣がわずかに揺れ、金属が鞘の内側を擦る音が、やけに大きく響いた。

 獣人特有の嗅覚で、正体を探られている気がする。ただ視線を向けられただけなのに、皮膚の下まで見透かされているようだった。


ノエルは無意識にドレスの裾を握りしめる。


(落ち着け、今の俺たちは商談について来た女たちだ)


そう言い聞かせても、ノエルの心臓の鼓動は速まるばかりだった。


(資料で見た顔だ…確か、獣人傭兵団副団長のティグレさん。階級は中級壱星)


「わたくし達は、ロベリア商会への取引を希望する国外の商人の同行者ですわ」


 アイリスが一歩前へ出る。


「話は聞いている」


 ティグレの虎目が、ノエルたち三人を順番に見た。


「だが全員、検査を受けてもらう。この屋敷では例外は認められん」


「承知しております」


 アイリスが微笑む。ティグレの後方へ視線を移すと、白髪の女性が柱に寄りかかっていた。顔の上半分には包帯が巻かれ、その上から何枚もの札が貼られている。背中には黒い翼が広がっていた。


資料で確認した特徴と一致する。獣人傭兵団の参謀、ラーベだ。その隣には、いつからそこにいたのか分からないほど気配の薄い男が立っていた。紺色の髪に金色の瞳。腰には双剣を携えている。戦闘員兼暗殺者のファハドだった。


二人とも、事前に資料で確認していた姿そのものだ。

しかし、ライブの弟であり、獣人傭兵団の団長でもあるリオンの姿だけが見当たらない。


ノエルは周囲へ視線を走らせた。


「……団長は?」


 小さく呟いた瞬間。


「ここだよぉ」

「うわっ!?」


 真横から声をかけられ、ノエルは反射的に一歩飛び退いた。


いつの間に現れたのか、気配はまったく感じなかった。


そこに立っていたのは、ロイヤルパープルの髪から獅子の耳を覗かせた青年だった。褐色の肌に映える蒼い瞳が、整った顔立ちの中でひときわ鮮やかに輝いている。愛嬌のある笑顔とは裏腹に、鍛え抜かれた身体つきが服の上からでも分かり、背後では長い尻尾がゆったりと揺れていた。


ライブの弟であり、レナの兄──リオン・ラージュ。


上級星壱の実力を持つ、獣人傭兵団の団長だ。


「へぇ~」


 リオンはアイリス、シャスール、そしてノエルへと視線を移したところで、ぴたりと動きを止めた。笑顔も尻尾も固まったまま、十秒ほど沈黙が続く。ノエルは不思議に思い、首を傾げる。


「団長?」


 ティグレが呼ぶ。


「…………かわいい…すっごくかわいい」


 リオンの尻尾が、ぶわっと膨らんだ。


「え、なにこの子!小さくて可愛い!え? 商人さん? どこの子? 名前は?」


「は、急に何を…?」


「声まで可愛い!」


 何か嫌な予感がする。


『ノエル、逃げろ』


「なんで!?」


『危険、妾も同意する』


 ソルの言葉に続き、ルナまで頷いた。


「お前らさっきまで一言も警告してなかっただろ!?」


「妖精まで可愛いねぇ」


 リオンさんが一歩近づくたびに、ノエルは一歩ずつ後ずさった。


「なんで逃げるのぉ?」


「な、なんとなく!」


 そんなノエルたちのやり取りを、傭兵団の人たちは妙に冷静な顔で眺めていた。


 (……この反応…まさか、いつものことなのか?)


 ティグレが咳払いした。


「団長。仕事を」


「あ、そうだった」


 (軽い…本当にこの人が上級星壱なのか?いや、だからこそ怖い)


さっきまで、気配すら感じ取れなかった。レオンほどではないにしても、戦えば今のノエルではまず勝てないだろう。


「じゃあ身体検査ねぇ。武器とか魔道具とか持ち込まれると困るから」


 ノエルたちは、事前に用意しておいた荷物を差し出した。武器やコンラッドから出発前に渡された様々な道具は収納袋に入れ、スカートの内側に入れてあり、服にかけられた魔法により直接触られない限りバレないはずだ。鏡晶石も一般的な通信魔道具として見せている。問題はない。すべて予定通り───そのはずだった。


「では、失礼します」


 傭兵の一人がアイリスへ近づき、身体検査のために手を伸ばした。腰へ触れようとした瞬間、ノエルの身体が反射的に動く。


「待て」


 伸ばされた手首を掴み、そのまま捻り上げる。


「えっ、痛っ!?」


 傭兵が体勢を崩した。ノエルは相手の腕を背中へ回し、地面へ押さえ込む。ほんの数秒の出来事だった。


 気づけば、傭兵は片膝をついている。


「女性の身体に、必要以上に触るな! 確認なら魔道具でもできるだろ!」


 周囲が静まり返った。しまった、やってしまった。今は潜入中なのだ。焦るなと自分に言い聞かせたばかりだというのに!


「ノエル」


 アイリスが小さく呼ぶ。


「悪い」


「いいえ、ありがとうございます」


 アイリスは少しだけ目を細めた。


「……うん」


 ノエルは傭兵の腕を離した。


「急にごめん」


「い、いや……」


 傭兵たちが困惑する中、ノエルは完全にやらかしたと悟った。どう誤魔化そうかと考えながら顔を上げると、リオンが目の前に立っていた。

 鼻先が触れそうなほど近い。先ほどまでの愛嬌ある笑顔は消え、獲物を見定めた肉食獣のような、不敵で獰猛な笑みが浮かんでいた。蒼い瞳には、ノエルの姿だけが映っている。


「へぇ……」


 リオンは感心したように呟くと、ノエルの顎へ指先を添え、顔を覗き込むように軽く持ち上げた。


「ちょっ──」


 ノエルは反射的に手を振り払おうとしたが、腕を動かしきるより早く、リオンの指がノエルの手首を捉えた。まるでこちらの動きを読んでいたかのような無駄のない動きだった。笑顔を浮かべているにもかかわらず、その反応速度と身のこなしには一切の隙がない。


「今、魔力を腕に流したよねぇ?」


「……!」


 見抜かれた。ノエルが驚いて目を見開くと、リオンは楽しそうに笑った。


「ほんの一瞬だけ、腕の筋力と反応速度を強化した。魔力の流れがすごく滑らかだったよぉ」


 たった一度の動きで見破られた。やはり上級星壱──目の前の男は、ただの変人ではない。


「可愛いだけじゃなくて、強いんだ」


 リオンの蒼い瞳が、獲物を見つけた獣のように細く輝いた。


「っ、離して!」


 ノエルの声が、乾いた砂漠の空気へ落ちた。

ノエル自身はよく分っていないが、ノエルの声は透明感、そして柔らかさと艶やかさを帯びた声だ。せせらぎや木漏れ日、寄せては返す波のような、規則性と揺らぎが混ざったような声で、村のみんなは、その声を聞くと不思議と心が落ち着くと言う。ルーベ村の連中が半ばからかい、半ば本気で付けた呼び名が“セイレーンの歌声”

そんなノエルの声を聞いた瞬間、リオンの獅子耳がぴくりと動いた。


 蒼い瞳が、ノエルの顔から喉元、細い肩、ドレスの裾へとゆっくり移っていく。その視線は、まるで目の前に現れた獲物を確かめる肉食獣のようだった。


「あ、あの?」


ノエルが呼びかけると、リオンは一度だけ瞬きをしたが、次の瞬間には、また獲物を見つけた獅子のような笑みを浮かべていた。


「……君さぁ、すっごく可愛いねぇ!」


「さっきも聞いた!」


「俺、一瞬で君のこと好きになっちゃった!」


「はい?」


 理解が追いつかなかった。


『求愛された』

『ノエル、人気者』


「嬉しくない!」


「うわぁ……声荒げても可愛い」


「どこをどうしたらそうなるんだよ!」


 リオンはノエルの肩を掴んだまま、さらに顔を近づけた。蒼い瞳が、今度は真正面からノエルを射抜く。笑っているのに、その目だけは笑っていない…まるで獲物を逃がすつもりのない肉食獣のような目。


「近くで見たら、もっと最高。俺の好み、ど真ん中!」


「俺は違う!」


「ねえ、お願いだから俺から逃げようなんて思わないでね?」


「今まさに逃げたいんだけど!?」


 ノエルが全力で後ろへ下がろうとした瞬間、手首と顎を捉えていた手が肩へ滑った。リオンの指が、逃がさないと告げるようにわずかに食い込む。力を込められたわけではない。それでも、振りほどこうとすれば瞬く間に捕らえられる──そんな獣の気配が、笑顔の奥から肌へじわりと伝わってきた。


「そんなことしたらぁ……君のその細い足、逃げられないようにへし折っちゃうかも」


「怖い!」


「あはは! 冗談、冗談だよぉ」


「その目で言われても信じられない!」


 冗談だと言いながらも、リオンの視線は一瞬たりともノエルから離れなかった。まるで、ノエルがどの方向へ逃げても必ず追いつけると確信しているような目だ。ノエルは思わず背後を振り返り、助けを求めるように周囲を見回した。そのとき、アイリスと目が合った。


「殿方。女性へ許可なく触れるのは感心いたしませんわ」


「そうだろ!? もっと言って──」


 (──て、いや待て!俺は女性じゃない!今訂正したら全部終わるから言えないけど!)


「でもさぁ」


 リオンは、ノエルを見つめたまま楽しそうに笑っていた。明るい笑顔と軽やかな声とは裏腹に、その瞳だけは獲物を狙う肉食獣のように鋭く、熱を帯びている。


「俺、強い奴と戦うのも大好きだけど、この子を誰にも渡したくないって気持ちは、それ以上に本気なんだよねぇ」


「会って十分も経ってないだろ!」


「時間なんて関係ないよぉ」


「関係ある!」


「だからさ、大人しく俺の隣にいて?」


「嫌だ!」


「即答!?悲しいなぁ」


 (本気で傷ついたような顔をするな!)


リオンは胸元を押さえたままノエルを見つめていたが、それも束の間だった。傷ついたふりをしていただけなのだ。やがて口元がゆっくりと吊り上がり、獲物を追い詰めることを楽しむ獣のような笑みを浮かべた。


「俺、君のことだけは世界で一番ぜ──ったいに大切にしてあげるからさ!」


 満面の笑みを浮かべるリオンのその言葉だけを聞けば、優しい告白にも聞こえる。けれど、ノエルを見つめる瞳には、優しさだけではない感情が滲んでいた。


逃がさない。誰にも渡さない。自分のものにしたい。


そんな独占欲が隠しきれないほど込められた視線に、ノエルの背筋は凍りついた。ノエルは反射的に、全力でアイリスの背後へ逃げ込んだ。


「断る!」


「ノエル、よかったね」


 シャスールは、相変わらずの無表情で言った。


「どこが!?」


「一目惚れされたから」


「だから何がよかったんだよ!」


「人生でそんな経験、あまりないと思うよ」


「なくていいよ!」


『ノエルは世界一可愛いから仕方がない』


「ルナは黙ってろ!」


『客観的事実』


「ソルまで!」


「世界一かぁ」


「リオンさんは食いつくな!」


 完全に収拾がつかなくなっていた。見かねたティグレが、リオンの頭へごつんと拳を落とす。


「ティグレぇ、痛い」


「団長。今は勤務中です」


「でも運命の人が」


「勤務中です」


「一目惚れって──」


「勤務中です」


「はい」


 頼もしい。この副団長、色んな意味でも頼りになる。けれど、そのやりとりにはどこか親近感があった。


 (……あ、学院長に似てるんだ)


「悪かったな。団長は気に入った相手を見ると、時々こうなる」


 ティグレさんがこちらを見る。


「時々で済ませていいんですか……?」


「普段より酷い」


「それ何の安心材料にもなってない!」


 柱にもたれていたラーベが肩を震わせる。


「いやぁ、これは珍しいもん見たわ。団長が女の子相手にあそこまで真っ赤なん、初めてちゃう?」

「真っ赤になってないよぉ」

「頬、真っ赤やで」


リオンは自分の頬を押さえた。本当に赤くなっている。


(あれほど怖いことを平然と言っていたくせに、そこは照れるのかよ!)


だが、頬を隠しても目までは隠せていない。ノエルを見つめる視線は相変わらず獲物を狙う肉食獣のように鋭く、その隣ではファハドが無表情のままノエルを見ていた。


「団長」

「なぁに?」

「任務の妨げになるようであれば、拙者が拘束いたします」

「誰を?」

「団長を」

「酷くない!?」

「妥当だ」

「妥当やな」


 ティグレとラーベが同時に頷いた。部下全員から同意されているぞ、この団長。


 けれど、ノエルは少し意外に思った。

 資料には、社会から冷遇された者や罪人の一族、捨てられた者たちをリオンが拾い、家族として傭兵団に迎え入れたと書かれていた。実際にその様子を目の当たりにすると、彼らの関係が単なる上下関係ではないことがよく分かる。

 ティグレは団長を平然と殴り、ラーベは遠慮なくからかう。ファハドに至っては、拘束するとまで言い切った。それでもリオンは怒るどころか、むしろ楽しそうに笑っている。


 ノエルを獲物のような目で追い詰めていた時とは違う。部下たちへ向ける笑顔には、確かな親愛があった。


 “家族”


 彼らがそう呼び合う理由が、少しだけ分かった気がした。


 ──だからこそ、胸が痛む。


 リオンは知らない。自分たちが今守っている男が、十五年前、自分の両親と祖父母を殺した相手だということを。


「どうしたの?」


 リオンがノエルを見た。次の瞬間、その瞳に肉食獣のような鋭さが戻る。ノエルの表情を見逃すまいと、獲物の出方を窺うようにじっと見据えていた。


「いや」


 ノエルは首を振った。今ここで話すわけにはいかない。まだ確かな証拠はなく、レナたちの安全も確認できていない。

 感情に任せて動くな、そう自分に言い聞かせる。


「検査、続けていい?」


「……どうぞ」


「俺がやろうか?」


「絶対嫌だ!」


「即答二回目!?」


 リオンは胸を押さえてみせたが、その目には少しも傷ついた様子がなかった。むしろ、逃げるノエルを追いかけることを楽しんでいるようで、傭兵団からも笑い声が上がる。

結局、身体検査は魔道具を使った非接触検査へと切り替えられた。アイリスは問題なし。シャスールも問題なし。そしてノエルは──なぜか問題ありだった。


「妖精二体?」


「連れてちゃ駄目?」


『妾たちは保護者』

「逆だろ」

『目を離すと危険』

『料理も危険』

「料理は今は関係ないだろ!」


「面白い子だなぁ」


「リオンさんは黙ってて!」


「名前教えてよぉ」


 一瞬、答えるべきか迷った。潜入用の偽名は用意してあるが、ここで不用意に自分の情報を明かすわけにはいかない。


「……秘密」


 ノエルがそう答えると、リオンの目が輝いた。


「いいねぇ。それも可愛い」


「何言っても駄目だこの人!」


「強敵だね」


「先が思いやられますわ……」


シャスールが隣で小さく頷く一方、アイリスは額に手を当てていた。


(俺は悪くない……たぶん)


     




          ☆





「検査終了。通っていい」


 ティグレの許可が下りると、重厚な正門がゆっくりと開いていった。

 その先には、砂漠の国とは思えないほど豊かな庭園が広がっている。白い石造りの大邸宅を中心に、大きな噴水や色鮮やかな花々が整然と配置され、何十人もの女性の使用人たちが忙しそうに行き交っていた。

 しかし、華やかな景観とは裏腹に、屋敷全体には息苦しいほど厳重な警備が敷かれている。ここが、悪徳商人ガドル・ロベリアの屋敷だ。


ついに内部へ入れる。ノエルは無意識に拳を握りしめた。


(レナさん、アイリーンさん、エレンさん。もしこの屋敷にいるのなら、必ず見つけ出す!今度こそ、助けるんだ!)


「それじゃあねぇ、可愛いお嬢さん。帰る時も俺がいるから安心してねぇ」


「安心できる要素が一つもない」


「待ってるよぉ」


「待たなくていい!」


 門が閉じ始める中、最後に見えたリオンは、相変わらず笑顔を浮かべていた。けれど、その蒼い瞳には、妙に真剣な光が宿っていた。


『ノエル、気に入られた。求婚も近い』


「縁起でもないこと言うな!」


『妾、結婚式では甘い物が食べたい』


「ルナまで話進めるな!」


「静かになさい!」


 アイリスに怒られた。


「……はい」


 シャスールだけが、楽しそうに首を傾げていた。


 散々な始まりではあったが、潜入には成功した。ここからが本番だ。人身売買の証拠、古代遺跡の石板、そして捕らわれている人々と三人の女性、すべてを見つけ出して必ず救い出す。


 “全員で帰る”


その決意を胸に、ノエルは閉じていく巨大な門を背に、ガドル・ロベリアの屋敷の奥へ足を踏み入れた。

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