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セイレーンは終焉を歌わない 〜十二の曲と六芒獣〜  作者: 白雪藤
第二章 六芒獣編☆第一遠征アリーナルムル共和国編
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☆二章☆1-10☆潜入作戦

 

誘拐されたレナ、アイリーン、エレンの安否。ガドルが裏で行っている人身売買の証拠。そして、古代遺跡へ入るために必要な石板。どれも無視できない問題だった。


特に、三人が今どのような状況に置かれているのか分からない以上、悠長に構えている時間はない。だが、焦って行動すれば、三人をさらに危険な目に遭わせる可能性もある。


「真正面から突っ込むのは駄目なんだよな?」


 ノエルの問いに、コンラッドが頷いた。


「そうだね。ガドル・ロベリアは異常なくらい用心深い。屋敷そのものがちょっとした砦みたいになっているうえ、外周警備は獣人傭兵団に任せている」


 机の上には、屋敷の見取り図が広げられていた。高い外壁に囲まれた敷地内には複数の監視塔が配置され、正門や裏門のほか、いくつかの出入り口らしき場所も記されている。


「傭兵団の団長の名は?」


 アルベルトが尋ねる。


「リオン・ラージュ」


「……!」


 ライブの眉がわずかに動いた。

 その名前は先ほど聞いたばかりだった。リオンはライブの弟であり、誘拐されたレナにとっては、もう一人の兄でもある。


「リオンさんが……ガドルの護衛を?」


「正確には、彼が率いる傭兵団とガドル商会が短期契約を結んでいるらしい。依頼内容だけを見れば、商会の重要物資と屋敷の警備。ガドルが裏で何をやっているのかまで、リオン君たちが知っているかは分からない」


 コンラッド先生は淡々と続ける。


「十五年前の真実を、リオン様もご存じないのでしたわね」


 アイリスの言葉にライブは頷き、低い声で答えた。


「ああ。リオンとレナには両親の死についての真相を話していない」


「じゃあ、ガドルが両親を殺したって知らないまま……」


「奴の仕事を請け負っている可能性が高い」


 (……最悪だ)


 もしリオンが何も知らないのだとしたら、ガドルにとっては随分と悪趣味な状況だ。自分が殺した相手の息子を、金で雇い、護衛として使っている。その事実を思うと、胸の奥から怒りが込み上げてきた。そんなノエルの気持ちを見透かしたように、フィンもわずかに表情を曇らせていた。


「でも、その傭兵団をどうにかしないと中には入れないんですよね?」


「普通ならね」


 コンラッドの言葉に、ノエルは嫌な予感を覚えた。さっきから、妙に機嫌がいいのだ。学院で、こういう顔をした大人を何人も見てきたノエルには分かる。経験上、ろくなことにはならない。


「先生」


「何だい?」


「なんでそんな楽しそうなの?」


「気のせいじゃないかな」


「絶対嘘だ」


「教師を疑うのはよくないよ、ノエル君」


「学院に入ってから、教師を簡単に信用するなって学んだんだけど」


「誰から?」


「学院の先生たちから」


「それは教育の成果だね」


「違うだろ」


 コンラッドはノエルの抗議を綺麗に無視した。


「さて。ガドルの屋敷には、もう一つ妙な決まりがあるのは覚えているね?屋敷の奥へ入ることを許されるのは、原則として女性だけだということを」


「うん。ガドルは、女性は男性よりも体格と腕力で劣ると考えている。仮に裏切られても、自分なら力ずくで押さえつけられる──そう考えているってことだな」


ガドルは男を信用せず、私室や屋敷の奥に近づける使用人も女性に限っていた。その話を聞いたアイリスは、再び眉をひそめた。


「……本当に時代錯誤で愚かな考え方ですこと。…ですが、その性質を逆に利用できますわ。女性として屋敷へ入れば、外周を守る傭兵団との正面衝突を避けられる可能性がありますわ」


「その通り」


 コンラッドが指を鳴らした。


「今回、僕たちは商会への取引を希望する国外商人の一団という形を取る。表向きの交渉役はフィデルさんたちクローバー商会に協力してもらう」


「もちろんだ」


 フィデルさんが頷いた。


「僕とアルベルト、フィンは外部から状況を確認する。ライブさんも今回は姿を見せない方がいい」


「当然だな。私の顔を見れば、ガドルは警戒する」


「で、屋敷の中に潜入する役なんだけど」


「わたくしでしょうね」


「そうだね」


 コンラッドの視線は、まずアイリスへ向いた。当然の人選だった。女性であり、戦闘能力も高い。何より、公爵令嬢として上流階級の振る舞いにも慣れている。潜入役として、これ以上ないほど適任だ。


──だが、先生の視線はそこで止まらなかった。


次に向けられた先は、シャスールだった。


「僕?」


「うん」


「……まあ、髪型と服装次第ならいけるかな」


 シャスールは自分の三つ編みを摘まみながら、特に嫌がる様子もなく答えた。小柄で可愛らしい顔立ちをしているため、黙っていれば十分に女の子に見える……気がする。


「ただし声は誤魔化さないとね」


「なるべく喋らなければいい?」


「必要なら裏声かな。相手は獣人、変に薬や魔法を使用したら匂いとかで怪しまれるからね」


「分かった」


 二人───アイリスとシャスール、これで十分じゃないか?


 ノエルがそう思った瞬間、コンラッドの視線がゆっくり、本当にゆっくりとノエルへ向いた。


 その目がノエルを捉えた途端、ノエルは背中を冷たい指でなぞられたような感覚が走った。何かを見抜かれたわけでもないのに、逃げ道を先回りして塞がれたような気がした。


 コンラッドは何も言わない。ただ、口元だけがわずかに緩んでいる。


 その沈黙が怖かった。

 ノエルの喉がひくりと鳴る。無意識に肩が強張り、指先が机の縁を探った。視線を逸らそうとしたのに、コンラッドの瞳から離れられない。まるで獲物を見つけた猛獣が、逃げ出す瞬間を待っているようだった。


 数秒にも満たないはずなのに、時間だけが妙に引き延ばされていく。

 見つめ合ったまま、ノエルの額にじわりと汗が浮かぶ。


「嫌だ」


「まだ何も言ってないよ」


「言わなくても分かる!」


 この流れで分からない奴がいたら見てみたい。


「俺は男だからな!?」


「シャスール君も男だよ」


「そういう問題じゃない!」


「僕は別にいいよ」


「お前はもうちょっと抵抗しろ!」


 シャスールが不思議そうに首を傾げた。


「でもノエル、小さいし」


「関係ない!」


「顔も美少女みたいだし」


「それを言うな!」


「髪も柔らかい」


『ノエルは適任』

『素材が良い』


「お前らまで敵に回るな!」


『妾たちはノエルの味方』

『だから正しいことを言っている』


「味方なら少しくらい庇え!」


 その時だった。


「ちなみに、ガドルの屋敷に女性しか入れないと分かった時点で、学院のアイビー先生には連絡済みだよ」


 コンラッドが満面の笑みを浮かべる。


「…………え?」


「急いで三人分作ってもらったんだ」


「何を」


「ドレス!学院長の転移魔法でついさっき届いたよ」


 コンラッドは、豪華な装飾が施された三つの大きな箱を取り出した。


「仕事早すぎない!?」


 ノエルの叫びが応接室に響き渡った。




────

───

──







「ノエルくん、顔上げて」

「はい……」

「目を閉じて」

「はい……」

「動かない」

「はい……」


 抵抗は無意味だった。学院で鍛えられ、魔力による身体強化も身につけた今なら、ノエル一人なら逃げられたかもしれない。だが、クローバー家の母六人を同時に相手にするのは無理だった。しかも途中からフィンの妹たちまで加わってきたのだ。


「お兄ちゃん、これ付けよう!」

「こっちの飾りも可愛いよ!」

「髪もっとこうしようよ!」


「待って、それ以上何を──」


「動かない!」

「はい!」


 (怖い…エルサさんが怖い)


気がつけばノエルは椅子に座らされ、髪を整えられ、顔には何かを塗られ、目元にまで手を加えられていた。


隣の部屋からは、シャスールの声が聞こえてくる。


「これ着ればいいの?」

「そうそう! あら、やっぱり似合うわねぇ」

「息苦しいね」

「すぐ慣れるわよ」


 (…何であいつは普通に受け入れてるんだ)


 アイリスに至っては、「この部分をもう少し絞った方が全体の輪郭が美しくなりますわ。ノエルさんの口紅はこの色の方が似合っていますわ」とか言い出した。


「裏切り者……」


「何かおっしゃいました?」


「何でもないです」


 今のアイリスには逆らってはいけないと、本能が告げていた。


それから、どれほどの時間が経ったのだろう。


「完成!」


 背後から明るい声が上がった。


「…………終わった?」


「終わったわよ」


「本当に?」


「ええ」


 やっと解放されたノエルは、椅子から立ち上がった。渡されたドレスは、見た目に反して動きをまったく妨げなかった。さすがは、最高峰の裁縫技術を持つアイビーが、短時間で潜入用に仕立てた特注品だ。防具としても、普通の服とは比べものにならないほどの性能を備えているらしい。


(……なんでその技術を、俺達の女装に全力で投入したんだよ!)


「じゃあ、一人ずつ見せに行きましょうか」


「見せる必要ある?」


「あるわよ!」


先に部屋を出てきたのは、アイリスだった。


 白を基調とした上品なドレスに身を包み、光を受けた銀白の髪と、凛と輝くロイヤルブルーの瞳が、ひときわ美しく映えている。

 普段の学院制服姿でも十分に目立つ彼女だが、こうしてドレスを纏うと、改めて本物の貴族令嬢なのだと実感させられた。

 静かに歩くだけで、見る者の背筋まで自然に伸ばしてしまうような気品がある。


 その姿はまさに、優雅に咲き誇る白百合そのものだった。


「おお……」

「素晴らしいね」


 フィンが素直に感嘆し、フィデルさんも頷く。

 アルベルトも、「まあ、アイリスはこういう場には慣れているだろうからな」と頷く。


「当然ですわ」


 本人も平然としている。

 次に姿を現したのはシャスールだった。淡い色合いのドレスに身を包み、静かに部屋へ入ってくる。

 もともと細身で小柄な彼は、解かれた三つ編みからこぼれたピンクブロンドの髪を肩へ流していた。エルフ特有の現実離れした美貌も相まって、まるで森の奥に佇む妖精のようだ。


似合っている、悔しいくらいに。

儚げというより、もはや人間離れしていた。


「どう?」


 だが、シャスールがいつもの声で話した瞬間、全員が抱いていた幻想はあっけなく崩れ去った。


「問題は声だな」

「声ですわね」

「声だね」

「声ですね」


 全会一致。


「やっぱり?」


「絶対喋るな」


「必要な時だけ裏声ですわ」


「分かった」


(だから、何でそんな素直なんだよ!!)


「最後、ノエルくん!」


「行きたくない」


「はいはい」


「心の準備が!」


「大丈夫大丈夫」


「何が!?」


 背中を押されて一歩、部屋の外へ出た瞬間、場が静まり返った。


(え、何だ、この沈黙は)


ノエルは恐る恐る顔を上げる。


「な、何だよ……」


 誰も答えなかった。フィンも、アルベルトも、コンラッドも、フィデルも、ライブも、弟妹たちも、全員が凍りついたように固まっている。

ノエルはその沈黙に耐えきれず、恐る恐る自分の服へ視線を落とした。アイビーがノエル用に仕立てたドレスは、黒に近い濃紺を基調としたもの。光を受けると青紫や銀灰色が淡く浮かび、夜空にも、砂漠の薄暮にも見える。


装飾は控えめだが、裾に縫い込まれた銀糸が動きに合わせてきらめき、静かな存在感を放っていた。また、胸元から腰にかけての仕立ては身体の線を自然に整え、腰は細く絞られている。それでも窮屈さはなく、裾は歩くたびに波紋のように揺れた。

 袖は肩や肘の動きを妨げない長さに調整され、剣を抜くことも、走ることもできる。布地には特殊な魔力が宿っており、柔らかな手触りの奥に、薄い膜のような張りがあった。


美しいだけではない。これは、アイビーが仕立てた防具でもある。


髪も普段より整えられ、流された前髪の耳元には小さな銀飾りが添えられていた。動くたびに揺れるそれが、ドレスの銀糸と呼応するように光を返す。


けれど、ノエルはまだ鏡を見せてもらっていない。自分がどんな姿になっているのか分からないまま、目の前の全員が黙り込んでいる。


まるで、見てはいけないものを見てしまったように。


その沈黙だけが、ノエルの中で嫌な予感として胸に積もっていった。


「……変か?」


 ノエルが口を開いた瞬間、何人かが息を呑んだ。


 その場に立つノエルは、もはや「女装した少年」という言葉だけでは言い表せない姿になっていた。


華奢な輪郭に、白磁のようになめらかな肌。長い睫毛の奥には、深いダークブラウンの瞳が宿っている。化粧と衣装によって元々の童顔で幼く、美少女と見まごうばかりの容姿がさらに磨きがかかり、愛らしさの中に危うい美しさが醸し出し、誰もが自分の思い描く「美しいもの」を、ノエルの姿に重ねてしまう。ただ立っているだけなのに、目を逸らせない。


ノエルが口を開くと、透明感のある柔らかで艶を帯びた声が、静かな部屋へ落ちた。普段なら、ただ「綺麗な声だ」と感じるだけで終わるはずだった。だが今は、その声までもが目の前の姿にあまりに自然に溶け込んでいる。


かつて海の彼方で航海士を惑わせたと伝えられる魔物──歌によって人を魅了し、深い海へと導く存在。


ルーベ村の人々が、半ば冗談でノエルに付けた名───セイレーン


もしその名を付けた誰かが今の彼を見たなら、自分の冗談が洒落にならなくなったことを、きっと後悔したに違いない。


「……おい?」


 ノエルはもう一度声をかけると、そこでようやく時間が動いた。


『流石、ノエルは老若男女を惑わせるセイレーンと言われるだけある。とても似合ってる』


『流石はノエル。世界一可愛い』


 ソルに続き、ルナもいつもの淡々とした口調でそう言った。だが、次の瞬間、彼女の青い瞳には、いつになく強い光が宿った。 


『どれほど美しく着飾った者が並んでいても、妾の目にはノエルだけが輝いて見える。柔らかな髪も、澄んだ瞳も、白い肌も、可憐な衣装に包まれた細い身体も、すべてが愛らしい。風にさらわれてしまいそうな儚さに、守ってやりたいと思う』


「ルナ?」


 ルナは止まらない。普段からは想像もつかないほど興奮した様子で、早口に言葉を重ねていった。


『けれど、ノエルは決して弱くない。どれほど傷ついても仲間の前では笑い、恐ろしい敵を前にしても、大切なものを守るために立ち向かう。自分が苦しむことより誰かが苦しむことを嫌い、危険を承知で救いの手を伸ばしてしまう』


「ちょ、ちょっと待て、ルナ!」


『その細い身体には、誰よりも強く、温かく、まっすぐな心が宿っている。妾が愛しているのは、見た目だけではない。優しさも、傷ついてなお立ち上がる強さも、誰かを救おうとする温かさも、すべてノエルの大切な一部』


「待って! 本当に待ってくれ!」


 ノエルの制止などまるで聞こえていないルナは、小さな両手を握りしめ、頬をわずかに紅潮させながら、さらに言葉を続けた。


『男であろうと女であろうと関係ない。ノエルはノエル。妾にとって、世界で一番可愛く、美しく、強く、優しく、かけがえのない子。誰に何を言われても、この想いは決して揺るがない』


 そして、ルナは胸を張り、最後の一言を力強く言い切った。


『ノエルは世界一可愛い!保証する!!』


 部屋が静まり返った。


ノエルも、アイリスも、シャスールも、フィンも、アルベルトも、全員がルナを見つめている。

 当のルナは、いつもの無表情を崩さないまま、ゆっくりと一度だけ瞬きをした。


言いたいことは、すべて言い切ったのだろう。十分に満足したのか、ルナは小さな胸を張った。その仕草には、役目を終えた者だけが浮かべる、静かな達成感が滲んでいた。


「……ルナ…今の……全部、本気で言ったのか?」


『本気』


「興奮してたよな?」


『していた』


「自覚あるのかよ!」


 思わず叫んだ。顔が熱く、耳まで火照っている。心臓は先ほどから、異常な速さで跳ね続けていた。


「いや、待て。何でそんなことを急に……というか、みんなの前で……」


『ノエルが可愛かったからつい興奮した』


「理由が単純すぎる!」


『事実を述べただけ』


「事実でも言い方ってものがあるだろ!」


『何か問題が?』


「問題しかない!」


 ノエルは両手で顔を覆った。

 無理だ、耐えられない。普段のルナなら、もっと短く、淡々と、容赦なく言うはずだった。


“ノエルは世界一可愛い。保証する”


 ───それだけなら、いつものことだ。いつものこと……のはずだった。なのに今のルナは、ノエルのどこが好きなのかを一つ一つ並べたうえで、男でも女でも関係ないとまで言い切った。


しかも、あんな真剣な顔で!


「……ノエル」


 隣からアイリスの声がした。


「何だよ……」


「顔が真っ赤ですわ」


「誰のせいだと思ってるんだ!」


「わたくしではありませんわね」


「そうだけど!」


 フィンがにこにこと笑いながら、鏡晶石を構える。


「ノエル、今の顔も記録しておこうか?」


「絶対にやめろ!」


 シャスールが首を傾げる。


「ノエル、嬉しくないの?」


「嬉しいとか嬉しくないとか、そういう問題じゃない!」


「じゃあ、嫌なの?」


「嫌じゃないけど!」


 言ってから、しまったと思った。

 全員の視線がノエルへ集まる。



「違うからな!?」


 何が違うのか、自分でも分からない。

 ルナがノエルの肩から身を乗り出し、じっとノエルの顔を見上げた。


『ノエル』


「な、何だよ」


『妾の気持ちは迷惑?』


「だから、そういう聞き方をするな!」


『答えて』


 いつもの無表情だった。けれど、その声には、わずかな不安が滲んでいた。


ノエルは返事に詰まる。ルナは、ノエルが生まれた時からずっとそばにいてくれた。ソルとともにノエルを見守り、泣けば慰め、笑えば一緒に喜んでくれた存在だ。


そんなルナが今、ノエルの答えを待っている。


「……迷惑じゃない。ただ……恥ずかしいんだよ」


『恥ずかしい?』


「みんなの前で、あんなに真っ直ぐ言われたら……どう反応すればいいか分からないだろ」


『では、嫌いではない?』


「嫌いなわけないだろ」


 ルナの瞳が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


『なら、問題ない』


「いや、問題はある!」


『どこに?』


「俺の心臓に!」


 思わず胸元を押さえる。まだ鼓動は速い。ルナはノエルの胸元へ視線を落とし、静かに頷いた。


『ノエルの心臓が、妾の言葉を喜んでいる』


「そういうことじゃない!」


『では、何?』


「分からない!」


 ノエルは自分でも、なぜ胸の奥がこんなにも熱く、顔まで火照っているのか分からなかった。ただ、ルナの言葉だけが頭から離れない。


“男でも女でも関係ない。ノエルはノエル”


その言葉が、何度も胸の中で繰り返されていた。


そんなノエルを見て、反対側の肩に乗っていたソルが、ちらりとルナへ視線を向ける。


『ルナ、少し喋りすぎ』

『そう?』

『普段の十倍は喋った』

『ノエルが可愛かったからつい』

『理由がいつもと同じ』

『大切なこと』

『そう』


 ソルは淡々と頷き、そしてノエルを見る。


『ノエル、ルナの言葉は本心』


「分かってるよ!」


『なら、素直に受け取ればいい』


「簡単に言うな!」


『難しくない』


「俺には難しいんだよ!」


 ノエルは頭を抱えた。どうして妖精王たちは、こういう時だけ迷いがないのだろう。自分が女装しているだけでも限界なのに、そのうえ「世界一可愛い」「美しくて強くてかけがえがない」「愛している」と、次々に言葉を重ねてくる。そんな真っ直ぐな想いを受け止められるほど、ノエルの心は強くなかった。


『……ノエル』


 ルナが、もう一度ノエルの名を呼んだ。


「何だよ」


『妾は、これからも何度でも“ノエルは世界一可愛い”を言う』


「今はやめてくれ!」

 

 ノエルの叫び声が応接室いっぱいに響き渡る中、ルナは僅かに満足そうな微笑みを浮かべていた。その表情を見てしまったノエルは、結局それ以上何も言えなかった。


 パシャッ


 何か音がした。見ると、コンラッドが鏡晶石を構えていた。


「先生?」


「学院へ送っておこうかと」


「何を!?」


「ノエル君の女装記録。それも涙目で照れている姿」


「消せ!」


「もう送ったよ」


「早い!!」


 パシャパシャパシャパシャ! 今度は連続してシャッター音が響いた。横を見ると、フィンが満面の笑みを浮かべながら鏡晶石を構えている。


「フィン」


「うん?」


「何してる」


「写真撮ってる」


「見れば分かる! 撮るなっ!!」


 追いかけるとフィンは笑いながら逃げた。


「待て!」


「怒ってる姿も可愛いよ、ノエル!」


「ぶん殴るぞ!」


「その表情も一枚欲しい!」


「なんで!?」


 ノエルが部屋の中を走り、フィンが笑いながら逃げ回る。その様子を見ていた弟妹たちは、一斉に騒ぎ始めた。


「すごーい!」

「可愛い!」

「本当に男の子?」

「ノエル兄ちゃん、お姉ちゃんになった!」


「なってない!」


「ねえノエルお兄ちゃん!」

「何だ?」

「フィン兄のお嫁さんになって!」

「ならない!!」

「なんで!?」

「俺が男だから!」

「でも可愛いよ?」

「可愛さは結婚条件じゃない!」

「フィン兄ちゃんと仲良いし!」

「友達だ!」

「じゃあ大丈夫!」

「何が!?」


 子供の理屈が強すぎる。ノエルは助けを求めるように大人たちへ視線を向けたが、フィデルはなぜか真剣な表情でこちらを見つめていた。


「……本当に、女の子じゃないことが悔やまれるね」


「フィデルさん!?」


「でも、これは男の子だからこその背徳感…魔性じゃないかしら」


 ペイシェンスが顎に指を当てる。


「分かるわ。女の子として完成されてるんじゃなくて、男の子だって分かってるから余計に頭が混乱するのよ」


 エルサまで頷く。


「分析しないでください!」


「ノエル君……綺麗……」


 フィンの母親の中でも一際大人しい女性であるアメリアまで頬を染めながら、小さく呟く。


「やめて!」


 ライブなら、この中で一番真面目な彼なら、きっとまともな反応をしてくれるはずだ。ノエルはそう思って顔を向けると、ライブは黙ったままノエルを見つめていた。


「…………女でないことが惜しまれるな」


「あんたもか!!」


 (駄目だ、この家には味方が一人もいない!)



「……似合ってるから余計腹立つな」


 アルベルトが、なぜかノエルから思い切り顔を逸らしながら、ぽつりと呟いた。


「何でお前が腹立てるんだよ」

「知らない! 僕に聞くな!」

「何で怒ってんの!?」

「怒ってない!」

「怒ってるだろ!」

「うるさい!」


 耳が少し赤くなっている気がした。


(…室内なのに、暑いのか?)


 アイリスとシャスールは何も言わずにノエルを見つめた後、顔を見合わせ、無言で頷いた。


「何その頷き」


「ノエル。潜入後は、わたくしの近くから離れないでくださいませ」


「なんで?」


「いろんな意味で今のノエルさんは危険ですわ」


「意味分かんないんだけど」


「僕も近くにいるよ」


「だから何で!?」


 誰も説明してくれないため、ノエルは納得できずにいた。そんな中、頭の上に乗ったソルだけが、唯一、小さく頷いた。


『妥当な判断。ノエルは自覚がない』


「何の!?」


『重症』


「ルナまで!?……もう、意味が分からない…帰りたい」


「ガドル邸へ行く前から挫けないでね」


 コンラッドの楽しそうな声がした。

 絶対この人、面白がってる。


 


         ☆



 ひと通り騒ぎが収まったあと改めて、作戦会議が再開された。


ノエルとアイリス、シャスールは着替えず、潜入用の衣装のまま机を囲んでいる。どうにも居心地が悪いが、やるべきことは分かっていた。


コンラッドが机の上に三枚の紙を置く。


「もう一度、目的を確認しよう」


先ほどまで浮かべていた笑顔が消え、教師としての真剣な表情が現れる。

それを見たノエルたちも、自然と表情を引き締めた。


「第一に、ガドルが人身売買を行っている決定的な証拠を確保すること。第二に、レナ・ラージュ、アイリーン・クローバー、エレン・クローバーをはじめ、屋敷内に囚われている可能性のある被害者全員を救出すること。そして最後に、古代遺跡を開くための石板を確保すること」


「戦闘は?」とノエルが尋ねると、コンラッドは軽く首を振った。


「可能な限り避ける。僕たちの目的は、ガドルを倒すことじゃない。戦えば証拠を処分されるかもしれないし、人質を別の場所へ移される可能性もある。最悪の場合、彼女たちが殺されることだってあり得る」


 その言葉を聞いた瞬間、先ほどまで騒がしかった室内から、笑い声も話し声も消えた。


「屋敷へ入った後は、鏡晶石の通信を常時接続する。三号機には内部の地図を更新させ、異常があればすぐに知らせてもらう」


《了解。潜入開始後、内部構造の自動記録を実施》


 机の上に置かれたノエルの鏡晶石から、三号機の無機質な声が響いた。


 薄い長方形の水晶板には、屋敷の見取り図が淡い青色の光で浮かび上がっている。まだ外観と事前に入手した資料をもとにした簡易的なものだが、潜入後は三号機が周囲の地形や壁の厚み、通路の分岐、隠し扉の有無まで記録し、随時更新していく予定だった。


《危険度の高い区域ヘノ不用意な侵入は推奨しない》


 四号機。分厚い装甲と防御術式を備えた、四体の中でも特に慎重な機体らしい言葉だった。


「分かってる」


 ノエルは鏡晶石の画面を見下ろしながら答えた。


今回の目的は、ガドルを倒すことではない。レナたちを救出し、人身売買の証拠を手に入れ、古代遺跡へ入るための石板を奪うこと。その三つを、すべて成功させなければならない。


一つでも失敗すれば、ガドルに証拠を処分されたり、レナ達を別の場所へ移されたりするかもしれない。最悪の場合、彼女たちの命が奪われる可能性だってある。


だからこそ、慎重に動かなければならない。


《過去の行動記録と一致しない発言》


「信用なさすぎない!?」



《統計に基づく判断》


「ぐっ……」


 二号機まで…遠距離情報分析と魔力測定を担当する二号機は、余計な感情を一切挟まず、事実だけを突きつけてくる。

 反論しようと口を開きかけたが、鏡晶石に表示された過去の記録が目に入った。


 無茶な突入や単独行動、仲間の制止を振り切ったことは、思い返せば一度や二度ではない。心当たりが多すぎて、正論だからこそ反論できなかった。ノエルが黙り込むと、向かいに座っていたアイリスが静かにこちらを見つめた。


「ノエルさん。今回は救出作戦です。目の前で何か起きても、独断で飛び出さないでくださいませ」


「分かってる」


「本当に?」


 アイリスは目を細め、明らかに疑っている視線を向けた。


「分かってるって!」


 思わず身を乗り出してしまった。机の上に置かれた鏡晶石が俺の動きに合わせて小さく揺れ、画面に表示された危険度の数値が、なぜか一段階上昇する。


 おい、と内心で突っ込みながら、ノエルは深く息を吐いた。助けたいからこそ、焦ってはいけない。たとえレナ達が捕らえられている場所へ辿り着けたとしても、感情のまま動けば見張りに気づかれる。ガドルが人質を盾にするかもしれないし、証拠を燃やされる可能性もある。ノエル一人が無茶をして、レナ達を危険に晒してしまえば意味がない。


 学院で、ノエルはそれを学んだ。


 カティアを助けられなかった。その痛みを知っているからこそ、今度は同じことを繰り返したくない。


 ノエルは膝の上で拳を握りしめた。指先に力が入り、爪が掌へ食い込む。


 (焦るな、勝手に走るな。全員で動いて、全員で助ける)


「全員で帰ろう」


 短い言葉だったが、その決意は部屋にいた全員へ確かに伝わった。フィンはいつもの明るい笑顔を浮かべていたが、その瞳の奥には、姉たちを必ず助け出すという強い意志が宿っていた。


「うん」 

「当然だ」

「三人とも見つけるよ」

「ええ。一人たりとも置いていきませんわ」


 フィンが頷き、アルベルトもそれに続いた。アルベルトの金色の髪が僅かに揺れ、握り締めた拳には隠しきれない熱がこもっている。

 シャスールは椅子の背に寄りかかり、いつもの掴みどころのない表情を浮かべていたが、金色の瞳だけは冗談を許さないほど鋭かった。

 アイリスは胸を張り、背中で揺れる白銀の髪と相まって、その姿は一層凛々しく見える。


 ライブは、ほんの少しだけ目を閉じた。普段から厳格な彼の表情が、僅かに揺れる。妹を失うかもしれない恐怖。自分が直接助けに行けない悔しさ。そのすべてを押し殺し、彼はゆっくりと顔を上げた。


 そして───


「頼む」


 ライブさんは旧王族の血を引く、現代の高位貴族だ。そんな彼が誰かに頭を下げることなど、ほとんどないはずなのに、ノエルたちへ深々と頭を下げた。


「妹を、レナを頼む」


「任せて」


  ノエルは迷いなく答えた。今度こそ、誰も失わない。そのために、ノエルたちはガドル・ロベリアの屋敷へ潜り込む───女装して


 そう決意を固めた直後だというのに、胸の奥には別の感情が湧き上がってきた。


 (……いや、やっぱり最後の部分だけは納得できない)


 どうして救出作戦のために、俺がドレスを着なければならないんだ。

 どうしてシャスールは、あんなにも自然に受け入れている。

 どうしてアイリスは、決意を固めたような目で俺を見ている。

 どうしてフィンは、鏡晶石に俺の姿を保存している。


 そして、どうしてクローバー家の子供たちは、俺を見て「お姉ちゃん」と呼ぶんだ。


 (そこだけ納得できない。絶対に、納得できない)


『諦めろ』

『とても似合ってる』


「うるさい!」


 ノエルの叫びが、クローバー家の屋敷いっぱいに響き渡った。

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