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セイレーンは終焉を歌わない 〜十二の曲と六芒獣〜  作者: 白雪藤
第二章 六芒獣編☆第一遠征アリーナルムル共和国編
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☆二章☆1-9☆十五年前の悪夢


「ガドルは……私たちの両親を殺した男でもある」


 ライブがそう告げた瞬間、部屋から音が消えた。誰もすぐには言葉を返せない。


机の上には、西商業区の地図が広げられていた。相次ぐ失踪、人身売買の疑い、古代遺跡の開門に必要な石板。そして、それらすべての先に浮かび上がっていた大商人、ガドル・ロベリアの名。そこへ新たに、十五年前の殺人という一本の線が加わった。


「……殺したって…ライブ兄さんの……父さんと母さんを?」


 フィンの声が掠れる。


「ああ…父ゼオンと、母アリエラ。二人とも、ガドルに殺された」


「……当時のことを話してもらってもいいかな?無理にとは言わないよ」


 コンラッドが静かに訊いた。


「いや、今は話すべきことだから話そう。…十五年前のことだ」


 ライブさんは、長い間胸の中に閉じ込めてきた過去を語り始めた。


     



          ☆





 ─── 十五年前


 アリーナルムルを、珍しいほど激しい雷雨が襲っていた。砂漠の国に降る雨は、本来なら恵みのはずだ。だが、その夜だけは違った。黒い雲が空を覆い、まるで誰かの死を嘆くように、激しい雨と雷鳴を轟かせていた。


十三歳のライブは、雨音とは異なる生々しい気配に目を覚ました。獅子の獣人である彼の鋭い嗅覚が、眠りの中でも異常を捉えたのだ。


 ───血の臭いだった。


「……父上?」


 ベッドを抜け出した。

 屋敷は異様なほど静まり返っていた。夜番の使用人がいるはずの廊下にも人影はなく、耳を澄ましても聞こえるのは雨音と雷鳴だけ。だが、鉄や錆びた刃物を思わせる血の臭いが、廊下の奥から濃く漂っていた。


幼いながらも、それが何を意味するのかは分かっていた。

 

 裸足のまま廊下を駆け抜け、城館最上階にある父ゼオンの私的執務室兼図書室へ向かった。父が夜遅くまで仕事をしている、いつもの部屋だ。


やがて扉の前にたどり着くと、わずかに開いている隙間へ目を向けた。


「……?」


 手を伸ばそうとしたその瞬間…


 ──ぐしゃり


 嫌な音が響いた。肉と骨が、何か途轍もない力で砕かれる音に続き、父の短い呻き声が聞こえた。


「父上……?」


 扉の隙間から中を覗き込むと、そこには血だまりの中に倒れた父と、その傍らに立つ大柄な熊の獣人の姿があった。赤茶色の髪と鍛え上げられた巨体を持つその男は、幼い頃から自分たち兄妹を抱き上げ、遊び相手になり、時には叱ってくれた人物だった。


「……ガドル?」


 声が漏れた瞬間、熊の耳がぴくりと跳ねた。男はすぐには振り返らず、肩をわずかに揺らして血に濡れた右手を止める。それから獲物の気配を探る獣のように、首だけをこちらへ向けた。やがて巨体全体が軋み、重い足を床に擦らせながら振り返る。


「これは……ライブ様…起きてしまわれましたか」


 穏やかな声だった。だからこそ、かえって恐ろしかった。ガドルの右腕は父の血に濡れ、床には折れた剣が転がり、壁には大きな陥没が残されていた。


「な……何を……」


「ライブ……来るな……!」


ゼオンは胸から血を流しながら、それでも何とか身体を起こそうとしていた。



「父上!」


「ライブ逃げなさい!」


 別の声が響いた。母アリエラだった。彼女も脇腹から大量の血を流していたが、それでも子供たちを守るため、震える足でガドルの前に立ちはだかっていた。


「母上!」


「リオンとレナを連れて逃げなさい!」


そう言われても、十三歳の少年には、目の前で起きていることが理解できなかった。


ついさっきまで、家族同然だった男がいる。幼い頃から自分たち兄妹を知り、何度も笑いかけ、時には父のように叱ってくれた男だ。その男が今、血に濡れた腕を振り上げ、両親へ殺意を向けている。


(なぜ…どうして…父と母が…)


頭の中で何度問いかけても、答えはどこにも浮かばなかった。目の前の光景だけが現実から切り離されたように歪み、父の呻き声も、母の叫び声も、遠い場所から聞こえてくるようだった。


「ガドル! なんでだ!」


ようやく絞り出した声は、問いかけというより、現実を否定するための悲鳴だった。


「何故、と?」


「父上たちが何をした!」


「何も」


「だったら!」


「何もしなかったからですよ」


「……え?」


 ガドルは静かに笑った。


「私は優秀だった」


 雷光が窓を白く染める。


「誰よりも働いた。誰よりも戦った。商才もあった。力もあった。それでも私は、生まれた時からラージュ家の従者だ」


「……」


「お前たちは何もせずとも上に立つ」


 ガドルの声から敬語が消えた。


「私はどれほど力を持とうが、その下で頭を垂れる。それが当然とされる」


「父上はそんな人じゃない!」


「子供には分からん。人の下で生涯を終える惨めさなどな」


 ガドルが一歩踏み出すと、床が軋んだ。


 その時だった。


「兄様……?」


 廊下から幼い声が聞こえた。雷の音で目を覚ましたのか、五歳の弟リオンと三歳の妹レナが、こちらへ歩いてきていた。その姿を見た瞬間、ライブの顔から血の気が引いた。


「来るな!」


「兄様?」


「部屋に戻れ!」


「…子どももここで消しておくか」


だが、すでに遅かった。ガドルは二人へ視線を向けた。その目には、ためらいの色など微塵もなかった。


「やめろ!」


 ライブが飛び出すより早く、アリエラは両手を床へ叩きつけた。


床板が鳴り、衝撃で部屋中の燭台が跳ね上がる。次の瞬間、絨毯が突風に煽られ、バサァッ! と大きく舞い上がった。


その下から、床一面に刻まれていた巨大な魔法陣が姿を現す。


「母上……?」


「こちらへ!」


 アリエラが魔力を注ぎ込むと、床に刻まれた古代呪文語が次々と光を放った。これは、緊急時にラージュ家の者を逃がすため、代々受け継がれてきた転移術式だった。


ガドルが踏み込む中、アリエラは血を吐きながらも詠唱を止めず、必死に言葉を紡ぎ続けた。


「おかあさま!」

「レナ!」


 ライブは妹を抱き上げる。


「リオン! こっちへ!」

「何が起きてるの!? 父様は!?」

「いいから来い!」


 幼い弟の腕を掴んで魔法陣へ押し込んだ直後、迫り来るガドルの前に、倒れていたゼオンが立ちはだかった。そして、最後の力を振り絞り、その足へ必死に縋りつく。


「行かせん……!」


「父上!」


「ライブ!弟と妹を……頼んだぞ」


 血まみれの顔で父が笑った。


「嫌だ!」


「お前は長男だ」


「嫌だ! 一緒に来てよ!」


 ガドルの脚が振り上げられ、父が床へ叩きつけられる。


「やめろぉぉぉっ!」

「前を見なさい、ライブ!」


 母の両手が、ライブの肩を掴んだ。


「母上っ!!」


「生き延びなさい」


 母は泣いていた。


「リオンとレナを頼みます」


「でも……」


「二人を守って」


「母上も一緒に!」


「ごめんなさい。あなたに、一番辛い役目を任せます」


魔法陣の光が強まる中、アリエラは転移魔法に重ねて、もう一つの術式を発動させていた。幼い子供たちの心を、あまりにも凄惨な記憶から守るための精神保護の封印だった。


「母上!」


 ガドルがアリエラへ腕を振り下ろした。

 ライブの喉から、声にならない息が漏れる。


 止めなければならない。そう思ったのに、足は動かなかった。目の前の光景が現実だと認めることを、幼い心が拒んでいた。


 次の瞬間、閃光が弾け、轟音が屋敷を揺るがす。転移魔法が完成し、すべてが白い光に包まれていく。


 光に飲まれる直前、ライブの瞳に最後に映ったのは、血に濡れて倒れた父の姿と、胸を貫かれながらも自分たちを案じるように微笑む母の姿、そして、その二人を傷つけたガドルの姿だった。


 ( ──嫌だ!!)


 声にすることもできないまま、視界が白く塗り潰される。


 伸ばした手は、誰にも届かなかった。


 


────

───

──




 次に目を開けた時、雨が降っていた。


冷たい土の感触に気づいたライブが身を起こすと、そこはクローバー家の庭だった。隣にはリオンとレナが倒れていたが、二人とも無事に息をしている。


ライブは安堵し、震える手で二人の身体を抱きしめた。


「リオン……! レナ!誰か!」


 突然、庭がまばゆい光に包まれ、ライブの叫び声を聞きつけたフィンの祖父母が、明かりの灯る屋敷から庭へ飛び出してきた。


「ライブ!?」


「どうしてここに!」


「父上が……母上が……!ガドルが裏切った! 父上と母上を殺したんだ!」


 十三歳のライブは泣きながら何度も訴えた。しかし、ガドルは何十年もの間ラージュ家に仕えてきた忠臣だったため、大人たちにとってはあまりにも信じ難い話だった。


「見間違いではないのか?」


「違う!」


「ガドルも襲撃者と戦っていた可能性は──」


「違うって言ってるだろ!」


 誰もライブを嘘つきだと疑ったわけではなかった。だが、長年仕えてきたあの大らかなガドルがそのような暴挙に出たと言うことが信じられず、事実を確かめるため、ラージュ家とクローバー家の祖父母はその日のうちにラージュ家の城館へ向かった。


しかし、四人は二度と戻ってこなかった。後に発見されたのは、無惨に殺された遺体だけだった。


当時のフィデルは、まだ若かった。自分の両親と叔父夫婦、そして従兄弟夫婦を、一夜にして失ったのだ。


本当なら、すぐにでもガドルを追及したかった。ライブの証言を信じ、犯人を捕らえ、家族を奪った理由を問いただしたかった。


だが、腕の中には一歳のフィンがいる。屋敷の奥では、三歳のアイリーンとエレンが不安そうに身を寄せ合っていた。突然両親に続いて祖父母も失ったライブも何が起きたのか分からないままフィデルを見上げている。


泣き崩れたいフィデルだが、子どもたちの前で崩れることはできない。今、彼らが頼れる大人は自分しかいなかった。怒りに任せてガドルを追えば、残された子どもたちまで狙われるかもしれない。自分まで殺されれば、この子たちを守る者は本当に誰もいなくなる。


「……僕が、守らなければ」


震える声で呟き、フィデルは子どもたちを抱き寄せた。


「大丈夫だ。僕がいる」


それは子どもたちに向けた言葉であり、同時に自分自身へ言い聞かせる誓いでもあった。


「もう、誰も失わせない」


その誓いを守るため、フィデルはガドルを追及する道を閉ざした。真相を追うことも、家族の仇を討つことも、今は選べない。怒りに身を任せれば、残された子どもたちを危険にさらすからだ。


それは諦めではなかった。生き残った者たちを守るため、自ら復讐を捨てる決断だった。


けれどその代償として、フィデルは失った家族の無念と、正義を求める心を胸の奥へ押し込み、生涯抱えて生きることになる。


レナとリオンが目を覚ましたのは、両親が殺された翌日の夕方だった。


「……おにいさま?」


「レナ!」


「どうしてないてるの?…おとうさまとおかあさまは?」


 ライブの喉が詰まった。隣で目を覚ましたリオンも首を傾げる。


「昨日、何してたっけ?」


 そこでライブは気づいた。リオンとレナは、襲撃のことも、血に染まった両親の最期も覚えていなかった。母アリエラが施した精神保護魔法によって、二人の記憶は封じられていたのだ。


本当のことを教えるべきなのか。父と母が目の前で惨殺されたことも、祖父母まで命を奪われたことも、まだ五歳と三歳の幼い二人に伝えるべきなのか。十三歳のライブに、そんな判断ができるはずもなかった。


だから彼は、込み上げる涙を拭い、何も知らない二人の前で笑顔を作った。


「……かくれんぼだ」


「かくれんぼ?」


「ああ」


笑った。笑わなければ、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。口元だけを無理に持ち上げたものの、それが本当に笑顔に見えているのか、自分には分からなかった。


「父上と母上は、大人の都合で少し遠くへ行くことになったんだ」


「いつかえってくるの?」


「……少し、時間がかかる」


「そっかぁ。じゃあ、まってる!」


 レナは無邪気に笑った。


「ああ…それまで……僕は…いや、私が二人を守る」


 ライブは幼い弟と妹の頭を撫で、二人を強く抱きしめた。その日、十三歳の少年は、弟と妹の兄であると同時に、親代わりとなった。


     




          ☆



「……以来、リオンとレナには真相を話していない」


 ライブが語り終えると、応接室は重苦しい沈黙に包まれた。俺は何も言えなかった。十三歳──今のノエルより三つも年下の少年が、目の前で両親を殺され、そのうえ弟と妹まで育てることになったのだ。


「二人からすれば、私は昔から必要以上に口うるさい兄だ」


ライブは苦笑した。


「何処へ行くにも注意しろ。危険なことをするな。帰宅時間を守れ。知らない者についていくな」


「……それは、まあ…確かに過保護ですね」


 アルベルトが視線を逸らした。


「自覚はある」


「あるんですのね」


「だが直せん」


 アイリスが、わずかに困ったように眉を下げる。無理もない。すべてを失った人が、もう一度大切な人を失うことを恐れないはずがない。しかも今回は、十五年前に両親を奪った男が関わっているかもしれない状況で、レナまで姿を消したのだ。


「……ライブさん」


「何だ」


「今、怖い?」


 ノエルの問いに、一瞬ライブの目が見開かれた。


「ノエル?」


 アルベルトがノエルを見るが、ノエルはライブだけを見ていた。


「ガドルが憎いとかじゃなくてさ。また家族を失うのが」


「──ああ、怖い」


 返ってきた声は今までで一番小さかった。たった一言だったが、それだけで十分だった。


「だったら助けよう!レナさんも、アイリーンさんも、エレンさんも」


「簡単に言うな」


「簡単じゃないよ。だから全員でやる」


 フィンも顔を上げた。


「うん。俺も絶対、姉ちゃんたちを連れて帰る」


「当然ですわ。犯人を捕縛し、人身売買の被害者も救出する。そして証拠を確保する。やることは明確です」


「僕も異論はない」


 アイリスは腕を組み、その隣でアルベルトが頷く。

 シャスールも柔らかく笑った。


「一人で抱え込まなくていいと思うよ」


 ライブはノエルたちを見渡すと、やがてほんの少しだけ肩の力を抜いた。


「……学生に諭されるとはな」


「学院じゃよくある」


「よくあってたまるか」


「ノエルは主に怒られる側だよね」


「シャスール、お前どっちの味方?」


『事実』

『否定は難しい』


「ソルとルナまで!」


 重かった空気がほんの一瞬だけ緩んだが、再びライブの表情を引き締まる。


「もう一つ。ガドルは襲撃の際、ラージュ家の財産を大量に奪っている」


「財産?」


「ああ。そして奪われた品の記録に、古代遺跡の開門石板がある」


「……!」


 ノエルたちは顔を見合わせた。枯れ始めたオアシスや都市部へ押し寄せる魔物、そして六芒獣──それらすべてに関わる古代遺跡へ入るための石板が、ガドルの手中にあるのだ。


「私は奴へ復讐する理由がある。殺された両親、祖父母、あの時のことを今でも鮮明に思い出せる…忘れた日はない」


 その爪が掌へ食い込む。


「だが、今の私は、ラージュ家当主だ」


 ゆっくりと拳を開いた。青い瞳には怒りと憎悪が宿っていたが、理性によって抑え込まれていた。


「私怨で人を殺し、私が正しいと叫べば、私はガドルと同じになる」


「……ライブさん」


「だから裁く。殺すのではない、法の下へ引きずり出す」


 コンラッドが口元を緩めた。


「それなら、目的は三つだね。攫われた三人と他の被害者の救出、ガドルを法で裁くための証拠確保、そして古代遺跡を開くための石板の回収。全部まとめて達成しようか」


「失敗した場合は?」


 アルベルトが問いにコンラッドは笑った。


「資料によれば、ガドルは上級弍星。屋敷の外には獣人傭兵団がいて、人質は何人いるか不明」


 さらさらとコンラッドは笑顔のまま、とんでもなく嫌なことを並べていく。


「真正面から突入すれば、人質を盾に取られるか、証拠を燃やされる可能性が高い。最悪、石板まで破壊される」


「ダメじゃん」


「だから、今から失敗しないための作戦会議だ」


 コンラッドがにっこりと笑う中、机の上にはガドル・ロベリアの屋敷を示す赤い印が置かれていた。


 

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