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山の上のお茶屋さん(一) 山ひとつが、町になっていく。参道に、湯気の立つ茶屋がひとつ

行列は、お客。お客は、お腹が空く。


 あの日、山の中腹で仁王立ちになったマーサさんの、その理屈は。あくる日には、もう、りっぱに、かたちになっていました。


 参道の途中、ちょうど参拝客がひと息つく平場のわきに、板と丸太でこしらえた、真新しい小さな茶屋が、どんと据わっていたのです。掛けられた看板には、まだ乾ききらぬ字で、こう書いてありました。〈あつい汁もの・焼きたてのパン・蜜湯あります〉。蜜湯とは、蜂蜜をとかしただけの、素朴であたたかい飲みものです。


「マーサさん。これは、いったい」


「見てのとおりさ。茶屋だよ」


 マーサさんは太い腕をまくって、湯気の立つ大鍋をぐるりとかき混ぜながら、こともなげに言いました。ゆうべ相談を持ちかけられて、まさか、ひと晩で建ててしまうとは。この女将さん、貫禄だけでなく、仕事もとてつもなく早いのです。


 けれど、ここは私の社の参道。ただで商いをさせるわけにはいきません。私はこほんと咳払いをして、経営者の顔をつくりました。


「あの、マーサさん。うちの参道で商売をなさるなら、それ相応の場所代を——」


「お社さま」


 マーサさんはお玉を持つ手を止めて、私をまっすぐに見ました。


「あんたの客がね。朝から飲まず食わずで、あの長い山道を登ってくるんだよ。年寄りも、赤子を負ぶった母親も。それを、あたしは見てられないのさ」


 ……ぐうの音も出ませんでした。


 たしかにこのごろは、遠い郡からの参拝客も増えて、手水の水で喉をうるおすだけで、ふらふらと山を登ってくるお年寄りもいたのです。私はそれをうすうす気にしてはいた。けれど社の仕事に追われて、手が回っていませんでした。


「……では、こうしましょう」


 私は少し考えて、言いました。


「場所代は、いただきません。そのかわり、参拝に来た方の休憩は、無料にしてください。縁台に座ってひと息つくだけなら、ただ。お茶の一杯くらいは、社からのふるまいで。それで場所代と、相殺です」


 マーサさんはしばらくきょとんとしていました。それから、ぶはっと豪快に吹き出したのです。


「あんた、やっぱり面白い巫女だねえ! 場所代を取らないかわりに、うちに客をもてなせと。……いいだろう。乗った。その取引、乗ったよ!」


 太い手が、ぬっと差し出されました。私はその手を、両手でぎゅっと握り返します。商売人と、商売人。損得の勘定をぱちりと弾いた末に、たがいにいちばん気持ちのいいところで、手を打つ。——ああ、なんていい握手でしょう。私はこの土地に来て、また一人、頼もしい味方を得たのでした。


     *  *  *


 茶屋ができてから、参道の景色は、がらりと変わりました。


 縁台に、人がたまるようになったのです。


 参拝を終えた人が、あたたかい汁を一杯すすりながら、ほうと息をつく。焼きたてのパンをほおばりながら、隣り合った見知らぬ者どうしが、いつのまにか身の上話を始めている。膝の痛みが取れたという年寄りの自慢話に、畑の不作をこぼすおかみさんが相槌を打つ。子宝を願う若夫婦のはにかんだ相談に、通りかかった産婆のおばさんが、遠慮なく口を挟む。


「あんた、それなら、ここの社のお守りを持っていきな。安産のは、まだ置いてないけど……聖女さま、安産のお守りは、ないのかい」


「い、いまは、まだ。でも、そういうお声が多ければ、さっそく、こしらえます」


 縁台からいきなり商品開発の相談を振られて、私はあわてて帳面に書きつけます。〈安産のお守り、要望あり〉。——なるほど。この縁台は、参拝客の生の声が集まる、またとない場所でもあるのです。


 別の縁台では、旅の巡礼者と土地の百姓が、パンをちぎりながら、今年の作柄の話で盛り上がっています。そのまた隣では、荷を担いだ振り売りが、この社のお守りをどこそこの村で見た、いや、あの峠で聞いた、と、噂の出どころをたがいに突き合わせている。——お守りの評判が、こうして人から人へ、湯気に乗って、遠くへ遠くへと運ばれていくのです。


 膝の痛い年寄り、腰の重いおかみさん、眠れぬという若い衆。縁台に腰を下ろせば、みんな、ぽつりぽつりと、胸のうちをこぼしていく。それを聞いた誰かが、ここの社のお守りがいい、と勧める。勧められた人が、山を登って、また新しい客になる。


 私は社の帳場からその光景を眺めては、しみじみ思うのです。この茶屋は、ただ汁とパンを売る店ではないのだな、と。参拝を待つ人の、待合室。胸のつかえを、そっと吐き出せる場所。そして、世間話の花が咲く、井戸端。——そのぜんぶを、湯気ひとつで、あたためている。


「お社さま。何を、にやにやしてるんだい」


「いえ。いいお店ができたなあ、と」


 私はほんとうに、うれしかったのです。社ができて、鳥居ができて、狛犬が座って、そして、茶屋ができた。ひとつ、またひとつと。何もなかった呪いの山に、人の暮らしが根を張っていく。その手ごたえが、たまらなくあたたかいのでした。

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