わたしたちの聖女さま(三) 酔ったマーサの、恋のレッスン。ぜんぶ当てはまる人が、ひとり
宴が、たけなわになったころ。
私はすっかり顔を赤くしたマーサさんに、むんず、と腕をつかまれた。
「ちょいと、お社さま。こっちおいで」
「わっ、マーサさん、どうしました」
ぐいぐいと縁台のすみっこへ、引っぱっていかれる。見ればマーサさんの湯呑みは、甘酒ではなくてガンツさんたちのちゃんとしたお酒になっていた。目のあたりが、とろん、としている。これはかなり召しあがっている。
「あんたねえ」
マーサさんは、私の顔をずいっとのぞきこんだ。
「聖女を、辞めさせられたろ。晴れて、自由の身だ。……ってことはだよ。もういい人のひとりやふたりこしらえたって、罰は当たらないってことさ」
「……はい?」
「恋だよ恋! あんた、その年でいっぺんも色っぽい話がないだろう。まったく見ていてじれったいったら」
私は目をぱちくりさせた。恋。……こい。なんだかずいぶん遠いところの言葉が、飛んできた気がする。
「あの、マーサさん、私そういうのはちょっとよく」
「いいから、お聞き。恋の先輩のありがた〜いお話をね」
マーサさんはぐい、とお酒をあおってそれから指を一本立てた。
「いいかい。まずなにより——男は顔だよ顔!」
「か、顔ですか」
「そうさ。朝起きて、となりにいい男の顔があったら、それだけで一日機嫌よく過ごせる。これは、真理だよ。うん」
二本目の指が、立った。
「そんで次! やっぱり、金! 甲斐性ってやつだね。いくら顔がよくたって、あんたにひもじい思いをさせるようじゃ、話にならない。どーんと稼いでくる男がいいに決まってる」
「はあ……」
「あとはね」
三本目。マーサさんの目がうっとりと宙をさまよう。
「やさしくて、それでいて、いっつもあんたを甘やかしてくれてね。あんたのわがままをなんでもなーんでも、聞いてくれる。そういう男が、いちばんさ。……あー、いいねえ。考えただけで、うっとりするねえ」
「わがままを、なんでも」
「そうそう。あれ買ってこれしてってぜんぶはいはい、って。ふふっ。夢だねえ」
いつのまにか、まわりにおかみさんたちが集まってきていた。そしてみんな酔った勢いでそれぞれの「理想」を、好き勝手に盛りはじめる。
「あたしゃ、背が高いのがいいねえ」
「まめに、心配してくれる人がいいよ。ちょっとしたことで、大げさにあわてるくらいの」
「そうそう。ほかの女になんて、目もくれないでさ。あんた一筋、って感じの」
「贈りものも、気が利いててほしいよねえ」
わあわあ、きゃあきゃあ。おかみさんたちの夢のような理想の男くらべは、どんどん盛りあがっていく。
「あんたたち、分かっちゃいないねえ」
マーサさんがひらひらと手を振って、そのおかみさんたちの理想を、ぜんぶまとめて押しのけた。そして四本目の指をびしっと立てる。
「いちばん大事なのを忘れてるよ。——男はなんたって、つよくなくちゃ。いざってときに、あんたをひょいっと軽々抱きかかえられるくらいの。そういう、頼りになる腕がね、女にはいるんだよ」
「それと」五本目。「声! いい声の男は、ずるいのなんの。低くてさ、耳にするっと入ってくるような。そういう声で、名前を呼ばれてみな。ころっと、いっちゃうから」
そしてマーサさんは、ずいっと私のほうへ身を乗り出した。声をひそめる。まるで、とっておきの秘密でも、打ち明けるみたいに。
「あとね、聖女さま。これは恋の、とっておきの奥義だよ。……相性のほんとうにいい男と女ってのはね、そばにいるとお互いいい匂いがするんだと」
「……いい、匂い?」
「そう。本能ってやつが、こいつだって教えてくれるのさ。理屈じゃ、ないんだよ。鼻が心が勝手にあの人がいいって選んじまう。……ふふ。こればっかりは、ごまかしがきかないんだ」
私はその真ん中で。
「……マーサさん」
「なんだい」
「みなさん、酔ってますよね?」
「あぁ、酔ってるよ!」
マーサさんは、実に堂々と胸を張ってそう言い切った。
「もう」
私は思わずふきだしてしまった。まったく、酔っぱらいのたわごとだ。顔だの金だの甘やかしてくれるだの。そんな都合のいい絵に描いたような殿方が、この世にそうそう、いるものですか。夢物語もいいところ。おとぎ話の、王子さまじゃあるまいし——。
と。
そこまで、笑いながら聞いていて。
私はふとなんとなく、おかみさんたちの言った理想の条件を、頭のなかでひとつ、ひとつ指を折って数えてみた。ほんの、たわむれに。
まず、ひとつ。顔が、いい。
……あの方のお顔は。氷みたいに冷たいくらい整っている。
ふたつ。お金がある。甲斐性がある。
……辺境伯さま、だ。この広い領地の。
みっつ。やさしくて甘やかしてくれて、わがままをなんでも聞いてくれる。
私はそこでいちど指を止めた。
——社を建てたい、と言ったとき、好きにしろと。
——褒美になにがいい、と聞かれて、この山を、と言ったら。あっさりくれた。
——王都へ行きたい、と言えば、連れていってやると。何度でもと。
——困ったことがあれば、いつも俺を頼れと。
……あれ。
よっつ。つよくていざというときに、軽々と抱きかかえてくれる。
——この前。力比べで、気が遠くなった私を、あの人は片手でひょいと抱え上げた。まるで、羽根でも持つみたいに。ちっとも、重そうな顔をしないで。
いつつ。声が、いい。低くて耳にするっと入ってくる。
——「帰るぞ」。あのときすぐ耳もとで聞こえた、あの声。
背すじがす、す、と冷たくなっていく。ちがう。ちがいます。これはきっとたまたま。たまたま、当てはまっているだけで——。
そして、むっつ。
——そばにいると、お互いいい匂いがする。
私の、指が。止まった。
頭の、いちばん奥のほうから。す、となにかの栓が抜けた。
だって。あのとき。気が遠くなって。あの人の腕のなかで。あたたかい闇に落ちていく、そのいちばんさいごに。私は。たしかに。ほかでもない、この口で言ったのだ。
『……ジークさまの、いい匂いがします』
——言った。
言ってしまっていた。
顔から、火が出そうだった。心の臓がどく、どく、と耳の奥で鳴っている。だめだ。だめだった。数えては、いけなかった。ひとつふたつと数えるたびに。ぜんぶ、ぜんぶひとりのおなじ人の輪郭になっていく。
「……ひとり、いる」
思わず、声がもれた。
「え? なんだって、お社さま」
「い……いえ! なんでもありません!」
私はあわてて両手をぶんぶんと振った。けれど心の臓が、いやにうるさく鳴りはじめている。顔が、じわじわと熱い。だめだ。数えては、いけなかった。数えたらぜんぶ、ぜんぶひとりの人に——。
「ななんの話でしたっけ! そ、そう、祈祷料! 祈祷料の話を、しましょう! ええと、うちのお守りは銅貨五枚で——」
「祈祷料なんてだれもしてないよ」
マーサさんが、とろんとした目のまま、それでもにんまりと口の端をつり上げた。
「……ふうん? お社さま。あんたいまだれか思い浮かべたね?」
「う……浮かべてません!」
「顔が、真っ赤だよ」
「あ甘酒の湯気にあたっただけです!」
……甘酒は、とっくに火からおろされていた。
おかみさんたちが、いっせいに顔を見あわせて、それからこらえきれないというようにくすくす、くすくす、と笑いだした。私はもうどこを見ていいのか分からなくて、ただ真っ赤な顔でうつむくしかなかった。
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——お代は、銅貨五枚。……ではなく、ブックマークをひとつ、いただけたらうれしいです。




