わたしたちの聖女さま(二) 教会に捨てられた日が、いちばんあたたかい日になる
こうして、その日の午後は。だれが決めたわけでもないのに、参道はあっというまにお祭りさわぎになった。
マーサさんの茶屋から、甘酒の樽がどんどん運び出される。ガンツさんの仲間の大工衆が、縁台を並べる。おかみさんたちがありあわせの料理を、次から次へと運んでくる。子どもたちはわけも分からないまま、きゃあきゃあと参道を駆けまわった。
「聖女さま! おめでとう!」
「はい、ありがとうございます。……あのなにが、おめでとうなんでしょうね?」
「知らない! でも、めでたいんだって!」
子どもたちは、そう言って笑いながら走っていく。……まったく、そのとおりだった。なにがめでたいのか、いちばん分かっていないのは、当の私なのだから。
やがて、めいめいの手に椀が行きわたったころ。
ガンツさんがどっこいしょ、と空いた酒樽の上にのぼった。そして甘酒の椀をたかだかと掲げる。
「みんな、聞いてくれ!」
参道のわいわいとした声が、す、と静まった。子どもも大人も狛犬までもが、その棟梁の大きな体を見上げる。
「今日は、めでたい日だ。うちのお社さまが——聖女さまがな。教会から聖女じゃねえと言われた日だ」
ガンツさんはわざとそこで言葉を切った。それから、にかっと歯を見せて笑う。
「上等じゃねえか! 教会が、いらねえっつうなら。こっちがありがたくもらった。この山と、この門前町のたったひとりの——私たちの、聖女さまだ! いいか、みんな。椀を、掲げろ!」
参道じゅうの手が、いっせいにあがった。
大人は、酒の椀を。子どもは、甘酒の椀を。畑帰りのおじいさんも、赤ん坊を背負ったお母さんも、宿のネラさんも。みんなが笑って、椀を天に掲げている。秋の日ざしがそのたくさんの椀のふちで、きらきらとはねた。
「私たちの、聖女さまに——」
「乾杯!」
どっ、と声がはじけた。
私はそのまんなかに立たされていた。だれかに押しつけられた椀を、両手で抱えたまま。ぐるりと見わたす。笑っている。みんなが私のために笑って椀をあげている。
……ずるい。こんなの、ずるい。
じわり、と目の奥が熱くなって。とうとうひとつぶ頬をこぼれ落ちた。
「こら、泣くんじゃないよ。めでたい日に」
となりでマーサさんが、あきれたように、けれどやっぱり目もとを赤くして、私の背中をぽん、と叩く。
「……はい。でも、マーサさん。うれしいときも涙って出るものなんですね。私、はじめて知りました」
マーサさんはなにも言わずに、ただもう一度私の背中を叩いた。
宴が始まって、しばらくすると。あの力比べの日に倒れたおじいさんが、孫娘に手を引かれて、やってきた。
「お社さま。……いや、聖女さま」
おじいさんは、まだ少し足もとがおぼつかない。それでもしゃんと背すじをのばして、私の前で深く頭を下げた。
「あの日はあんたに命を拾ってもらった。この年寄りの命なんぞ、どうってこたァねえが。……この子を、ひとりにせずに済んだ。それが、なによりありがたくてな」
「……いいえ。よかったです。ほんとうに、間に合って」
「今日は、祝いだと聞いた。ならばいの一番にあんたに酌をさせてくれ。——命の恩人に一杯」
おじいさんのしわだらけの手が、震えながら私の湯呑みに甘酒を注いでくれる。その隣で孫娘がはにかみながら、ぺこりと頭を下げた。私はその一杯を両手でたいせつにいただいた。
宿のネラさんも赤ちゃんを抱いて、やってきた。この門前町でいちばんはじめに生まれた、社の子。私の名を一文字もらってつけてくれた、スズナちゃんだ。
「聖女さま。スズナも、お祝いに連れてきましたよ。……この子も大きくなったら教えてやります。うちには教会なんかよりずっと立派な聖女さまが、いるんだって」
スズナちゃんが、私の指をちいさな手できゅっと握る。その、あたたかさに。私はまた目のふちがあやうくなった。今日はいったいなんべん泣きそうになれば、いいのだろう。
宴のあちこちで、笑い声がはじけている。狛犬のアンは参拝客ならぬ宴客に、営業スマイルをふりまいて、料理のおこぼれをちゃっかりもらっていた。ウンのほうはいつもの柱にもたれて、むっつりとけれどその尻尾はほんの少しだけゆれている。
そしてその宴のはしっこに。
いつのまにかジークさまが来ていた。
当主さまが、わざわざ。しかも今日は警備の兵も連れず、たったひとりで。縁台のはしに腰かけて、甘酒の湯呑みを片手に、宴のようすを静かにながめている。
「ジークさま。いらしてたんですね」
「……ああ。警備だ」
「今日は、兵隊さんは?」
「いらん。……こういう日は物々しいのは無粋だろう」
そう言ってジークさまはふい、とあさっての方を向いた。けれどその口もとがほんの少しゆるんでいるのを、私は見てしまった。氷の辺境伯さまと恐れられている人が。今日はなんだかこの山のだれよりも、機嫌がよさそうに見えた。
……気のせい、だろうか。
ふしぎに思って首をかしげていると、人混みに押されて私の体が、とん、とよろけた。その肩をすっと大きな手が支える。ジークさまだった。
「あぶないぞ。……あまり、飲みすぎるな。また倒れられては、かなわん」
「私、甘酒しか飲んでませんよ」
「お前はその甘酒でじゅうぶん危ない」
なんですか、それ。むっとする私を、ジークさまは涼しい顔で見ている。それでいて支えた手は私がちゃんと立ち直るまで、そっと離れなかった。まわりのおかみさんたちが、そのなんでもないやりとりを見て、なぜだかくすくすと笑いあっていた。
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