護送馬車は今日も快晴(五) 呪いさんに、「はじめまして」を
「では、お代の話を、させていただきますね」
仕事が決まったなら、次は、条件の交渉です。ここが、肝心なところ。私は、居住まいを正しました。
「祈りには、正当なお代を、いただきます。教会のただ働きには、二度と、戻りませんので」
これだけは、譲れません。この十年、私は「奉仕の誉れ」という美しい言葉のもとで、パン一切れで働かされてきました。もう、二度と、あんな暮らしはしません。祈りは、尊い仕事です。尊い仕事には、正当なお代が、支払われるべきなのです。
道中、実はずっと、算盤を弾いていました。おおよその物価は、エルデのパン屋さんで見当をつけました。住み込みなら家賃と食費は浮くから、その分は差し引いて……。
教会の「奉仕の誉れ」で鍛えられたおかげで、私の金銭感覚は、たぶん、少しばかり、しみったれています。それでも、これだけは譲れない。安売りは、しません。
だから私は、自分としては精一杯、強気に。少し、ふっかけるくらいのつもりで、その金額を、堂々と口にしました。
「——以上が、私の希望額です。いかがでしょう」
ホルガーさんが、ぴたり、と動きを止めました。
薬の包みを開けかけた手が、宙で止まっています。しばらく、瞬き一つせず、私の顔を見つめて——それから、耳を疑うように、ゆっくりと聞き返しました。
「…………もう一度、おっしゃっていただけますか」
私は、同じ金額を、もう一度、はっきりと繰り返しました。
ホルガーさんの顔が、みるみる、奇妙な表情に変わっていきます。困惑、というのとも、少し違う。まるで、大切なものを、うっかり値切ってしまったような。申し訳なさと、戸惑いの、入り混じった顔。
「……もう一度」
三度目。私は、少しむっとしながら、また同じ金額を言いました。何度言っても、同じ数字ですよ。値切り交渉のおつもりでしたら、これ以上は、まけられません。これでも、精一杯、強気に出したのですから。
ところが。
ホルガーさんは、ふ、と、肩の力を抜きました。そして、なんとも言えない、優しい——けれど、少し困ったような、笑みを浮かべたのです。
「聖女さま。……それでは、あまりに、安すぎます」
「え?」
「当家は、これまで、十二人の聖女さまをお迎えしてまいりました。そのどなたも、その金額の、何倍もの謝礼を、お求めになりました。それでも、当然のことと、思っておりました。……なにしろ、この、呪われた家に来ていただくのですから」
ホルガーさんは、しわの寄った手を、そっと胸に当てました。
「なのに、あなたは。呪いを一年かけて解くとおっしゃる、その働きに、こんな……こんな、つつましいお代しか、求められない。——それでは、当家が、あなたを安く買い叩いた、ということになってしまいます。当主に、顔向けができません」
「え、いえ、あの。私としては、けっこう強気に……」
「値上げを、お許しいただけますかな」
……値上げ?
私は、ぽかんとしました。おかしいですね。世の中には、値切り交渉というものはあっても、雇い主のほうから「値上げしろ」と言ってくる交渉が、あるものでしょうか。少なくとも、私は、生まれて初めて聞きました。前世でも、今世でも。
「い、いえ! お代は、私が決めます! これは、私の信条なので! それに、その金額でも、教会の十年分より、ずっと高いんですから!」
「……なんと」
ホルガーさんが、絶句しました。教会での私の待遇を、ちらりと悟ってしまったようです。かえって、話がややこしくなりました。
助けを求めて当主を見ると。
ジークヴァルドさまは、口もとを手で覆って、窓の外を向いていました。その肩が、かすかに、震えています。
……また、笑っていますね? この方。
結局、お代の交渉は、私の主張がなんとか通って——ただし、ホルガーさんの強い希望で、ほんの少しだけ「色をつける」という、世にも珍しい形で、決着しました。雇われる側が値切られるのではなく、値上げされて渋る。妙な交渉でした。
* * *
こうして、私の、住み込み生活が始まりました。
あてがわれたのは、屋敷の東側の、小さな一室。けれど、私にとっては、じゅうぶんすぎるお部屋でした。寝台があって、机があって、暖炉まである。教会の、すきま風の吹く相部屋とは、大違いです。
そして、その日の夜。さっそく、最初の祈りをかけることになりました。
執務室に、当主と、二人きり。ホルガーさんは、心配そうにしながらも、「お邪魔になっては」と、下がってくれました。
「……本当に、触れずに、やるのか」
当主が、手袋をした手を、机の上に置きながら、静かに問いました。
「はい。触れません。今はまだ、その時ではありませんので」
私は、その手から、少し離れたところに、自分の両手を、そっとかざしました。
「今日は、ご挨拶だけです。呪いさんに、『はじめまして』を、するだけ」
「……呪いに、挨拶」
「ええ。いきなり知らない人に触られたら、誰だって身構えるでしょう? 呪いも、同じです。まずは、私が、敵じゃないと分かってもらうところから」
当主は、何か言いたげな顔をしましたが、結局、何も言いませんでした。たぶん、これまでの聖女は、誰一人、呪いに「挨拶」なんて、しなかったのでしょう。
私は、目を閉じました。
手を清め、息を整え、時間をかけて。当主の手のあたりに、じんわりと、温かいものを送り込む。急がず、焦らず。溶かそうとするのでもなく、ただ、そっと、寄り添うように。
——はじめまして。
凍えて、固く縮こまった呪いに、私は、心の中で、話しかけました。
——あなたも、長いこと、一人ぼっちだったのね。大丈夫。何もしないから。今日は、ちょっと、ご挨拶に来ただけ。
もちろん、返事は、ありません。呪いは、依然として、固く、冷たく、閉じたまま。けれど。
——ほんの少しだけ。ほんの、指先ほどだけ。その氷の芯が、こちらの温もりに、耳を澄ませたような。そんな、かすかな気配を、私は感じました。
気のせい、かもしれません。初日ですから、そう簡単に、変化なんて起きるはずが。
私は、そっと手を離して、目を開けました。
「今日は、ここまで。……お疲れさまでした、呪いさん」
呪いに向かって、ぺこりと頭を下げる私を、当主が、不思議そうに見ていました。それから、ふと、自分の手袋をした手に、視線を落として——。
「……どうかなさいましたか?」
「……いや」
当主は、短くそう言って、その手を、握ったり開いたりしていました。まるで、何か、いつもと違うものを、確かめるみたいに。
なんでしょう。まあ、初日ですし、疲れていらっしゃるのでしょう。
「では、私は、これで。また十日後に、まいりますね。——今日から一年、どうぞ、よろしくお願いします」
私は、ぺこりと頭を下げて、執務室を後にしました。長い一日でした。いえ、十日の旅の、締めくくりの一日、と言うべきでしょうか。ようやく辺境へ着いたと思ったら、その日のうちに就職して、祈りまで済ませて。我ながら、なかなか、働き者です。
あてがわれた部屋の、ふかふかの寝台に潜り込みながら、私は思いました。明日の朝ごはんは、何が出るのかしら。三食付き、本当でしょうか。エルデのパン屋さんで買ったパンは、明日の朝の楽しみに、取っておくとして。
——その夜。私が、明日の献立に思いを馳せて、すやすや眠っている間に。
同じ屋敷の、主の寝室で。ジークヴァルドという人が、十年ぶりに、一睡もできない夜を過ごしていたことを。
私は、まだ、知りませんでした。




