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あなたの隣は最初から、私の場所じゃなかったみたいなので。  作者: 月雅
第4章

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第4話「街道を西へ」

馬車の車輪が、石畳を刻む音が続いていた。


街道を西へ。クレーネの町が後ろに遠ざかっていく。窓の外を秋の景色が流れていた。色づいた木々。刈り入れの終わった畑。すれ違う荷馬車。街道沿いの石積みの塀。


シルヴィアは馬車の中に座っていた。


向かいにマルコが座っている。御者台に近衛兵が二名。馬車は王家の紋章が入った公式のもので、揺れは少なかった。


荷物は小さな革の鞄一つ。着替えと、銀鈴亭の帳簿と、あのショール。


帳簿を持ってきたのは習慣だった。毎日つけている帳簿を、旅の間も手元に置いておきたかった。数字を見れば、自分の場所を思い出せる。


マルコが口を開いた。


「王都までは四日です。宿場町に三泊します」


シルヴィアは頷いた。


マルコの口調は穏やかだった。丁寧語だが、形式ばった硬さはない。レナートの側近として、シルヴィアとは面識がある。銀鈴亭に何度も訪れた人間の、自然な距離感だった。


「評議への報告は形式的なものです。殿下が全て準備されています」


シルヴィアは窓の外に目を向けたまま聞いていた。


「謁見は国王陛下の私室で行われます。大広間ではありません」


私室。


大広間での公式謁見ではなく、私的な場での対面。国王がそれを選んだということは——政治的な儀式ではなく、人を見るための場を設けたということだ。


その判断の意味が、すぐにわかった。


侯爵令嬢だった自分の頭が、宮廷の情報をそのまま読み取っている。


「宮廷内では、殿下の婚姻相手が他国の侯爵家出身であることは報告済みです。反応は二分されていますが、殿下が抑えています」


マルコの声が、わずかに低くなった。


「ヴァイスベルクの名前は宮廷で好意的に受け止められています。侯爵家として十分な格です」


シルヴィアの指が、膝の上で動いた。


ヴァイスベルクの名前。父の名前。自分が封じた名前。


それが宮廷で「十分な格」として扱われている。


マルコはそれ以上は言わなかった。必要な情報を、必要な分だけ渡す。余計なことは聞かない。レナートと同じだった。


馬車が揺れた。街道の継ぎ目を越えたのだ。


シルヴィアは窓の外を見ていた。


マルコが「殿下」と呼ぶたびに、胸の奥が反応していた。


殿下。


あの人を、そう呼ぶ人がいる。宮廷では全員がそう呼ぶ。シルヴィアもこれから、公的な場では「殿下」と呼ばなければならない。


「レナート」と呼びたい自分がいた。


閉店後の食堂で、窓辺の席で、茶杯を挟んで名前を呼び合った。「この食堂にいる間は、レナートでいてください」と言った。あの約束は、あの場所のものだった。


宮廷では——王子でなければならない。


それはわかっている。侯爵令嬢だった自分には、身分と場所が呼称を決めることは当然のことだった。


だが胸の中で「レナート」と呼びたがっている自分がいることも、否定できなかった。


街道が続いていく。木々の影が馬車の窓を横切っていく。


マルコが再び口を開いた。


「東部の通商路の状況を調べた際、レヴィアンスの伯爵家の取引先がほぼ全て離れたという報告がありました」


事実を述べる声だった。感情を交えない、側近の報告の口調。


シルヴィアの表情は変わらなかった。


「そうですか」


一言だけ返した。


あの家のことは、もう何も響かない。取引先が離れようと、屋敷が傾こうと、自分の帳簿の数字とは無関係だった。


馬車は西へ進んだ。


昼を過ぎ、午後の光が傾き始めた。一日目の宿場町が近づいている。


馬車の中で、シルヴィアは自分の中の変化に気づいていた。


マルコの話を聞きながら、宮廷の構造を即座に理解できている自分がいる。情報を整理し、人の立場を読み、力関係を把握する能力。三年間、ハイゼンベルト家の社交を回しながら磨いた嗅覚。


使いたくなかった。


あの頃の自分に戻りたくなかった。


だが——あの能力は「グレンのために」使っていたから嫌だったのだ。あの家の名前のために、あの家の体面のために、自分を消して動かしていた道具だった。


今は違う。


「自分のために」使うなら、それは道具であって鎖ではない。


馬車が宿場町に入った。石畳の道が狭くなり、建物が両側に並ぶ。マルコが「本日はここで休みます」と告げた。


宿場の宿に荷物を運び込んだ。小さな一室。清潔だが簡素な部屋だった。


夜。


シルヴィアは宿の一室で、持ってきたショールに触れた。


織り目の細かい布。自分の手で選び、自分の稼ぎで買った一枚。王家から貸与される衣装の上に、これを纏う。


窓の外に、西へ続く街道が月明かりの中に伸びていた。


シルヴィアは無意識に壁に手を伸ばした。


指先が壁に触れた。


冷たかった。だがざらつきが違う。漆喰ではない。石壁だった。硬く、滑らかで、鏝の跡がない。


自分が塗った壁ではない。


指先を離した。


ここは私の場所ではない。


でも、私の場所はある。帰る場所がある。あの白い壁がある。あの帳簿がある。あの鈴がある。


だから行ける。


帰る場所を持ったまま、前に進む。それが今の私にできることだ。


ショールを鞄にしまった。


ランプの火を落とした。


二日目。三日目。


街道を西へ。景色が変わっていく。農村から、牧草地へ。牧草地から、丘陵へ。町が大きくなり、街道の幅が広がり、すれ違う馬車の数が増えていく。


マルコは必要以上に話さなかった。宿場に着くたびに護衛の配置を確認し、シルヴィアの部屋の安全を確かめ、翌朝の出発時間を伝えた。


シルヴィアは馬車の中で、帳簿を開くことがあった。銀鈴亭の帳簿。十一ヶ月分の数字。仕入れ。売上。支出。収益。


自分の手で書いた記録を、指でなぞった。


この数字がここにある。王都に向かう馬車の中に。


四日目の午後。


馬車の窓から、城壁が見えてきた。


高い石壁。塔。旗。街道が広くなり、人の流れが増えた。荷馬車と乗り合い馬車と騎馬の群れが、城門に向かって進んでいく。


王都だった。


マルコが「間もなく到着です」と言った。


シルヴィアの背筋が伸びた。


無意識に。


侯爵令嬢だった体が、王都の空気を感じて反応している。背筋の角度。肩の位置。顎の引き方。三年間の社交で体に刻まれた所作が、自動的に立ち上がった。


窓の外に、城壁が迫っていた。石の表面が午後の光を受けて白く光っている。


この先に、あの人がいる。


この先に、国王がいる。


シルヴィアは鞄の中のショールに、指先だけで触れた。


自分のもの。自分の稼ぎで買ったもの。


それを確かめてから、窓の外の城壁に目を戻した。

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